帝王院高等学校
高校生の大事なところ、尻!と股間!
『お前はあの人間皇帝に私を重ねているだけだ』

囁く様な声音を憶えている。

『アジアの島国へ逃れようが、お前の魂は私に従ったまま』

煌びやかな便箋の書き置きを握り締めて。姿を消したご主人様に歯噛みしながら、元ご主人様を睨み付けたあの日。



『届かぬ自由へと恋い焦がれるが良かろう。



 ……………俺の様に』



絶望よりも強かったのは、焦燥に他ならなかった。

















じたばたともがく尻を一生懸命押している少年は、ズレにズレて辛うじて引っ掛かっているだけの眼鏡をそのままに、ヒッヒッフーと呼吸を整えた。
何かが生まれそうな予感。

「み、溝江…君っ。入りそう…?!」
「も、もう少しなのさ。肋骨は全部入ったけど…ぐふ!の、野上クラス委員長、もう少し力を抜いて貰えるかな。内臓が食道を逆流してしまうのさ」
「あ、ご、ごめんっ」

カシャン、と気弱なクラス委員長の地味な眼鏡が落ち、近眼の彼は狼狽えた。狭いダクトに上半身だけ突っ込んだ赤縁眼鏡の尻をそのままに、眼鏡を求めて屈み込んだ彼は頭上で起きたプチ事件を見ていない。

じたばた暴れる尻が、ダクトごとウィーンと運ばれて行ったのだ。
かなりのスピードで。

「野上クラス委員長、突如として横からのGを感じるのさ。幾ら押しても引いてもどうにもならないからって、僕は教室のドアではないのだから、横から押しても新しい発見はないのではないかね?」
「眼鏡眼鏡…」
「返事をしてくれたまえ、寂しいのさー」

赤縁眼鏡の声が遠ざかる。
根っからの近眼級長は漸く掴んだ眼鏡にふーっと息を吐き、ひょっと愛用の地味な眼鏡を装着した。

「ご、ごめん溝江君。ちょっと眼鏡が落ちちゃって…って、」

てへへ、と照れた様に頭を掻きながらクラスメートの尻を仰ぎ見れば、ない。尻がない。

「ど、どけんしたと?!溝江君が居らんばい!」

我らが一年Sクラス級長、帝君命名により『クラス委員長』と名付けられた野上直哉は迸る悲鳴を上げた。
ぎりぎり大分県との県境にある帝王院九州福岡分校から昇校した彼は、鹿児島県の生まれである。だが生まれただけだ。父の実家がある。

根っからの福岡っ子ではあるが知られていない。夜中に徘徊していた某左席眼鏡会長を見付けた時にうっかり説教した時以外に、彼は標準語を崩さなかった。と、思っている。

「みっ、溝江くーーーん!!!返事をしてっ、溝江くーーーん!!!」

尻を訪ねて三千里、彼こそ極々平凡な精神の持ち主であった為、デパートで幼い子供とはぐれた母親の様な心境で彼は迸った。色々と迸った。だが我が子…ではなく汚い同級生の尻は、見付からない。

尻が居ない尻が居ない尻は何処だ。
こうも情熱的に尻を探す高校生は、恐らく日本で彼か遠野俊かだろう。

「居ない…!駄目ばい、こんな時こそ落ち着かな。ひっひっふー…ひっひっふー。ラマーズ法は本当に落ち着くばい」
「何をブツブツほざいてますか、君は」
「はい?」

日本列島南の島、九州。
南国とは違い別に暖かい訳ではないが勘違いされ易いと言う良く判らない国で育った、本物の明太子を知る男、我らが一年Sクラス級長。

彼は迸っている内に、巨大な螺子のある広い場所に出ていたらしかった。

「あ…あれ?錦織君?また綺麗になったね」
「おや、聞き慣れた賛辞とは言え、有難うございます」
「…砕け散れ洋蘭」

眼鏡がズレている彼がヨロヨロと近付いた先、見上げた男が笑う気配と、反対方向から響く聞き慣れた声。

「あれ?今そっちから錦織君の声が?」
「あは。クラスいんちょ、下、下。踏んでる」
「んん?星河の君も居るのかな?僕の下がどうし、」
「…野上君、そろそろ降りてくれないかなー?口から内蔵型内臓が飛び出ちゃうかもねー」

はたり。
溝江赤縁眼鏡の尻を追い求め、走っては飛び、転げては飛び、走っては飛び降りたクラス委員長は、着地の時に誰かを踏んでいた。

恐る恐るズレた眼鏡を直せば、彼の尻の下に山田太陽、そのまた尻の下に宰庄司らしき赤縁眼鏡が見える。

「と、時の君?!何故時の君が僕のお尻から?!はっ、まさかさっきのラマーズ法が…?!」
「ラマーズ?いたたたた、あー、びっくりしたー…。まさか背後から委員長がタックルしてくるなんてねー。これぞダンジョン。何て言ってる場合じゃなかった。宰庄司君?生きてる?」

デコを打ったらしい太陽が広い額を押さえながら宰庄司の肩を揺すり、背後を見やったクラス委員長は頭の上にある非常口を認め、あそこから飛び出たのだと気付いて青冷める。
結構な高さだ。混乱していたとは言え、太陽が偶々居なかったら怪我をしていただろう。

「時の君、本当に申し訳ないです、そして眼鏡の底から感謝します。有難う」
「ど、どうしよう、宰庄司が息をしてない!」
「え?!」

実は俊と同じ身長だと誰からも気付かれていないクラス委員長は、涙目で振り返った青冷めた太陽を見るなりしゅばっと座り込む。

「そんな…!僕の所為で宰庄司君が?!」
「ど、どっちかって言うと、委員長が背中に当たった時にぶっ飛んだ俺の膝が…宰庄司の大切な所にクリーンヒットしたって言うか…」
「宰庄司君!聞こえてる?!僕だよ、野上だよ!駄目だ、何処かにAEDはありませんか!」
「ハニー、お膝を消毒しましょう」

野上委員長の混乱具合に瞬いた太陽へ、黒一色のスパイ洋装の二葉が膝に巻いていた小さなポーチから消毒薬とハンカチを手に寄り添う。
風紀委員長は瀕死の下級生より、その下級生の股間に触れてしまった太陽の膝の方が重要事項だった様だ。

「カナメちゃん、あれあるー?ほらあ、あれ、ボスがママに殴られた時に使うやつ」
「ああ、これか」

要の胸ポケットから何やら受け取った隼人が神妙な顔でクラス委員長に手渡し、どや顔で親指を立てる。

「冥福を祈ってるからあ」
「え、これは…絆創膏?」
「それAIDやないか〜い」
「「ルネッサーンス」」

華麗に隼人とハイタッチを決めた太陽へ、忍び寄る白百合が殺菌スプレーを振り掛けた。
離れた位置で密かに肩を震わせている要はそっぽを向いており、気絶している宰庄司の股間と絆創膏を何度も往復した野上級長の眼鏡は切なげに曇る。

「野上君、過ぎた事を悔いても仕方ないよ。うん。宰庄司はこのまま誰かが背負うとして…二葉先輩」
「ユリコ重いの持てなーい」
「え?…ええ?!ま、まさか、こちらは白百合閣下でらっしゃいましたか?!そんな…眼鏡が…!いや、これは気付かず大変なご無礼を…!」

太陽から見上げられた二葉は満面の笑みで『背負いたくない』とほざき、太陽の呼んだ『二葉先輩』のワードで賢い頭を回転させた野上は眼鏡を何度も押し上げながら、ひっそり眼鏡仲間だと思っていた裸眼の白百合に慌てて頭を下げた。

「最初はグー、」
「ジャンケンぽん!」
「「あいこでしょ!」」

突然ジャンケンに発展した隼人と要には構わず、長いあいこを横目に、

「ふ、今は風紀に追われた身。堅苦しい挨拶など不要です、私の事は気軽に美しくも儚く繊細な美貌のユリコ様と呼びなさい一年Sクラス野上直哉君」
「はっ、僕などの名を覚えて頂いて光栄です美しくも儚く繊細な美貌のユリコ閣下」
「あはは、野上君は記憶力がいーね」
「所で、皆々様お揃いで何故こんな所に?」

21回目のあいこでも勝負がつかない隼人と要がイケメン顔を歪め、互いに互いを『やるな』『お前もな』と誉め合った。
合わせた手を捻り覗き込む古のジャンケン奥義を繰り広げ、22回目のジャンケンもまた、チョキであいこ。

刃物のチョキしか出さないキレたナイフな二人に決着はあるのか。

「かくかくしかじかで、皆を助けに来たんだよー。まだ潜入してから三時間ちょいなんだけど」
「成程そうだったんだね、重ね重ね有難う時の君」
「かくかくしかじかとは便利ですねぇ、ハニー」
「それで、宰庄司の話を聞いてた途中に野上君が落ちてきて、結局何が何だかで今に至ってるんだ。あ、俺の事は名字でも名前でもいいから、時の君はやめてくんない?」
「空気の読めない僕が妨げたんだね…。山田左席副会長、本当にどうお詫びすれば良いか」
「野上君、さっきより堅苦しくなってるのは何でかなー?」
「おやおや、一年生は謙虚な級長ですねぇ。因みに三年Sクラスの級長は勝手な投票で私ですが、実務は誰かがやっています。何せ気が向いた時のみ月に数回しか授業に出ませんので」

朗らかな三人は雑談に花を咲かせ、絶望の表情で崩れ落ちた隼人の隣、要は汗の滲む顔で拳を突き上げた。どうやらグーを出したらしい。

「うっうっ、あそこでパーを出しとけば…」
「何か言いましたかハヤト、往生際が悪い」
「所で、宰庄司君が言ってた不審な女性って何なんだろ」
「不審な女性?」
「そうなんだよ野上君、宰庄司君が通気孔を四つん這いで這ってた時に、下から話し掛けてきたそうなんだ。風紀のワッペンを投げてきたんだって」

その話の途中に野上が乱入した為に、クラスで最もクールな宰庄司は名誉の戦死を遂げた。人形じみた美貌の彼も男の子だったのである。チーン。

「女性…それって、溝江君も言っていたよ。何故かお風呂に入っていて、堂々と裸で出てきたそうだよ」
「はい?」
「確か、とても綺麗な人だったって」
「何それ、ギャルゲーのやり込み過ぎだよ溝江君、羨まし…」
「判りましたアキナ、貴方は美に満ちた私の裸体で我慢なさい」
「「白百合様!おやめを!」」

脱ごうとする二葉を野上と共に食い止めた太陽は顎に手を当て、あるかないか判らない推理力を発揮してみた。

「変な話だよねー、こんな所で女の人なんか…それもギャルゲー疑惑のある溝江君はまだしも、宰庄司君は何か思い詰めてたっぽいし…」
「ハニー、考えても仕方ありません。とっとと最後の彼を回収し、帰りましょう。式典があと三時間で始まります」
「あ、そっか、11時からだっけ?用意もあるから早めに戻らなきゃなんないよねー」
「用意の為と言うより、10時から保護者の先行入場、続いて一般入場が始まります。混雑が予想させるのでそれまでには」

悔しさが滲む隼人の背中に宰庄司を乗せ、爽やかな要が満足げに前を進むのに付いていく一向。
野上と太陽の間に割り込み太陽ばかり見つめている二葉には構わず、一年Sクラス地味組は二葉を挟んで雑談を続けた。

「天の君も式典には出られるんだよね?楽しみだよ僕、胸が張り裂けそうだよ僕、寝てないからかな」
「まともな式典を期待したら負けだよ野上君、何せ俊だから。事前に強く言い聞かせておくけど、またとんでもない発言しそうだし」
「そうかな?天の君を見ていると勇気を与えられるんだよ僕」
「あはは、それは多大なる勘違いだよ野上君、今ならまだ間に合う。戻ってきてー」

長いジャンケンの勝利に酔いしれる要が何処に向かっているのかは判らない。ずんずん進む要の後ろ、ずんずん絶望に沈み込む隼人と背中の荷物。
横幅が薄いペラペラな二葉越しに朗らかに会話し合うジミーズは遠足気分で、誰一人危機感がなかった。


と、要がそこそこのターンで振り返る。二葉の華麗なターンまでにはまだまだ修業が足りないと、ユリコが笑顔で嘆いた。

「山田君、あそこに誰がか見えませんか」
「え?あ!ほんとだ、足が飛び出てる。おーい、大丈夫かーい?」
「む?その声は我らが一年Sクラスの眼鏡の敵、時の君なのだよ。おーい、助けて欲しいのさー」
「…錦織君やるね、一発で見つけるとは」

カルマの優秀な警察犬だったらしい錦織要が指差す先、途切れたパイプから突き出す尻が遥か彼方天空でジタバタしている。

「や、山田君…」
「あははははは…ちょいと二葉先輩」
「流石の私にもあれは…」

然しかなりの高さに見ている一同は沈黙した。隼人は最初から絶望故に沈黙している。

あの尻、落ちたら命に関わる高さだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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