帝王院高等学校
枯れ掛けた楽園の記録
そこは少し前まで、楽園だった。







随分と騒がしい。
久し振りに帰宅してみれば、執事も家政婦も庭師までも主人を出迎えず、脱いだコートを腕に掛けたまま運転手に片手を上げて玄関を潜った。


「坊ちゃま!坊ちゃま!どちらですかリヒト坊ちゃま!」
「あっ、ああ、これはこれは旦那様…。出迎えに参りませんと大変申し訳ございません。お帰りなさいませ」

癇癪を起こしているのか、それともそれが『素』であるのか、顔を見るなり青冷めた家政婦は執事の牽制に怯み慌てて姿を消す。長年勤めてきた先代からの執事は良くも悪くも『放任主義』、主人以外は例えその主人の息子であろうと関心がない。

徹底的に・だ。
主人の妻が死んだ時でさえ顔色一つ変えなかった。

否、喜んでいたと言った方が正しいだろうか。


「…またか」
「お耳汚しをお詫び致します。全ては私の監督不行届…今のメイドには処罰を与えておきます」
「屋敷の人間関係にまで口を出すつもりはないが、こうも次から次に使用人に辞められてはな」
「家名に泥を塗るよりマシでしょう」

先代、つまり父の代から仕えてきた執事は確かに敏腕で、『家の為』には必要な人間だろう。爵位も名声もない、『混ざり物』の女を妻に迎えた主人を快くは思っていないとしても、こうして未だ仕えてくれている。

「旦那様の目の届かぬ所でリヒト様を篭絡せんと企む者は少なくありません。旦那様に於いてもまた然り。…くれぐれも、お父上の名に傷を残す事なきよう」

彼もまた、弱小とは言え貴族の端くれ。
グレアムと同じ男爵階級にありながら家系図を遡ろうと栄華に愛された事はない。殆ど庶民と変わらない、爵位と言うお荷物めいた自尊心ばかりの男だ。
仕事以外に何の興味もなかった父が『辞めさせなかった』だけで、己を最高の執事だと思い込んでいる。無関心な父が執事の存在をどの程度認識していたのか、考えるだけ愚かだ。けれど盲目な男にはそれが判らない。哀れにも。
死んだ人間はいつの世も英雄だ。

「無論、リヒト様の我儘には私も少々手を焼いております。今はまだ、ご子息の我儘の『お蔭で』、私が手を出さずとも辞職していく者は多く、それについては有り難い事です」

遠くで何かが割れる音を聞いた。ヒステリックな男の怒号。微かに眉を顰めた執事がコートを紳士的に奪い、騒ぎとは逆方向に向かわせようと仕掛けてくる。

「失礼。お体が冷えてしまわれたでしょう。すぐに暖かいお飲み物をご用意致します、旦那様」

これだから。父は仕事以外に無関心だったのだ。
己のものであって然しこの家には、自分の居場所などない。塗り固められた貴族と言う汚泥に吐き気がすると、幼い頃、一度だけ漏らした父の言葉を覚えている。
母は立派な女性だったが、それも『貴族の婦人として』と言う枕詞があってこそだ。


「悪いが、茶は自分で淹れる」

愛しい人が死んだ。
痴呆症の進んだ母は遠く離れた『環境の良い海辺』で『療養中』、先はそう長くない。ああ見えて父の事は愛していたようだ。
夫を亡くしてすぐに、彼女は精神を手放したから。綺麗な人だった。世間知らずではあったが、マリーアントワネットよりは常識はあった様に思う。曖昧だが。

「君には長く世話になったな」

また、男の叫び声。続いて悲鳴。ばたばたと、慌ただしく去っていく足音が複数。
徐々に青冷めていく執事の眉間に、何ら躊躇いなく銃口を当てたまま、パタパタと。近付いてくる足音を聞いていた。

「カミュー、リヒト居たよ〜」
「カミュー、リヒトに悪さしてた人間、み〜んな追い出したよ〜」
「そうか。ご苦労だったな」
「だ、旦那様…っ、これはどう言う?!」
「君には長く世話になった。父の代から今まで、出来れば正式に隠居させてやりたかったものだが、」


下手な自尊心さえなければ。
家名の為に罪など犯さなければ本当に、最高の執事だった。



「妻のみならず、息子共々消そうとした君の行いは目を瞑ってはやれない」

庭園には鮮やかな薔薇。在りし日の妻がこよなく愛したものだ。

「せめて安らかに、老いぼれよ」

乾いた銃声は一度きり。
生きている人間は『二人きり』の屋敷は酷く静かで、音もなく庭先に姿を現したヘリに運ばれていくフロックコートを一瞥する事無く、久方振りに、それを見た。



「二週間振りだ、リヒト。」

エメラルド。亡き妻の形見。

「…何しに帰ってきたんだよ。オレが死んでも帰って来ねぇと思ってたぜ」
「悪かった」
「…」
「今日は49日だ。…母さんの墓参りに行こう。付いて来なさい」
「いやだ。母ちゃんは死んでない」
「リヒト」
「…そうだ、庭師。早くアイツ見つけないと…。勝手に母ちゃんの薔薇売ってやがった、殺してやる」
「裕也」

結婚記念日に合わせて休暇を願ったが為に、一ヶ月も家を離れた。去年祝ってやれなかった息子の誕生日の埋め合わせも兼ねて、短期間だが旅行も計画していた。
最後に電話口で話した妻はいつもと変わりなく楽しげに、きっと喜ぶわ、と。笑いながら。

けれど約束のサプライズデーを待たず彼女は、逝った。葬式には出席していない。何しろ自分こそ誰よりも、彼女の死を受け入れられなかったからだ。一瞬でも早く犯人を見つけ出し復讐してやるのだと、そう思い込む事で気を紛らわせた。


『そなたは人の感情の機微に些か疎い所がある。幼子を一人にする親が何処に居ろうか』

神は言った。気紛れ宜しく東の島国へ渡ろうとしている本人が、だ。
誰のお蔭で仕事が増えたと思っている。誰のお蔭で寝る間も惜しんで働いていたと思っている。たった一人、『血の繋がった』己の子ではない子供を置き去りにして、『血の繋がらない赤の他人』である義弟の元へ行こうとしてる、神の所為ではないか。

「くそっ、根っこが枯れてきてる…」
「リヒト、薔薇育ててるの?」
「リヒト、庭師殺したいの?」
「何だよテメーら、気安く話し掛けんな」
「プロフェッサーシリウスに言えばニョキニョキ生える栄養剤くれるよ!もやしもカイワレもニョキニョキ生えるの〜」
「シリウスが言ってた。音楽を聴かせると植物はニョキニョキなんだよ!機械には関係ないけど〜」
「音楽…?オーケストラでも呼べっつーのか。冗談じゃねぇ、大人なんか信用出来るか」
「だったら子供にすれば良いじゃん」
「検索開始、………97%、祭にリヒトと同い年のピアニストが居た〜。祭青蘭、日本の養護施設で児童演奏会やってたって。今は香港に居るみたい。美月主催のパーティーで演奏してるって」

何が正しい。
何が出来る。
今もまだ、喪失感に向き合おうとしていない情けない男は。(息子をダシにしないと)(墓前で向き合う勇気もない)

「何でそんな事が判るんだ?…嘘臭ぇな」
「だってボクら、アンドロイドだもん。通話も出来るよ!」
「アプリも入ってるよ!オーディオ機能も」
「はぁ?…何でも良いけど、芝踏むな。殺すぞ」
「リヒト、機械は死なないよ?あ、でも定期的に充電しないとメルトダウンするよ」
「ボクらの核は核だから、家庭用には向かないんだって。ね、どうする?祭青蘭がピアノ弾いたら薔薇もリヒトも元気になるかな。誘拐する?」
「は?!」

真紅の薔薇は記憶よりも数を減らしていた。主人を無くした悲しみに震えるかの様に、冷えた風に身を任している。もうこの屋敷に生きている人間は二人きり。これからもずっと、二人きりだ。増えないし、勿論、減らすつもりもない。障害となるものは全て、一つ残らず。

「…誘拐っつーか、普通に頼めば良いだろ。香港って何処だよ」
「中国だ」

スコップを握る土に汚れた息子の小さな手を取り、妻が良く腰を下ろしていた芝の上に膝を下ろす。

「お前と同じ年の神童が居ると聞いた事がある。去年までアウグスブルクで暮らしていたと聞くが、今は拠点を移しこの国にはいない」

数こそ減ったものの、近寄れば何と芳醇な香りだろう。今はもう記憶にしか存在しない妻の香りと同じ、人を惹きつける匂い。

「世界に名を馳せる指揮者の息子だ。あの一団を個人的に招くのは難しいが、来月サンフランシスコのパーティーに招かれる。然程大きなものではないが、グレアム傘下に名を連ねる企業が主催だ」
「…そ」
「行くなら、先に墓参りに行こう。西海岸はお祖母様のホスピスも近い。お前が生まれてからは私もお会いするのは初めてだが、どうだ」

幼い息子からの返答はない。ただ、掴んだ手を振り払われる事もなかった。
ジャーマンの風は冷たく乾いて、容赦なく世界を撫で付ける。勇気はない。静かな恐怖に気付かない振りをしたまま、男と言う生き物はとかく弱いものだ。

「…お前の警護に祭家の者を付けよう。確かあの席には大河の当主が招かれていた。必然、祭の次男も姿を現すと思われる」
「オレと同じ歳の?」
「日本人との混血、ではなかったか。記憶が曖昧だが、お前とも話が合う筈だ」
「ふーん…」

何が正しい。
何をしてやれる。
全て裏目裏目へと向かう行動、良かれと思ってやった全てが破滅へと向かっていく。


少し前まで此処は楽園だった。
愛しい妻と子に迎えられ、薔薇の香りに包まれる、暖かな世界だった。



「でも、児童演奏会より神童の方が凄いんだろ?」
「…まぁ、そうだろうな」
「…そ」

ただ、普通に暮らしたかっただけだ。
貴族でも仕事でもなく、家族として。生きる事は、そうも罪だろうか?

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