帝王院高等学校
親は親で朝から気が逸ります
「大した話じゃないんだわ」

オンライン表示のノートパソコンが鎮座するベッド、

「祖父母が熟年離婚したの。私が高校卒業する頃だったか。もう17年近くなるわ」

ドレッサーの前、丹念に塗り塗り、艶やかなルージュで唇を何度もなぞる背中は鏡を見つめたまま語りかける。

「それで父は祖母の籍に入る事になった。祖母がボケてね、幼児退行ってやつ?祖父をジジイジジイって罵って、若い男と結婚するから離婚して…とか何とか、そりゃもう凄い剣幕だったって。うちの祖父は出来た人で、離婚届を出すくらいで満足するならって、判を捺した」

ショートボブの茶掛かった髪はさらりと癖一つない。幾らか気が強そうに見える吊り上がり気味のアーモンドアイも茶味が強く、バンッと上向きに張った胸元はウェストの細さを際立たせ、何ともグラマラスだ。

「ま、そのまま祖母はホームに入ってすぐに亡くなっちゃうんだけど。祖父は戸籍上他人になっても最期まで妻の世話を全うした。私が言うのも何だけど、うちの男家族は出来た人間ばかりなのよ。…お人好し、が、正解だわ」

然し彼女の顔立ちは一般的だった。
極めて美人でもなく、けれど嫌われる顔立ちでもない、平凡な日本人。目立たない顔立ちの割りに、語る口調はハキハキと、女性にしては低めの声音は耳障りではない。

「父にしてもそう。つまんない女に騙されて子供だけ押し付けられて、何処ぞの男と逃げた女に恨み言一つ言わないで。終いには、真面目に勤めてた会社からはリストラされた。…仕方ないわね、子供の為とは言え、残業も休日出勤もしないサラリーマンなんか肩身が狭かったでしょうに」

割引シールが貼られたままのチークパレットのパフを片手に、頬を撫でた人は空いた片手でドレッサーの引き出しを引き、そう多くはないマニキュアを適当に取り出した。

「だから夢ばっか膨らんでた訳よ。結婚したら旦那様は優しくて真面目で、私を幸せにしてくれるに違いない。私は母さんみたいに夫を絶対裏切ったりしないから、幸せになる筈だわ」
『ふむ、ファザーコンプレックスと言うものか』
「あっは!それ言えてる」

くるっと肩越しに振り返った背中がベッドの上へ笑い掛け、マニキュアを片手に立ち上がった。

「若かった…寧ろ馬鹿だった?近所の女学生は皆、一度は噂したもんよ」
『へぇ?』
「バリバリ進学校の西園寺、ブルジョア代表の帝王院。都内で一・二を争う男子校の生徒とお知り合いになれたら、人生勝ったも同然よー、なんて」
『ふふ、強かな女子だ。ませていたんだな』
「ふん、誰もが皆、貴方みたいに美人だったらいいわ。私らみたいな何の取り柄もない凡人、流行りのコスメと流行りの服を少ない小遣い遣り繰りして買い漁って、玉の輿に乗る努力をしなきゃお先真っ暗」
『大袈裟だな。それでは愛ではなく、金や身分と結婚する様なものだろうに』

鋭い意見だ、と鼻で笑い飛ばし、ぼふっとノートパソコンの隣に座ってストッキングで包んだ足を組み、マニキュアのキャップを捻る。
独特の臭いが鼻に付いた。

「そう、仰る通り。だから馬鹿だっつってんだわ。自分の汚い算段は棚に上げて、旦那の浮気に目くじら立てて、若い頃は毎日更年期よ。ぶっ殺してやりたいくらい苛々してる癖に平気な顔して、ママ友とのランチじゃ自慢話しかしないわけ。どーよ」
『ふふ、目に浮かぶ様だ。私は家の中の事で手一杯で、外の交流を蔑ろにしてきた。そうだな、外食など、結婚以来何年していないか…』
「何年目だっけ?」
『今年で19年目だ』
「…嘘でしょ!ずっと家事やってんの?!確かに大家族って言ってたけど、よくやるわ!すごっ!」

はみ出たマニキュア液に構わず叫び、ひらひら手を振った人は、ふーっと爪先に息を吹き掛ける。画面に映る美貌は小首を傾げ、何か凄いか判らないと言った表情だ。

「主婦の鑑だわ。私なんかこないだ疲れて帰ってきた旦那に賞味期限切れのカップメン喰わせてやったわよ」
『賞味期限切れ?ああ、見切り品か?』
「違う違う、何年か前に防災ブームあったじゃない?そん時にまとめ買いして置いた食料の非常袋を掃除中に見付けて、びっくり。最長6年くらい切れてんの!だって、缶詰めがよ?」
『6年?!君、それは流石に不味いのでは…』
「あら、意外と食べられたんだわ。旦那もずるずる啜ってたし、賞味期限三年過ぎたシーフードヌードル」

唖然とした表情で沈黙した相手にウィンク一つ。久し振りのお洒落に受かれていた気分は、がさつな性格をバッチリ反映したネイルのお陰で下降気味だ。落とすべきか、勿体ないからこのままにするか。

「さて、と。…てな訳で、私ぁ祖父母の二の舞かと思ってたけど、どうも峠は乗り越えた様です」
『具体的に?』

これぞ、主婦ぶっちゃけトーク。
ネットで知り合った主婦友達のグループだが、何もかもぶっちゃけるのが醍醐味であり、ぶっちゃけ話を聞くのもまた楽しみの一つ。

「旦那には言ってないんだけど、あの人と付き合う前に彼氏居たってのは話したわよね?」
『ああ。セックスのうまい男だったそうだな』
「フランチャイズだったけど店長だったし、年が大分離れてたけど、…まー、うちの旦那の淡白さに比べたらよっぽど良い男だと思ってたわけ」

誰に言えない家庭事情も、下ネタも、全てカメラ越しにぶっちゃけて、またはぶっちゃけられて、通信が終われば忘れる。
それだけが唯一の決まり事であり、例え会話が嘘であっても本当であっても、守秘義務が課せられるのだ。だからこそ管理人の厳しい審査を通過したメンバーのみのグループ人数は少なく、だからこそ結束は固い。

「ちょーっと盛り上がり過ぎて、怪我してるのにベロベロやり過ぎて貧血になるわ、怪我してるのにずぶ濡れで帰ってきて、何年振りかの営みが風呂プレイで旦那逆上せるわ、久し振りに喘いだら喉痛いわ…」
『端的に』
「気持ちよすぎて死ぬかと」
『ふ、後で500ぶっちゃけコイン送っておく』
「…実の所、かなり危険日な気がしてて若干焦ってる」
『何を焦る?妊娠したなら産めば良い。子育ては楽しいだろう?もう一度、やらせて貰えるものなら私はしたい』

何故か出来ないんだ、と麗しい美貌を曇らせた相手は、常々濃厚過ぎる営みのぶっちゃけを披露しては仲間を賑わせている。どんな旦那かは知らないが、こんなに綺麗な妻ならば頑張りたくなるのも頷けた。
性を感じさせないユニセックスな美貌は、女の自分ですら未だに見惚れてしまう。

「やーよ、大体が出来ちゃった婚だったんだもん。双子だわ旦那起業したばっかだわ、苦労した思い出しかないんだわ!もう少し独身気分でいちゃいちゃしたい!新婚プレイバックしたい!」
『そう、本当の君は愛情深い女性だ。だからもう自分を責めてやるな。過去はどうあれ、今の君は彼を愛しているんだ』
「…うん。今まで何度も愚痴聞いて貰って、こんな落ちでかたじけない」
『いや、何にせよ良かった。子供が独立するまでは耐えると言っていたが、これからはもうそんな心配もないのだな?』
「多分、ね」
『自信がないのか?君らしくないな』
「もう浮気はしないっつってたし、今まで聞きたくても聞けなかった話も洗いざらい聞いたし…子供も、便りがないのは元気な証拠。大丈夫。今のところは、別れるつもりは、ない」

安堵した様に大きく頷いた人がそろそろ時間だと呟いたので、別れの挨拶と共にスカイプを閉じる。

「ふー…。良し、馬鹿息子達の顔を見に行く為に用意しなきゃだわ」

パタリとノートパソコンを閉じて、失敗した指先の不細工なネイルを見つめたまま、吐いた息は生温い。



「…何なのよ、この嫌な予感は。」
















朝風呂を楽しんできたらしい亭主が縁側で、肩にタオルを引っ掛けたまま腰に手を当てて、ごくごくコーヒー牛乳を飲んでいる。
仁王立ちの背中には見事な虎と竹藪の刺青があり、引き締まった尻の下、豪快に開いた太股の間でブラブラ揺れているのは、

「ひま。股間が風邪を引く、下着を穿け」
「姐さん、親父の着替えはワシが」

用意してある着替えから下着を持ち上げれば、慌ててやってきた厳つい組員が素早く手から下着を奪う。気が利くのか否か、炊事以外の殆どは他の誰かが率先してやってしまう極道の世界では、主婦の面白味はない。

「私に気を遣う必要はないと言ってるだろう。宮田、ひまは会長である前に私の夫だ」
「いいえ、姐さんのお手を煩わせるとあっちゃあ、ワシら腹切らなければなりません。野暮用は何でもワシら餓鬼に言い付けて下せい」

楽だろうと他人は思うかも知れないが、いざこの立場になると慣れないものだ。
和食に憧れていた事もあり、料理の面白さに目覚めてからは台所だけが自分の領域だと自負している。少しばかり手伝ってくれるのは有り難い。ただ、何もやらせて貰えないのは業腹だ。役に立たないと言われている様に感じてしまう。

「アレク、お前は俺の妻だが同時にコイツらの母でもある。親の面倒は子が見るもんだ、気楽に構えろや」
「然しひま…いや、済まない。これは何度も話し合ってきた事だったな。…頭の固い私が思い上がっていた」
「アレク」

浴衣の腰帯を締めようとしていた組員を下がらせ、帯を片手に落ち込む妻へ近付いた男は苦笑い一つ。

「じゃ、悪いがこれやってくれるか?」
「…あ、ああ、私に任せておけ。結び目はどうする、貝ノ口か?へこ帯にするか?」

いそいそと目を輝かせる妻の世話好きな性格を熟知した男は「任せる」と一言、嬉々として頷いた金髪はビシッと慣れた手付きで着付けてやり、満足げに格好良いと頷いた。

「俺が出掛けるのは昼過ぎ、で、良いか。あんま早く行くと混むからな」
「先に私はシェリーを迎えに行こうと思う」
「ああ。それも構わんが…トシはまだ、忘れてんだろ?」
「私とお前の事は覚えているから問題ない。息子の顔を見れば思い出す、筈だ」

自信なげな顔を横目に、男は携帯を取り出す。
罪深い餓鬼だ、と、舌打ち一つ。繋がった相手の自棄にハイテンションな声が鼓膜を震わせ、

「朝から騒がしいオカマだな。こっちは昼頃出るが、そっちは?」
『オッケー、アタシはクリスの到着次第向かうわ』

道理でテンションが高い、と。嘆息一つ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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