帝王院高等学校
あんま不幸だ不幸だとお言いでないよ!
「明るいな」

埃臭いダクトを抜けた先。濁った空は紫を混ぜた様な黒だった。星は少ない。
ぽつぽつと、様々なネオンが見える。星などなくとも大層明るいあちらこちらで飛び交う人々の声はどれも楽しげで、そのどれもが、

「それに、賑やかだ」

とても。言わば『酷く』、とでも。
幸せそうに思えた。こちらまで笑ってしまいそうな程。そんな事を考えて感慨に浸っている場合ではないのは、明らかだ。

「…若いな。誰もが。何処を見ても」

聞こえる。見なくとも見える。
活力に満ちた、生命の声が。

下らん事を、と。
他人の様に息を吐けば、腸を食い尽くさんばかり獰猛に嘲笑う、懐かしい男の気配を頭の中に。苦くも何処か懐かしく認めれば、こめかみを軽く押さえて。

「…シナプスの一部であれど、昔と何ら変わらないらしい」

黒髪。固く、けれど手触りの良い黒髪。自分のものではない。
これはあの人に似ている。血縁だからか。

「定着し過ぎたか。血が近い所為、らしい」
『俺に寄越せ。この体は、もうすぐ俺のものになる。今更邪魔すんな、愚か者が…』
「差し出す訳にはいかん。貴方は少しばかり好き勝手にし過ぎた。…死んだ者は決して生き返りはしない」
『愚かな事をほざく。全てお前が望んだ事だろう』

頭の中を鈍く、けれど確かな存在感で響く声に歯を食い縛り、早く、一刻も早く、出来れば毒にも薬にもならない誰かに、全てを。


「失せてくれるか」
『く、く…。反抗期か。だとしたら随分遅いな。昔はあんなになついてたのに』
「俺に偽物だと思わせたいのか。貴方はそんな人ではなかった」

自分が残した恐るべき罪を、明かにせねばならない。愛しい存在と、その意味を。
履き違えていたいつかの自分が企てた、罪を。

「はは。じゃあ、どんな人間だった?」

時間がない。
主たる人格が最早保てなくなっている。自分が目覚めたと言う事は、そう言う事だ。


「全部全部お前が俺らの為にしてくれた親孝行だろう?彼にもう一度出逢わせてくれた。俺は判ってるぞ、お前の優しい行いを」

やめてくれ。容易く主導権を奪えるのなら何故、いたぶる様にじわじわと。獲物を追い詰めようとするのかこの人は。本当に在りし日の本人そのものではないかと。愚かな希望に泣けてくる。


「偽物だろうが本物だろうが、俺達を生き返らせたかったんだよなァ、お前」
「やめてくれ。後生だ」
「後生も何も、俺にもお前にもそんなものとっくにないだろ?肉はとっくに朽ちて、魂など初めから存在しない。全ての生命のハードディスクは脳の極一部に宿り、お前はそのバックアップを新品のHDDにインストールしただけ」
「…怒っているんだな、ナイト」

誰にも明かした事のない罪を、勝手に覗いて喋ろうとするな。どうして今、あの人は現れてくれないのだ。判ってるなら何故、神は罵らない。人でなし、と。消えてしまえ、と。

「褒めてやりたいと思ってるだけだぜ?お前は俺と、そして、レヴィを復活させようとした。たったそれだけ。」

それだけ。たった一言が重く伸し掛かる。広場には数多の子供達が犇めき、あちらこちらで作業しては言葉を交わし、ある者は笑いある者は憤慨し、またある者は欠伸を噛み殺していた。対岸の火事の様だ。誰も、微動だにしないこちらには目も向けない。

「それ、だけ…」
「ハーヴィの家族を作ってやろうとした。最初は」
「この子を不幸にして、それだけ…?」
「あの子の壊れた遺伝子からは子供がなせない。あの子は生涯一人で生きていくだろう。お前はそれに同情して、同時に歓喜した。そんな自分に耐えられなかったから、逃げたんだったな」

脳と体がバラバラだ。この状況でこの体の主は、何年も何年も、耐えてきたのか。自分の所為で。誰に説明しようと信じて貰えないだろうこの、状態で。

「お前は知らなかった。あの子がどれほどただの子供に情を許していたか。同時に激しく嫉妬したんだ。そうだろ、なァ?」

そう、知らなかった。逃げ回り何一つ、知ろうとしなかった。
王となり長い年月を過ごしてきた友の半生を何一つ、全てから逃げ、妻を娶り子をもうけて忘れようとした。



けれど一人の女がやってきた。母と望んだ、普通の女。
好きな男の子を産みたいのだと、極秘でやってきた。そこで自分を見間違えたのだ。

『ああ、シリウス卿。日本におられたのですね』

似ているだろう。何しろ双子なのだから。幾ら離れて過ごそうと、歳を取り皺を刻もうと、微々たる整形を施しておろうと、だ。女は明らかに安堵を滲ませ、縋る様に全てを吐露したのだ。


神の子を産みたいのだと。
女が震える手で持参した二つの避妊具には体液。片方は血液型は糖質がまるで違う、けれど遺伝子配列は神と全く同じと言う不可解なもの。片方はアジアの遺伝子のみで構成された、けれど血液奇形。表面上はAB型に酷似していたが、同時にO型に近いキメラだった。


神はキメラの子を産めと命じたらしい。女はその褒美に寵愛を与えられていた。
そんな筈はない。判っていた筈だ。けれど、心の何処かで納得しきれず、調べた。酷く簡単に判ったのは、神と呼ばれる『キング』の顔が、記憶に残るものと何一つ変わっていなかった事と。遥か異国の地ではなく今、日本にやってきている事。そうして、女を抱けない筈の彼は事実、この何一つ他と代わり映えしないただの女を、抱いたのだ。と。

「お前は何も悪くない。レヴィもそう思っている筈だ。だからもう俺に任せろよ、ほら」

神を愛し髪の寵愛を受け、今また神を裏切ろうとしている女。許せる筈がない。
採取した卵子は二つ。けれど実際に使用したのは、全く他人の遺伝子。あの女の子供など何処にも存在しない。哀れな女。母になりたいと願い、なったのは代理母だと。知らぬままに。




「大きな幸せに小さな犠牲はつきものだろ?」


これは本当に、この唇が奏でた言葉なのだろうか?これは本当に、生前あんなに優しかったあの人の言葉だろうか?
ならば本当は自分が、思っている事なのかも、知れない。














「あれぇ?ハヤトさん、もしもし?生きてっスか?」
「…うっせ、死んだ」
「惜しい人を亡くしたぁ!ぐふ。っ痛いぃ」

完全なる運動不足だと、ジムに通う決意を新たに。どうせ明日には忘れている。
ダンボールを抱えた獅楼の頭にはタオルが巻かれ、引越し屋のバイトの様だ。そのいくらか後ろ、スマホを弄りながらスパーっと煙草を吹かしている大学生が見える。普通科、それも獅楼と同じクラスと思われる生徒らが頻りに話しかけては、完全なる愛想笑い、それも叶二葉とは違いそれと判る演技力皆無な顔で『お前らに任せた、頑張れ』と繰り返しているのが聞こえてきた。

「あー?兄嵯峨崎が何でいんのー?」
「あぁ、アイツ今度はうちのクラスで民族史の実習するんだって…。正式にはGW明けからって言ってた」
「マジかうける」

何も面白くはないが呟いて起き上がり、辺りを見回す。やはり要の姿はない。折角追いかけてやったと言うのに、仲間が倒れても見殺しとは。流石は叶二葉に育てられた男。これを言えば要は怒り狂うだろうか。顔こそ二葉に遜色ないとは言え、髪型や身だしなみに殆ど頓着しない要の良い所はやはり顔と、俊に対する言葉遣いだけだ。最近は佑壱に対しても何処となくおざなりな気がする。

「なーんか…」
「え?」

おかしい気がする、と。呟いた言葉は半分も音として機能しない。怪訝げな獅楼には構わず漸く立ち上がれば、脇腹が傷んだ。モデル業務をサボリにサボっているツケ、だ。以前はトレーナーの指示に従って体作りをしていた事もあった。何せ自分は太りやすい。近頃ぽてっと出てきている俊の腹と同じ。
セックスもしてない、とまで考えて、煙草を吸い終わったらしい男がニマニマやってきた。身長は隼人の方が高い筈だが、存在感の違いだろうか。何処までも偉そうに見える。

「よう死体、生きてたか。ゾンビじゃねぇだろうな」
「お陰様でお若い隼人君はピンピンしてますよお、てんてー」
「テメェ、最近益々脱色してねぇか?金髪通り越して白髪化してんぞ」

揶揄いめいた声に舌を出し、ふんっとそっぽ向いた。行事不参加が基本だったSクラスには場違いな場所だ。とっとと去るに限る、と。肩を怒らせながらスラックスのポケットに両手を突っ込んだままいくらか歩いて、額を撫でた風に瞬いた。

俊が日向ばかり可愛がるからやきもちを焼いて、日向の髪型ばかり真似ていた金髪は一度として脱色した事はない。色味を変えたり仕事で染める事はあっても、だ。日向との差異を示す顕示欲は灰色のメッシュに現れていた。中学時代暇潰しでやっていた族潰しなどという中二病甚だしい行為の、勲章として。


「あれー?…なんかほんと、毛の色が抜けてなーい?おっかしーなあ、もお…」

次から次に、不可解な世界だ。この世は。



遠い所へ行きたいと震えながら涙ぐんだいつかの要を思い出し、今ならそれも判らなくもない・と、頭を掻いた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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