帝王院高等学校
最後の晩餐には是非ともコンソメを!
表情を真っ青に染めた男が叫び出すより早くその口を塞ぎ、引き摺る様に元来た道を静かに戻る。恐らく少々の事では気付かなかったとは思われたが、念の為ドアも無音で開閉し、不思議げに首を傾げる雇用主を見やった。

「冬臣、離してやれ」
「おや?…ああ、すみません遠野院長」

どうやら口と鼻を押さえていた様だ。ぐったりしている男から手を離し、畳の上に転がす。

「ぐ!」
「…ごほん」
「おや?力の配分を間違えましたかねぇ」

咎める様な咳払いをした主に愛想笑い、男相手に優しいエスコートなど所詮自分には無理なのだと開き直った。危害を加えるつもりはない、のだが。

「時の君には追い付けなんだか」
「いや…いえ、まぁ、そんな所です。若者の瞬発力と行動力には敵いません、ええ。著しく想定外、然し一縷の動揺こそ人生のスパイスでしょうか、ええ」
「何?」
「いえ。宮様、私は文仁に連絡を入れてきます。流石にそろそろ話しておかないと、拗ねるので」
「良かろう。明朝、理事会を招集する」

明日は開幕挨拶で全ての理事会役員が集まる。突発的過ぎる役員会だが、久しく姿を現さなかった学園長の登場となれば、面白い事が起きるに違いない。
内心の期待を穏やかな笑みで覆い、10円玉を数枚取り出した。傍受の恐れがある携帯電話など、彼は持っていない。

「院長、会長はまだ本調子ではないご様子ですので、宜しくお願い致します」
「…は…?あ、ああ…何処かに行くのか?」
「すぐに戻ります。そんな寂しそうな顔をしないで、っと。食べ物を投げないで欲しいねぇ」

声も出ないほど怒り狂う医師からオレンジを投げ付けられた男はやはり微笑んだまま、窓の外に消えた。


残ったのは悔しげに舌打ちしながらオレンジを拾う背中と、それを眺めていた男の溜め息ばかり。














哀れだ。
この世の全ては、憐憫で折り重ねられているのではないかと錯覚するほど、誰もが憐れに思えた。

自虐的な感情が間欠泉の如く沸き起こる自らさえも、例外なく。


「血縁の有無はとにかく、日本国籍に於いて帝王院秀皇の嫡男である私の、彼は義理の弟に当たる。本人には告げたが理解はしていないだろう。『弟と呼べる人間は二人居る』と。初めから、私は警告した」

一人は、神威。神をも恐れない者たれ・と。
一人は、命威。厳かで犯し難い命たれ・と。
二人の子供は同じ日に産まれ、同じ牡羊座でありながら、ルークとして選ばれたのは片方だけ。選ばれたのは、望まれなかった『失敗作』だった。

それも、サラ=フェインは金髪蒼眼の子供を残し、先に産まれた失敗作は棄てろと願った。
それを許さなかった皇子は、キングの髪と眼を継いだ次男ではなく長男に銘を与えたのだ。殺されず済む様に。無慈悲な事を願ったサラも、キング瓜二つの次男を流石に棄てはしないだろう、と。

「キングの叱責を恐れたサラ=フェインは追い詰められ、私の代わりに弟の抹殺を図った。キングの命は『帝王院の子を産め』だったにも関わらず、宿したのは失敗作とキング瓜二つの子。母としての愛は次男へ、然し命令に従う女として生き残るには、『先天性色素欠乏に犯された子供』を選ぶより他ない」

日本人の黒髪は優性遺伝だ。そもそも金髪でもなければ蒼眼でもないサラと秀皇の間に、次男は産まれる筈がなかった。キングには隔世遺伝などと言う苦し紛れのいいわけなど、通用しない。

「貴方は私を哀れみ、そして俄にも期待した。崇拝する神が変わるのではないかと、愚かにも」
「…お前は、何を知っているんだ?」
「何を知ろうが何を知らぬとも、微々たる差異だ。何ら相違ない、些末事」

それならば、産まれ持った病で髪と眼の色が人と違う長男にこそ、真価がある。彼女はそう思い込む事で、罪悪感と喪失感に耐えていたのだろう。

「貴方と、もう一人の父、…今や山田大空と名乗るあの方が消え、キングの関心を失ったサラ=フェインは間もなく狂った。私が最後に会ったのは、自刃する数日前」

お前さえ産まれてこなければ。
あの子が生きていてくれれば、傍に居てさえくれれば、耐えられたのに。

血走った目と縺れた髪を隠しもせず、彼女はそう血を吐く声で繰り返し叫んだ。失敗作の首を絞め、時には殴り、時にはひたすら笑い転げ、何度も警備員に抑え込まれる。
そして、意識を失う間際にぽつりと、まるで譫言の様に一言だけ。


『ごめん、ね』

それだけで、良いと思えた。
地獄の中、狂った母に暴力や罵声を浴びせられようとも、あの頃は、他に頼れるものなど何一つ無かったから。異国の地下で、人工的に産み出された空に覆われたきらびやかな世界で、母親以外、居なかったから。

けれど彼女は4月3日、息子の三歳の誕生日と同時にこの世を去った。
噛み切った指で刻まれたものだろう。茶に変色した血で書かれた床の遺書には、メイ、と。お誕生日おめでとう、メイちゃん、と。狂った様に部屋の床一面に刻まれていた。

「私には家族など産み落ちた瞬間から居ない。けれど貴方もキングも、…穢れを知らぬ義弟さえ、それを口にする。貴方も神も私を息子と言い、貴方は今、私にキングを殺せと言った」

神は誰にも告げず赤い塔の、裏庭にひそりと佇む石碑に幾度となく膝を着き、黙祷している。祈る様に。詫びる様に。
夜の騎士、と刻まれた小さな石碑に向かい、

「キングは『秀隆』の墓石へ向かい、『義弟の幸福』を願う。…私にはどちらが正しいのか、答えは出ない」

16年、経ったのだ。
日本へ戻ってからはもう三年。
隠居した神への憎悪は、爵位を継承した時点で叶ったも同然。ノヴァが何処で野垂れ死のうが、興味はない。

二葉の策略に乗せられた振りをして、退屈凌ぎに久方振りの学校へ通う事になった。それを知った大陸中の女から乞われ、飽きたセックスでの別れと粗方の職務を向こう三年分片付け、漸く訪れた日本。
神は一介の小財閥の有する学園の理事長として、隠居生活を送っている。老いこそ惨めな死だ、と。思ったのはそれだけ。数年前まで神たった男はただの人間と化し、今や神の地位は自分に在る。


島国は退屈だ。
退屈凌ぎの中央委員会職務も、ABSOLUTELY総帥としての役割も、すぐに色褪せる。たった一年でまた、つまらない日々に逆戻りした。

いつか猫の様に擦り寄ってきた従弟は、今や飼い犬の様に他人に従っているらしい。退屈だと言えば、そうですねぇと同意する二葉は、飽きもせず一人の日本人を見守っている。

その内、理事長の行動に気付いた。
ロードの存在を知るまでに時間は懸からなかった。そして、その年の夏、降り頻るゲリラ豪雨の中で。二度と見る筈の無かった『それ』を、見付けたのだ。まるで、運命の様に。

「私には何が正しいのか、判らない」

今はもう、その名を呼ぶ事さえ過ちではないかと思える。

欲しいと独占欲を出すと同時に、逃がせと庇護欲が狂い叫ぶ。どちらも同じ人の欲望だ。望み願い叶わぬと知って最後には祈る、身勝手な人間の共通点。


手放そうとしている。まるで他人事の様だ。
何故ならば手放した筈の体温を先程まで呆れ果てるほど貪った。後悔はない。然し腸が燃えている。気高い生き物の腸を抉り吐き出して今、怒りとも殺意とも憎悪とも名のつかない感情が、ぐるぐると。
廻る様に唸る様にただ、祈る様に。



「神威」

哀れむ様に呟いた男の手が、檻の向こうから伸ばされた。そう、この男から与えられた名はこの男ともう一人の父親にのみ呼ぶ事を許し、18年。生きてきたのだ。
そして18度目の誕生日を迎え、その翌日に従弟の誕生日を祝ってやった。一万本の真紅の薔薇は、送り先に届いた瞬間、返品されたそうだ。


今年最初に見たのは、一通の封筒。
いつか夏の日に打ち付ける雨の中、濡れそぼり尚、気高い眼で見据えてきた生き物は煙の様に消えた。捜そうが見つからず、忘れようとも興味は消えぬまま、春を迎えて。

「恐れながら、ナイト=ノア」

舞い散る桜吹雪を浴びながら、見上げてきた眼鏡の隙間から覗く漆黒の眼差しは斯くも気高く。高々口付け一つで騒ぎ、殴られ、蹴られた事もある。

「偽りのノアたる私に、貴方の慈悲を乞う資格はない」

何たる傲慢な人間だ。
自分と言う、脆弱な雄の中身はつまらない自尊心だったのだ。ああも儚くも気高く、脆くも潔い人間が酷く羨ましく、憧憬に近い憎しみを抱いたから。手を伸ばし、呑み込まれた。

「ロードはナイトと共に滅び、ルークはナイトの宝石を汚しました。…親子二代に渡り、貴方を裏切った」

呆然と。
夢から覚めたかの様な表情で見つめてくる男をただ、見ていた。何の感慨もない。

「形を変えた我が遺伝子は最早人のものに在らず、人たる半身の遺伝子には貴方の細胞が含まれていた。…貴方も、調べられただろう」
「…」
「然し同時に、幼少期の我が細胞からは確かに、キングの細胞が確認された。それが何を指し示すかまでは知らずとも、メイルークと遠野俊の血縁関係を証明するには不足しない」
「そ、んな…馬鹿な事が…」
「多重遺伝子配列。自然界ではまず以て稀な現象とは言え、我らが双生児である事を鑑み、…メイルークがO型である事を鑑み。…私の血液型が、貴方と同一のAB型である事を推考した結果、弾き出した答えをお教えせねばならないだろうか」

再会の喜びも悲しみも懐古の念も、その何一つが。
いつしか自分の中から消え果て、淘汰の果てに残ったのはただ、


「ナイト=ノア=グレアム。いや、改めて呼ばせて頂こう。答えは、お判りならないか」
「っ」
「…父上。」

ユダには、キリストの名を呼ぶ事さえ、罪だと。

←いやん(*)(#)ばかん→
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