帝王院高等学校
ただそれを得る為の勇気の必要性
幸せが目の前にありました。
手を伸ばす勇気があったなら、今のこの悲しみはなかったのでしょうか。

後になれば悔いばかり。
あの時こうしていれば良かった、ああしていれば良かった、と。



空っぽの胸の下、体の奥に重く苦しい感情が溜まっていくのです。







容姿端麗、
識字博学、
眉目秀麗、
文武両道、
全知全能。

彼を現す為に謳い並べられるのは比類なき称賛、数多の尊敬羨望あれど憎、迷いなく悪へは届く試しがない。
つまりそれは、彼が『神』たる所以であるのだ。



「お慕いしております!」

今にも泣き出す間際の表情で、清潔な純白の封筒を差し出した少年は、半ば押し付けるようにそれを手渡し、無言で足早に去っていった。

殆ど無意識で歩いた挙げ句、いつの間にか雑音だらけのティアーズキャノン大講堂に辿り着いていたらしい。
遠巻きに不特定多数の視線がこちらを窺い、この人口密度にあって余りにも静かだ。

「マジェスティ、失礼ながら中身を確認致します」

風紀腕章を腕に付けた生徒が、先程の封筒を有無言わさず奪っていく。中を確認し危険がないと確認すると、チケットらしき中身を握り潰した。

「…何をしている」
「はっ。マジェスティにお見せするまでもないものでしたので、こちらで処分致します」

一礼し去っていく背中をただ見送る。そうだ。今までもそうだった。何故、忘れていたのだろう。


『最近、左席便り貰ってくれる人が増えて嬉しいにょ。ね、カイちゃん』

見ず知らずの人間から与えられるものなど、全て破棄してきたではないか。

『受け取った直後に捨てている不届き者が居た』
『貰ってくれただけ有り難いのょ。一瞬でも読んでくれたかも知れないでしょ?見向きもせずに無視されるより、イイにょ』
『そう言うものか』
『カイちゃん、もし一生懸命書いたラブレターなのに、受け取ってもくれなかったらどう思う?』
『判らん』
『コミケに行ってみたら判るにょ。最初は無料配布だけ持ってったけど、殆ど余ったもん』

何を悔やむ必要がある。
ルーク=グレアム、帝王院神威、お前は神だろう?

『それは遺憾だ』
『そーよ、悲しいにょ』
『ならば次のコミケでは、先頭から最後尾まで俺が並んで全部貰ってやる』
『あはん。ちゃんと最後尾札持って並ばなきゃいけないのょ』

生徒会長として。
愛すべき生徒から貰ったものを目も通さずに処分してしまったから、罪悪感を感じているのか。随分勇気を振り絞ったらしい生徒の、お慕いしていますと言う台詞に返事もせず、礼も言わなかったから、罪悪感が少しばかり湧いただけだ。

「違う」

神として生きてきた人生を忘れ果てる程に、偽物生活に慣れていた。
勇気が要っただろう。赤の他人にチラシを配るよりもずっと、自分に封筒を渡すのは覚悟を擁しただろう。

『必要ないものなんて、ないのょ』

可哀想な事をした。
酷い事をした。あの生徒はこの広い大講堂の何処かで、一生懸命手渡したチケットが他人の手によって握り潰されるのを見たかも知れない。
止めなかった生徒会長に嘆いたかも知れない。一生懸命、手渡したのに、と。

『ぼ、僕なんて、死んじゃえばイイのにっ』
『違う』
『僕なんか、要ら、要らないって皆…!ぐすっ』
『お前が言ったんだ。必要のないものなどない』

辺りを見回した。
仮面越しに見る世界は、眼鏡越しに見る世界とはまるで違う。

眼鏡の時は誰も関心を向けなかった。
神威の素顔を知っている一年Sクラスの生徒は、神威をただのクラスメートとして扱った。

遠野帝君と同じ全教科満点を叩き出し、且つ初日に素顔まで見せたのに、彼らの関心は最後まで神威にはなかった。


和の中心には、いつも彼が。
競争だけが全ての、友情など必要としない進学科に日直制度を設け、週刊学級誌を作り、その全てを命令ではなく提案するだけで実現してしまう、彼が。


命令と言った。
いつまで経っても左席権限であるクロノスカードに慣れない根っからの庶民が、はっきりと。


「嫌われたものだ」

好かれる筈もないのに、爪先からズブズブと闇の沼にはまっていく錯覚。絶望か。これが。
浅はかに愚かな好奇心を満たすべく行動した、報いだ。


どうしたら過去に戻れる。
考え着くのはそんな現実逃避ばかり。過去に戻り、最善の方法で今をやり直せるなら。


あの子供じみた温かな体温を抱き締めて眠る。蹴り落とされて目を覚ます。
憤りよりも先に晒された腹に気付き、風邪を引くぞと囁いてブランケットを掛け直し抱き締める。
健やかな眠りがたちまち訪れ、次に目覚めた時には視界一杯、あどけない寝顔。

唇を盗み、全身隈無く口付けてそれでも足りないと、あらゆる所に証を残す。
漸く目を覚ました彼は寝ぼけながらヘラリと笑い、


『おはにょ、カイちゃん』

目覚ましテレビの星占いだけを真剣に見つめ、日替わりスープをコーヒー代わりに3杯。
いつも勝手にキッチンで朝食を拵えている佑壱の目を盗み、歯磨きしながら盗み食い。必ず神威の分も摘んできて、悪代官の様な笑みで分けてくれる。


眠る前にさり気なく大量のコーラを飲ませておけば、必ずもじもじと恥ずかしそうに神威の手を掴んでくるのだ。
トイレに付いて来て、と。

神威しかいないから。
頼れるのは神威だけだから。
二人きりの時は際限なく甘えてくる癖に、人前だと態度を変える。

あの時間、が。


「俊くーん、待ってよぅ」

永遠に続くなどと考えていた訳ではなく。

「うふん。桜餅ィ、僕は此処ですにょー」
「もー。廊下はぁ、走ったらいけないんだょー!」

矛盾した世界だ。
人間は。水と酸素がなければ生きてはいけぬ癖に。
けれど人間は。過ぎた水の中ではただただ溺れ、濃い酸素の中では中毒を起こす。

矛盾した世界だ。
矛盾した生き物ばかり、の。


「ひょーっひょっひょっ、善は急げ!早くしないと迷子になって、対策本部に辿り着かなくなっちゃうかも知れないわょ!」
「ぇえ?部室がなくなっちゃう訳なぃよぅ、俊君の意地悪ぅ」

鼓膜は分厚い仮面の狭間から、あればかりを見ている。(酸素を取り込む事すら忘れ)(水も酸素も必要としない程に)
可哀想な事をした赤の他人に対する罪悪感など欠片もなく、あるのは。


「…セントラルライン・オープン」

右中指に煌めくプラチナ、だけ。
(後悔を懸念する余裕もない)

『コード、』
「可変限界解除」
『セキュリティリミットオールクリア。構成編成、御命令を』
「マスタークロノスを私の部屋に誘え」
『対象の軌道予測、経路分解再構築。………500%、対象の周囲3キロをリミット解除。最大4分36秒後に実行します』


何故。
(近い過去に、私は)あれを手放せるなどと(ああ何と愚かしくも強く)考えたのか、誰か教えてくれ。


最初に視たのは赤い塔。
いつも傍に居た力強く脈を打つ温かい父は、悪魔と共に宙へ舞った。(悪魔に殴られた)(何も見えない暗闇で)(聞こえたのは、父の悲鳴と父の唸り)


『やめ、やめろ!神威に手を出さないで…!』
『ぐる、ぐるるるる!』
『ひ、秀皇っ。秀皇、秀皇ぁ!っ、神威が死んでしまう…!』

足音。
何かが割れる音。悪魔の、嘲笑。


『何を、しているんだ…貴様』

暗闇の中。
最初に視たのは割れたステンドグラスの向こう、血の様に赤い月。

『許さない。…秀隆』

次に視たのは作り物の空。
そこは地面の中に広がる、巨大な闇の国だった。



『ウォン!』

父が二人居た。
絵本を聞かせてくれる人はヒロキ、そして、ヒデタカが二人。


日溜まりの匂いがした。
時折、皆に内緒で外した包帯。目の前にはいつも漆黒の毛並み、蜂蜜色の双眸、赤い首輪をはめ、タグには【秀隆】と書いてある。

『秀隆』
『クゥン』
『父上と同じ名前』
『ワン』


(今は)
(嘆きも悔いも忘却の果て)





「俊くーん、待ってよぅ〜」
「早くしないと、ぱんだらけの明太ラスクなくなっちゃうにょ!早く早く!」


笑い掛けないでくれ。
(こんなにも苦しいのに)
(そんな幸せそうな表情で)
(他人に笑い掛けるから、今は憎い)






「あらん?」

いつもの階段、いつもの廊下、けれど辿り着いたのは、ドア一つない長く暗い、廊下。
照明はない。けれど暗闇でもない。ぼんやりと、歩くには不足ない程度の明るさで判ったのは、今さっき登ってきたばかりの階段が、無くなっている事だけだ。

「えっと…閉じ込められちゃった、にょ?」

振り向いた。十字架のステンドグラスがぼんやり赤く灯る壁、ある筈の階段はなくなっていて、

「ふぇ。桜餅ー?マフィア先輩ー?」
「誰を」

背後から。
聞こえてきた静かな声音に、肩が跳ねた。

「呼んでいる?」

ステンドグラス。
後ろから伸びてきた何者かの両腕がひたりと音を発て、その腕の合間に封鎖されている事に気付く。

「ほぇ」

耳に掛かる息遣い。
するりと頬を撫でられて、チビり掛けたオタクの全身に鳥肌が立った。眼鏡もバスケットボール並みに鳥肌仕様だ。

「ほぇ、お、うぇ、お化けは、間に合ってるにょ。おぇ」

冷たい汗。
耳のすぐ近くに誰かの気配、頬を撫でていた指先が首を這い、シャツの襟の中へ侵入を試みる。

「きゃー!!!」

その冷たい手を弾き飛ばし、無我夢中で走った。

照明などないのに仄かに明るい廊下を一心不乱に駆け抜け、漸く見えてきた重厚な扉へ体当たりをする。

「ぷにょん」

然しビクともしないその扉に阻まれ、コロンと転がった。
わざとらしく響いた足音、革靴らしき足元を見やるなり半狂乱で飛び上がり、扉のノブに張り付く。

「あ、開かない?!開けぇえええ!開けェイ、萌えー!…間違えた。開けェイ、ゴマー!」
「それは、引くんだ」

後ろから伸びてきた手にノブごと掴まれた左手、グイッと迫ってきた扉に思考回路がスパークしている内に、体が浮いた。


「きゃいん」

飛んでいる。
全米が泣いた。オタク、空を飛ぶ。


ふわんと浮いた体が、すぽんと放り投げられ、ぽよんとした何かに落下した。
あ、明るい。などと眩しさに眼鏡を曇らせながら起き上がれば、銀に煌めく何かが見える。


「むにょ。ほぇ?………カイちゃん?」
「何だ」

余りにも広すぎる、何人寝れるのかうっかり数えたくなるほど広いベッド、こんだけ広いのに真っ直ぐ俊へ圧し掛かってくるそれは、見慣れた顔だ。

「え?カイちゃん」
「ああ」
「何でカイちゃん?本物?」
「確かめれば良い」

無表情な癖に、相変わらず惚れ惚れするほど完璧な美貌。甘い甘い、蜂蜜色の眼差しが僅かに細められ、眼鏡が決壊した。

「うぇ、うぇぇぇん」

ビトっと張り付き、グリグリと無駄のない胸板に顔を擦り付ける。すぽんと抜けた眼鏡がベッドに落ちたが、構う余裕はない。

「カイちゃんカイちゃんカイちゃん、何でメアド変わったのに教えてくれないの?!いけずー、やりちんー!バカン!」

ぎゅむぎゅむ抱き締め、思う存分張り叫ぶのは意地悪な台詞ばかり。
周りを見る余裕もなく、何故こんな所に居るのか、何故彼が姿を消したのかにも構う余裕はない。

「ひっく、うぇ、カイちゃんカイちゃんカイちゃん、」
「俊」
「ぐすっ、ずずっ。なァに、カイちゃん」

目を擦り、鼻を啜りながら見上げれば、至近距離に銀。
サラサラした感触が顔全体に、唇には柔らかい何か、口の中にヌルリと侵入した何かは這い回り、全身から余力を奪っていく。

「ぅん!…ふみょ、んん」

シーツの波に難破した体躯、ブレザー越しに体を弄られながら、ネクタイが引き抜かれる音を聞いた。

恐怖はない。
状況が何を示しているのかにも、気付いていた。

「…俊」
「ぅ、ん。…なァに、カイちゃん」

心臓が痛い。
肺が苦しい。
喉が痙き攣った。
冷たい。長い指先が唇をなぞり、手を伸ばせば届くほど目前に、作り物めいた、美貌。


幸せが目の前にありました。
手を伸ばす勇気があったなら、今のこの悲しみはなかったのでしょうか。

後になれば悔いばかり。
あの時こうしていれば良かった、ああしていれば良かった、と。

空っぽの胸の下、体の奥に重く苦しい感情が溜まっていくのです。




「愛している」


何処に。
勇気を拒む理由があるのか、教えてくれ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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