帝王院高等学校
あっほれ!やっほれ!タイムスリップ!
女は男慣れして居ない方が良い。そう気づくまでに時間は懸からなかった。

処女たる純粋さで下手な打算や駆け引きなどしない、そんな女が良い。真っ直ぐ注がれる一途な眼差しは酷く面倒だが、その後に比べればまだマシだ。

控え目だった連絡が目に見えて増えていく。
下らない話ばかり飽きもせず一日中。迷惑さを匂わせても強かな女共は、次に抱かれるとまた、独占欲を解き放った。

「クラスの子に付き合おうって言われたの」

暫くの後、大半の少女は『女』に変わり。
他の男の存在を匂わせて、勝利を確信した目で問うのだろう。全ては無知だったばかりに。処女から羽化したばかりだった為に。

真っ白なシーツに柔らかな体躯を委ね、枕に桜色に艶めく強かな唇を押し当てたまま、


「ねぇ。どうしたら良いかな、裕也君…?」

やっと解放される、と。
ほくそ笑む男の身勝手さを、知らなかったばかりに。




心に感情が宿るなら、自分のそれは母親と共にこの世から消えたのだ。言い訳は酷く説得力に欠ける。
















嫌な役目だ・と、いつも思う。

「カナメさんって、ケンゴさん達と幼馴染みなんすか?」
「あ。そうか、皆同じ学校の寮だったっスっけ」

育ちの割りには面倒見が良く、粗雑な言動の割りには人望がある。そんな男の間近で、今では信用されているのではないかと確信するほど日々を重ね、けれどまだ慣れないのは恐らく、罪悪感があるからだ。


初めて出来た友達は今ではまるで空気の様に。
話し掛けるまで声を聞く事さえない。触る事は勿論、警戒を解いてくれる事も、だ。一種潔癖症なまでにそれを徹底されている自分だけが、気付いている。
他人から見れば、これでも仲良しに見えるのだろうか。

二人目の友達は昔から何一つ変わらず快活で、誰にでも笑い掛け、気軽に触れて、誰よりも幸せそうに思える。
その痩せたしなやかな体の内部、人間に備わっている筈の臓器の大半が継ぎ接ぎだらけだとは匂わせもせず、名前の通り健康体だとばかりに跳び跳ね、笑い転げ、喜怒哀楽の怒と哀だけを抜き取った様に、今日も。
謝れ、詫びろ、お前の所為で、などと。誰もが投げつけたくなるだろう台詞の一切を、一度も口にしない。



何もなかった様に。
本当に、ただただ再会を喜んでいるとばかりに。
記憶より大きくなった手を二度目に差し出され話し掛けられた時、違う選択肢を選んでいたとしたら。

自分など庇って半年も目覚めなかった神童に、あの、美しく豊かな旋律を奏でる神子の手に。この汚ならしい手を重ね、戻らない過去を悔やみ謝罪すれば全てが解決したと言うなら。


母は若い男を選んだ。
玉の輿を期待して産んだだけの子供を捨てて、一瞬だけでも幸せだっただろう。
父はたった数度手を出しただけの女の子供など、望んでいなかった。それも小さな島国の血を引く子供など、香港を統べる男が望む筈がない。

要らない子供は何処に行っても要らないのだ。
名前の通り、『要』らない子供は施設の中でさえ邪魔者で、食事を与えて貰えない代わりに暴力だけは余りあるほど。


金が全てだ。
金を望んだ母の様に方法を間違えなければ。早く大人になって、早く稼げる様になって、早く、誰も居ない所に行かなければ。
増えるばかりの傷がいつか体を朽ち果てさせる前に、そう、自分だってこんな世界、要らないのだから。


自分に良く似た腹違いの義兄は(医師曰く、生きているのが不思議なほど痩せこけた小汚ない子供に)優しく手を伸ばした。見た事もない父の遺伝子だけで繋がった義兄はとても綺麗で、どうして顔は似ているのにこうも違うのだろう(どうして自分だけ寂しくてお腹が空いて苦しまなければならなかったのだろう)(どうして『助けて貰わなければ』生きていけないのだろう)と、考えた。

惨めだ。
施設の大人達は、服を着れば見えない所ばかり殴った。決して手には傷付けなかったのは、時折行われるお遊戯会で、要の拙いピアノが評判だからだ。老人ホームからやってくるお年寄りや介護員の惜しみない拍手を受ける時だけは気持ちが良い。その日の夕食はちゃんと一人分与えられて、大人達は少しばかり優しくしてくれた。

そうして繰り返し、二ヶ月に一度のお遊戯会だけを楽しみに、生きてきたのに。

『青蘭、もう怖い事はありませんよ。あそこは取り潰しましたからね』

優しい義兄の言葉を最後に、大陸へ渡る。
豪華な食事、自分だけの部屋。同い年だと言う目付きの悪い子供が時々やって来ては、俺の嫁にしてやらん事もない、などと偉そうにふんぞり返り、緑色の目をした美人な母親に蹴り飛ばされていた。

『朱雀、青蘭は男の子だって言ったでしょう!本当に馬鹿な子だねお前は!誰に似たんだ誰に』
『母ちゃんよ、息子を蹴るとかとんでもねぇアバズレだぜマジで。しかも今パンツ見え、』
『Hey you, 殺すぞ。』
『I have to YKK.(お口チャック)』

綺麗な母親。甘えたい放題、我儘放題。叱られても最後には抱き上げて、結局愛されているだけ。

本物の父親には一度しか会っていない。
ふん、と鼻で笑い、一瞥をくれただけの男は、然し美月には優しい声音で『日本はどうだった』などと話し掛けた。

何処へ行っても邪魔者だ。
いつも美月の傍に隠れている黒装束の子供は、悪口を言わない代わりに一言も喋らない。まるで美月しか見えていないとばかりに。


話し相手は美月が飼っていた綺麗なセキセイインコと、庭に集まる灰色の鳩だけ。


そして、月のない夜に紛れてやって来た濡れ羽色の髪をした綺麗な男は、左右非対称の双眸を歪めて、久し振りに聞く日本語で嘲笑ったのだ。


『このまま此処に居れば、楼月から殺されるぞ』

蒼と碧。色合いの違う対の眼を細め、鈍色に光るナイフを突き付けて、

『いや、俺から…が、正しいかねぇ。但し今回はブッキングしてるから、お前に選ばせてやるよ。錦織要』

父親は殺せと言った。
義兄は生かす様に鍛えて欲しいと言った。
無慈悲な狗は獰猛な狼を思わせる眼差しで、絶望の二択を提示した。



高野健吾と言う名の少年は、二度と『知り合い振って』話し掛けるなと言う約束を守り、以降、ただの一度たりとも昔の話を持ち出す事はない。

カルマと言う狭い範疇に於ける仲間の一人、乃至、同じ学校のクラスメートとしてのみに絞られた会話がどれほど白々しいか。
そう感じてしまう自分が如何に穢らわしいかと考えては、自虐心が頭をもたげる。


誰も居ない所へ逃げたとしても、消し去る事は出来ないだろう。





今になって思えば、悪魔から選択肢を持ち掛けられた時に、父に従っていた方がどれほど幸せだったのだろうかと。

















走る事は出来る様になった。
箸もしっかり握れるし、肉もがつがつ食べられる。呆れられる程には。
息を吸い込めば、ハキハキと歌う事も簡単だ。

ただ、指先が楽器に触れた時は顕著に判った。
一般人には判らない程度だろうが、音楽を生業にする者にとっては致命的な程の狂いが。


「…おい、あの二人はどうした」
「またいつもの通りですよ。…健ちゃん、おやつにしようかね」

両親は毎晩口論ばかり。
祖父母はそんな二人に言うだけ無駄だと早々に見切りを付け、ひたすら可愛がってくれた。けれどその所為で、いつも睨まれているのが判る。
今までは両親に付き添って殆ど日本に滞在する事のなかった一つ年下の子供が、彼には目障りでならないのだ。
それまで祖父母の愛情を一身に受けていたのだから、当然だろう。


家に居るのが辛い、と。
オブラート百枚に包んだ軽口に、優しい友人が誘ってくれたのは山奥のマンモス校だった。祖父母は当初反対したが、両親は神の救いとばかりに入学手続きを早め、話が決まるのは早かったと思う。その分校に当たる小学校へ通う身内が居た、と言うのも要因かも知れない。

優しい祖父母は高齢だった為に、それから数年も経つと相次いで亡くなった。父がリフォームしたと言う二世帯住宅は今、新しい持ち主が暮らしている。

墓守りは、気の良い住職だけだ。
毎年命日には足を運んでいるが、その度に両親の近況を聞かれるのには辟易していた。知らないし知りたいとも思わない、などと言えば、世間体に障る。

「相変わらず、あっちこっち飛び回ってます」
「難儀じゃのー、音楽家っちゅーのも。里帰りした時は顔出せぃ言うとってくれんか」
「うっす。じゃ、宜しくお願いします」

天国の祖父母には、何の罪もないのだ。
終始無言で墓掃除を手伝い、終始眠たげに新幹線に揺られ文句一つ言わない男は、友人の鑑だろう。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!