帝王院高等学校
さらばっ!苦過ぎた青春のあの日よ!
妊娠した、と。
言葉を選んで選んで結果的に素っ気なく告げた瞬間、ピタリと動きを止めた男の顔は今思い出しても面白かった。どの角度から見ても呆れる程に綺麗な顔立ちをしていたから、尚更だ。

明らかにモテる。実際に、見知らぬ女性と一緒に居る瞬間を目撃した事もあった。だからどうと言う訳ではない。何せ年が離れていたから、社会人と高校生は種族が違うとさえ思っていたのだ。

「…何ヶ月?」
「わざわざそれ、訊く必要あんのか?え?」
「まあ、…だろうね。俺、かなり頑張ったから。出来ない方が可笑しいよな。うん、凄く頑張ったから」
「それが子供の言う事か。どう言う構造してやがる、お主のオツムはょ」
「あの時の俊江さんは、」
「黙れ、アホな事ほざくと殴るぞコラァ」
「嬉しい」

社会人には無縁のクリスマスが過ぎ、年も明けて早々。鏡開きで割った餅の破片を揚げただけのアラレをポリポリ頬張り、真顔で宣った高校生に破顔した自分こそ、どう言う思考回路をしていたのか。

「…あっそ」
「お腹に耳当てたら何か聞こえるの?」
「安定期にも入ってねェっつーの。何も聞こえねーよ」
「…ん?腹の音が聞こえた。食べに行く?」
「寒いから炬燵に入りたいっつったのは、何処の誰だっけなァ」

堕胎、など考えていない。結婚するつもりもない。
将来のある目前の子供の家庭環境が宜しくない事には薄々勘づいてはいたが、プライバシーに関する領域に口を挟んで、煩わしいと思われたくなかった。ちょっとした好奇心、または気紛れ、どちらにしても十歳近く離れたオバサンにこんな男前高校生が興味を持っただけ、有り難いと言えなくもないのだ。

「彼女の部屋に行ってみたいと言う、健全な男なら誰しもが使う常套句だよ。男心が判ってない」
「はいはい、お主以外に寝た事がある男は人体模型くらいだよ、どーせ」
「…この間、一緒に居た人は?仲良さそうに話し込んでたじゃないか。一時間も。路上で」
「見てたなら声掛けたらイイだろ、刺がある言い方すんな。あら、ただの幼馴染みだ」
「手が早そうな…男前だった」
「オマワリが男前?!はっ、あれに言わせりゃどっちが手が早いっつーかねィ」
「…付き合ってた、とか」
「殴られたいのか?ん?」

こんな男勝りな女に興味を持ったのは二人目で、一人目は一昨年に結婚した。今や一児の父として、男勝りと言うよりはまるで男としか言えないだろうイケメンな嫁の尻に敷かれている。
その嫁からも日毎プロポーズを受けていた事は、今になれば良い思い出だ。

「…何だよ、まだ疑ってんのかィ?」
「髪、ちょっと伸びた?」
「あ?あー、確かに暫く切ってないなァ。年末忙しかったし…」
「じゃあ、そのまま切らないで」
「は?何で?」
「良いから。現状維持継続の方向で。OK?」
「お、おう。ま、寒いし面倒臭いから別にイイけど」

満面の笑みで笑う少年を見送って、帰り際のキス一つで舞い上がる馬鹿な年増。



「ごめん、こんな時間に…」

次に見たのは今にも泣き出しそうな表情だ。
何故、一人で帰したりしたのだろう。意地でも惨めでも一緒に付いていって、罵られようが追い出されようが、頼み込めば良かったのだ。

「…行く所がなくて。他に、行きたい所もなかったから。ごめん」
「イイから中に入れ。雑煮くらいしかないけど、温めるから」

愛しくてならないのだ、と。
この子を傷付けるのはやめてくれ、と。


幸せにしたいのだ・と。















目覚めた時、最初に見たのは随分窶れた表情の父親と、安堵の表情の舎弟達だった。
鼻水やら涙やら惜しみなく垂れ流した父親から抱き締められた瞬間のおぞましさは、筆舌に尽くし難い。幾ら物心つくまで風呂に入っていた仲だとしても、体が動けば迷いなく殴り付けていた筈だ。実際は、片腕にはギプス、片腕には点滴が三本。自由には程遠い倦怠感は、麻酔が切れていない所為らしい。

「怪我は男の勲章だ」

父親とは真逆に、冷静な表情で開口一番そう言い放った母親は、白装束を纏い長かった髪をばっさり切っていなければ、普段と変わらない様にしか見えなかった。
ある意味ポーカーフェイスである彼女の狼狽に気付いていたのは、その伴侶である父だけだろう。微かに。本当に微かに震える母の肩を、わざとらしくない仕草で抱き寄せた父は、その渋い男前な顔がグチャグチャでさえなければ完璧だった。

さりとて、命に関わる大怪我を負い致死量ギリギリまで出血していたと言う割には、術後二日目には起き上がり歩いていた自分に医者も看護婦も父も舎弟らも飛び上がった程だ。
母だけは訳知り顔で止めなかったが、暫く安静にしていろと合唱されては不満を飲み込むしかない。

消灯後、他人の目を盗んで、母から聞き出していた病室へ向かった。未だ目覚めていないと聞いていた赤い髪の天使の叫ぶ声が廊下へ響き、松葉杖を抱え直して足を止める。
聞こえてくる声は三人分。どうやら元気そうだと安堵したのも一瞬の事で、飛び出してきた天使は頬に大きなガーゼを貼った痛々しい顔で廊下を疾走して行った。

「あ?何だテメェ」

天使に良く似た、けれど偉そうな態度で出て来た子供は背が高く、恐らく小学生だと思われる。何だ、と言う問い掛けに名乗る事しか出来なかった自分は、走っていった背中を気にするばかり、追い掛けようにも辛うじて歩ける程度の今、あの足の早さに付いていくのはまず不可能だ。

「向日葵の息子か」

最後に。
部屋から出て来た見上げるほど背の高い男の長い髪が舞い、その鮮烈なまでの真紅に息を呑んだ。ああ、天使だ。天使はきっと、将来、この男と同じ様になるのだろう。子供心に何故か納得し、

「…ベルハーツだな。お前の所為で佑壱は!」

胸ぐらを掴まれ、体は容易に宙へ浮いた。
小脇から離れた松葉杖が廊下を跳ね、目を見開いた赤毛の偉そうな子供が何かを叫んでいる。やめろだとか、何やってんだだとか、そんな様な事ではなかっただろうか。

「お前が産まれた所為で巻き添えを喰ったんだ!さっさとイギリスへ行くなり死ぬなりしておけば良かったものを…!」
「おいっ、やめろって!コラ!」
「何であの子がステルシリーに狙われる?はっ、そんな筈があるか…!全部っ、お前を殺す為に仕組まれた事じゃねぇか!ベルハーツ!」
「親父!」

例えば、だ。
幼い頃から繰り返し誘拐され掛けて、一度はとうとう捕らえられて、父親が死に物狂いで救い出してくれた時に、強くなろうと。家の中で囲われているだけではなく、一人でも負けない様に強くなろうと。考えて、朝と夕方にランニング、昼は日が暮れるまでサッカーボールを蹴り、とにかく走り回っていたとして。

例えば、性悪だが尊敬するほどに強い悪魔に、最近流行りのアニメと漫画の話を教える代わりに、護身術を倣い始めたとして。

例えば、何を考えているか全く判らない不気味な銀髪に覚えたての護身術で喧嘩を吹っ掛け、笑える程あっさり負けた腹癒せに、母に剣道の教えを乞うまでになったとしても、だ。

「お前が居たばかりにあの子は!」

当時6歳になったばかりの子供には、それは何より鋭い刃として、左の胸の奥底へ突き刺さる。容易く。豆腐にナイフを入れるが如く、あっさりと。





母は妾の子供で。
正式な血筋ではない。けれど正式な後継者として爵位を継いだ公爵は出奔し、行方不明の末、見付かった時には既にこの世に居なかった。

公爵には子供が居た。
四人の子供の内、二人は日本人である母親の血を継いでいた。最も公爵に似ている長男には、先天的に遺伝子異常があると言う。次男は母親似で、女王の怒りを買うには十分だ。

公爵である父親から蒼い目を継いでいた三人目の子供は幼くして亡くなり、四人目は、公爵が亡くなった後に産まれた子供だった為、後継者には相応しくないと言う意見が大多数。 

悩んだ女王は、然し自身が高齢である事、現状、身内に後継者として相応しい器の人間が居ない事などを鑑み、妥協した。
公爵である息子と同じ、金髪の孫を。血の有無ではなく家名の元に、後継者たれと。

そして、女王の決定に反感を持っていた『血統重視』派の一部は、後継者として除外されていた公爵の四人目の子供がグレアムの元に在ると知るなり接触したのだ。ヴィーゼンバーグが遥か昔迫害した男爵家に、懇願する形で。


ベルハーツを殺せ。ヴァーゴこそ公爵に相応しい。
そして、同じくステルシリーに巣食う一部の革新派は、目障りなセカンドが消えればルークを消すのは容易いと話に乗った。

ベルハーツを消し、ネイキッドが公爵として立てば、ルークも消える。正統後継者だったファーストを神の座に据える為に、手段は選ばない。


けれどその中に、ルークの手の者も紛れていた。
後継者である枢機卿を警護する彼らに、ファーストを守る義務はない。

寧ろ目障りだ。
何の役も持たないクリスティーナ=グレアムを慕う者は皆無に等しく、裏切り者の烙印を捺されたクライストの血を引いていると言う事実も、拍車を掛けていたと思われる。

複数の要因が重なった。
誰が敵で誰が味方か判らない中、悪天候にも左右された彼らはターゲット以外の子供が紛れていた事も影響し、互いが互いを疑い牽制した所為で、錯乱したのだ。
唯一ルークだけはあの騒ぎの中、無傷で保護された様だが、日中から外出していた彼は別の痛手を負ったらしい。


怪我は男の勲章だ。
そう言った母すら言葉を失った瞬間を覚えている。漸く塞がった傷跡を覆う様に、息子の背中には阿修羅。帝釈天に牙剥いた、戦神が彫られている。


「イギリスに行く」

親不孝な息子の言葉で両親は、どれほど胸を痛めるのか。自分が一番、判っていた筈だ。

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