帝王院高等学校
実は暗くなると変態さんが増えるんです









何故、お前はいつも嘲笑わない。
何故、お前は私を恨もうとしない。








………憎いだろう。





愛されて産まれたお前は、望まれず産み落ちた私より。
ずっとずっと、幸福でなくてはならないのに。



その言葉こそ、傲慢たる私の自己満足だと思うか。

















考えた事はないか。


私さえ存在しなければ。
お前は幸福だったのだ、と。







…何故憎まない。
私さえ存在しなければ良いと。

何故、自己満足かと聞かない。
私のつまらぬ退屈凌ぎで、お前は酷く苛立っただろう。






私はお前の兄などではない。
私の世界は虚無だ。
お前に、憎まれる事さえない。
お前に、求められる事もない。







ならば永劫、この渇きは満たされぬままか。
ならば永劫、私はお前に遺る事など、出来ないまま。









お前の幸福などやはり願えない。

私とお前に対等なものなど何一つ存在しない。

私は心底、お前が憎いのだ。




















常に与える立場であるお前が、愛しさと取り違えるほどに、私は憎いのだから。

























「面白くない顔をしているな、貴様」


視界が白く弾けた。
あれはいつだったか。確かうだる様な白日、猛暑の朝だ。

そしてこれは、聞かずとも鼓膜を勝手に震わせた、声。



深い深い記憶の奥底、何かが潜んでいた筈なのに。


(霞掛かった何かが)
(まるで仕組まれたかの様に)



(思い出そうとしても思い出せなかった光景が、少しずつ)



「…生まれつきこう言う顔なんだ。別に、面白くない訳じゃない」
「それは何だ」
「竹刀。剣道には必ず必要なもの」
「けんどー?何だそれは」
「武士道、火の元の国の男には皆、侍の血が流れている」

これは誰の声だ。
あの時自分は恐らく、うつらうつらと昼寝をしていた。だから瞼の裏で夢現に聞いたものだ。ならば誰の会話かは、知る筈がなかった。思い出そうとしても無駄な筈だ。

「異国の血を持つ俺には理解するに難い。サムライよりもニンジャこそ最も気高く強き日本人だと我が王は言った」
「それは難しいな。価値観の相違だ。何故ならばこの世に真の弱者などいない。全てが全てを捕食し生きている」
「…貴様、名前は?」
「そうだな、騎士。ナイトとでも呼んでくれるか」
「ほう、チェスの駒みたいな名前じゃないか。面白い。…ならば俺の事はルークと呼べ」


そうか。
この尊大な声は、弟だ。

生まれついての黒髪をいつの間にか金へ染めた、もう一人のルーク。
死んだ筈の影。ブラックシープの片割れ、冥府の鎌を持つ、スケアクロウ。
あれも慣れない日本の暑さに、フードを被っていた。


いや。
単に顔を隠したかっただけ、だろうか。










蝉。
蝉が鳴いている。


緑がそよぐ音。
広場を駆ける子供の声。
迎えにやって来る保護者が子供達を呼び止め、気配は少しずつ減っていく。




蝉。
たった数日の間にこうも熱烈に求愛する生き物は、恐らく他に居はしまい。随分情熱的に鳴いていた。どうして今まで、思い出しもしなかったのだろう。彼らは自分に酷く似ている。聞く者が居ようと居まいと、叫んでいるではないか。


自分は此処にいる。
自分は此処にいる。
自分は此処で、生きているのだと。






「また、こんな所で寝てたのか」

誰かが笑った。
全ての音を掻き消す声で。
全てを従わせる声で。

「こんなに綺麗なのに、誰かに襲われたらどうするんだ。最近、見かけない外国人が増えてきた。危ないぞ」
「…何の用だ」
「お姫様を守りに」

冷たい指先が額に張り付いた前髪を掻き分け、遠慮なく顔を覆うフードを剥ぎ取る。綺麗だと、馬鹿みたいに同じ言葉を囁いた男の唇が吊り上り、傾いた黄昏の逆光でその表情までは見ていない。

「そなたのその口は下らん事ばかり吐く」
「私の名は、ナイト。卑しい私めに、どうか貴方の名を呼ぶ権利をお与え下さい」

芝居じみた台詞。蝉。クスクスと笑う声が癇に障る。
何日か前に見た、父は見知らぬ女の手を引いて、記憶とはまるで別人の様に快活に笑っていたから。


「ならば、精々跪き乞うが良かろう。我が名はルーク…神を貫く、悪魔のクロスだ」

暑い。皮膚が焼ける様に熱い。
眠っていた合間に移動した太陽に、幾らか当たり過ぎたらしい。


冷たい手が額を撫で、濡れた恐らくタオルの様な何かが頬を撫でる。




「…ほら、か弱いお姫様が無理をするからだ」
「………」
「こんなに綺麗な悪魔なんか居ない。私がお前のナイトになってやる」

あれは誰、
あれは誰、
あれは誰、
自分にも判らない事を、誰に尋ねれば教えてくれるのだろう。





或いは、












「誰よりも強い男になって、…迎えに行くよ、ルーク」







あの時、この世の何よりも強く鳴いていた、蝉達ならば。









































唐突に目が覚めた。
嫌にすっきりしている。

辺りを見渡し、巨大な螺子の螺旋を見上げ、そうかと溜息一つ。



「…ん?」

誰かの膝で眠っていたらしいと起き上がれば、かくんかくんと揺れている眼鏡っ子が辛うじて見えた。
寝入る前に見た檜の風呂はどうやら夢ではなかったらしいが、先住者ならぬ先に風呂に入っていた相手から勧められたまま一っ風呂浴びてから、記憶が曖昧だ。

疲れ果てて座り込んでからの記憶がない。

「野上クラス委員長?」
「ぅ…?あ、れ…溝江君………ああ!溝江君!良かった、目が覚めたんだね!」

気弱そうと言うか人が好さそうと言うか、山田太陽に並ぶ平凡な彼は田舎臭い眼鏡をズレさせたまま、キョロキョロと辺りを見回した。

「良かった、誰にも見つかってないみたい…」
「君はどうして此処に?」
「僕もあれから、空気孔を伝って外へ出たんだ。でもうっかり移動中の足場に落ち込んじゃって、そんなに高い所からじゃなかったのが幸いしたんだけど…見える?あの辺りに落ちたんだよ」

幾つもの歯車が回転している太い螺子状の柱の中腹を指差した級長は、捲った袖の下、擦りむいたらしい肘にハンカチを巻いている。

「ふむ。姿の見えない宰庄司は、まだ部屋に居るのかな」
「それが、あの後君の声が聞こえなくなってすぐに宰庄司君の声も遠ざかってしまって、何時間かはもう一度返事を貰えるんじゃないかって何度も大きな声を出して待ってたんだけど…」

耐え切れず、行動に移したらしい。
この大人しい男にそんな行動力があるとは到底思えなかったが、どうやら彼自身が最もそう思っていた様だ。照れた様に頭を掻き、痺れたらしい足を揉みほぐしながら、

「え、えへへ、何か近頃、天の君を見ていると僕も何か出来るんじゃないかって思う様になっちゃって…。そんなのは勘違いだって判ってるんだけど…分不相応だよね、笑ってくれて構わないよ?」
「いや。僕は己を変えようと努力する者を尊敬するのさ。だから君は思うままにメタモルフォーゼすると良い。我が一年Sクラスは古い考えに囚われない、席替えも日直も鋭意実行中のアバンギャルドなクラスなのだから」
「う、うん。そうだね、有難う」
「礼は良いのさ。それより、いつまでも留まっている訳にはいかない。僕らが脱走した事に気付かれてるかも知れない」
「あ、そうだね…でもそれより、そこのお風呂は何?僕が此処を見つけたのはそこが明るかったからだけど、何とかあそこから降りてみてびっくりしちゃったよ。溝江君が倒れてるんだもの」
「僕も照明のお陰で此処まで辿り着いたのさ。業者か警備員かは判らないけれど、僕が来た時は女性が入浴していたよ」
「…ええ?!」

帝王院学園に女性が存在するのは大学部の数少ない通学生だけで、山の麓の街の端に他の学部のキャンパスが点在している為、そちらは女学生が多いらしいが本校の通学生は数える程だ。

「懲罰棟内の食料配給は全自動だと思っていたけれど、彼女の様に施設内を巡視している人が居ても可笑しくはないのさ。ただ何とも理解出来ない点があってね…」
「え?じゃあ最上学部の人かな?ほら、新歓祭は一般開放するでしょう?もしかしたらもう、始まってるのかもしれないし」

しかも彼女らが活動するのは大半が校舎内のみで、男子寮以外の全ての施設に立ち入る事が許されているらしいが、時折アンダーラインのフードコートで見かけるだけ。ましてや、こんな所で風呂に入っている人間が居るのかどうか。

「君は珍しい来賓客をわざわざこんな所へ立ち入らせるとでも?」
「…だね。ラウンジゲートがあるんだし、こんな小さなお風呂をこんな所に用意するなんて有り得ないか」
「どちらにしても、彼女の正体を推理するには確証が弱い様だよ」
「何がそんなに気になるの?中等部の時は女性の先生も居たし、初等部にも居るんだったよね?僕は昇校してきたから知らないけど」
「ふむ、確かに女性教諭は居るよ。多くは非常勤講師か臨時教師だけど…」
「だったら、」
「まぁ、この疑問はとりあえず保留にするのさ。所で野上クラス委員長、君はあの柱を伝って降りてきたと言ったね」
「え?あ、うん。ぐるって螺旋状に巻いてるでしょ?裸足になれば何とか、滑らずに歩けるくらい溝が深いんだ。ただあれ自体動いてるし、所々足場とか通気口のダクトが突き出した所とか障害物が多くて、気は抜けなかったけど…」

ふふん、と。
貴族じみた彼に似合いの笑みを浮かべた溝江信綱は、すっと優雅にポケットから取り出した赤縁眼鏡を切れ長の双眸の上に纏い、ビシッと空間の中央、太い柱を指差した。

「…その程度の障害など我ら一年特別進学科生には、真実の愛を知った不良攻めの前の悪役エキストラも同じさ」
「え…?…あ、軽々倒しちゃうって事かな?」
「どうやら僕は神帝陛下のお怒りを買って投獄されはしたけれど、反省する気はサラサラないのだよ。何故ならば彼はカイザーを探していて、僕らが誉れ高い天の君こそ我らが皇帝にあらせられると言っても過言ではない」


そうだ。
溝江の言葉に漸く自分が投獄させた理由を思い出した。

そうだ、彼を怒らせた、そうだった。
今更ながらに体が震えたが、それに気付いたらしい溝江が優雅に眼鏡を押し上げ不遜に笑うので、何とか笑みを返す。


「まずは宰庄司を探さないかい、野上級長。彼は幼い頃ボーイスカウトに憧れていたサバイバーなのさ」
「えーっと、憧れてたって…いや、ん、えっと、頼りにしてる、ね?」
「任せてくれたまえ。一年Sクラス4番、天の君親衛隊隊長であるこの溝江信綱が、必ず友を救い出してみせるよ。そして速やかに遅れに遅れた日刊一年S組を景気よく発行するのさ!」
「おー」
「奇しくも新歓祭、天の君を祝わずしてなるものか!行くよ、野上君!この僕についてきたまえ!」
「はいっ、隊長!」

こんな時だとキラリと煌く赤縁がこれ以上なく頼もしく見えるのだから、不思議なものだ。

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あきゅろす。
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