帝王院高等学校
やっきもっきお餅を焼いて召し上がれ!
暑い日だった。
降り始めた雨は忽ち勢いを増し、火傷の様に水脹れした顔に痛みはない。

ただ、倦怠感だけが、ずっと。酷く眠い。


僅かな日陰では庇いきれなかった髪はチリチリと焼け縮れ、汗を吐き出した肌はヒリヒリ乾いて、舌も喉も砕けそうだ。
何時間そうしていたのか、覚えはない。




蝉。
雨。

蝉。
蝉。
蝉。
雨。

蝉。
蝉。
蝉。
蝉。
雨。

雨。

雨。


雨。
雨。
雷鳴。





蝉。






雨。


雷鳴。










…悲鳴。













約束など、今となってはどうでも良かった。







人違いをしている事にはとうに気付いていたから。
死んだとして後悔するほどの人生ではなかったから。
オールグレーのノイズに染まった世界に未練はなかったから。
生きる意味と必要性が見当たらない事に気付いていたから。









「綺麗な色をしてる」






約束など今となってはどうでも良かったのだ。本当に。



ただ、人の血に濡れた様なこの瞳を真っ直ぐ、悪魔たるこの生き物にすら晴れやかに。












笑ってお前が小指を差し出したから。








 




理由は本当に、ただそれだけ。






















欲しがるならば見返りを、と。
口癖の様に繰り返したのは紛れもなく自分。

あるもので我慢出来ない子供とは違う。欲しい欲しいと地団駄を踏み、手に入らねば喚き散らし泣き叫ぶだけの幼子と自分は、違う筈だ。


男は夢から醒めたかの様に(ともすればまるで夢を見ているかの様に)呆けた表情で、その身の内を駆ける混乱を知らしめていた。


「悪い、冗談だ、な」

呟かれた台詞は暫しの間を置いて、ふつふつ沸き起こった笑いに掻き消される。そうか。これが普通の、反応か、と。

「お前は今、自分で言ったろう…。俺を父と」

ならば、弟かも知れないと判っていて。続かない台詞を心の中で汲み取るのは容易い。

「なのにお前は…今、何て言ったんだ?」

悪い夢だった。
悪い冗談だった。
どちらにせよ彼は、そう否定される事を望んでいる。そして自分はこうも容易くそれを理解していて尚、


「…成程、判り易く会話しろと度々責められた覚えがある。貴方にも御理解願えるだろう最も単純な言葉で説明すれば、」
「…神威」
「グレアムに倫理を問うだけ即ち無駄だと」
「カイルーク!」

掴み掛かってきた男の手は檻の向こう、憎悪か殺意か判断に悩む表情はただただ痛ましく、然しそれが同情に値するかと問われれば答えは否定だけ。

こうも。


「お前は…、いつから悪魔に魂を売ったんだ…!」

あれほど大切だった存在がこうも、色褪せるものか。興味を失った覚えはない。忘れていないから覚えていたのだ。

それなのに、こうも。


「…貴方が仰せになられたのではないか、父上」
「呼ぶな!俺はお前の父親じゃ、」

「悪魔と」

容赦なく今は、何の敬愛も躊躇も罪悪感もなく、欠片の慈悲も持ち合わせていないのか。本当に、神でも人でもない。悪魔だ。それ以外に相応しい名が、この世の何処にある。

「つまらぬ銘などくれてやる。…貴方が逃がしたメイルークなり、汚された貴方の子息へなり、望む者があらば誰でも良かろう」
「っ、ふざけ、」
「…なればそのつまらぬ銘は、そなたに与えた役目と共にそなた自身が持ち帰るが良い」

何の気配もなく落ちてきた声。
狂犬の如く最早人としての言葉を失うほど怒りに震える男の元へ歩み寄っていく男のダークサファイアに、何の感情も宿ってはいない。


「ノア=ルーク=フェイン、何一つ残す事なく早々にキャスリングせよ。これ以上、私の義弟を罵倒する事は赦さない」

気配こそなかったものの近付いているのは判っていたが、だからどうだと言う。

「弱輩たりし若輩故の妄言、私がノアであればそなたの存在意義は現時点を以て剥奪した。…秀皇、深く息を吐け」
「義兄、さ…」
「キング=ノヴァらしかぬ言葉だ。随分、面映ゆい事を仰せになられる」

立つのもやっと、と言った黒髪に肩を貸す金色を何の感慨もなく、そう、二人の父親を前に何の感情もなく、

「グレアムと帝王院は何ら関わりない他人でしかない。それを強かにも支配した方の言葉とは、な。笑わせてくれる」
「………」
「ノアたる私が望めば、貴殿らの存在を淘汰するは至極容易であるとご存じだろう。理解した上で愚かにも浅はかに私へ戴冠し自ら退位したのは紛れなく、ノヴァ。貴方自身に他ならない」
「…そうか。カイルーク、そなたこそが私の犯した罪、そのもの」

前皇帝が前枢帰卿を召集した事は知っている。学園内の全てを、何一つ残さず全てを。知ろうと望めば、判らない事などないのだから。

「勘違いなさらぬよう。弱輩たる私に争う意思はない」
「そなたにはなくとも私にはその意思がある。この不始末、須く赦されるとでも血迷うたか、愚か者」
「何とでも申されよ。悪魔、愚か者、果ては反逆者…飽きられるまで幾らでもゆるりと」


もう此処に留まる理由はなかった。
つまりは最早、彼らに何の興味もなかったのだ。


今あるのは何故か、嫉妬ばかり。
どうして二葉は日向は佑壱は太陽は許されて、どうして俊は駄目なのか。どうして何の価値もない女であれば祝福されて、どうして俊は駄目なのか。


どうして何をしても自分と言う人間は、人に不幸を招くのか。どうしていつか大切だった人達を不幸にしてしまった代償に、あの子だけでも幸せに。出来なかったのか。

どうして自分以外は許されて、自分だけが赦されない。どうして彼は最後まで拒絶しなかったのか。神をも畏れぬあの黒曜で、あの双眸で、あの唇でこうも。

神も悪魔も狂わせたのだろう。と。


腹を焼くこれは、そうだ、嫉妬。





「老い耄れには手の届かぬ時空の流砂をただ、成す術なく静観されるが良い」



自分以外の全ての生き物に対して、ただ、それだけ。

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あきゅろす。
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