帝王院高等学校
夜を渡り飛来する騎士の遺言
「無駄な事をするのだな、この国の民は」

流暢だが何処か違和感のある声で、覆い被さっていた軍服の男は慌てて走り去った。
最高潮に盛り上がっていた体の熱をもて余しながら、暗闇に溶ける人影を睨み付ける。

「なーにが無駄だって…?」
「では尋ねるが、今の行為に何の意味がある?」
「人の逢瀬を邪魔しておいて、何様だァ?俺があの将校サマ誘い込むまでにどれだけ苦労したか判ってるのか?」
「下らんな。何の利にもならぬ男色など、無駄以外どう呼ぶか」
「はっ。赤ん坊こさえるばかりが世の理なら、武将の側に侍る御稚児は何の為に働か、さ…」

賑やかな酒場から、娼婦の歌声が聞こえる。確か舶来の品を広げてあれこれと売り付ける異国の商人一行と、船乗り達で今夜は貸しきりだ。公役と言う接待として我が国のお偉い軍人もやってくると聞いて忍び込み、漸く口説き落とした好みとは掛け離れた、然し若い将校を馳走になろうとして。

「どの国でもつまらぬ風習はあるが、生産性のない行動は時間の無駄だ。積み重ねた無駄は望まぬ悔いを残すだろう」

今。
自分は起きながら寝ているのだろうか。

「己の残すものを遺伝子と共に引き継ぐ者、即ち後継者を生み出す事が本能であり義務でもある。人とは」

漸く暗さに慣れた目に、この世のものとは思えない美貌が映り込んでいる。

「無論、貴公がその無駄に何らかの利益を見込んでいるなら、私を邪魔と謗るのも仕方ない」

さらさら、と。
冷たい闇夜に浮かび上がる白銀は今まで見たどの宝石より美しく、どの光よりも輝いて見えたのだ。

「アンタ、さ。あの船で来た人?港に泊まってる、金懸かってそうなでっかい英国船」
「…でっかい?」
「…何だ、べらぼうに日本語うまいなって思って頭に来てたけど、成程。通じてなかったんだな」

異国の人間はこうも神々しいものかと起き上がり、あられもない姿を晒している事に気付いた。今更、何を恥じるとて大層遅いが、人の尊厳を捨てた覚えはない。乱れた古着の着物を掻き合わせ、慣れた手付きで帯を締める。

「だったらさっきの言葉は間違ってたぞ。男同士がまぐわうってのは、ま、単に発散だけって奴も居るだろうが…俺の場合は愛さ」
「愛」
「そ。あー何だったか…そうそう、ラブ?だっけ?つまり誰でも良い訳じゃ、」

ない、と。言い掛けてやめた。
近頃は誰でも良かった様なものだ。中々この手の趣味は受け入れられず、相手を間違えると痛い目に遭う事もある。久し振りに楽に口説き落とせた男に体ばかりが盛り上がり、人が居た事にも気付かなかったのだから。


「…いつか見付かるかも知れない、なんて。そりゃ俺だって出来るもんなら家庭が欲しい。子供だって、出来るもんなら…っ」
「何故そうしない」
「女に欲情しねぇからだよ!使いもんにならないの!こいつが!」

大声で自らの着物の裾を捲し上げ、無表情としか言えない作り物めいた美貌が僅かだけ眉を寄せるのを認め、ばっと裾を下ろす。駄目だ、今夜は全てがうまくいかない。

「…そうか。ならば先程の発言は全て私の失言だ。すまない」
「ア、ンタ。判ってんのか判ってねぇのかどっちだよ…。まさか白髪頭の日本人じゃねぇだろうな」
「私の生家は英国にあった。…だが昔の話だ」
「でも英国船で来たんだろ?」
「あの『金懸かってそうなでっかい船』は、フランスから来た」

どうやら流暢な日本語は、その頭脳によるものだ。もう騙されない、表情が変わらないだけで、何やら一癖も二癖もありそうな予感がする。

「…商人がこんな所で油売っててイイのかよ。あっちでお偉方が金積んで待ってるぜ」
「私の来日目的は商売ではなく、…スカウト…求人で合っているか?」
「求人?」
「我が社は年若く、慢性的な人材不足にある。妥協で集めた社員は悉くが…やめておこう。部外者に聞かせる話ではない」
「『使いもんにならない』んだろ?俺のコイツみたいに」

唇に笑みを刻んだ男の目は無機質なままだ。誰もが気付かない程度に、けれど鉄壁なまでに。張り巡らされた警戒心の様なものは、何だろう。
娼婦の真似事をしている薄汚れた異国の男と会話する癖に、だ。

「…使えれば良いばかりではない。事実、私と前の妻の間に出来た子は3人共死んだ」
「へ、結婚してるの」
「今はいない」
「ん?離縁した?」
「いつの間にか出ていった」
「ええ?!何で?!」
「居座られようが構わなかったのだがね。あれが出ていきすぐに出来た最後の子は、数奇なものだが今のところ生きている」

子供を置いて女が出ていくなど、この国ではまず考えられない。何と言う話だ。娼婦ですら子供を育てると言うのに。そもそも女嫌いであるが故にムカムカと胸が焼けてくる。

「じゃ、アンタが育ててんの。その子もこっちに連れてきた?」
「いや。あれは体が弱い」
「あ…ごめ、」
「いつ死ぬか判らないものを同伴するだけ無駄だ」

眼球が剥き出しになるほど、眉を引き上げた。親からは見放され、友からは嘲笑われ、心配してくれた兄を裏切って家を出た、この自分が。

「生きている限りは生かす義務を負っている。だが後継には不向きだ。だから私自ら各地へ足を運び、将来性のある人員獲得に乗り出す事にした」

見た事もない子供に、同情している。誰からも必要とされていない自分と、まるで、その子も同じではないか。


「…け、んな」

喧嘩には自信がある。
今まで酷い目に遭ってきた分、腕っぷしだけは鍛えられた。今では女ばかりの裏花街で用心棒などをしながら生計を立てていて、

「っ、ざけんな!お前に親を語る資格はない!」

命を守り癒す、医者の家に育ったのだ。

「何でもかんでも無駄か得かっ、んな事ばっか考えてんのか?!実の子供が可愛くないのかよ!」
「何が言いたい?」
「…はっ、だよな、だから奥さん出ていった訳だ。あーあー、そりゃ納得。さっきから聞いてりゃこの人非人が!俺から言わせりゃなァ、テメーの損得勘定が一番無駄なんだよ!すっとこどっこい!」

どうやらすっとこどっこいは通じなかったらしい。きりりと左右揃っていた眉が片方だけほんの僅かに歪み、荒れた息を整えて真っ直ぐ睨み据える。普段はドブ鼠の様だと姐さん連中に揶揄される団栗眼だが、14歳で家を出て数年、心身共に廃れているのは火を見るより明らか、筋者にも怯まない精神力にだけは自信がある。

「…はぁ。テメーみてェな奴見てると反吐が出る。あばよ!」

出すもの出せず、変な外国人に絡まれ、今や自分の事ではない怒りを抱えて、ああ。何て日だ。こんな夜は宴に紛れて高い酒を片っ端から煽って、普段は絶対にやらない乱交で盛り上がり死んだ様に寝るのが一番だ。



と。
憤慨やるかたなしのまま、肩を怒らせて踵を返した筈だが、どうも体が前に進まない。


「………んだよ」

手が掴まれている。
大きな手だ。恐ろしいほど指が長く、月明かりの下でも透き通った様な肌の白さが見て取れる。月光が神秘的にキラキラと、反射しているかの様だ。

「おい、手ェ…離しやがれ」
「あまねく世界を知っていた、つもりだったが…」
「ああ?」
「貴公のその眼は、過去から連なるどの記憶にも該当しない」


何なんだ、と。怒りのまま手を振り解こうとして、目を見開いた。

ああ。
幼い頃、母の部屋の書棚から失敬しこっそり読んだ源氏物語でもこうはドキドキしなかった。光源氏と若紫のくだりは初恋が光源氏である自分にとっては天にも登るほどときめいたものだが、それでもやはり、今ほどではない。


さっきまで、名前も良く覚えていないずんぐりむっくりな青年将校の、持ち主そっくりでずんぐりむっくりな股間を揉みしだいていた手、そう、自分の右手だ。良く見れば土で汚れているし、履き古した草履も足も抜けた芝がまとわりついていて、暗かろうがこの汚れっぷりは判っているだろうのに。


その言うのも憚られる汚らしい手の甲に、躊躇いなく口付けている。キラキラと。光輝く白銀が触れている。


「っ」
「亡き父と母、敬愛せし兄姉の遺した言葉を思い出した」
「や、めっ」
「全ては…須く、私が悪い」

許してくれ、と。見上げてきた双眸に月の導き。
深い深い、まるでこの空の様に深い蒼が懇願する様に見上げてくる。跪いたまま、この薄汚れた右手を掴んだまま。

「…愛された記憶を有しながら、何故それを分け与えようとしなかったのか。いつか抱いた生涯のものとさえ信じた憎悪が知らぬ間に姿を消した様に、淘汰したのだろうか。あれほど大切だった彼らの記憶を、私は…」




人を、愛した。
遥か遠い昔、ただ一人の男を。




出会いは最悪で、それから暫く昼夜となく口説かれて、周囲からは玉の輿だ何だと囃されて、それでも踏ん切りがつかずぐずぐずしたものだが、あの聡明にして絢爛な男はついぞ諦めず、帰国する船にとうとう、見窄らしい日本人を乗せて。





「やはり、私の決断は間違っていなかった」
「…何だよ突然。言っておくけど日本語たまに間違ってるし、未だに価値観?全然合わないし、実年齢考えろ絶倫。三日も起き上がれなかったのなんて初めてなんですけど!ええ?」
「お前と、あの子の友を同時に手に入れたのだから、叱責は甘んじて受けるが…」

揺れる、揺れる、波のゆりかごに揺られて、分厚く重い辞書をひたすら読みふけ、覚えた単語を何とか間違えなくなるまで繰り返し、繰り返し。

「ふふ。どうやらお前は我が国の言葉が苦手らしい」
「…っせーな、頑張ってるだろ!今に見てろよ!英語で口説いてやるからなっ」
「ああ、いつまでも待つが…そうだな、我が社でも異人種間のコミュニケイト手段である公用語は既に3ヶ国に上る。なればいっそ、英語と日本語に統一する方が合理的か…」
「あいにーじゅ、ゆーあぁ、まい、えびしーんぐ…ぶつぶつ」

巨大な船の片隅に、身を寄せ合う小さな子供が二人。目元の雰囲気が僅かに違うだけでそっくりな二人がちらちらと、最近ではこちらを伺ってきている事に気付いていた。
船頭が異国語でもうすぐ大陸が見える、と楽しげに語り合っている。それを傍らで何やら考え込んでいる恋人に教えれば、近頃良く笑う様になった男はくすぐる様な笑みを浮かべて頬をすり寄せてきたのだ。


未だ見えない大陸に、この男の子供が待っている。愛しい人の子供であれば、それは自分の子供ではないか。


「おーい、龍一郎、龍人、こっちにおいで。もうすぐ米国大陸が見えてくるってさ」

警戒心の強い双子が船を下りるまでには懐いてくれる事を願いながら今、この世に自分以上の幸福者は居ないのだと。



「俺の名前はあっちだとナイトって言うんだ。カッコイイだろォ?」


だからこそこれから関わる全ての人々の幸福を、心から、信じているのだ。

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