帝王院高等学校
ぼやくお年寄りのキックは強烈で泣きたい
「…何時の世も時代が変われば、真実は脚色されて姿を消してしまうものだ」
「は…はい?」
「あれは西の叶、と呼ばれておる事を聞かされたかね」

唐突に呟いた男の顔色が悪い。長い療養生活の疲労からか、久し振りの外出によるストレスか、どちらにせよ病人を前にいつまでも狼狽えては居られない。

「ああ、何かその様な話は伺いました。T2トラジショナルは知っていますが、…それよりも少し休まれた方が良いですよ。失礼、腕を」

脈を取り、どうやら心配する程のものではない事が判った。良く良く見やれば単に眠そうにも思えるが、本人は炬燵を前に背を正し、日本トップの貫禄を漂わせながらラムネを飲んでいる。残念な光景だ。

「本来、私の警護はあれではなかった。遡れば帝王院の血脈に当たる、今や他人に等しい分家筋、名を皇と言う者達が仕えてくれていた。…幕末までの話だ」

世間話が好きなのか、偶々聞いているのが自分と言うだけで、独り言の様なものなのか。帝王院駿河と言う、今は一人の老人が与えてくる低く強かな声音は然し、何ら不快には思えない。

「動乱の最中に何が起きたのか。一説には謀反だの思想の相違だの最たる原因は定かではないが、皇は断絶した。帝王院に残った数名は元のまま『名無し』として仕え、離反した者達はそれもまた分裂し、大きく二つの勢力に分かれたらしい」
「あの、すみません…話の腰を折る様で何ですが、名無しとは?」
「草の者、と言えば大袈裟だが、本来影の者には戸籍がない。個々に呼び名はあれど正式なものではなく、誰が呼んだか『空蝉』と言われた事もあるそうだ。…命を捨てて仕えるとは、つまり生きながら己を殺すに値する。気高く、然し痛ましい悪習ではないか」

その主人に当たる人間の台詞とは思えないが、彼には彼の葛藤があるのだろう。薄まったとは言え元を辿れば親戚が、自分の為に身を投げ出す。そう考えれば確かに、切ない。仕方のない事だとしても、だ。

「帝王院…本家に対する憤りか怨みか、自由を求めたのか。皇から離れた更に分家の一つが、北の『灰皇院』と言う」
「前YMGの会長でしょう?叶さんから少し聞きました」
「そうだ。争いを嫌う穏健派だった彼らは戦禍の都を離れて、以降、交流はない。…然しもう片方、冬月と名乗った者達は違った。利益主義で、幕末の動乱にありながら富を成し名声を得て、その内、身内間で血を流し絶えた家だ」
「…それが父の、生家、ですか」
「…ああ。私が龍一郎にあったのは学生時代だった。死んだと聞いていた私の『皇』が生きていた事を知った時は、驚いたものだ」

どんな経緯で出会ったのかは語らないが、懐かしむ様に眼差しを緩めた男は微かに嘆息し、心持ち背を丸める。

「だが、皇の血脈はこれだけではない」
「え?…あ、そうか、大きく分けて二つ、でしたね。他にも生き残った人達が、」
「いや、確かにそれも何処かに居ろうが、違う。見落としているだろう?」
「見落し…?」
「『名無し』を」
「………あ!そう言う事ですか!残った数名、か。彼らがどうしたんですか?」
「皇、帝王院に仕える者は揃ってあるものに由来する名を名乗る。『空蝉』であるからこその、自尊心だろうか」

カラン、と。
ラムネの瓶に封じ込められた硝子玉が鳴いて、僅かに沈黙が落ちた。

「灰は空を写し、月は空を舞い、皇は空蝉たれ…と」

うつらうつらと船を漕いでいる様に見える白髪混じりの頭に瞬いて、慌てて座布団を掻き集めた。4月も末とは言え、夜は冷える。ただでさえスイッチこそ入れていない炬燵の下に、お情け程度のラグを敷いただけの畳の上だ。

「帝王院さん、横になるならせめてこれを敷いて…」
「…東の皇、それこそ帝王院を現す符号、なんだ。彼らは出奔した身内を追わなかったが、見下した。…決して東とは交ざり合わない南北に逃げた、虫、と…」

ぼそぼそと呟きながらもぞもぞと炬燵へ潜り込もうとしている駄目親父の下へ、何とか座布団を滑り込ませ、溜息混じりにポンポンと背を叩いてやった。
そう言えば生前の父も、恐ろしい程の威圧感を漂わせていたが、俊を側に置く様になってから度々炬燵で寝落ちしていた様な気もする。あの時は鬼の撹乱かと怯んだものだが、姉だけは老いて弱くなったものだと鼻で笑ったのではなかったか。

「………東の対、唯一現在に至るまで残る『空蝉』は、決し…て、字に姿を表さ…な…い」
「はいはい、もう無理に話さなくて良いので、続きは起きてからにしましょう。ね、帝王院さん」
「……………対…は………今………西の…」

健やかな寝息が聞こえてきた。顔にこそ出ないがやはり、相当気を張っていたのだろう。彼の全てを知っている訳ではないが、あの鬼の様な父が何も言わず仮病入院させていたのだから、余程の理由があったに違いない。
荷物の鞄から注射器のパッケージとアンプル剤を取り出し、豪快に寝返りを打った男にビクッと震えつつ、ズレにズレた炬燵の位置を戻す。

「うっわー…うちにも豪快な寝相の阿呆息子が居るけど…此処までは酷くないな、うん。…恐ェ…賢い方の息子も寝相悪かったらどうしょう、寮生活だぞあれ、怪我人が出たら………うちで治療すれば良いか…」

入院中から薄々噂には聞いていたが、恐ろしい寝相だ。特別室でなければ、安普請のベッドなど幾つあっても壊されていたのではないだろうか。

「蹴らないで下さいよ、帝王院さん。…ふぅ。念の為に栄養剤持ってきて良かった。すみません、少しチクッとしますよー…聞こえてないだろうけど蹴らないで下さい本当に、やだな、病院でも家でも学校でも肩身の狭い俺…泣きたい」

友など一人も居ないと思っていた。
遠野龍一郎、神と崇められた故人。肉親でありながら他人の様だったあの男に、少なくとも自分達と言う家族以外、何の縁もないのだと、さえ。

憧れるには近すぎる、慕うには遠すぎる、血縁関係と言うだけの同居人、医療を目指す様になってからは師と呼ぶにはレベルが駆け離れていた化物、怪物。
そんな男に真っ向から噛み付くのは姉くらいのものだった。彼女は本当に、神の子と呼ぶに相応しい聡明さと人望で易々と、医師になったのだから。

誰もが彼女こそ、ゴッドハンドの後継に相応しいと。思っていた筈だ。何せ、自分が真っ先にそう思っていたのだから。


「…俺、アンタの事を何も知らなかったんだなァ、親父」

あの男がまるで独り言の様に何の前触れもなく、院長の職を明け渡さなければ。

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あきゅろす。
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