帝王院高等学校
身の程を知るにはまだ若いっ!
「へぇ。良くこんなに簡単に捕まえられたネ」
「…何しに来たの、国際科が」
「君を見守っていたノ。今の君は一人ぼっちだから、可哀想になってネ」

赤い赤い、血の様に赤い文字で『0』と書かれたカードを一枚、人気のない進学科昇降口に残してきた男を認めほくそ笑むのは、痩せ細った少年だった。

「進学科三年四番、あの柚子姫サマ自ら天の君の靴箱に出向かれるなんてテ、他の親衛隊が聞いたらビックリするだろうネ。情熱的なカウントダウン、期限は今日」

レッドスクリプトだ、と。
愉しげに歌う唇はへらへらと、目元を隠す前髪の下、何度も歪んでいる。

気持ちが悪い、と。飲み込んだ言葉は然し、表情に出てしまったらしい。ゆらゆら細い体を揺らしていた男は両手をブレザーのポケットに差し込み、勿体付ける様に近付いてきた。

「クク。折角のカワイイ美貌が台無しだヨ?柚子姫サマ」
「…余計な口を開かないでくれる、宝塚」
「ハーイ。…フフ。そんなに怖い顔をしなくても大丈夫だヨ?君は君を傷付けた全ての人間に、ボクはアイツに。ちょっとだけ、意趣返しがしたいダケ」

光王子に最も近い場所に居るとされた姫が、今や学園中からこそこそと陰口を叩かれていた。

例え懇願して抱かれようとも、決して誰のものにもならない王子、キスだけは誰のものでもない王子。
けれどその彼は今、あの悪名高い紅蓮の君に囚われているのだと。二人がキスをしていた、二人が部屋から出てきた、等々、今では何処から何処までは真実か判らない程に広まった噂。

火のないところに何とやら。
寵愛を失った哀れな姫と、今では見下していた親衛隊員からも同情されているのだ。嘲笑と共に。

「光王子が手に入らなくて、背格好の似てる星河の君には裏切られて。…君はとっても可哀想な姫サマ」
「っ」
「ボクなんかより、ずーっと可哀想。こんなにカワイイのにネ?」
「…うるさい!お前こそ、出来の良い叔父に勝てやしない、コンプレックスの塊じゃないか!」

目を見開いた小さな頭、ギリギリまで見開かれた眼球の直前で動きを止めたナイフを突き立てたまま、笑みを深めた。

「ヤダナ、五月蝿いガキは嫌いダヨ。ボクが手を貸してやらなきゃ、ずっと靴箱にゴミ詰めるだけの癖に、何サマなのかナ?」
「…っ、離せ!お前と僕を一緒にするな…っ」
「ハハ!どう違うか教えてくれル?君はただ、王子にも皇帝にも手が届かなかったちっぽけな人間じゃない」

青冷めていく唇が哀れにも震えている光景を見るのは、とても気持ちが良い。

「軽度の言語障害ってだけでボクは母親から捨てられて、曾祖父母だけが拠り所だったんだヨ。可哀想でしょ?ネ、同情してくれるよネ?ボク、とっても可哀想なんダ」

いつでも薄暗い、アンダーライン最下層の廃棄物処理場は稼働日が決まっている。ダストシュートから積もり積もったコンテナのゴミは分別機械に掛けられ、絶えず背後からゴトンゴトンと音がした。

「なのにアイツが、可笑しいよネ?アイツはだって、祖父に似てない。母親はオーケストラごとにパトロンが居る様なアバズレだった。なのに音楽の神様に愛されてるんダ。ネェ、可笑しいよネ?死んでおけば良かったのに。でも、神様の寵愛を失って可哀想だから命までは取らないヨ」

ガラガラと、ベルトコンベアが動く音。
敷地内のゴミ箱から別途回収されるゴミはアルバイトの生徒が放課後、集めてくる。それまでは誰も近寄らない。下調べは万全だ。

「あの健吾にまた新しい玩具を与えられタ。帝王院学園最大唯一の貴重種、進学科の外部入学生。何で健吾ばっかり、神様は贔屓し過ぎだと思わない?」
「僕はお前の嫉妬に興味はないんだけど」
「クク。フフフ。あんなに醜い人間が、紅蓮の君、白百合、あまつさえ神帝陛下にまで近付いた。図々しいヨネ。ボクらは話し掛ける事も出来ない雲の上の人ばかり」
「うるさい」
「だぁいじょうぶ、星河の君を助けてあげよう。傲慢で他人を見下してる気高い星河の君は、姫サマの元に戻ってくるヨ」

処理場の最奥に、下水処理区画がある。
毎日決まった時間に排水を濾過する、巨大なプール。全自動で年に数回、決まった時期に業者が清掃に入るが、それは今日ではない。

「僕は…隼人を手に入れたいなんて、」
「でも好きになってしまったんデショ?そうだネ、最初は光王子に背格好が似てたから」

返す言葉がなく口籠る。

「最初から体だけ、って約束の王子は諦められても、彼は違うデショ?君の心に忍び込んで、簡単に籠絡した癖に、今は目も合わせてくれない…フフ」

嫌らしい男だ。この男は、的確に人の弱点を衝いてきた。

「柚子姫サマ。ネェ、ボク達は一心同体じゃないカ。学年は違うけど年は同じなんダ、もっと仲良くしようヨ」
「…」
「君は他の有象無象とは違う。ボクは判ってるヨ、本当の君を」

それは罪悪感を忘れさせる、麻薬じみた台詞だった。人の深層心理を操る様に、理不尽に踏みにじる様に、密やかに強引に抗う事を許さず、入り込んでくる魔の囁き。

「君とは、仲良くなれると思うんダ」

けたけた、片言めいた舌足らずな醜い笑みを響かせる男の奇妙さに気付いていて、尚。それでもまだ、後悔はほんの僅かだった。


「君はだぁい好きなカイザーに、お礼が言いたいだけだもんネ」

一度、だけ。
話してみたかっただけだ。

たった一度、せめて慕っているのだと伝えたかっただけだ。身の程知らずにも小賢しく浅はかに、一度で良かった。想いが叶うなどとは、微塵も思っていない。

「近寄らせてもくれない星河の君に、手軽な使い捨て枕みたいに君を弄ぶ光王子に、君がちょっと意地悪したって、許されるよネ?」

指揮者の様に艶やかに、戦慄の旋律を優雅に奏でるあの人に、一言。


ただ、それだけで良かったのに。







突如現れた外部生、一年の、遠野俊。
彼は大切な人を愚弄した。闇を統べる気高い皇帝だけが許された赤い赤い、レッドスクリプトで。




白亜の建物を汚したのを、この目で見たのだ。















「…むむむ。うーん」
「姉ちゃん、用意したー?」
「あー、したした」
「あら?何、そのカッコ」

てててと離れの長男夫婦宅から走ってきた小柄な甥へ齧りついていたノートから目を離し頷けば、デカい星柄のパッションカラーなシャツとスリムなジーンズに着替えている甥は、顔に全く合っていない大きなレイバンのサングラスを付けている。
それは亡き父の遺品ではないだろうか。

「何十年前のグラサン掛けてやがるかァ。ダサ、ないない。こんなタケノコ族と歩きたかない。没」
「うっそ!えー、悪くないと思うんだけどなァ」
「ったく、うちの馬鹿息子にしろお主にしろ、何だィその奇抜なファッションセンスは。身の程を知れ。お主にイケメンは無理だ。可愛い路線で攻めとけ」
「うう」

ごそごそとシャツを脱いでいる甥を横目にノートに挟んでいる封筒をつまみ、ひらひら振った。ざっと目を通しただけだが、どうやら自分はこの何日か記憶を失っていたらしい。
迷走しているぐちゃぐちゃな殴り書き、毎日毎日冒頭の書き込みは「起きたらアラフォーだった」から始まっている。

「…何で急に思い出したのか判んねーが、まァそれはイイ」

普段、如何に安く美味いものを大量に作るかを考えている遠野家の主婦は、学生時代オール5の成績で留学し、軽々と花形外科医の資格をもぎ取った経歴があるのだ。
見た目と言動で度々忘れがちだが、遠野一族は代々賢い人間が多い。大半が医療関係で、例外中の例外は、母方の祖父の弟だけだ。

彼は家を出てから以降、一切の音沙汰がない。

「…ふーん、あんにゃろー、自分だけならまだしも、この俺にも掛けてやがった訳か。イイ度胸だ、クソガキが…」
「お〜い、俊江姉ちゃん、こっちのシャツはどう?イケてる?何か良く判んない柄なんだけど!」
「没」
「んなっ」
「…舜ちゃん、お主まさか俊を真似してんのかね?やめとけ、あれは奇跡的にお洒落に見えるだけで、他人が真似するもんじゃないぜ」

がーん、と落ち込む甥を横目に目を細め、短い髪をガリガリ掻いた人は少年じみた顔を歪め、数年振りに舌打ちをした。小さく「成敗してくれる」と囁いて、ずかずかと廊下を突き進む背中は、どことなく恐ろしいオーラを纏っている。

「おい舜、お主の思い出メロリー返しとくぜ。無駄だと思うけど老婆心ながら言わせて貰うと、これメモリーの間違いだよィ?」
「ん?姉ちゃん、どこ行くの?帝王院の入場は10時からだから、まだ早いよ」
「あー、いっぺん家に帰ってくるわ〜。着替えと化粧品が…あ、イイ事思い付いた」

ぽん、と手を叩いた人に、漫画だらけの自室で半裸だった甥は小首を傾げ、

「舜、お主もおいで。あーた、私とサイズ変わんないわよね」
「えっ。行く行く、俊兄ちゃんの部屋行くの超久し振り!去年の冬休み兄ちゃん忙しかったもんね!老人とかで!」
「あらん、それ同人だよねィ。良し、そうと決まったらアンタの母さんに見つかる前にずらかるわよ!ネチネチ話が長いから!」
「ラジャ!母ちゃんはクソ兄貴そっくりでグチグチ言うからねィ!」

遠くから次男を呼ぶ女性の声が近づいてくる。素早く庭先から抜け出した二人を見たのは、勝手気儘に入ってきた近所の野良猫だけだ。


俺と兄ちゃんのメロリー、と書かれた本が漫画に紛れて大雑把に突っ込まれた本棚。その片隅に、埃を被った古い日記がある事には誰も気づいていない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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