帝王院高等学校
知らされず遺された罪の名前
ふと。
頭の上に差した人影、見上げた視界に金色の髪を靡かせたサングラスの男を映し込む。


実家の庭先。
屋敷を囲む石垣を挟んで向こう側、見上げる程に背が高い。


「…何か用かね?あー、Hello?」
「日本語で良い。私の国籍は日本に在る」
「あ、そ。で、お宅どなた?」

ヒラヒラと。
飛んできたのは天道虫、庭先の菜の花に止まった。艶やかな赤。

「龍一郎の…幼馴染み、だろうか」
「親父の?アンタが、か?…冗談は余所でやれ」
「龍一郎の右目は全く見えていなかった」

何故。
それを何故、知っているのか。
水を巻いていたホースを握ったまま、サングラスを外した男の深い深い、ダークサファイアを視た。

「冬月は一子相伝。…本来、双子が産まれた時点で先に産まれた者は忌み子として葬られる運命だった筈だ」
「何、で」
「実際は葬られるのではなく、主君の影武者として育てられる場合が多かった様だな」
「本当にアンタ、親父の…?」

知らない。
母も弟も、知らない話だ。厳格で融通が利かない父は、誰にも知らせずに死んだ。例外を除いて。

「長女であるそなたには語り遺したか」
「いいや、俺ァ読んだんだよ。…日記だか遺書だか判んねー手紙を」
「手紙?」
「仏壇の奥に、古びた便箋があった。小学校の時に見つけたんだ。多分、親父は知らない」
「…そうか」
「宛名は確か、ハーヴィ、だっけな」

ダークサファイアを見開いた美貌に瞬いた。まるでロボットの様な無表情が、脆くも歪んだからだ。

「何だよ」
「現物を、あれば譲ってくれないだろうか…?言い値で良い、幾らでも払おう。頼む」
「多分もうねェよ。俺の記憶と、今うちにある仏壇が違ェからな。…探してみなきゃ判んねーが、内容は大体覚えてるぜ?」

そよそよと。穏やかな風。
ひらひらと。飛んできたのは、純白の蝶。

「内容、を」
「聞きたいなら百万円」
「ああ、今すぐに小切手を、」
「冗談だっつーの。うろ覚えでも許せよ、あー…『親愛なる我が友に捧ぐ』」

健やかに、広大に、晴れ渡る空の下で。二人。





親愛なる我が友に捧ぐ。

つまらぬ懺悔だ。
これを読む頃、俺は生きていないだろう。いや、とうに見つかっているかも知れんな。そして、処刑されているか。


裏切ったと思われても仕方がない。
正に「裏切り」こそが正しい、俺の罪の名だ。


神が死んだ。
我ら兄弟を地獄の縁から救い上げた尊い神、マジェスティ=レヴィ。
最期まで銘を持たず生きた彼が、お前にキングの銘を与えた時、ナイトとは違う意味で神がお前を愛していた事を思い知った。
悔しかったものだ。今になれば馬鹿な話だろう。

血の繋がらない俺が、レヴィ陛下の息子になれる筈がないのだ。お前を羨む事こそ無意味なのだ。だが、羨ましかった。

セントラルに咲く向日葵、ナイトの惜しみない愛も優しさも。尊い神の慈悲も、全てを一身に集めるハーヴィ。俺はお前が羨ましかった。変われるものなら変わりたかった。
お前に角膜を提供し、代わりに俺の視力が無くなれば愛されるのではないかと、愚かな事を考えたものだ。

だが、俺は決してお前を憎んでいた訳ではない。
この世の地獄の様な日本を捨て、新天地で這いずり回る日々の中、お前は唯一最後の友であろう。


然し俺は恐らくお前の前に現れる事は生涯ない。全ては墓場まで持って行く。



神が死んだ。
イギリス政府の手による、とある組織が関係している事を知り、すぐにでも奴らを八つ裂きにしてやりたかった。

だが、ナイトは重傷ながら助かっていたんだ。ナイトを殺したのは、他でもない。



彼は言った。
何の感情もない、悲しみも憤りもない表情で、彼と共に在りたいと。
まだ若く溌剌としたナイトの人生は、死に逝く神と共に在る事を強く望んでいた。そして、決してハーヴィ、お前には言うなとナイトは言った。強い、あの眼差しで。



神が死んだ。
ナイトの息を止めた。

何故、二人の死に顔は、こうも穏やかなのだろう。



自ら殺しておいて、有難うと最期に笑ったナイトの顔が忘れられない。
ああ、後悔しているのだ。俺は、お前の顔を見ればきっと良心の呵責に耐えきれず、ナイトとの約束を容易く破る。


竜人に組織の存在を知らせた。
ああ見えて血の気が多い我が弟は、笑ったまま仇を果たすだろう。

我が神の仇を。あれは事故などではないのだ。お前には知らせず、必ず仇を取る。冬月の名に恥じず、正統当主である竜人が、必ず。


但し、ナイトの命を奪ったのは俺だ。
この手で彼の息の根を止めたのだ。産まれてはならなかった俺が。忌むべき、この俺が。

幾ら頼まれたからと言って、罪は決して風化する事はないだろう。



ハーヴィ。
ハーヴィ。
ハーヴィ。
神の角膜をお前に遺す。それが神の遺言だ。

ハーヴィ。
ハーヴィ。
ハーヴィ。
我が親愛なる友、ナイン=ハーヴィスト。お前を裏切り、日本へ逃げる俺を許してほしい。


我が父、レヴィとナイトの遺骨をあの国に。それが二人の遺言なのだ。
大地の奥深く、闇の中にのみ居場所を許されたグレアムが、最期に望んだ太陽の国へ。俺は行かなければならない。父の願いを叶える為に。


ハーヴィ。
お前に別れを言わず征く事を許してくれとは言わない。
恐らく俺は死ぬまで二人の墓を守り、二度とはお前に会う事なく滅びるだろう。


ハーヴィ。
いや、キング=ノア=グレアム。新しい神に幸あらん事を。

我が親愛なる友。
我が、最愛なる、友。



裏切り逝く俺の罪の烙印を、最後に示しておく。
未練がましいと笑って欲しいが、お前は呆れるだろうか。






「愛している。…手紙の最後は、親父が書いたとは思えねー、キザな台詞だったぜ」

ああ。空は青い。
もう一度見やった石垣の向こうに最早人影はなく、


「俊江ー、何処に居るのかね、俊江ー」
「ハイヨー、庭に居るぜー!」


ポツリ、と。
晴れ渡る空に、狐の嫁入りが一瞬だけ。















「陛下」

サングラス越しに見れば、先程までの運転手の姿はなく、見慣れた秘書の老けた顔がある。
思わず立ち止まり、黒塗りのロールスロイスを確認した。

「何をしている、ネルヴァ」
「一言もなくお出掛けになるとは、相変わらず人が悪い」
「私には一時のプライベートもないか」
「あると思われますかな、キング=ノヴァ」
「…」
「幾らグレアムを離れたからと言って、貴方には帝王院財閥を担う役目がおありでしょう」

珍しい。
今まで帝王院など目も掛けなかった男が、何故。

「そなた」

聞いていたのか、と。
つまり一部始終見られていたのか、と。それに気付かなかった自分の実態を悔やむより早く、老けた秘書は昔あれほど泣き虫だった癖に今では鋼鉄の鉄面皮で、

「貴方が泣くのを見るのは、二度目ですな」
「泣いてなどいない」
「こう言う時だけ捻くれるのはやめて下さるかな、理事長」
「だから泣いてなどいない」

静かに溜め息を吐いた金髪が、サングラスを外す。確かに彼は泣いてなどいなかった。

「ただ」
「はい?」
「会いたいと思えば思う程に、虚しさが広がる」

ロールスロイスに乗り込もうとした腕を掴んだ秘書が、やや薄くなったシルバーグレーの髪を僅かに乱し、膝を付く。

「…陛下」
「懺悔でもするか、ネルヴァ」
「私は罪を犯しました」
「冗談だったのだがな、今のは」

無表情で言えば、微かに首を振った男はそのエメラルドの眼差しを伏せた。

「遠野俊を、検体に…と」
「…何?」
「失敗に終わりましたが、…彼の遺伝子配列から」

陛下とナイトの遺伝子が見つかりました、と。呟いた老人の旋毛をぼんやり見つめ、意味もなく空を見上げた。

「カミュー」
「…はい」
「私は馬鹿だった様だ。そなたの言葉の意味が判らない。ナイトからレヴィ=グレアムとナイトの遺伝子が見つかったと言う事は、つまりナイトはナイトとレヴィ=グレアムの子供だと言いたいのか?そんなめでたい事があるのか、ならばナイトは私の異母?…む、もしレヴィ=グレアムが産んでいたなら異父?何だ、判らん。私とナイトは兄弟だったのか?」
「陛下、落ち着いて下さい」

無表情で狼狽えているらしい金髪をとりあえず車に乗せ、運転席に乗り込んだ男はシートベルトを締めながら息を吐く。

「遠野俊…ナイトが帝王院秀皇の息子であるのは揺るぎない事実。ですが、シリウスの見立てでは、恐らくオリオンの仕業だと」
「…龍一郎、が」
「はい。追跡調査の結果、今し方データが送られてきました。サラ=フェインは、シリウスに体外受精を依頼し断られた後、都内の大学病院を訪れています」

緩やかに走り出すホイール、行き先など何も言っていないのに、車は真っ直ぐ来た道を戻っていく。

「遠野総合病院、か」
「はい」
「…疑うべくもない。龍一郎の妻、遠野美咲の叔父に当たるのがナイト、遠野夜人だ」

トオノヤヒト、英語で夜を表すnightから、彼は黒騎士として神の側に在り続けた。死ぬまで。死んでも。

「成程。漸く理解した。…そうか、龍一郎は死して尚、一番安全な所へ二人を埋葬したのか」
「一番安全、とは?」
「シンフォニアの完全体なのだろう?彼は」

口籠もった運転席を見やり、小さく笑う。

「ならばあれは、副作用か」
「陛下?」
「哀れな。成長過程の子供に、複数の人格が融合される。それが如何に不安定か、判らなかった筈はない」

運命か・と。神は呟いた。

「完全であるが故の不安定。引き換えに、不安定であるが故の安定。ナイトとルークが引き合う理由が、示された」
「…私には判りかねます」
「龍一郎は父らの墓守として、自身の最愛である孫を選んだ。最強の肉体を与え、世界の何処に在っても限りなく安全と言える、生きた墓を」

そしてまた、それだけでは不安定である事を知っていた。ならば何か保険を掛けている筈だ。生きる墓、そしてまた、それを守る術を。

「ルーク坊ちゃん、ですか?」
「限りなく策の一つであると推測されるだろう。だが、それだけでは弱い。カイルークこそ頭脳身体共にシリウスの最高傑作だが、太陽の下では完全とは言えぬ」
「…では他に何が」
「山田太陽、あれだけでもまだ、弱い。神崎隼人の存在は知らぬ筈だ。シリウスは孫の存在を明らかにしていない」

沈黙が落ちる。

「そう、言えば…十年前のサンフランシスコを覚えておいででしょうか?大河ファミリーを狙ったロシア組織のテロを」
「一年Aクラス高野健吾が復帰まで一年を要した重傷を負った。そなたの息子は、祭の人間が守ったそうだな」
「何処に囲っていたのか、セカンドからの情報では、出生地本名の一切が証されていない、金髪の死神だとか…」
「ほう」
「その男がFクラスに在籍しています。名は李上香、」
「馬鹿な事を」
「は?」
「アナグラムだ。木、子、上、禾、日。禾は被子植物単子葉類、つまり『天涯孤独』。日は『闇の反対』。木。…人を消せば、十」
「十…十字架、クロス?」
「十字。上に、子」
「まさか」
「龍一郎の手によって、産み出されたとしたなら」

白い建物が見える。
青空に映える、純白の建物が。

「…ロードが、サラに帝王院秀皇の子を宿せと命じた事は判っています」

厳格で融通が利かない親友は、必ず依頼を果たしただろう。まず間違いなく、サラ=フェインの子供に帝王院秀皇の子供が居る筈だ。
帝王院秀皇、あの稀有な血液型の持ち主を前に、研究者として黙っていられる筈がない。
レヴィ=グレアムと同じ、遠野夜人と同じ、あの稀有な血。


「…ネルヴァ」
「は」
「李上香を調べよ。ああ、言っておくが十中八九カイルークと同じ遺伝子ではない。だが、龍一郎がロードを私と勘違いしたとすれば…」
「ああ…そう、言う事ですか」

シートに深く背を預けた男が、長い足を組んだ。



「二人のルークのどちらかは、…ロードの遺伝子から産まれた子供だ。」

それはなんて可哀想な、子供。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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