帝王院高等学校
飛ぶのか飛ばないのかはっきりしなさい
「王、ナイトの姿が見えない」

極めて冷静な声音と同時に、飛べない鳩は羽ばたいた。バタバタと羽根を散らしながらも、未だに飛ぼうとする本能の欲求は薄れていないらしい。

「間もなく外部からの人間が増えます。紛れてしまう前に彼を探し出しなさい」
「…王、何故そうもあの男を気に掛けるのだ。あれがかつて王を救った恩人である事は理解しているが…」
「汝は何が不満なのですか」

睨めば僅かに肩を揺らした男は然し、それ以外は語らず姿を消した。不満があるなら言えば良いものを、いつまで経っても忠実な下僕であるつもりらしい。

「…グレアムでありながら何一つ庇護なく、戻る事も許されない汝は、生きているだけの死体と何ら変わらない事に気付くべきです」

18年、片時も離れず傍らに在る者の幸せを望むのは、至極自然な成り行きではないか。産み落ちた瞬間に不必要とされた哀れな赤子。密やかに、密やかに。

帝王院秀皇の命を受けた男は、遠縁の親戚に預ける道を選んだ。ただ、その親戚がアジア最大組織の総統だっただけ。

「大河の家名では否応なく目立つ。汝が帝王院の息子だろうとグレアムの息子だろうと、隠すには祭家は最適だったまで…」

コンコン。
滅多に鳴らないノックの音に目を向け、未だに羽ばたき続ける灰鳩を横目にドアへ手を掛ける。


「こんにちは。君がジュチェ君かな?」
「それともメイユエ君。まぁ、どちらでも構わない」

開いた戸の向こう、佇むのは二人。
その片方は、見知った顔に良く似ていた。

「…ナイト様?こちらの方はどなたですか?」
「ああ、やっぱり一見じゃ見間違えるか。…ほら、眼鏡外して」
「パイイェン氏から聞いている。中に、入れて貰えるだろうか」

分厚い黒縁眼鏡を少しだけずらした男が囁いた。
その言葉は頼みではなく命令の様に全身を支配し、体が勝手に戸口から離れていくのを他人事の様に感じる。

「こら。それは使っちゃ駄目だって言ったろ」
「…だが警戒されるよりマシだろう?それともこの子に、一から洗いざらい説明しろとでも言うのか」
「返答に困る事言わないでよ、陛下」

飛べない鳩は尚、空飛ぶ夢を見ているらしい。
















「う、わ。何だこれ…」

オルゴールの中身みたいだ。
太陽が漏らした感嘆めいた声に眉を寄せたのは要だけで、太陽と同じくポカンと口を開いている隼人もまた、同じ様な事を考えているらしかった。間抜けな顔だ。

「基礎から伸びる支柱が見えますか?あれが幹と例えるなら、枝に当たる部分がエスカレーターの役割を兼ねています」

ダクトから飛び降りられなかった太陽のお陰で、後続の三人は狭い侵入経路を引き返し、それぞれ途中の連結部から外へ出た。

「エスカレーターだって?神崎メカ長、あれエスカレーター?俺には縦型の回転寿司のオートレーンに見えるんだけどねー」
「…でっかいキャタピラ?つーかデカ長みたいに呼ばないでくんない、似非お巡りさんは眼鏡のひとで間に合ってるからあ」
「あはは、大好評嫌われてるねー、風紀委員長」

別れ道からエアダクトに進んだ隼人は太陽よりまだ高い位置から顔を覗かせ、最も地面に近い所から頭を出した要は真っ先に着地を果たしたが、二葉の頭はない。
垂直に近いダクトの中で笑った太陽は足を滑らせたが、ゴミ箱の底へ真っ逆さま、と言った心配はなかった様だ。

「ハニー、お尻が私の頭に当たってらっしゃいます」
「あ、ごめん。お陰で助かりました。狭いけど上がって来れそう?」

ひょろん、と太陽の隣に割り込んできた男の細いウエストラインに太陽の尻がピタッとはまる。細身の二人でさえギチギチな閉鎖空間で、ボリュームの足りない平凡な尻は見事にぴったりだった。これではにっちもさっちも動けそうな気がしない。

「キャタピラーとはまた、言い得て妙な喩えですねぇ。確かに枝の部分は横に流れるだけですが、一定間隔で昇降機に分けられていきます」

にゅりん、右腕を引き抜いた二葉が金網を外し、ぽいっと投げ捨てる。ガシャン、と甲高い音、覗き込めば要が睨み付けていた。彼のすれすれに、投げ捨てられた金属の塊。
長い足を投げ出して穴から抜け出したばかりの隼人が、するする器用に配水管を伝いながら降りてきた。

「おー、凄い凄い、ロッククライマーみたいだねー」
「おや、彼が手にしているのは使われなくなって久しい配管では?一年Sクラス二番君、お気をつけて」

隣を通り過ぎる間際、バキッと嫌な音がした。
3メートル以上あると思われる位置から落下した男は、太陽の心配を余所に難なく着地。笑顔の二葉から微かな振動が伝わり、舌打ちしたのが判った。
見事な腹黒さだ。

「時々流れてくるコンテナみたいな大きい箱は何ですか?」
「あれこそ独房そのものですよ。シェルターでもある特別室とは違い造りは質素なものですが、度重なる脱走対策でこうなった様です」

いつの間にか二葉の左腕が腹に巻き付いていた。脇腹に当たる感触が擽ったいと身を捻れば、もぞもぞ尻を押し当ててしまう。

「上から下からアミダくじみたいだなー…ひょわ!」
「そうですねぇ、可動方法は時間切り替えの完全ランダムなので、」
「やめっ、こそばゆい…!」

固まった二葉が笑顔を消したので大人しくする事にしよう。今のは思わせ振りな動きだったと、自分でも思わなくもない。

「ご、ごめんねー?」

こっくり、無言で頷く男に息を吐いた。
どうも平素の刺々しい愛想笑いに慣らされていたらしい。勝手が違う、とでも言おうか。何にせよ扱い難い男だ。毒舌鬼畜と今の寡黙さ、どれが素か判断に悩む。

「側面にドアっぽいのが見当たらないんだけど、どうなってんだろ」
「フードカバー」

成程、テレビで度々目にする高級レストランで出てきそうな鉄の蓋か。ならば持ち上げるしかないらしい。

「今、食糧が運ばれました」
「うっそ、凄く突っ込みたいけどどう突っ込めばいいのか判んない」

通り過ぎたコンテナが所々天井から伸びる滑り台の様なものと接続されると、ゴトン、と音がする。何か落とされた様な音だ。

「私にも生徒らが何処に収容されているか予想出来ません。サーバーに残る可動履歴を見れば計算可能ですが…一つずつ調べるより他ありませんねぇ」
「建物全体ぐるぐる回ってて、尚且つアミダくじエレベーター付き。知ってたと言えば…まぁ、知ってたんだけど…この学校マジか、見えないとこまでファンタジック」
「さて」

ひょろりん、と。
太陽の顔を通り過ぎた軟体動物じみた長身が、金網を外した出口に片手を引っ掛けた状態で手招いてくる。嫌な予感しかしない。

「降りましょうか。お手をどうぞ」
「じょ、冗談だろ…!マリオじゃないんだからさー、こんな高さから降りらんないよ!無理無理無理」
「ふむ。ではこうしましょう」

ぱっと手を離した二葉が落ちていく。
反射的に手を伸ばしたが届かず、要と隼人の前にスタッと無駄なく着地した。ビル三階分はありそうな高さだと言うのに。

「山田太陽君、受け止めますからどうぞ」
「う、そ」

ひらひら、長い腕を広げて見上げてくるうっとりする顔。マジか!と痙き攣った隼人が乾いた笑みを零し、要はキョロキョロと物珍しげに辺りを見ている。

「急がないと式典に間に合いませんよ?」
「やだやだやだ、そんな細腕に飛び込みたくない!」
「おや?細腕とは…確かに私のエレガントな体躯は無駄なお肉が見当たらない」
「俺!さっき錦織が出た所から行くっ。ちょっと待ってて!」
「来なさい」

離れていても判る、涼しい眼差しが呼んだ。
優しげな声音に騙されるなと思ったものの、どうやら体は正直だったらしい。

恐怖はあった、筈だ。
運動神経は極めて凡人、逃げ足にはそこそこ自信はあるが、大した話ではない。


「誰に命令してんのかなー、とか、思ったり」
「これは失礼しました」

飛び込んだ腕の中、艶やかな黒髪を笑顔で見上げて呟けば、ふわりと鼻を霞めたのは白檀。

「あれ?くんくん…あれ?」
「どうしました?」
「神崎…や、やっぱ錦織君の方から先輩と同じ匂いがする様な」

腰から手を離してくれそうにない二葉の胸を押し返しつつ、かなり離れた所まで歩いていった要の背中を見やれば、それと同時に要が振り返る。

「こっちに来て下さい、湯槽があります」
「はあ?チョーバツトー、お風呂なんかあるわけ?」
「おやおや、一年Sクラス三番錦織要君。痴呆ですか?それとも老眼ですか?」
「喧しい。見れば判ります」

胡散臭げな隼人が二葉を見やり、ひょいっと太陽を片腕で抱いた男はじたばた暴れる太陽には構わず、わざとらしい心配顔を装った。

「「何だこれ」」
「おや」
「俺が言った通りだったでしょう」

これは確かに、立派な檜風呂だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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