帝王院高等学校
月末は色々と立て込むものです
「先生、俊江先生〜」
「ハイヨー。俺は此処に居ますよ〜」

ナースの呼び声に、喫煙所でコーヒーを啜っていた人は大きく手を挙げた。

「夜勤お疲れ様です!これ最近流行ってるお店のなんですけど、良かったら召し上がって下さい」
「おォ、センキュー」

ふわふわ柔らかい巻き髪をザックリ切り落とした彼女は、Sサイズの白衣でもまだ大きいらしく、少年がコスプレをしている様にしか見えない。言葉遣いは悪いが面倒見の良い性格は患者からも親しまれている。
隣で煙草を揉み消したばかりの男性医師が苦笑い一つ、

「女の子が俺だなんて言わないよ、遠野女医」
「戦後百年。今頃男尊女卑なんざ流行らねェぜ、内科部長」
「差別視したんじゃなく。社会人たる最低限の対応を、」
「無駄無駄。あんの頑固親父でさえ諦めさせたんだィ、馬の耳に念仏、俺に説教だょ」

ナースの差し入れである大福に齧り付いた人は、呆れ果てた内科部長に満面の笑みを寄越した。

「前院長が居られたら、惨劇でしょうな」

黙ってりゃ可愛いのに、と。今度は口に出さなかった医師は、白衣に引っ掛けていた聴診器を纏う。

「バイタル共に正常、脳波も異常無しだそうだね」
「おうよ、脳外科部長の御墨付きさァ」
「記憶退行の切欠が判れば良いんだが。…大抵、分裂症の原因は精神的なものによる所が大きい」
「はっ。分裂症ってか」
「リセットしていると聞いたよ。具体的に、君の意見を聞きたい。心療内科も学んだろう?」
「あァ、どうも寝たら起きてる間の記憶が消えちまってやがる。寝る前に日記書いてるみてェだなァ、俺ァ」

コーヒーで大福を飲み込んだ人は、ぱかりと携帯を開いた。ずっと持っていたが開く事のなかった、自分のものだ。

「昨日は何か思い出した、多分。昨日の日記に、携帯っつー走り書きがあった」
「で、見つかった?」
「いんや。最後の送信メールなんか、卵の絵文字だけのメールだぜ?受信メールは自動削除設定になってやがる。メモリは暗証番号でロック掛かってて、お手上げだ」

たった四桁の数字が障害物。
そう呟けば、腕を組んだ内科部長は暫し何かを考え込んだ。

「結婚記念日、なら。市役所に行って戸籍謄本を見れば判る」
「住民票が挟まってたぜ、三日前の日記によ」
「なら」
「俺ァ、独身だった」
「そんな馬鹿な!」

声を荒げた部長に瞬いた。
記憶より老けた印象は否めないが、勤続年数の長いこの医師は、インターン時代から交流がある数少ない人間だ。

「息子が居る!…あ、いや」
「イイ、こうなったら無理にでも思い出させろ。俺ァ壊れたりしねェからょ」
「…はぁ。精神科の部長から怒られるのは私なんだがね」
「全部録音させて貰うぜ」

肩を竦めた医師へ大福を差し出し、ひたすら四桁の数字を考えている。













酷い有様だと、頭の中だけで呆れながら呟いた。これでは地獄絵図だ。

「か、閣下、ご足労願い申し訳ありません」
「良い、悪かったな」

ぼんやりしていた頭で憔悴している風紀役員を労い、眉間を揉んだ。この部屋の惨状を目の当たりにするまでの記憶が曖昧だ。

「何か、忘れてる様な気がすんだが…」

呟きながら部屋へ踏み込めば、すぐに奥隅、真っ暗な寝室のベッド上で丸まっているそれを見付け、苦笑い一つ。

「起きてんのか?」

呟きながら返事を待たずに近付けば、もぞりと動いた塊は益々小さく身を丸めた。恐らく理性が働いたのだろう、ばつが悪いに違いない。

「おい」
「…」
「んだ、また泣いてんのかテメェは」

鼻を啜る微かな音を揶揄えど、それが返事をする気配はなかった。面倒見の良さが覆ってはいるが、元来プライド高い生き物だ。
このまま根気強く粘り合いの勝負に持ち込むつもりならそれも良いが、今はそんな時間はない。

「明日」

言いながら、布団を被った団子、佑壱に凭れ掛かる。判り易くビクリと震えたが、それには気付かない振りをした。

「新歓の前夜祭がある。…いや、もうそろそろ今日になるか」

腕時計を一瞥し、全身から力を抜く。無駄に広いベッドは足を伸ばしてもまだ余裕があった。
背中は塊に委ねたまま。今なら簡単に暗殺されそうだと、自らのだらしない格好を音もなく笑う。

「二日間は、そうやってメソメソ泣いてりゃ良い。最終日にゃ、役員総出で後夜祭参加が必須だ。…今まで築いてきた西園寺との友好を、俺様らの代で切る訳にゃいかねぇ」
「…やだ」

やっと喋ったかと上体を起こしたが、団子はまだ団子のままだった。いつまで潜り込むつもりだと、台風一過状態の荒れた室内を横目に肩を竦める。

「聞こえねぇな」

待機させていた風紀の猛者を一掃した挙げ句、ここまで部屋を荒らしたのだ。恥ずかしいやら情けないやら、佑壱なりの事情があるのだろう。

知った事か。

「………やだ」
「我儘野郎、テメェの役職忘れてんじゃねぇのか。去年も一昨年も直前までガタガタ抜かしやがったな。いい加減、そのあがり症治せや」
「っ、違ぇ!」

ガバッと布団を弾き飛ばした赤毛が、ボサボサのまま飛び出してくる。
髪には女以上に気を遣っていた印象があるだけに、これは些か驚いた。まぁ、顔に出す様な失態をしないのが二葉に慣らされた高坂日向の強みだろう。

「左席じゃ出れねぇだろ!お、俺はもう、総長に嫌われたんだ…!」
「毎回毎回テメェは昔からそれだな」
「んだと?!」
「シュンと何かあるたんびに、やれ嫌われただのやれ死ぬしかないだのグダグダと」
「お、お前だって…!総長に嫌われたら生きていけないとか、いっつもいっつも猫被ってやがったじゃねぇか!」

確かに、今はともかく、昔の俊…カオスシーザーなる男は、己を慕う全ての人間に等しく優しかった。面倒見が良いと言うよりは、自分のスペックが他と遥かに違う事を知らぬまま生きていた反動、だろう。
彼は明らかに他人との触れ合いに餓えていた。だからこそ、あからさまな日向の猫被りも見ない振りをしたのだ。

「総長よりデカくなるまで会うの我慢したり!いつの間にかアホほど鍛えてやがったり…!何なんだよ畜生、俺の事見下しやがって!」
「別に見下しちゃいねぇよ」
「嘘だ!馬鹿にしてんだろ!」
「帝君を馬鹿にする訳ゃねぇだろうが」
「総合点はいつもテメーのが高ぇじゃねぇかぁ」

うるり。
潤んだ赤い目に気付いて、溜息混じりに立ち上がる。壊滅状態の部屋のクローゼットからタオルを取り出し、転がる椅子を蹴り飛ばしてから洗面台でタオルを濡らした。

「俺だって、俺だって頑張ってんのに…!さ…数学も物理も、頑張ってるのにっ」
「算数言い掛けたろ」
「どんなに頑張っても90点以上取れないからぁ、馬鹿にしてんだろぉ」
「文系は満点じゃねぇか。凄ぇって、自信持て」
「…凄い?」
「おー、凄ぇ凄ぇ。平均98点の俺様より凄ぇんじゃねぇか?」

佑壱が苦手なのは数字全般で、化学は悪くない。但し、他の教科でも数字が絡む問題でいつも躓いている様だ。
九州に九県あると宣う地理天然の二葉もまた、現代では使う事のない古文に価値はないと言いながら、理系特有の強固なプライドで克服しているに過ぎない。

「そうか、凄いのか…」
「………単純」
「あ?」
「何でもねぇ」

下手に目立ち過ぎるのが嫌で勉強にはそれほど情熱を注がない日向は、本領発揮すれば帝君も有り得ただろう。
但し、神威が居なければ、の話だ。規格外過ぎて挑む気にもならない。

「…でも、総長は全教科満点で」
「入試問題2000点だったらしいな。調べてみたら、数学は大学院レベルの数式使って、他の教科は全部違う言語で欄埋めてた」
「格好いい…」
「外部入学特例で理事会が採点したから、だ。内部考査じゃ通用しねぇ。0点だな」
「出された問題にただ答えただけで入れるほど易しかねぇだろ、此処は」

どうあっても俊に夢を見ているらしい佑壱は、涙こそ耐えているものの、睨んでもいつもの威圧感がない。

「ケースバイケースだっつってんだ。貶した訳じゃねぇ」
「総長が好きな癖に」
「あ?」
「好きな癖に!」

ボサボサ頭に濡らしたタオルを投げつけ、舌打ち一つ。

「嫉妬してんのか」
「んな訳ねぇだろ!」
「はっ。んな力一杯否定せんでも判ってるっつーの」
「…何で、会いに来なかったんだ?」

じっと、赤い眼差しが見つめてきた。外せば良いのになどと、僅かばかりの苛立ちを噛み殺す。
ガラス一枚隔てた偽りの赤、下にはサファイア。海より艶やかな蒼。

「とっくに、総長よりデカくなってただろ。正月明けにゃもう、俺とあんま変わらなかったじゃねぇか」
「完璧主義なんだよ俺様は」
「はぁ?…意味判んねー」
「…取引だ。条件に満たなきゃ、進まない」
「何が?」
「さぁな」

目が痛んだのか、手でゴシゴシ目元を拭う佑壱を一瞥し、転がっていた目薬を拾う。佑壱の私物だろう、赤い目薬だ。

「外しとけよ」
「んぁ?」
「コンタクト」
「…やだ」
「おい」
「総長の所に戻れないからって、グレアムには戻るつもりはねぇ。…自分から、出て来たんだ」
「無理だな」

タオルを握り締める佑壱の腕を掴み、抵抗する隙を許さず押し倒す。
ぽふり、と。佑壱が被っていたブランケットの上に、広がるのは長い赤。

「お前は、中央委員会書記だ。左席を名乗ろうが離れようが、何一つ変わっちゃいない」
「何、」
「…後夜祭の挨拶は、中央書記として出ろ。一斉考査後に、役員選挙がある」

瞬いた佑壱の顔から、血の気が引いていく。

「ルーク、か」
「…」
「ルークが、言ったのか?」
「初めから、お前は会長候補だったろ。何一つ変わっちゃいない」
「っ、巫山戯けんなよ!ちゅ、中央委員会の会長?!俺が、カルマの俺が?!笑わせんじゃねぇ!んな事になったら本気で、」
「アイツは向こうに帰るつもりだ」

いきり立つ佑壱の全身から、力が抜ける。

「もう日本に興味がないそうだ」
「…そんな、馬鹿な」
「二葉も居なくなる。…テメェらの下らん企みのお陰で、今生の別れ気分だろうな」

もう、戻って来ないだろう。
帰国すれば速やかに神威の挙式が行われ、尚一層慌ただしい日々が待っている。
右腕として遺憾なく手腕を発揮する二葉と共に、グレアムはまた飛躍するのだ。

「今までの我儘を許されてきたんだ。最後くらい、手伝ってやれ」
「総長、は」
「知らねぇな」
「違う!…っ、総長はずっと、アイツからの連絡を待ってる!」
「グレアムでも神帝でもない、偽物の、だろ」
「どう違うんだ!騙したまんま逃げ出すなんざ、俺は許さねぇ!あの人は誰よりも優しくて、綺麗な心を持っててっ、」
「はっ」

綺麗。
綺麗と言う言葉には、様々な解釈がある。

「テメェ、何処までめでたいんだよ」
「…何だと」
「シュンに嫌われたんだろ。メソメソ隠れ泣きして、今度は大好きなルーク義兄様の悪口か。…下らんねぇ」
「…っ」
「お前には確固たる意思がない。あっちブラブラこっちブラブラ、馬鹿だろ」
「煩い!」

体当たりしてきた佑壱に押され、背中が布団に埋まった。立場逆転かと瞬きながら、牙を剥く顔を暫し眺める。

「…中央委員会なんざ、滅茶苦茶にしてやる」
「逆切れかよ」
「身勝手な野郎が俺に押し付けたんだ。我儘野郎に興味ねぇんなら、こんな日本の小さな学校がどうなろうが関係ないんだろ」
「だろうな」
「総長がアイツのメール待ってるとか、アイツから貰ったドッグタグ大切にしてるとか…何も知らないまんま、消えちまえば良い」
「ふん」
「一度興味を持ったもんから、あの人は絶対に手を引かない。…でも、傷付くんだろうな。俺らが隠してきた全部、知ったらよ」
「嘘と隠すのは違ぇよ」
「カルマの名の意味を知ったら、裏切りだって言われても仕方ねぇ。嫌われても見損なわれても、…裏切り者だって見下されるよりマシだ」
「何だ、結局テメェこそシュンに惚れてんじゃねぇか」

手を伸ばした。
目を見開いた佑壱の後頭部へ手を回し、鼻で笑う。


「…つくづく、あの人が言った通りになりやがった」

呟きは、赤く柔らかなそれの前で、ひそりと。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!