帝王院高等学校
もーすぐ新入生歓迎式典が始まります!
遠野俊は何気なく空を見上げた。

特に変わった所のない、晴れてはいるが澱んでいる都会の空は霞み掛かっているものだが、此処は違う。
それが例え人工的なものだとしても、この学園は自然で溢れているではないか。

けれど決して晴れそうにないこの心、都会を忘れさせる晴天の下。


ああ、何と不自然なのだろう。





山田太陽は不意に読んでいた冊子から目を離した。
ベンチの足元に咲く蒲公英は幾つか綿毛と化して、白く黄色く揺れている。黄色、と言うには語弊があるか。

国道沿いの道の駅。
家族連れで賑わう販売所を目前に、やや離れた駐車場の片隅、廃れたベンチに腰掛けた彼は排気ガスで煤けた蒲公英から目を離し、空を見た。



「「退屈だ」」

空っぽな心、五月病だと二人は笑った。
同じ時、違う場所で。


下らない事をしている。
何がしたいのかなど、誰にも判らない。
始まりには意味があった筈なのに、今やそれは過去の事。


「はい。お望み通りポストカードを買ってきましたよ、山田太陽君」
「ありがとー。うーん、渋いなー」
「温泉地のポストカードなど全国大差ないでしょう。何が嬉しいんだか」
「確かに、要らないっちゃ要らないよねー」

春には凡そ似つかわしくない、寂しげな横顔を知っているのは、誰?



「おい」

透明有機物。
生きているのに目には見えない、まるで空気の様な。

「何を企んでいるか知らんが、私を巻き込むのはやめろ」

存在していても誰にも気付かれない。
つまり空気の方がずっとマシだ。誰からも必要とされている。動物も植物も、空気がなければ生きていけない。酸化によって身体を蝕まれようが、なければならない。

「だって、楽しい方がイイじゃないか」

彼は、その涼しい美貌を僅かに歪ませた。
言いたい言葉は大体判る。

「相変わらず思ってもない事をほざく奴だ」

舌打ちを噛み殺したその台詞は苦々しい。同情する程度には。

「俺だけ苛々してるなんて、狡いじゃないか。少しくらい八つ当たりしたい気分なんだ」
「…人格崩壊者が」
「有難う。自分が一番、知ってるよ」

知っている。
だから生まれ変わろうとした。
知り合いの居ない学園で。新しい人生を、歩こうと。夢見た事もあったのだ。



友人を作って。
わいわい、賑やかな学園生活。



『約束しようじゃないか』


いつしか忘れてしまえば良いのに、と。





『双塔がキャスリングする前に、詰めるんだ』

つい、最近まで。
思っていたのに、本当は。










スケッチブックを抱き締めた彼は、こちらを見るなり比較的分厚い眼鏡のレンズ越しに眼差しを歪めた。

「っ、天の君」

辺りを幾らか気にしながら、転がる様に駆け寄ってくる。コスプレが好きだと言う彼は、自身レイヤーながらデザイン構想も手掛けるデザイナー志望らしい。
コスプレで身を包めば、そのキャラクターに成り切る事が出来るそうだ。

「ぷにょん。あらん?武蔵野きゅん、ちわにちは」
「お久しぶり、です。ずっと…!話したい事が!」

少しばかりやつれた様に見える彼は、声を潜め、縋りつく様に手を伸ばしてくる。掴まれた肩、微かに震える手は白い。

「の、野上クラス委員長まで!っ、み、溝江と宰庄司が謹慎になって、今度は…!」
「え?」
「二人がずっと、帰って来ないんだ。あ、あの、溝江と宰庄司が、もう何日も。誰も何も言わないから…いや、天の君が大変そうなのは判ってて…っ、クラス中そっちが気になってたから僕…僕、最初は風紀委員の仕事が忙しいからだって思い込んでて、」
「チカたん!」

武蔵野の眼鏡をもぎ取り、スペアのパープル縁眼鏡を素早く掛けさせ、ガマグチレッドから取り出した非常食であるコーラ飴を武蔵野の口に放り込む。
パチパチ瞬いた彼の肩を宥める様に叩き、

「阿呆オタクにも判る世界一判り易い説明をお願いします」
「あ…ご、ごめんなさい…」
「とりあえず、メガネーズW隊長が行方不明で、何故か眼鏡委員長が謹慎になっちゃって、何かしらのデータベースにより、武蔵野きゅんは三人が謹慎中である事を知っちゃった…って感じでしょうか?」

目を丸めた武蔵野がスケッチブックを落とし、恐らく無意識で手を叩く。

「さ、すが、天の君…。やっぱり、貴方は素晴らしい…」
「やだ、照れますなりん。妄想力を発揮した故の推理ですにょ、うふん」
「そ、それで、野上君が謹慎になった事は、たまたま聞いたんです。教職員宿舎の裏手でスケッチしてた時に」
「ホストパーポーは何も言わなかったにょ?」
「ホス…?あっ、東雲先生は最近あんまり会ってないから。勇気を出して烈火の君に聞いたら、絶対に関わるなって言われた…」
「何処でサボってんのかしら、あのダサジャージめ…ちっ。使えない大人なり」

オタクが凄まじく不細工な顔で舌打ちし、ビクッとパープル縁眼鏡が震えた。余りにも派手すぎるパープル縁眼鏡をこっそり自分の眼鏡と取り替えた武蔵野のスケッチブックを、いつの間にか涎ジュルジュルのオタクがガン見しているではないか。
何だこの早業は。

「ハァハァ、こ、これはっ、背中に翼が生えてるこの白衣コスの草案はっ」
「え?あ、それは最近見たアニメの、」
「ナイチンゲール革命!ハァハァ、テラ萌えぇ!!!こないだのフレイムコスも良かったにょ。チカたんがデザイン画描いてくれたんでしょん?千明兄ちゃんから聞いてるなり」

へらん、とオタクスマイルを発揮した俊に、スケッチブックを取り返そうと手を持ち上げた武蔵野の顔が真っ赤に染まる。

「そ、天の君…」
「なァに?気軽に『この豚オタクめがァ』と呼んでも良くってよ」
「えっ?や、そうじゃなくて、あ、余り他の人の前では笑わない方が良いと、」
「しゅ〜ん、く〜〜〜ん!」

もじょもじょ武蔵野が何かを言いかけた時、間延びした声が俊の背中に掛けられた。
右足を半歩下げ、くるっとオターンを決めたオタクが、きゅぴんと黒縁眼鏡…いや、パープル縁眼鏡を押し上げる。いつの間に掛け変えたのか、メタリック感漂う紫の眼鏡はそれなりに奇抜だ。

「いやん、桜餅ィ!僕は此処ょー!」
「しゅ〜ん、君〜!」
「ハァハァハァハァハァハァ」

必死に走って来る安部河桜が見える。見えるが、余りにも遅い。蝶々の羽ばたきに匹敵する。
両腕を広げたオタクが、地味にジリジリ後退しているのは、きっと必死に駆け寄ってくる桜が愛らしかったからだろう。地味に酷い奴だ。武蔵野が俊に呆れながらも、クラスでは殆ど関わった事のない桜を見つめてしまうのは、彼の隣に長身美形を見つけたからだ。

但し、桜とは違い無表情で歩いている。必死に走っている桜は真っ赤な顔で荒い息遣いだ。


「しゅ〜んくーん、はぁはぁ、あれぇ?しゅ〜ん、く〜ん!はぁはぁはぁ、ごほっげほっ、はぁ、きつぃ〜、はぁ」
「桜餅ィ!頑張れェイ、桜餅ィイイイ!パパは此処ょー!」
「ぁはは、パパぁ、はぁ。捕まえたぁ」

パパぁ、で鼻血を盛大に吹き出しやがったオタクが、パタリと倒れ鼻血文字で器用に萌と描いた。
武蔵野が軽く痙き攣っている中、俊の背中にタッチしニコニコしている桜は、何の為に走って来たのか忘れてしまったらしい。あれだけ必死に走って来たのだから、致し方ないだろう。

「猊下、お時間宜しいでしょうか」
「ふぉっふぉっふぉ。うちの桜餅を誑かしおって、このイケメンマフィアが!良かろう、そこのカフェでお茶して下さい」
「もぅお昼だもんねぇ。ぉ腹空ぃちゃったぁ」

しゅばっと土下座したオタクに、ニコニコ頷いた桜と無表情の東條。
武蔵野はこの状況にまるで付いていけない。

「チカたんは何をお食べなさるにょ?大丈夫ょ、お支払いは東條精子病先輩が賄ってくれるって☆」
「えっ?」
「わ〜い。セイちゃん、パフェ食べていぃ?」

全力疾走で疲れたらしい桜は満面の笑みで、オタクの台詞を聞き流す。反応した武蔵野を余所に、当の東條はイケメンスマイルを惜しまず、メニュー表を桜の前に広げた。

「何でも好きなものを頼め、桜。お前はもう少し食べた方が良い。成長期だろう?」

いやいや、武蔵野が見るに、桜も普通一般の量は食べている。少食と言えば山田太陽だ。彼は年寄りが好む様な淡白食を良く口にしている。夕食で蕎麦を食べる様な高校生だ。

確かに一食一食は多くないだろう桜だが、しょっちゅう甘い物を食べているのを見掛ける。
数週間前にも、中庭でバスケット一杯に詰め込まれたドーナツを笑顔で頬張っていたのを、武蔵野は見た。
その隣でバスケット5つ分のマフィンを光の速さで食べたオタクも見たが、余りの光景に目が拒絶反応を示したらしい。記憶が曖昧だ。

「最近、あんまりお腹が空かないにょ。懲罰棟に居た時の記憶も相変わらず曖昧ですし、朝ご飯も喉を通らなくて…すいませェん、クラブサンドとハッシュドポテトと粗挽きウィンナー盛り合わせとポテトサラダ八人前お願いしますー」

え?

「お野菜を沢山食べておけば、何とかなるかしら…ふぅ。あ、コーラゼロも追加でー」
「俊君、ぁんまり根詰めたら駄目だょ?はっくんも錦織君も、言わなぃけど、ずっと不眠不休で心配してたんだから…」
「ありがと。皆さんにご迷惑お掛けして、本当に申し訳ありませんにょ」

ぺこりと頭を下げたオタクに、心配げな桜が首を振った。武蔵野は最早空気だ。
無表情でジンライムと呟いた北欧系イケメンには、誰も突っ込まない。

「で、桜餅は何であんなに急いでたにょ?」
「あっ。そ、そぅだった。大変なんだょ、俊君の親衛隊の人!溝江君と宰庄司君、最近見なぃなぁって思ってたらぁ、」
「謹慎中、でしょ?」
「知ってたのぉ?」
「さっきチカたんから聞いたにょ」
「チカ…?あ、武蔵野君から?」

チラリと桜の目が武蔵野を見やり、すぐに逸らされる。今でこそ口にする者は居ないが、以前、宰庄司の分家に当たる生徒が傷害事件を起こし、退学になった事があった。
宰庄司自体は没落貴族と自称しているが、華族の名こそ廃れたものの、今でも広く知られた家柄だ。その分家の息子が起こした事件の被害者は、

「宰庄司君はともかく、溝江君は錦織君に続いて四位だしぃ、何で謹慎なんかなったんだろぅ…」
「いんちょも謹慎だって」
「野上君?彼もなのぉ?ぅーん、彼は昇校生だから、有り得るかもだけど…」
「ふぇ?どゆコト?」
「野上君は、林原君と入れ替えに佐賀だか大分だか…九州の分校から昇校したんだょ。えっと、一昨年かなぁ」
「むむ?どゆコト?」
「…宰庄司の分家、血こそ薄いけど、林原は降格した腹癒せで傷害…ううん、暴行未遂を起こしたんだ」

眉をきゅっと寄せた桜が、真っ直ぐ武蔵野を見る。

「被害者は、山田太陽君。…降格前、林原は山田君と同室だったんだ」
「そうだって知っててぇ、何で武蔵野君は宰庄司君なんかと…っ」
「ねね、桜餅。ちっとも判んないにょ。どゆコト?」

声を荒げ掛けた桜に、きょとんと首を傾げた俊はコーラを啜る。沈黙を守っていた東條が仕方ないとばかりに苦笑し、桜の頭を撫でた。

「時の君を手に掛けたのは林原だ。そこの彼に何の責任がある?…ましてや、親戚筋と言うだけの、宰庄司にも、だ」
「………ぁ。で、でも、セイちゃん…」
「この件に関して、発言権があるのは時の君だ。お前に非難する資格があるのか?」
「…ごめん、なさぃ、武蔵野君」
「え?あ、や、気にしないで?安部河君の気持ちは、僕にも判るから…」
「あにょ」

ポテトサラダをスプーンとは言えないサイズの、最早しゃもじで頬張っていたオタクが眼鏡を押し上げ、

「謹慎の理由も気になるけど、謹慎ってくらいでそんな慌てる必要ないんじゃないかしらん?皆が何でそんなに慌ててるのか、僕ってばちっとも判んないにょ。…どゆコト?」

瞬いたオタク以外の三人が互いの顔を見合わせ、同時に頷いた。もしゃもしゃ食事を勤しむオタクだけが首を傾げたままだ。

「溝江も宰庄司も、多分、野上君も」
「…懲罰棟に監禁されてるんだってぇ。然も、中央委員会の指示なんだぁ」

ああ。
それはかなり、一大事だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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