帝王院高等学校
どっちの葉っぱも切れ味抜群よ!
「あーあ…」

ちらりと傍らのお荷物を横目に、背中の重みに溜息を吐く。先程までの愛想笑いが消えている男と言えば、じっと一点を見つめたまま、今にも発狂しそうな気配を漂わせていた。
空気の読める男、神崎隼人は沈黙を守る事を心に誓い、さっさと踵を返す。何せ重い。


「待て、駄犬」

然しながら先に口を開いたのは、叶二葉の方だった。
笑えるほどに口調の荒い男は最早本性を隠すつもりがないらしく、色違いの裸眼はゴミを見る様な目付きだ。此処まで清々しく偉そうだと、逆に刃向かう気がなくなるから不思議である。
いつもの愛想笑いの方がイラっとするのだから、幾らかマシと言えるだろうか。

「…なーに?駄犬で悪かったわねえ、二重人格。知ってたけど。隼人君を苛めるつもりだったらあ、チクるからー」

太陽と要は、上へ上へ運ばれていった溝江を追っていったので姿はない。万一を考えて風紀委員長である二葉を最下層に待機させたまま、隼人には先に宰庄司を外へ運び出して欲しいと副会長らしく指示していった太陽には悪いが、ごねる二葉への宥め方と別れ際の台詞は余計だった。
チッ、と鋭く舌打ちした恐ろしい顔の二葉に冷や汗を浮かべつつ、もしかしたら日向の舌打ちはコイツが原因なのかも知れないと思い付いた隼人は賢い。だが、そんな推理が当たった所で、状況は変わらなかった。

「…ふん、アキに喋る前に息の根を止めれば良いだけ。下らん事をほざくなカス、手元が狂って絞めそうになる」
「もうやだ、普通に警察に捕まって欲しい…」
「その荷物を置いたら、戻る前に風紀へ伝言を伝えろ。至急、だ」
「はあ?」

何で俺が、と顔で拒否を示す隼人には構わず、暫く腕時計を見ていた二葉はペンとメモを取り出し、素早く何やら書き込んでいる。
ピッと書き込んだメモを胸ポケットに突っ込まれ、隼人より低い位置にある蒼と黒の双眸に睨まれたまま、囁かれた。

「御使いも出来ない馬鹿犬ではないのなら、証明なさい」
「な」
「俺の伝言さえ伝えれば、別に戻って来なくても良い。つまり空気を読めと言う事だ、理解したか糞餓鬼」
「………はいはい、隼人君はイケてる優秀なワンコだからあ、お年寄りには優しくしてあげるー。有り難く思えばよい」

捨て台詞はイマイチ攻撃力に欠けた。
クスクス馬鹿にする様な笑みを背後に、ずんずん足を進める隼人はメモの中身を全く怪しんでいない。



「…やはり動きましたか、宝塚敬吾。何を企んでいるか知りませんが、カードを置いてきたのは失敗でしたかねぇ?」

ウェアラブル端末に示された赤い点滅。
簡易端末では正確な位置まで把握する事は出来ない為に、単独で探し出すのは些か時間が懸かる。何より、今は此処から動けないのだ。

『万一溝江が落ちたりしたら困るから、先輩はここで見張ってて。俺じゃ絶対助けらんないし、錦織は何かさー、見放しそうなんだもん。…あ、俺がこんな事言ったってのは内緒ですよ』

鋭い子供だと思う。
だが常に詰めが甘い。最後の最後でいつも、詰めが甘い。だから深く考えず自分の様な嫌な子供に軽々しく近付いて、なついて、ほんの思い付きでキスなどして、目を付けられた。

「私よりも青蘭の方が随分可愛らしい性格だと思いますが、まぁ、仕方ありませんねぇ。助けてくれとお願いされて断る風紀委員長は、残念ながら一般的ではない」

要が性悪と思われているのなら、確実に自分の影響であると二葉は自覚している。捨て駒に友人など必要ないと、裕也と健吾から引き離し、ただひたすら、人間としての感情の淘汰を優先し育ててきたのだ。
けれど今、監視対象の佑壱に絆され、あれだけ見下していた筈の太陽にまで感化されているではないか。最早あれは、ただの子供だ。十年前に何の感慨もなく吐き捨てた神威の予想通り、やはり要ではなく、彼を選んだのは正しかったのだろう。

「須く、神の掌の上」

宝塚敬吾。
あれの目的は十中八九、叔父である高野健吾だろう。だからこそ分校に通っていた彼は中等部の昇校試験を三度失敗し、高等部への昇校試験を留年してまで受け直した。

何か思惑があるのは早々と判っていた事だ。
分校同士の交換留学で当時欧州在住だった祖父の元へ養子に入り、留学期間を終えても戻らなかった為に留年した彼は、本校へ昇校と同時に帰国した。
そして今、健吾が高等部へと進んで、遅かれ早かれ行動に移すだろうと風紀委員は早くから警戒している。身内の憎しみなど、家が大きければ大きいほど頻繁に起きるありふれた話だ。


「お手並みを拝見しましょうかねぇ、セントラル。貴方の働きが認められれば、…リヒトを解放して差し上げますよ」

何の感情もない双眸の下の唇に刻まれた笑みは、ひそりと。





どうして人間はこうも、詰めが甘いのか。





















「ご機嫌よう、理事御一同」

理事会の散会と同時に姿を表した、唯一欠席していた理事が静まり返った一同へ恭しく頭を下げた。

「上院召集令が私の元に届かなかった故、召集は存じ上げておりましたが欠席致しました事をお詫び申し上げます」
「…そなたを招いた覚えはない。早々に立ち去れ、カイルーク」

最奥の椅子に腰掛けたまま頬杖を付く金髪の理事長が囁く様にもたらした言葉で、役員一同は席を立つ。退室していく役員らは銀面の長身に頭を下げて行ったが、その口は重く、誰もが沈黙を守っていた。頑ななまでに。

「何の用だ」
「ご報告がございます。宜しいでしょうか」
「許す。手短に済ませろ」
「今朝方私は、帝王院財閥の株価を90%保有しました」
「…世迷い言を、」
「東雲と大河を抱き込んで、有り得る筈がない、とでも?」

珍しく目を眇めた理事長に対して、表情を隠した神威の声音は何処までも淡々と。一切、狼狽はない。

「大河は遠からず手にした株券を放棄します。東雲は恐らく、今頃知った所でしょうか」
「…成程、そなた、アジアの株式を掌握したか」
「ご指摘の通り、東雲財閥関係企業の51%、大河の有する銀行株の42%及び、融資先企業の63%を私の名義で買い取りました。そちらの手駒が必死に帝王院株を掻き集めている間に、私はその土台を崩していった」
「彼らも愚かではない。警戒していた筈だ」
「ええ。赤子の手を捻る程度でしたが。…あれは、陛下ではなく父上方の手腕でしょうか」

ゆるりと。
首を傾げた神威を前に、理事長は目を閉じた。音もなく息を吐き、暫し祈る様に。
秀皇だけではなく大空と数少ない仲間で何年にも渡り仕掛けてきた計画が、たった数週間で破綻したのだ。この負の報せを聞けば彼らがどう思うか、そう考えただけで理事長の心中は穏やかではない。

「…村重はともかく、白燕は直接関与しておらん。手を引いてやれ」
「どちらにせよ、私には何等関係のない人間。何故容赦せよと仰られる、陛下」
「命令ではない。…そなたに何を言おうが無駄だろうが、それだけは言っておく」

頬から手を離し、緩やかに立ち上がった養父を銀面の下、どんな表情で眺めているのかはやはり、判らない。完勝とも言える今、元神皇帝を前に、畏れや怯えと言った感情は明らかに無いだろう。

「理事長の席が欲しければくれてやろう。好きにせよ」
「私が求めるのは理事長の席などではない、と、言えば、どうなされますか?」
「…そなた、この世に未練がないと見える」

机の下に手を差し込んだ理事長が、無表情で手にした銃口を突き付けた。けれどやはり微動だにしない神威は、首を傾げたままだ。

「この学園は、財閥の一切は、駿河の…秀皇のものだ。そなたに譲るものなどない」
「愚かな事を」
「そなたの命が此処で尽きれば、愚が善となろう」
「ご覧下さい、キング=ノヴァ」

無人である筈の議会室に、数人の男達が姿を表した。
彼らの手にした銃口は真っ直ぐに、理事長を狙っている。廊下から悲鳴じみた秘書の声が割り込んだが、彼も既に数人に囲まれていた。

「お逃げ下さい陛下!」
「構わんネルヴァ。これこそが私の犯した罪、刺し違えども償わねばならぬ」
「気丈なお言葉、感銘致しました父上。…ですが、これをご覧頂ければどうでしょう」

つかつかと、部屋に入っていた黒服。
神威の前で優雅に礼をした黒服の女性は、白檀の香りを漂わせ、蒼い双眸に柔らかな笑みを滲ませた。

「陛下に挨拶をせよ」
「初めましてキング=ノヴァ=グレアム。ランクABSOLUTELY、コード:ジェネラルフライア。ルーク=ノア=グレアムの命にて、馳せ参じましてございます」

目を見開いた理事長と、廊下で身動き出来ない秘書は言葉もなく、神威だけが静かに「組織内調査部」と呟く。

「組織内調査部長は…存在しない、筈だ。そなたが知らぬ筈はなかろう、カイルーク」
「そう、レヴィ=ノア時代より、組織内調査部は名目のみ、実情は特別機動部長が兼任していました。然し私の代で改革し、今は彼女がマスター代行を勤めております」
「ふふふ。陛下、ちゃんと教えて差し上げないなんて、意地悪だねぇ。組織内調査部長の本当のコードは、ケイアスインフィニティでしょう?」

女性としては背の高い、けれど神威よりずっと低い位置にある黒髪が踊る様に靡いた。夥しく向けられた銃口の中、命の危険など何ら構わないかの様に、彼女は。
胸元から一枚の写真を取り出し、海って良いねぇ、と。歌う様に。

「ふふっ。キング=ノヴァ、お綺麗なお顔が強張ってますよ。これが誰だか、判ります?うふふ、判らない訳ないですよねぇ」
「………」

何処かは判らないが、海の写真。
車椅子に腰掛けて海原を眺める横顔は、知らないと突っぱねるには余りにも、そう、余りにも、懐かしい男だった。
無表情を崩した理事長は最早言葉もなく写真を見つめたまま唇を震わせ、廊下から様子を窺う秘書は状況を把握していない。

「これがねぇ、組織内調査部長なんですけど、何年も前にボケちゃったんです。認知症。診断を知ったら死のうとするんだもん。だから僕、身内に頼る事にしたんです。ねぇ、陛下」
「…身内、だと?どう言う意味だ、カイルーク」
「お答えせよ、ジェネラルフライア」
「僕の曾祖母、血は繋がってないんですけどねぇ、その曾祖母の姉が、レヴィ=グレアムに嫁いだんです。ふふっ。すぐに捨てられちゃいましたけど」

秘書もまた、目を見開いた。
レヴィ=グレアムに嫁いだ女は三人、最後の女は、ヴィーゼンバーグの娘だった。

「うふふ、そう、キング=ノヴァの母親が、僕の身内なんですよ。だからね?ルーク陛下と僕は、親戚同士なんです」
「その目、は」
「本物ですよぉ?お祖父ちゃんが奥さんの従妹と浮気しちゃった所為で、表向きは庶子扱いになってるみたいですけど、ちゃんと僕もヴィーゼンバーグの血を引いてます」
「ならばそなたはベルの、」
「いーえ?アリアドネは、叔母ですけど?」

顔色を失ったのは秘書だ。有り得ないと叫び、黒服らから羽交い締めにされている。

「騙されてはなりません陛下!ヴィーゼンバーグの子は二人、下の娘にはベルハーツのみ、上の息子にはセカンドを含め、兄弟は男ばかり!女など存在しておりません!」
「嫌だなぁ、疑われてる。存在しないって、それじゃあ僕、誰なんですか?ねぇ、陛下」

神威の腕に抱き付いて、微笑みながら見上げる美貌は擽る様に、神威の冷たい仮面を撫でた。

「素直に名乗れば誤解は解けよう。挨拶がしたいと宣ったのはそなただろう、つまらぬ揶揄は控えろ」
「はーい。ごめんなさーい」



内緒ですよ、と。
理事長の手から写真を奪い、チュッと写真に口づけた人は無邪気に脅迫しながら、ただ、柔らかい笑みを讃えて。



「僕の名はタカハ。
 貴い葉っぱで、貴葉って言います。誰かに言ったら殺しちゃうかも知れないからねぇ、気を付けて?」


無邪気な、赤子の様に。

←いやん(*)(#)ばかん→
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