帝王院高等学校
過去は振り返らない主義にょ

「ふむ、…爽やかな青春時代だ」

デシタルビデオカメラを片手に覗き込みながら、燕尾服を脱いだ男は優雅な笑みを浮かべた。

「マイエンジェルが他人に興味を示すとは…。パパは些かジェラシーだが、それにしてもあの地味な出で立ちは何だ?いや、パパは一目で見抜いたけれども…コスプレか?

  それにしては随分地味だな…」

ロープタイを緩め、桃色の花を纏う幹の上から飛び降りた彼は忽ち現れた黒服姿の男達へ冷えた眼差しを注ぐ。
サングラスでは余りに無意味だったらしいと、彼は心中だけで自嘲した。


「ふむ、急な来客だ。粗茶すら用意出来ないぞ」
「秀皇様でございますね」
「帝都様の命により、邸宅へお戻り頂きます」
「ご無礼、お許し願いたい」

左手に構えたビデオカメラを高く放り上げ、向かってきた男達へ右足を振り上げる。



「誰に挑んでいるか、…今一度考え改めるが良い」


宙に舞った鉄の塊が、再び彼の手に戻る頃。黒服姿の男達は誰一人立ってはいなかった。


「帝都義兄様へ言伝を頼めるか、勇敢な狗達よ…」
「秀皇、さま」
「ぐ…。貴方はっ、帝王院の当主たるお方です!」
「何故、我らを見捨てられたのですか…!」
「さァ、庶民である私には意味が判らないな」

スラックスの内側から、軽快なメロディーが響き始めた。



「…私には最早過去など存在していない」

外されたサングラスの下から明らかな微笑を浮かべた眼差しが顕になり、



「帝都義兄様へ、伝え忘れたお別れを伝えてくれ」





世界を光で満たすのだ。
(キラキラと)





「…俺は、帝王院の狗じゃないと。」
















テラスに並んだ白い木製デッキの一角、パラソルの下のウッドチェアーに腰掛けたオタクは弾んだ風体でメニュー表を握り締めていた。
真向いにはデコ丸出しの太陽、右側にはボサボサ黒髪と黒縁5号によって顔の六割を隠した神威の姿がある。


「えっと、えっと、カムサハムニダってな〜に?」
「俊、多分それ韓国の有難うじゃなくてカンパリソーダだと思う。…カクテルだからやめといた方が良いよー、留学生用のメニューだし」
「えっと、えっと、じゃあ、あにょ、スクリュードラえもんってな〜に?ぐるぐるドラちゃん?」
「スクリュードライバーもお酒…」

留学生や海外の血を引く子息が多い帝王院には、テラスやカフェにアルコールも置かれている。

「おしゃけ…」
「噛んだ。あはは、俊、今噛んだー」
「ふぇ」
「泣かなくて良いってば、可愛かっただけだってー。デカイ図体で噛んだー、あははー」
「ハァハァ」

国によって飲酒規制が異なる為、敷地内では日本から拘束されない治外法権が認められているのだ。然しそれが帝王院の権力によるものだと言うのは誰の目にも明らかであり、飲酒禁煙等を理事会や教師が取り締まらない代わりに中央委員会が動く。

自己責任の枠を超えれば、どんな些細な事でも処罰対象だ。歴代風紀委員を抑え『魔王』と名高い叶二葉によって壮絶な粛正を与えられ、更正しようが泣いて詫びようが彼の判断一つで退学となる。


「はふん。携帯さんねんねしてるにょ。…タイヨーのお写真撮れないにょ、ふぇ」
「はぁ、冷静になればなっただけ意気消沈だー」
「ふぇ?」

携帯を握り締め肩を落とす俊の前で、テーブルにカクリと崩れた太陽が切ない溜め息を零す。

「あー…、そう言えば俊、俺の所為で何かごめん、多分俊も藤倉達に睨まれる」
「藤倉ってだ〜れ?」
「藤倉裕也と高野健吾、…カルマって言う不良さん達だよー」

無言の神威を横目に間延びした声を出す太陽が、沈痛げな目で見つめてきた。
そこで思い出すのだ。青冷めた表情で倒れたオレンジを。

「…」
「俊?」

太陽の網膜が、長い指を映す。
眼鏡と殆ど形の変わらない口元だけでは読み切れない俊の横顔を撫で、その手から光を失った小さな機械を奪う長い指。

「炭酸水で良いのだろう?」
「えっと、あにょ、コーラとカルピスを一緒に飲んだら美味しいにょ」
「穀物は」
「お米が好きにょ。ご飯食べたいにょ」
「充電させておく。構わんか」
「うん」

頷いた俊を認め片手を上げ従業員を呼んだ男が、恐らくイタリア語だと思われる言語で何かを告げた。フランス語ドイツ語が主流である帝王院では中等部から英語を含めた三ヶ国語を必修とさせられるが、イタリア語は選択科目だ。


特別進学クラス、Sクラスのみが高等部から学ぶ事が出来る。



「カイ君って、もしかしなくても先輩、ですか?」
「サワークリームとビネガーソースを依頼した。魚貝類、オマール貝ならば食い応えがあろう」

太陽の言葉にはまるで反応を見せない男は、早めのブランチに集まってきた生徒を一瞥したらしい。

「…ノイズが増えたな」
「カイちゃん」
「どうした?」
「後でメアド交換してイイですか?えっと、えっと、赤外線通信出来る?ピピってするにょ、黒い所でピピピ!」

しゅばっと立ち上がった俊が驚いて起き上がる太陽の前までつつつと忍び寄り、もじもじ手遊びを始める。

「あにょ、あにょ、タイヨータイヨータイヨー」
「何?」
「あにょ、赤外線通信、知ってる?」
「まぁ、知ってるけど」
「あにょ、タダ友になるとワンちゃんがお父さんになるなり」
「CMかい。つか、俊」
「は、はいっ」

ガタリと立ち上がった太陽は頭半分以上高い位置にある俊を見上げ、へらりと笑った。


「後で、メアド教えて。あ、携帯番号も」
「ふぇ」
「あと、ゲームクリアしたから。ベストエンディング、見せてあげる」



だばっと。
ダバダーダバダー、と。
黒縁4号の下からナイアガラの滝が現われた。それはもうダバダーな勢いで。



「し、俊?」
「ふぇ、うぇ、け、携帯に、ずずずっ、タイヨーのメアドと電話番号と写メと着うたが増えましたァ、お母さーーーん!!!」
「着うた?!」

ブランチに集まってきた生徒達がびくっと震え上がり、トレイを運んでいたウェイターが足を滑らせ危うく大惨事だ。

「タイヨータイヨータイヨータイヨータイヨー♪宇宙戦艦たーいーよー♪」
「ヒロアキ、だからねー」
「えへへ、タイヨー大好きー」

はた、と頬杖を付いていた太陽が刹那硬直し、ずるりと滑り落ちる。
ごちん、と広いデコがテーブルを打ち付け、びくりと震え上がったオタクがつるっと足を滑らせた。

「落ち着け」

今正に地面とキスし掛けた俊がふわりと空を飛び、翼が生えた様な優雅さでチェアーに埋まる。
背後からぎゅっと抱き締められれば、耳元に擦り寄る鼻先の気配が判った。

「ノイズが邪魔をして、お前の声を探すのも困難だ」
「ふぇ」
「俺の傍から離れるな。…今は、まだ」

デコを擦りながら起き上がった太陽が頬を染め、何が何だか全く判らない微妙な雰囲気に小さく縮こまる。

「ちょ、ちょいと俊、どうなってるのかなー?入学初日でもう彼氏なんて、早過ぎやしませんかー?」
「え、え?カイちゃん、タイヨーの彼氏になったにょ?いつ告白したんですかっ?!僕お写真撮ってないにょ!酷いにょ、断固告白のやり直し請求!」
「うん、人の話を聞きなさい。カイ君に無視されてるみたいだから、俊だけが頼りなんだけど」
「無視?」

きょとりと首を傾げた俊に、然し太陽は平然としたものだ。
元来競争生活を強いられるSクラスではこの程度日常茶飯事であり、特に一般クラスから昇格した新参者となると、一日でも早く上位へ食い込む為に死に物狂いで勉強する。クラスメート全てが敵であり、帝君だけが目指す希望なのだ。


「カイちゃん、何でタイヨー無視するにょ?」
「どうした」
「カイちゃん、タイヨー無視しちゃめーにょ。タイヨー無視するなら、僕もカイちゃん無視するにょ。五回に一回くらいメールのお返事しないにょ」

ぷくぷく頬を膨らまし言う俊に首を傾げた男が、そのまま太陽へ向き直った。
何処か申し訳無さそうな風体で小さく首を傾げ、


「済まない。何か用だったか?」
「えっと、」
「人間の発てる音に、聴力が機能を衰えさせている様だ。貴殿の発する音は、酷く聞き取り辛い」

傾げ過ぎた首がぽきっと音を発て、大袈裟に痛がる俊の振り上げた腕が神威の無駄に高い鼻先を掠めた。



黒縁眼鏡が浮遊する。
テラスへ吹き込む桜吹雪が酷く穏やかに、優雅に。顔半分を覆い隠していた黒髪を舞い上がらせ、見る者の心に根付くのだ。





宵闇に漂うゴールドムーン。
母なる太陽の子は父なる宇宙に抱かれ
星も人も闇に融ける
十六夜は神々しい光を閉じ込め、嗤うのだろうか。





「カイ」

長い指が掴んだ眼鏡は、然し元の場所に戻らなかった。

「出来るだけ日陰に寄った方がイイ。…角膜を焼くからな」

意志の強いオニキスの瞳が、太陽と神威の網膜を支配する。
絶対なる太陽神さえ適わない
白は容易く染め上げられる




「タイヨー、席代わってくれないか」
「え、あ、良いけど」
「カイ、向こう側に座れ。日陰になってるから」

俊が纏っていた黒縁眼鏡を掛けられた神威が、然し惚けた様に俊を凝視したまま微動だにしない。
長い指は眼鏡を掴んだまま、怪訝げな太陽に気付いていないらしい。

「カイ君って、もしかしなくても病弱系?」
「皮膚が弱いんだ。…俺が無理矢理外に連れ出したから、責任は俺にある」
「そんな深刻な顔しなくても、帝王院の保険医は大学病院の院長レベルだから平気だって。しっかし、勿体ないなー…」
「タイヨー?」



ぐるぐるぐるぐる疑問の渦が螺旋を描く。
(この瞳を知っているのに)
(然しこの瞳は神帝を知らない)
(この瞳を知っているのに)
(然しこの瞳は藤倉裕也を知らない)
(この瞳を知っているのに)
(然しこの瞳は高野健吾を跪かせた)



「折角格好良いのに、そんな格好しなきゃいけないんだろー?まぁ、帝王院でモテても嬉しくないだろうけどさ」
「きゃー!タイヨータイヨータイヨー、カイちゃんに一目惚れ?!ハァハァ、タイヨーがうっかりカイちゃんを押し倒し、」
「ません。眼鏡掛けて俺の隣にお座りなさい、お行儀悪い子にはメアド教えない」
「おちゃんこしたにょ。ハァハァ、あっちのウェイターさん健気受けかしら?そっちのウェイターさん体育会系武士攻めかしら?!」
「ポニーテールが健気受けでスポーツ刈りが体育会系攻めになるのかー…。ふーん」
「タイヨータイヨータイヨー、ホストパーポーはエセホストだったァ!担任には萌が足りないにょ」
「あれ、シノ先生に会ったんだ?」
「次またジャージだったら絶交なり」




今まで解けなかった問題なと存在しなかった。今まで判らない事など存在しなかった。
なのに今、己の存在すらあやふやに感じてしまうほど、頭の中が渦を巻いている。
(お前は誰)
(初めて興味を持ったんだ)
(初めて声を見付けたんだ)
(あの打ち付ける雨の日に)
(とても小さな泣き声を)

(あの瞳は何処に行ったんだ)
(判る様な気がするのに)
(もう一度会えば判る気がするのに)

「じゃあさー、藤倉は何系?」
「人見知りワンコ攻め」
「じゃあ、高野は?」
「人気者ワンコ攻め」
「イチ先輩、」
「溺愛系俺様ワンコ攻め」
「オカン攻めじゃなくて?…俺には強気ワンコ受けにしか見えないけどなー、先輩」
「あと、あと、錦鯉君が鬼畜優等生ワンコ攻め」
「鯉って、錦織君が聞いたら怒るよー…。あ、じゃあ神崎君は何だろ?」




(何故、興味を持ったんだ)
(何故、未だ捜しているんだ)
(高が一人の人間を)
(高が一人の人間如きを)



「神崎って、だ〜れ?」
「誰って、」
「お待たせ致しました、地中海オリーブオイルソテーとペスカトーレリゾットでございます」
「は、はいっ!有難うございます!」
「ぅわっ、何だこれ、こんなメニューあったっけ…?!」
「ごゆっくりどうぞ、Sir majesty」





ぐるぐるぐる、



「マジェ…?何だ、今の?」
「タイヨータイヨー、割り箸がないにょ」
「ナイフとフォークがあるじゃん、リゾットはスプーンかな」
「割り箸ぱちんしたかったにょ」
「うまく割れないんじゃなかったっけ?」
「えっと、えっと、うまく割れた日はイイコトがあるんです!」
「あはは、判った判った。すいませぇん、割り箸3膳下さーい!」
「タイヨーもぱちんするにょ?」
「コツがあるんだって。ま、見てなよ」




ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、



「こうやって箸を横向きにして割ると、…ほら」
「ぷはーんにょーん!!!」
「綺麗に割れただろ?」
「凄いにょ凄いにょタイヨーは天才にょ!」
「大袈裟だなー。俊もやってみなよ」
「ふぇ、うぇ、せーの…っ」




疑問は渦を巻きメビウスの様に螺旋を描き続ける。






「ぱちん!」
「あ」
「はふん」
「えっと、…ドンマイ、俊」
「…割り箸、うまく割れないにょ。めそり」


(けれど)





「俊」
「もきゅもきゅもきゅ。ぷはーんにょーん!カイちゃんっ、アサリより大っきい貝ちゃん美味しいですっ!」
「そうか」
「カイちゃんも食べます?はいっ、あーん」
「ぇ、ちょ、俊ちゃん?!見てる俺が何か恥ずかしいからやめてー」




(何故、)



「そうにょ。タイヨー、さっきのお返事忘れてたなり」
「さっき?」
「僕、過去は振り返らない主義なんです!だから、タイヨーを苛めた人をぱちんしたのは謝らないにょ」


(静寂した夜に似たこの声だけ、)



「タイヨーは僕のお友達だから、助けて当然ですっ。やられたら一億倍の利息付きでやり返しなさいってお母さんが言ったにょ!」
「ぇ、ちょ、イチ先輩の教育間違ってるから覚えないの!」
「ふぇ?うちのお母さん、嵯峨崎先輩のお母さん?だったら僕はチョコたんの弟?えっと、えっと、チョコたんが嵯峨崎零人でイチが嵯峨崎ポチで、…同じ名字?」
「どしたの、俊?」
「チョコたんがイチに襲い掛かったら兄攻めで、イチがチョコたんに襲い掛かったら弟攻め…僕がイチとチョコたんにハァハァしたら…何系かしら?!」
「はい?」
「今すぐタイムマシンに乗ってチョコたんに会いに行きたいにょ!すいませーんっ、スクリュードラえもん下さーーーいっ!」
「ちょ、飲酒!もうすぐ始業式だからタンマタンマっ」




(きっと、1キロ先からでも)
    (判る様な気がするのだ)

        (そのは)




「ノイズが、………跪いている」

(こんなにもやかに、やかに)

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!