帝王院高等学校
束の間の走馬灯とその終焉
「山田大空?」

卒業式に行ってきた、と満面の笑みで宣った一つ年上の男は眼鏡を押し上げ、黙っていればインテリ青年実業家じみた容姿を歪めた。

「YMDの隠語。たまに先輩も山田って言ってたろ?丁度いいでしょ、何処にも居そうな名字で」
「…お痛わしい。灰皇院の跡取りともあろう御方が…」
「あはは。とっくに絶縁して帝王院だけどねー。しかも灰皇院は昔の名前で、今は違うんだし、やめてよ」
「他の末裔には連絡を?」
「するわけないじゃん。父から昔聞いた話じゃ、冬月はとっくの昔に断絶、帝王院本家に残ってる奴らは俺らを見下してる」

眉を寄せた男の手が眼鏡を押し上げ、口汚いと呟く。僕を俺にしただけだが、どうやら不評らしい。

「氷炎の君、俺はもう左席会長でも帝王院の学生でもないんだけどねー」
「猊下。そうであろうと、私が主と認めたのは貴方に他ならないのです。例え皇子殿下であろうと、私は貴方の身を最優先します。…それをお忘れなく」
「はいはい」

堅苦しい男だ、と苦笑い一つ。
小さな事務所に自分以外の人間はなく、性格の窺える几帳面な字で書かれた履歴書を横目に、息を吐いた。

「で、小林さん。帝王院学園進学科を首席で卒業、中央委員会副会長歴あり。そんな人が何でまた、こんな所に?」
「判りきった事を仰る。株式会社笑食、従業員二名の御社に入社希望であるからです」

その背後、先程から一言も口を開かない男。
戸口に突っ立ったまんま、最後に見た時より格段に男らしくなった男の気まずそうな美貌を見やり、まさか、とは思いながら、

「…じゃ、一ノ瀬は?」
「俺も…同じだ」
「ちょっと待って。…君、学校は?」
「辞めてきた。陛下もアンタも居なくなって、どうせ通ってない」

頭が痛い、と言うのはこの事だ。
何ともなく時計を見上げ、奴は今頃大学の時間か、と。短い溜め息。癖の様に眼鏡を押し上げ、自分に向けるものとは全く違う冷たい目線で戸口に佇む男を睨み据えた男は、そうすると恐ろしいほど冷たい美貌のまま顎を傾けた。

「一ノ瀬。貴様はそんな下らない事を言う為に此処まで付いてきたのか」
「…っ」
「言う言葉が他に山程あるだろう。山田社長、お耳汚しとは思いますがこの阿呆の話を聞いて下さらなくとも結構です。ええ」
「小林先輩…。はぁ。一ノ瀬、こっちおいでよ。丸二年振りかな?狭いとこだけど、そんな固くなんないで」

フリマ購入のそこそこ気に入っているちいさなソファから立ち上がり、形ばかりの応接セットを指差す。

「フリマでお歳暮ギフトが安く買えてねー、えっと、コーヒーしかないんだけど」
「社長、その様な雑務は私にお任せを」

おずおずと腰掛けた男は、昔は自分と同じく学園中の男を虜にしては可愛さを磨く事に余念がない様な男だったが、それがどうだ。今では随分すれて、顔付きが変わっている。昔はキャアキャア甲高い声で喚いてきたものだが、今し方久し振りに聞いた声音はしっかり男のものだった。

「小林先輩、俺まだ採用した覚えはないんだけどなー…」
「ご安心下さい坊っちゃん。都内の一等地に200坪のテナントを契約してきました」
「え」
「何、遊びで始めたバイオプで蓄えたはした金です。陛下は大学の二部に通われている様ですが、卒業までは何かと面倒でしょう?高校中退のままでは」

とん、と。
慣れた手付きでコーヒーカップを置いた眼鏡の男が胸元から紙を二枚取り出し、安いテーブルの上に置く。

「貴方達が軟禁状態にあった頃から、彼…この男はアメリカへ渡り、二年で卒業してきました」
「は、博士号?!ちょ、一ノ瀬、君っ?!」
「運の良い事に、一ノ瀬は実家が大手食肉加工業者でしてねぇ、食品冷凍技士の知識もあります。私もこの一年で粗方の資格は取ってきました」
「…榛原」

ああ、久し振りに聞いた、本名だ。
中等部時代に経営者だった父親をリコールして、親族から憎まれて、絶縁してやった日から一度も名乗らなかった、名前。

「酷い事、ばかり、してきた。お前が受けていた屈辱にも気付かず、お前は陛下と幸せにしているものとばかり…」
「…君もキングに唆されたんだろう?いつからアメリカに?」
「今の彼は俺には何の興味もない、様に、見える。…何を考えているのか判らない。ただ、あの女…サラ=フェインと陛下の子は、もう学園には居ない」

何があったのか、落ち着いた様子の彼は性格が変わっている。肩を震わせながら頭を下げてくるのに痙き攣りながら傍らの眼鏡を見上げれば、にこりと微笑まれた。
どうやら、この二重人格者が何やら関わっているらしい。どんな調教をしたのかは聞きたくないが、心細げに小林へ何度も目を向ける彼を見るだに、成程、どうやら二人は、ただならぬ仲の様だ。

「…えっと。一ノ瀬君、悪い事は言わない。小林さんはやめとけ」
「…は?」
「おや?坊っちゃん、何の話ですか?」
「付き合ってるんだろ?昔は小林先輩に睨まれる度に一ノ瀬がキャンキャン怒鳴ってた覚えがあるけど、何か良く考えれば一々説教するなんて余程気に入ってないとしないよねー」

セフレは自分にだって山程居た。
けれど小林が尻軽だの何だのネチネチ叱るのは一ノ瀬だけで、引き替えに自分と言えば、坊っちゃん坊っちゃんと甘やかされた覚えはあるが、叱られた記憶は余りない。

「あー…らら。一ノ瀬、真っ赤」

成長し落ち着いた元ライバルは硬直し真っ赤に染まり、ぱちぱち瞬いた男は腕を組み、何やら眼鏡を怪しく曇らせている。

「秀皇は何も彼も派手な男だったから誰もが一度は憧れるけど、現実の恋愛対象となるとやっぱ何か違うよねー、一ノ瀬」
「…お前もそう思うのか?でも、お前は陛下と、その」
「ないない。お前さんは抱かれたかも知んないけど、俺なんか無視されてた。気付いてる癖に気付かない振りで、なのに平気で他の人に恋したとか言われたんだよ。どう思う?」
「それは酷い。薄々気付いていたが、陛下は他人の感情の機微に疎い所がある」
「だよね!まぁ、俺も子供出来たばっかだし、とっくに諦めてるけどさー。あ、一ノ瀬、うちの赤ちゃん今度見にきて。かっわいーよー、双子」

キャアキャア赤ちゃん談義に花を咲かせていると、難しい顔で何を考えているのか、インテリの胸元から音が響く。チラチラと彼を見ている向かい側の男にニヤニヤすれば、また顔を真っ赤にした男が一度だけ頷いた。

成程、まだ関係はないが、どうやら一ノ瀬が小林に恋をしているのは確定らしい。タチもネコもやってきた自分とは違い、姫扱いされていた目の前のイケメンは親衛隊があるほど可愛かったものだ。
現実離れした生徒会長には自分から迫れた癖に、いざ口煩い副会長相手には何も出来ない様だった。なんと初々しいものか。

「…一ノ瀬、俺は応援するから。とりあえず今は会社を軌道に乗せるのが先決だけど、勤務時間外だったら幾ら迫っても見逃すから」
「あ、あり、有難う、榛原…いや、山田社長」
「小林さんって何か専務、って感じしない?…どう?眼鏡インテリ専務、良くない?」
「凄く、良いと思う」

こくこく頷く元ライバルとがっしり握手し、これからは仲間だと目と目でアイコンタクト。電話を終えたらしい専務(仮)が不思議げに首を傾げているが、温いコーヒーで乾杯している二人はそわそわと落ち着かない。
一人はこれからどう迫ろうか赤い顔で、一人はこれからどう企業展開しようか悩んでいる様だ。

「社長。手配しておいた業者が着いたそうです。今から荷物を運び出しますので、社長は一ノ瀬と先に本社の方へ」
「おえ?!本社?!もしかしてもう引っ越し?!今から?!ちょ、待って、手が早い!そんなに手が早いならまず一ノ瀬を口説いてから…、違う、そうじゃなくて、もし俺が断ったらどうするつもりだったんですか?!」
「ああ、その時は、」
「俺、が。…陛下に会いに行った」

楽しげな眼鏡を遮り、呟いた一ノ瀬の台詞で肩を落とす。悲壮な表情で彼がやって来た時は眼鏡を殴り飛ばしてやろうかと思ったが、彼こそ、この場で誰よりも肩身が狭かったのだ。

「謝って済まされる事じゃないのは、判ってる。それでも、謝りたかった。罵られようが二度と顔を見せるなと言われようが…」

愛する帝王院秀皇の隣にいた自分を目の敵にして、キングの愛人として言いなりになった挙げ句、好きだった男がいなくなった。
そして、情け容赦ない小林から全てを聞いて、どんな思いだったのだろう。彼は決して悪い人間ではなかった。ただ、人を好きになってしまっただけ。そう、秀皇がいつかそう言った様に。

「…そっか。ごめん、それなりに覚悟して訪ねてきてくれた事は判ってるんだけど…駄目だねー、俺。経営者には向いてない」
「そんな事は…君は賢い。人望もある。たからボク…俺はずっと、羨ましくて…酷い事をした。…許して下さい」
「ちょ」
「図が高い、侘びるなら誠心誠意心を込めて頭を下げなさい」

頭を下げてくるのに慌てれば、つかつか近付いた眼鏡がその頭を鷲掴み、ぐいっと益々押し付ける。苦しげに息を詰めた一ノ瀬の所業に怒りを覚えた事はあるが、昔の話だ。ライバルだった、それだけ。

「もういいから!専務っ」
「専務?それが私の役職ですか社長」

まさか先輩と言うつもりで間違えたとは言えず、曖昧に頷けば満足げに眼鏡を押し上げた新専務は浮き足立つ。押し付けられた頭を撫でながら顔を上げた一ノ瀬は何とも言えない表情だが、嬉しそうな小林を見つめる目は優しい。

「一ノ瀬は、とりあえず仕事が安定するまで常務って名の小間使いになっちゃうと思うけど。何せ小さい雑貨屋だからねー、うち」
「構わないよ。有難う、本当に…有難う」
「社長、何かの役に立つかと私と一ノ瀬君が都内の閉店したスーパーや倒産寸前の零細企業を片っ端から押さえています」

コンコン、とノックされた寂れたドアから入ってきた業者らが元気に挨拶し、手早くそう多くない荷物を纏めていく。

「それってこの前、酔っ払った俺がちょっと夢を語ったから?」

子供が生まれた喜びに酒の度が過ぎ、妻の父と共に妻から初めて怒られた日だ。未成年の癖に、と。小粒な赤ちゃんを両手に抱いた彼女は酒臭い男二人を怒鳴り散らかした。
その酒の場で、義父と話した事がある。以前デフレブームの時にホームセンターが流行り、インフレ時代に入ってからは停滞気味の業界だが、インターネットでちみちみ物流するくらいならしっかり店舗を増やした方が堅実だ、と。

冒険心こそないが堅実で真面目な義父は、実家の関連企業で働いていた。大規模なリストラを行った際、係長の役職にあった彼も退社している。
今は、名前こそ笑食と名乗っているが地方地方のお取り寄せグルメの取次と、輸入雑貨を扱うだけの小さな会社の買い付けに奔走してくれる、営業部長だ。

「山田社長。手始めに一ノ瀬の実家と専売契約し、私の母の里である東北の農家と地道に契約し、始めませんか」
「え、え」
「実はもう…幾つか考えてあるんだ。惣菜部はうちの母と叔母が料理好きで、幾つもデパートの惣菜を食べ歩いているから詳しい」

着々とはめられている様な気もするが、燃える専務と見た目は変わっても恋に恋する常務の手腕は舌を巻くほど凄まじく、都内から始めたスーパーが全国チェーンの複合型ホームセンターに成長するまで、時間は懸からなかった。

そして、地道に大学を卒業した男が密やかに会長職へ腰を据え、増えた社員の前では総務課長として手腕を奮えばもう、敵など居ない。


いつから始めたのか、いつの間にか同棲していた専務と常務は揃いの指輪。社員からはイケメン夫婦と囁かれ、生温く見守られている。
恐ろしく美形な総務課長は迷子になる度に社長室で苛められ、何だかんだ、増えた支社は全国に4つ。店舗は250、上場してからも株価は安定したまま、今ではコマーシャルを知らない者は居ない。

そんな表向き順調な会社の役員会議で、総務課長が顔色一つ変えずに囁いたのはいつだったか。



「時が来た。…息子が帝王院に入る」

近年、休みなしの仕事で益々すれてきた一ノ瀬が目を見開き、コーヒーカップを落とした専務は笑顔を張り付けたまま動きを止める。
それは、数年前に社長である自分が、息子を転入させた時と同じ反応だ。

「陛…いや、遠野課長。本気か?」
「…少なくとも本人は、な。勝手に決めて勝手に受けた外部試験に受かったと」

嘘だろ、と。呟いた一ノ瀬に罪はない。高等部の外部受験合格は、基本的に本校では伝説の様なものだった。分校なら有り得ただろう、が。

「…進学科、だろうねー。うちのアキちゃんもそこそこ頑張ってるみたいだけど、どうなるかなー」
「そんな呑気な!社長、やめさせろ!」
「一ノ瀬、無駄だよ無駄。遠野課長は、『他人の感情の機微に疎い所がある』からねー?」

悔しげに歯噛みした一ノ瀬が小林の手首を掴み、溜息を零した専務は若白髪の混じる常務の頭を撫でてやりながら、囁いた。


聖戦の開幕を。



「では、準備を整えましょう。奪われたものを取り返す為に」

誰もが。
永遠に続くなどとは思っていなかった些細な幸せが、凍った日。

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