帝王院高等学校
くれぐれもキャラ崩壊にご注意下さい
「はぁ」

溜め息一つ、重苦しい肩を適当に揉みほぐせば、沈黙を守っていた男が重ねて溜め息を吐いた。

「………機嫌、悪かった」
「あ?何だって?」
「総長、機嫌悪かった」
「あー、ああ…そうだな」

何の感情もない佑壱の表情を横目に、曖昧に頷く。佑壱が言うならそう言う事だろう。
あの判り難い俊の表情の機敏を読み取れる、その現実に嫉妬がないと言えば嘘になる。

「俺の所為なら良いのに」
「まともに喋れ。脈絡がねぇんだよ」

大きかった。
優しかった。
強く、光に満ちていた。
初めて会った時から彼は、惹かれずにはいられない程に。

「テメーが語学力不足なだけだろ、淫乱」
「猫」
「…は?」
「生まれたての、こんな小さい猫が汚ぇダンボールの中に閉じ込められてた」

日向が掌を軽く握り、持ち上げた。話が見えない佑壱は訝しげに眉を寄せ、自分の手をぼんやり見つめている琥珀の瞳を見やる。

「テメーこそいきなり意味判らん事、」
「酷ぇ事する奴が居るもんだ。出産したばっかの親猫と、子猫が五匹。何日そのダンボールに閉じ込められてたか知らねぇが、居酒屋のゴミ置き場の隅に放置されてたんだ」
「…はっ、最低な飼い主が居たもんだ。世話出来ねーなら飼うべきじゃねぇ」
「何日か雨が降った。きっと、箱の中で必死で鳴いて助けを求めてたろう。晴れてりゃ、誰かに気付いて貰えてたかもな」

ずぶ濡れのダンボール、雨上がりの磯臭さ、繁華街特有の埃臭さとは違う、肉の腐った匂い。


恐らく皆、判っていた筈だ。

呼び込みのスタッフも酔っ払いも居酒屋の従業員も、何人かはそのダンボールに気付いていた筈だ。
でなければ、ずっとゴミ置き場の隅にそのダンボールがあったのは可笑しい。


「俺様が見た時、蝿が集る親猫の乳に吸い付いたまんまの子猫が三匹、…息はしてなかった」
「ふーん」
「誰もが目を逸らすその状況で、ダンボールを開けた奴は躊躇わず死んだ子猫を抱き上げやがった。…で、微かに息がある一匹に気付いた」

汚い、と。
悲鳴じみた罵声を撒き散らしながら、足早に去っていく女。嘔吐を耐える様に口を押さえる男。
彼らを怒鳴りつける余裕もなかった日向も、哀れな猫の姿に足が動かなかった。


『ごめん。俺がもっと早く気づいてやれれば良かった』

穏やかな声だった。
腐臭を漂わせる濡れ汚れたダンボールを小脇に抱え、辛うじて息をしている小さな小さな子猫を胸元に抱いたその人は、凪いだ夜の海を思わせる静かな眼差しで、非難の目を向ける他人には全く構わず近付いてきた。

『すいません、この近くに動物病院はありますか?』

何故、彼が日向に話しかけてきたのかは判らない。何度か見掛けた顔だった。時折、付近の区立図書館に入っていくのを見かけた。

上背もあり、いやに印象深い目を持つ男だった。組員が身構えるほどには、あらゆる意味で目立っていただろう。

『…連れて行くのか?』
『このままじゃこの子も死んでしまう』
『連れて行ってどうする。責任取れんのかよ、兄ちゃん』
『責任は関わった時点で負うものだろう。後から負うものじゃない』

正論だった。
そう、見ていても何も出来なかった日向も周囲の人間と同じだったのだ。
非難しながら罵声を浴びせる人間と、嘔吐を耐え目を逸らす人間と、ゴミ置き場に放置していった飼い主と。

疑うべくなく。何ら違いはない。

『…宮田、その兄さんを病院に連れて行ってやれ』
『な、坊ちゃん?!ですが得体の知れねぇ奴を、』
『煩ぇ!ガタガタ抜かす暇があったら獣医引き摺ってきやがれ!死んじまうだろうが!ボケ!』
『は、はい、はいいいい』

小さな、余りにもか弱い命。
頼る親も同じ毛並みの兄弟もなく、ただ現実の無慈悲さに震えるしか出来ない、けれど確かに強く生きる事への希望を握り締めた命。


獣医を脅した。
逆に獣医から怒鳴られた。
助ける命があるなら脅されなくても全力を尽くす、ガキは引っ込んでろ!

「は、その獣医サイコーだな」
「今になりゃダセェ話だが、確かにあの医者は正しい。…あん時はイラっときた」
「餓鬼」

気が散るから失せろとまで言われ、処置を待つ間に動物霊園に供養を依頼した。
猫好きの両親に事の顛末を報告したらしい組員が、見事な青あざをこさえて帰ってくるなり土下座した。

姐さんが坊ちゃんを全面的に擁護してます、組長は早速新しいにゃんこベッドを買いに行かれました、と。

何処ぞの神社で買ってきたと言う無病息災の御守りを握り締め、組員一同、こじんまりとした動物病院の前の路上で神に祈った。

「胸糞悪い。ドイツもコイツも」
「そう言うな、あの状況じゃ獣医以外は誰もが無力だ」

立派な小さな墓。
名もなく死んでいった母子を弔い、数時間後にやつれた獣医が親指を立てたのだ。




助かったよ。
さっき鳴いたんだ。
可愛い、ちょっと枯れた小さな声でね。

何が可愛いかって、鳴き声がまるで『ごはん』って言ってる様に聞こえるんだよ。

ああ、でもお腹空いてるだろうね。
多分、母猫は数日前に亡くなってたんだろう。この子が生き残ったのは、本当に奇跡だ。



厳めしい組員達が病院の前で男泣きの合唱を奏で、よれよれの獣医を神様と崇めてお静かにと叱られた。
気が抜けた日向の背中を優しく叩く手、威圧感に満ちた意思の強い眼差しを甘くとろけさせた彼は、有難うと言った。


「まさか、テメェがあの人の隣に居るとは思わなかったぜ」

次に彼を見たのは、あのゴミ置き場だ。目つきの悪い赤毛を傍らに、黒髪を緩く撫でつけた長身が手を合わせていた。

「…そん時の猫、テメーが引き取ったんだろ?総長が言ってた、病院費用出したからこれは俺の猫だ、っつって取られたってよ。いつの時代もテメーは最低だなぁ、高坂ぁ」
「あー…んな事もあったか」
「黄色い、綿毛みたいな猫だった。可愛くなってるだろうな、ってよ。最近も、言ってたよ」

ボリボリ、襟足を掻いた佑壱が立ち上がる。何処に行くつもりだと睨めば、なけなしの眉を神妙に潜めた男は肩を竦め、

「総長は格好良い。んな事ぁ初めから知ってるっつーの。…だから、総長がやりたいなら、中央委員会なんざ罷免したって良い」
「…ちっ、馬鹿か。帝王院が代表失脚したら、テメェの就任が速まるだけだぞ」
「知ってるっつーの、そんくらい」
「拒否権はねぇ。テメェが拒否れば俊達がどうなるか、」
「煩ぇ!判ってるっつってんだろうが!」

言うな・と、言った。
会議終了後、佑壱が言ったのだ。他でもない帝王院神威に、カイルーク=グレアムに、土下座し地に頭を擦り付けて。


『頼む、あの人にはアンタの正体を気付かせないでくれ』

恐らく、佑壱はこの一言を言う為だけに甘んじて監禁を許したのだ。
俊に、カイちゃんと言う同級生は神帝とは別人だと騙したまま、決して知らせないでほしい。それだけの為に。

「引き換えに条件出されてりゃ、世話ねぇな。…馬鹿だよテメェは、自分から脅迫材料提示しやがって」
「履歴」
「あ?」
「総長の携帯の履歴、アイツの名前しかなかった。発信もメールも、最新の履歴は全部…俺らでも山田でもねぇんだよ」

呟いた佑壱が、崩れた笑みを浮かべ両手で顔を隠した。

「機嫌悪かった。飯も喉を通らねーってよ、…どれもこれもアイツの所為で!巫山戯けた好奇心であの人を揶揄いやがった、アイツの…!」
「…」
「犬にゃなれても猫にはなれねぇ、俺じゃ到底あの人の関心を引く事なんか出来ねー、それでも!期待すんなっつー方が無理だろ、三年!一緒に居たのに…!どうしろっつーんだよ、甘えりゃ甘やかして貰えた。それが出来りゃンな泣き言ほざいてねぇ!」
「…どうしたいんだよ、で」
「ルークだ。アイツが居なくなれば良い。アイツがステイツに帰って日本から居なくなれば、何もかんも上手く行く!今だけ我慢すれば、」
「嵯峨崎。…違ぇだろ、それは」
「判ってんだよ!羨ましいだけだ、何がアイツの所為だ馬鹿が…!自分の存在がどんだけ薄かったのか思い知って逆ギレしてやがる、糞だ俺は!は、笑いたきゃ笑え!自分が一番、はは…笑える…」


ああ、もう、


「泣き虫犬。…また泣いてんのか、情緒不安定過ぎんだろテメェ」
「う、うぇ、お、俺だってぇ…そ、総長のこと大事に、ひっ、大事にしてきたのにぃ!ぐすっ、うぐっ」
「まぁ、だろうな」
「な、何でルークなんだよぉ、俺だって大事にしてたろうがぁ、馬鹿ぁ、総長の、ひっく、馬鹿ぁ…っ、ぐす、ゴホ」
「面倒臭ぇ」
「ああん?!何が面倒だゴルァ!冷酷!残虐卑劣野郎…っ、う、うぇ、……………抱っこ」

ビトッと張り付いてきた佑壱の背中を溜め息混じりに叩きつつ、もう一度、今度は心の中だけで面倒臭いと呟いた。

「抱っこー、うぇ」
「…テメェ、他の奴の前で泣くんじゃねぇぞ。判ってんだろうな?ああ?」
「ひっく、ひっく」
「寝起き最悪、寝たら忘れる、泣きすぎたら幼児返り…どんなコラボだ、ったくよ」
「うぇ、ぐすっ。ぽんぽんー、ぽんぽんもっと!」
「はいはい」

デカい幼児を仕方なく抱きかかえ、背中を叩きながら寝室へ向かう。

「うっうっ、くわ〜」
「判った判った、とっとと寝ろ」

どうせこのまま寝たらスッポンの様に離れないのだ。
起きるまで、殴ろうが擽ろうが蹴り飛ばそうが、綺麗さっぱり忘れた状態で目覚めるまで。

「やだ、まだ眠くないもん」
「…一部始終録画して俊に見せてやろうか、駄犬が」
「昨日は無理に寝なくても良いって言ってたのに…うぇ」

ああ。





「面倒臭ぇ」
















足元に移る己の顔を静かに見つめる彼は歪んだ笑みを浮かべ、傍らの小柄な少年に目を向けた。

「此処に、こんな設備があるなんて初めて知ったヨ。君は何で知ったノ?」
「…別に」
「ああ、セフレの警備員辺りかナ?」
「お前には関係ないだろ!」
「おー、コワ。ヒステリックは良くないネ?」

くつくつ肩で笑う男を忌々しげに睨みつけ、少年は目前に広がる水面に背を向ける。

「とにかく、此処に連れて来てくれたら良い。それ以外、お前なんかに価値はないから」
「星河の君が知ったら殺されるかもネ、ボクも君も」
「…余計な事を言うなって言ってる」
「ふふ、それこそ望む所、か。マゾだかタナトフィリアだか、判断に悩むヨ」

楽しくもないのに笑う男の神経を疑う。同じ穴の狢、か。












「腫瘍?」

談話室で朗らかに会話している女性をガラス越しに眺めながら、傍らの秘書と目を見合わせる。
神妙な面持ちで頷いたのは若い秘書の一人だが、執事長を前にしている状況による緊張を物語っていた。

「はい。悪性腫の陽性が出た様です」
「部位は」
「恐れながら、…ブレインと」

脳。
微かに眉を潜めた第一秘書が見つめてくる気配。楽しそうに誰かと話している女性は朗らかに快活で、とてもそうは見えなかった。

「現代日本医療での手術成功確率は」
「六割を割るものと」
「フィフティーフィフティー、か。…セントラルから医療班を招集すれば良かろう。ネルヴァ」
「無論、直ちに手配致しましょう」

若い秘書を片手で下がらせた男が優雅に一礼し、素早く携帯を操作している。

「但し、シリウスが退去した今の医局長は」
「あの時の一員だったか。…ロードの人格形成に関わっていたのは把握しているが、その者があれを操っていたと考えるのは早計だネルヴァ」
「…根拠のない失言を許されよ。然し危うきは疑え、私観念は今更変えられるものではありませぬ」
「隆子は駿河の妻である前に、カイルークが祖母と慕う淑女だ。医局長が何を企てようが、カイルークの目先で及ぶとは思えん」

ガラスの向こう、こちらに気付いた女性が笑顔で手を振ってきた。

「万一つまらぬ事に及ぶとならば、相当の処分を科すまでだ」

無表情で手を挙げたつもりだったが、談話室の中の女性も、傍らの厳格な秘書までも唖然と目を見開いている。


「陛下…」

ああ。
鏡の中で笑っているのは、誰だろう。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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