帝王院高等学校
ヒロインって男の子でもイイのかしら
生きているだけマシだと思う度に、自分がまるで悲劇のヒロインの様ではないかと酷く笑える。
自分の性格が決して良くはない事を自覚していた。悲劇のヒロインだったのは結局、どちらだろう。

「見てごらんよ、山田君」

桜色の風に吹かれ、クリーニングから戻ってきたのネイビーグレーは宙に舞った。

「あの錦織君が次席だって」

そう呟いた彼は自身が16番である事を棚上げに、楽しそうな口調だったと、微かに記憶している。今になって思い出そうとしてみても、大した思い出はない。Sクラス内での友情など如何にうわべだけのものか、誰もが気付いている筈だ。

進級、それと同時にルームメートになった男はいけ好かないタイプだが、自分より劣る者には興味がないだけマシだった。親戚であり上位に名を連ねる宰庄司影虎と何かにつけて比べられている様だが、向こうは彼を目に掛けてさえ居ないのだから、憐れと言うより他ないだろう。

「分校からの昇校生、らしいねー」
「田舎者だよ。君はいつまで続くと思う?」
「いつまで、って?」
「一時的な優越感が、さ。僕は後期まで保たないと思うけど」

真新しいネイビーグレーのブレザーの裾を片手で押さえ、見上げた先にあるのは見知らぬ名前。鼻で笑い始業式典の会場へ向かう背を一瞥し、直後、見慣れない長身が目前で立ち止まるのを見た。


「…Sクラスねえ。かったり」

野球部出身を思わせる様な短い髪が痛々しいほどの金髪でなかったら、爽やかな好青年に見えなくもない。170cmは明らかに越えているな、と無関心を装いながら聞いた呟き。
会場とはまるで正反対の方向へ歩いていく長い足を見送り、やはり無関心を装いながら掲示板を見上げた。


「神崎隼人、ね」

自分は山田太陽と言う人間が如何に性悪、いや、とれほど偽善者である事を自覚している。
友人の居ないルームメートを食事に誘い、おだてれば満更でもない表情で宿題を教えてくれる事を知って、申し訳なさを装い面倒なレポートはほぼ全て頼み込む。等価交換だ。

季節は春。
その一年にも満たぬ将来、捻くれてはいたが決して性格が悪かった訳ではない元ルームメートは哀れにも、自主退学する事になる。


昇校してきた田舎者は、それから三年間ただの一度として帝君の座を明け渡す事はなかった。














初めて君は世界に興味を覚えたね。
(その日に僕は生まれ)

初めて君の世界に色が芽生えたね。
(その日に僕は目を開いた)


今は未だ、ノイズに邪魔されていて、
(眠りを誘う満月に遮られて)

確かなものさえ見えないけれど。
(君の吐息さえ聞こえないけれど)


人は思うより単純で、
人は思うより複雑で、

(哀れな生き物だと、言ったのは誰だったか)



まだ見ぬ君へ会いに来たよ。
(今は未だ、眠っていて)




ほら、子守歌が聴こえる。
(指揮者の居ないオーケストラの)















スラックスの中には下着と皮膚に覆われ、それを押し上げる屹立が潜む。熱さに目が眩み、腰から下の力は皆無に等しい。
辛うじて把握しているのは自分の体が、人の太股を下敷きにしていると言う状況だけだ。繋いでいた筈の手は縋る様に肉薄な肩口のブレザーを掴み、顎と腰骨を力強く押さえ付けられたまま、何度も口を開いた。

酸素を求めて。(けれど舌先に全ての神経を集中させている)(哀れ肺細胞は圧迫され圧縮し)(何度も何度も助けを求めているのだろう)(役立たずの脳へ)


「好、き」

何か戯言をほざいた。
喉から勝手に漏れた言葉だ。その意味など何一つ考えてはいない。

「ど、しよ…凄い好き、かも。判んないけど………あれ?何?何言ってんの、俺…?」

此処は何処だったか。ああ、そうだまだエレベーターに乗っただけだった。乗った、と言うよりは押し込まれたと言う方が正しいだろうか。

何ともなく眼を落とせば、手袋が片方だけ落ちている。また、口を塞がれた。顎が砕けそうだと思ったが、両手はブレザーの襟付近を強かに握り締めたまま解けない。

胸元に何かが落ちてきた。カチャリ、と金属の音から察するに眼鏡だろうとは思うが、二人の人間に挟まれたそれがどうなるかまでは考えてはいない。


スラックス、下着、薄い皮膚、それを二倍にした距離で触れ合う物質同士のパラドックスは、現実世界ではゼロと同じだ。
けれど理論的には、例え触れ合っていようが混ざり合えない距離が存在する。


「好き」

戯言を繰り返す唇と、一言も発しない唇が触れ合っていたとしても。

(決して一つにはなれないと、数学は示した)
(…永久に。)


















約束をしたのだ。
自分と言う強かにして偽善者は無邪気な笑顔の下に本音を覆い隠し、口は悪いが決して性格が悪い訳ではない綺麗な生き物に。自分のものだと、証を刻みたかったから。

「おい。そのストラップ、何処で手に入れた?」
「は?これ?ネイちゃんに貰ったんだけど、…お前さん、誰?ネイちゃんの何?友達じゃないよねー?」
「…何だと?お前、俺が誰だか知らないらしいな」
「いやいや、キョーミないから。お宅がどこの幼稚園でも構いませんから…あっ!」
「下等生物が!これはお前如きが持ってて良いもんじゃねぇんだよ」
「返してよ!それ、あきちゃんのなんだから!」
「っ、痛!…んの、クソ餓鬼…!蹴りやがったな!」

肩より少し長い赤毛の子供から、貰ったばかりのストラップを取られた。いつもより早めにやって来た公園には人影も疎らで、会いたかった人は見当たらない。
漸くアイスクリームの移動販売車がやって来た頃、日差しは分厚い雲に覆われ始めて。
サッカーボール片手にやってくる金髪の子供に泥団子を投げている筈の正午、鬼ごっこのスタートは唐突に始まったのだ。

泥団子、蝉の死骸、時には始末されていない犬の糞、わざわざゴミ箱を漁り手に入れた中身が残っている空き缶。
あらゆる物を投げ付け、時には木に登り飛び降りて、また時には落とし穴を覗き、公園の常連ではないらしい赤毛の子供を追い回した。
散々『クソ餓鬼が!』だの『テメェは悪魔か!』だの罵られたが、片腹痛い。この程度で済ませている内に、素直に返せば良いのだ。

降り始めた霧雨は間を開けず篠突く雨へと変化し、悪条件の視界にもめげず漸く追い詰めた赤毛の上に馬乗りになり、弾き飛ばされ、飛び起き詰め寄り、返せ返さないの押し問答。
叩き付ける様な雨の中、現れたのは数人の黒服だった。

逃げろ、と。
切羽詰まった声で叫ぶ赤毛、突き付けられた銃口だけは雨の中はっきりと。


乾いた音が聞こえた。
視界一杯に濡れた艶やかな黒髪、抱き締められたまま後ろへ傾ぐ体は無抵抗に水溜まりへ落とされる。大好きな人を無意識に抱き締めて、赤い、赤い雨が降り注ぐのを見たのだ。



ああ。
冷たい雨、温かい体温、目を向けた先には鈍く光る刃に反射した雷鳴。鼓膜と大気を同時に揺さぶる大音量を怖がる余裕はない。


小憎たらしい赤毛の子供はずぶ濡れで、膝を着いたまま何かを抱いていた。背中をシャツごと切り裂かれた無惨な何かを、髪も顔も真紅に染めて、目を見開いたまま。


「な、に」

天から殴り掛かる雨は顔中を痛いほどに突き刺し、辛うじて起き上がった濡れ羽色の髪を何度も振り回し、それでも身動きしない誰かを映している。
振り上げた足を容赦なく降り下ろす黒服は異国の言葉で繰り返し叫び、濡れた前髪から覗く左右非対称の双眸に笑みを刻む子供はただ、囁く様に。

「大丈夫、だから。…泣くな」

何が起きているのか、を。把握したのは、血塗れで倒れた体躯を抱き締め、轟く雷鳴に負けぬ大音量で叫んでからだ。



…殺意?

いや、そんなものは無かった。ただ、今この目に映る全ての大人達を消してしまいたかっただけだ。



「助けてあげようか」

死神は音もなく忍び寄る。
あれを魔法使いと呼ぶには、かなり語弊があるだろう。
この世のものとは思えない威圧感に恐ろしい程の殺気を滲ませ、白髪の子供を抱えていた大人を一瞬で倒した『それ』は、黒一色の袴を纏い、漆黒の濡れた髪を筋張った腕で掻き上げて。唆す様に。

「な、に…今の?」
「頸椎を砕いただけだ。私は意味のない暴力を好まないからね」
「助けて、くれるの?」
「ああ、それは私ではなくナイトだ。彼は弱い者苛めを嫌うから…」

何人居たかは覚えていない。
ただ、突如現れた黒の化身がひらりと稲光の中舞い躍り、音が世界を支配する頃にはもう、立っている大人は居なかった。

「取り引きをしよう。但しこれは神でも騎士でもない、『俺』との取り引きだ」

差し出された左手に、同じく左手を差し出した。右手には大好きな人を抱えていたから。

「…取り引きには条件があるよねー?」
「やはり君は面白い子供だね」
「ありがと」
「条件、と言うより参加の代償だな。君の一番大切な記憶を貰う。引き換えに俺は約束を失う。条件はこれだけだ」
「何それ、取り引きじゃないじゃん」
「何、ただのゲームだよ。さて、今の君に拒否権は?」
「…ない、みたいだねー?」

あれは魔法使いでも悪魔でも死神ですら、無かった。
敢えて呼ぶとすればそう、




「取り引き成立だ。」


人間の欲、だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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