帝王院高等学校
お母さんにも秘密の一つや二つ御座候
「I wanna my share.」

随分、子供染みた台詞だった。耳を疑う程には。
屈辱を噛み殺し頭を下げた自分に、短い銀髪を頬に滑らせた男は無機質な表情で囁いた言葉。
『分け前を寄越せ』、つまり、対価。

「Don't tell me, Are you fatuously thinking that I demand nothing in return to you?(まさか、浅はかにも何の見返りも求めず従ってくれるものと考えていたのか)」

それこそ、まさか!だ。
あらゆる想定を重ねてきた。事実、今すぐにでも暴れまわってやりたい。思い付く限りの罵りを投げ付け、目の前の男の全てを一切合切否定してやらねば気が済まないと思っている。
握り締めた拳の震えを意地で止め、伏せていた目を上げた。

「…御意に従います」

苦々しい表情で顔を背ける高坂日向を視界の端に、何故、自分は。いつの間に自分は、ここまで情けなくなったのかと考える。

全ては、俊の為。
そう思い込もうとしているだけではないのか?
自分は、他人の為に我が身を犠牲にする様な、そんな人間だったか?

幾つもの疑問を噛み殺した。
真っ直ぐ、見上げた先の生き物はやはり、の世界の何よりも気高く美しいものに思える。全身の細胞がざわざわと歓喜していく気配が、おぞましくてならない。


「何なり御命令を。…マジェスティ」

従わねばならないと思い込ませて(ああ、やっと従えるのだと狂った様に唸る本能を捩じ伏せ)、屈辱に耐える為に伏せた目。(笑いそうになる唇を隠す事に必死過ぎる自分が、嗤えた。)


楽しいではないか。
何の前触れもなく現れた平凡な後輩は、探し求めていた人との感動の再会を待たず突如現れ、掻っ攫っていった。どれほど大切にしていた位置であるかも知らず、『皇帝』の『右側』に。寄り添っていたのだ。

羨ましさに殺意すら覚えた。
そんな器の小ささを知られたくないばかりに必死で、受け入れようとして来たのに。


楽しいではないか。
ああ、腹を抱える程の笑い話だ。皇帝は従順な飼い犬ではなく一介の庶民に、『皇帝』の座すら与えたのだ。

従えと言う。
言葉ではなく態度で。
あんな、何の取り柄もない子供に。

(ただの僻みだ)
(判っている)
(山田太陽と言う人間は、全てに於いて平凡なのだ)
(どれにつけても優らず、引き換えに全てに於いて決して劣らない)
(それがどれほどの才能か)

肉体的に強く在ろうと足掻いた所で、生まれ備えた精神力には限度がある。弱い者は弱いまま、幾ら経験を積み重ね幾ら虚勢を張ろうと、大して変わらないのだ。



「負け犬」

男。
高坂日向と言う、そんじょそこらの女では歯が立たないほどの美少女は、然し口を開けば『雄』だった。着痩せするだけで、全身余す所なく強靭な筋肉で被われている。
聞くともなしに聞いた噂話では、160cmあるかないかの身長で体脂肪は一桁、けれど体重は60kgに近いらしい。つまりあの細い体の殆どが骨と水分と筋肉で構成されている。

「糞犬」

呼んでもいないのに敵陣の本拠地、ならぬカフェカルマの営業時間に姿を現す美少女は、カルマメンバーのみに関わらず、営業時間内は鉄壁の営業スマイルを決して崩さない雇われ店長ですら実力で黙らせた。

体格では圧倒的に有利である筈の佑壱ですら、負けないとしても圧勝する事は一度としてない為、気の短い幹部四天王が殴り掛かりたいのを我慢している事は、誰もが理解している。

「雑魚犬」

実は初等科六年の春、昇校してきた高坂日向を女呼ばわりして蹴り飛ばされた事がある、と言う屈辱話は要すら知らない。
要と知り合ったのは佑壱が中等部へ昇級し、街への徘徊を始めた頃だ。それから健吾と裕也、そして街中で知り合った何人か、カルマはその数人から始まった。

面白い事に、集った者のほぼ全てが家庭環境に何かしらしがらみを抱えている。
知り合って間もなく内密に調べた結果判った事だが、錦織要は祭家の庶子であり次男、高野健吾は数年前に起きたテロで被害を受けた元神童で、藤倉裕也に至っては出会う前から知っている。無論、向こうもそうだろうが。

お互い初対面を装う白々しい生活に慣れ、メンバーも増えては減り、いつしか要によって管理される様になった。設立半年を迎える頃にはABSOLUTELYに並び一目置かれるチームとなって、そのネームバリュー欲しさに近寄ってくるミーハーな男女が後を絶たなかったのだ。

大半は、要の投げ掛ける難題を前に去っていく。当然だ。佑壱が暇潰し感覚で作ったカルマ内での暗号は、メンバーですら把握していない者も多い。それを分厚い冊子で渡され、翌日試験だと言われれば大多数は試験を待たず諦める。
それでも中には気力と記憶力と運に満ちた者も居た。然し最大の不幸は、要の後に健吾が待っていた、と言う事か。


運任せの試験合格者は、笑顔で『喧嘩しよっかw』などとほざく健吾の見た目に騙され、呆気なく倒されていく。然し中には負けても負けても諦めない猛者も居り、健吾のさじ加減一つで合否となった。

チャラチャラしている阿呆三匹も、このパターンだ。
彼らは愉快魔の健吾に揶揄われ、死ぬのではないかと言うほど痛め付けられた哀れな被害者だが、見かねたのか飽きたのか、見物していた裕也に庇われる形で入隊した経緯がある。
その事を恩義に感じていたのか、その翌日から揃って包帯と絆創膏を装備した三匹は、裕也を隊長と呼び付いて回った。残念ながら全く相手にされていなかったが、裕也が昼寝しようものならタオルケットを掛けてやり、スマホでヒーリングミュージックを掛けてやり、腹が減ったと呟こうものなら何処からか『じゃがりこサラダ味』を甲斐甲斐しく差し出す。


時折、街中で見掛けるABSOLUTELYの先陣には兄の姿があり、その近くには金髪の少年が居た。高等部三年の零人は中央委員会長、高坂日向は本人の同意なく零人の指名で副会長の座に置かれ、中等部生徒では珍しい就任に賑わったばかりだ。次期会長の有力候補だと、その時までは囁かれていた。

何より、零人が堂々と日向を『姫』などと呼ぶもので、二人は付き合っているなどと噂されていたくらいだ。
今になればヴィーゼンバーグのプリンスに対する皮肉だと判る。零人と言う人間は面白いもので、嫌いな人間には物理的暴力、気に入った人間には精神的暴力を奮う悪癖があるのだ。
例外は弟である佑壱。流石に在籍している学部が違うのでそうそう顔を会わせる事はないが、運悪く出会ってしまえば逃げようがない。

口と行動が一致しないのだ。奴は。

馬鹿弟と言いながら写真を撮り、可愛くねぇと宣いながら鳥肌もののキスを仕掛けてくる。
ファーストキスではなかったから良かったものの、佑壱が中等部へ上がってから初めて『零人の舌絡ませまくり攻撃…ならぬベロチュー口撃』を受けた時は、軽く死んだ。

しかもそれを日向に見られていたと言う、泣くに泣かれない事実。零人の股間を蹴り、鷲掴んだ頭を叩き付けても気は晴れなかった。


なので佑壱は敢えて、そう、敢えてABSOLUTELYには関わるなとメンバーに言い聞かせていた。零人にせよ日向にせよ、決して近寄るなと。
逆らう者は居ない。当たり前だ。佑壱は総長なのだから。


そうして、カルマ設立から一年近くの月日が流れた。
佑壱は二年へ進級し、悪魔の権化であるネイキッドが叶二葉と言う名で学園に浸透している中。
始業式典そっちのけで朝方まで遊んでいた…と言うより、彼女と励んでいた佑壱が、寝起き最悪の状況で昼を回った街を闊歩していた日。

目につく気に喰わない人間を片っ端から殴り、最後に目を付けたのは、帝王院学園では見た事のない学ランを纏う、佑壱と大差ない体格の男だった。



鮮やかな空を見た。
いつか日向に蹴り飛ばされた時は桜吹雪舞い散る青空で、今回は、少しばかり曇った空だ。

浮遊感、続いて落ちていく感覚、全ての間隔間隔がスローモーションだった。衝撃を受けてまだ、何が起きたのか判らなかった程には。


「済まない、大丈夫か?」

筋張った男らしい手が、落ちていた本屋の紙袋を拾い、埃を叩き払う。
睨まれているとしか思えない吊り上がった双眸は、眼鏡を外した近眼の様に眇められていた。鼓膜を震わせた、完全に変声期を果たしている声は耳触りが好い。

後から聞けば、視力は良すぎて遠視に近い状態で、近くのものを見るとどうしても目を細めてしまうそうだ。学ランでなければ、未成年である事すら信じられない。それほど男、彼は雄そのものだった。

本名は聞いたが呼ぶつもりはない。畏れ多い事だ。
ごり押しに近い形で、佑壱が所持している携帯と同じ機種の色違いを契約させたが、最新機種がタダだった事に無表情ながら声は興奮している男は、佑壱が機種の料金を支払った事は知らない。
何なら毎月の使用料も払いたいくらいだが、差し出がましい事をして初対面で嫌われる事は控えた。何せこの時、年上だと思っていたのだから。

一年生、と聞いていてもまだ、零人より年上だと思える。高一の存在感ではない。野良猫をじっと見つめる時の目は、最早ガンマンだ。荒野をさすらっていそうだった。


さりとて、自分と言う人間は酷く臆病者だった。
すぐに調べさせた男の情報は雲に包まれたが如く、全く掴めない。


それから長い月日が流れ、偶然街中で彼の母親と会った。息子そっくりの、笑わなければ物凄い威圧感を与えるだろう眼差しを、化粧効果で睫毛バサバサの乙女瞳にしてはいたが、愛らしい人。

遠野俊江。
近隣に同じ名の人間は居なかった。面白い事に彼女に婚姻歴はなく、子供も居ない。現住所は遠野総合病院院長邸宅。現院長の姉。


「後は俺が個人的に調べる。…ご苦労だったな」
「良いって事よ〜、マスター」

自分と言う人間が如何に弱く脆く、愚かか。


『馬鹿犬が。』

他の誰に言われずとも、自分が一番、知っていた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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