帝王院高等学校
主人公らしくたまには目立ちなさい
「見損なう」

悪い意味で見間違える事。過度の期待による買い被りから、評価を誤る。目の当たりにする機会を逃す。

「He said misjudged me. 見損なったなんて言われちまった」

壁に背を預けたままズルズル滑り落ちていく体は、尻と太股にリノリウムの固く冷たい感触を認めて全ての力を放棄した。

「…何か、どうでも良くなったぜ。涙も出やしねぇ」

人気のない西キャノンの昇降口、エレベーターホールの片隅の観葉植物に身を隠す。
クツクツと肩を小刻みに震わせながら両手で前髪を掻き上げて、そのまま膝へ突っ伏した。

「Yes when this heart and flesh shall fail and mortal life shall cease,(そう、我が魂も器も朽ち果て、有限なる生命の炎が消える刻、)」

賛美歌など歌うのは初めてだ。信仰がなくても覚えているもんだ、などと肩を益々震わせ、


「I shall possess with in the vail, A life of joy and peace.」

自分のものではない、淡々とした声音に息を飲む。
気配がなかった。油断した訳ではない。寧ろ、今の全神経は刀よりも研ぎ澄まされている筈だ。

「無様だなぁ。憐れみを誘って、同情でも媚びるつもりかテメェは」

今更、態とらしく足音を響かせてきたその声は、恐らく観葉植物を挟んだ向こう側で嘲笑を浮かべているのだろう。いや、もしかしたならただ見下しているだけなのかも知れない。

「…くっ。盗み聞きかよ王子様が。どっちが惨めだ?」
「メソメソ泣くなら誰も居ない所で泣きやがれ、駄犬。…ああ、もう犬ですらねぇただの弱虫だったか」

掴んだ観葉植物の鉢を振り上げる前に、長い足で鉢を軽々蹴り飛ばした男の金糸が靡く光景を視る。

「何っつー、不細工な面だ。…呆れて貶す気にもなりゃしねぇ」

明らかに、今のは脊髄反射による動きだった。怒りで理性の欠片もなく、嵯峨崎佑壱の右手は真っ直ぐ、葉を茂らせる幹ごと大きな鉢を投げつけようとした筈だ。

「…何なんだよ、テメー」

けれど日向の行動は、本能的な動きを遥かに上回る早さを見せた。
怒りも嘲りも何もない、平然とした表情でただ真っ直ぐに見つめてくる。

「っ、今まで!そら楽しかったろよ!何、手加減して下さってたってか?!はっ、流石プリンスは余裕でらっしゃる…!」

悪戯がバレた子供の様に、意味の判らない焦燥から喚き散らした。判っていた事だ。今まで顔を合わせる度どんなに口論しようが掴み合おうが、いつも限界を越えない内にお互いが引いていた。
とことん殴り合った事など、ただの一度もない。

「同情なんざ…っ、悪かったな見る価値もねぇ面で!誰も見てくれ頼んでねぇんだよクソが…!失せろ、わざわざ近寄ってんじゃねぇ!」
「肋骨三本程度じゃ足りねぇか」

珍しくスラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、シューズの爪先でトントン床を弾いた日向が呟く。
弾き飛ばされた鉢は土を撒き散らし、青々と空間を彩っていた葉は無残に散乱している。

「喚くな、余計呆れる。第一テメェが言い出しっぺだろうが、下らん話に俺様を巻き込みやがって」
「俺は弱くねぇ…!何でテメーから舐められなきゃなんねぇんだ!巫山戯けんじゃねー、失せろっつってんだろうが…!」

壊れるのはこんなにも簡単だ。

「まずは腕」

囁く様な声音とほぼ同時に、俊相手に疲弊していた右腕が鈍い音を発てた。

「ぐあッ!」
「次に、脚」

無表情と言うより普段通りの日向から外されたらしい関節の痛みに悶える間もなく、振り上げられた長い足が佑壱の太股を貫く様に落とされる。

「腹」
「がふッ」

皮膚一枚隔てて殆ど付いていない脂肪、筋肉ごと神経に走る激痛はまるで電流だ。右太股を踏み潰されたまま、もう片方の足で腹を強く壁に押し付けられる。

「最後に、口を塞いでやる」

呼吸すら出来ず開閉を繰り返す唇の端から唾液が漏れる気配、噛み付く様に塞がれた口腔を蹂躙する質量。
酸素を求める本能で頭をがむしゃらに振り回すが、凄まじい握力で顎を掴まれている今、何ら効果はない。

「む…ん!ぐ…っ、ぁが…!」

唇の端と目尻から絶えず滴り落ちる水滴、鼻の奥がツンと痛み始め、目の前が白濁する。


細胞が凄まじい勢いで沸騰していくのが判る。
足りない。足りない。

酸素が足りない。



「そ、」

助けてくれと思い浮かべたのは、銀髪の神ではなかった。笑い話だ。最初から、神の代わりにしていた癖に。見放されても構わないと強がった癖に。

そうか。見損なったと言われた。
他人を見る無機質な双眸は、もう佑壱を映していなかった。どんなに叫ぼうと声も届かず、遠野俊と言う男の中から自分は、今度こそ消え果てたのだ。


「そ、ぉ…ちょっ」

なりふり構わず溢れ零れる涙、鼻水、顎を伝う唾液すら構わず膝を抱える。そこで漸く、大量の酸素が肺を満たすのが判った。

「げほっごほっ、ふ、うぅ、ずっ、げほっあぁッ、あッ」
「…面倒臭ぇ奴だな、テメェは。痛々しい虚勢張りやがって」

無様どころではない。
獣じみた慟哭は汁だくの汚い顔面から吐き出されホール中を支配し、咳き込んだのと同時に喉から飛び出した痰まみれのカプセルを素手で平然と拾う日向は、今度こそ表情を弛ませる。

「意識飛ばすまで素直に泣きもしねぇ。一晩中シュンに張り付いて、薬も飲みゃしねぇ」
「うがああぁ、あああぁああッ」
「汚ぇ面しやがって糞汁犬。考えたら判るだろ、シュンが本気だったらテメェなんざ瞬殺だ」
「ひっ、ぐすっ、そーちょー、あああぁああッ、ごめんなざぃいいいいいッ」
「無意識に手加減されてっから、表面だけの怪我しかありゃしねぇ。親が子供を叱る様なもんだ」

ぺちょんと、恐らく疲労と睡眠不足から倒れた佑壱の鼻水をハンカチで拭い、深い溜め息を吐いた男は蹴り飛ばしたままの鉢を元に戻し、葉数を減らした幹を立てながら呟いた。

「…プライベートライン・オープン、コード:ディアブロより通達」

静まり返っていたエレベーターホールに、微かなモーター音が響く。勝手に光を灯したエレベーターパネルが、徐々にフロアまで点滅を近付ける。

「コード:ファースト回収完了。…コード:マスタールークに繋げ」
『…大儀だ』

開いたエレベーターは、今度は最上階を勝手に表示させた。
舌打ち混じりに佑壱を抱え上げた日向は、自らの口腔へ佑壱の口から零れ出たカプセルを放り込み、

『褒美として、そなたが望む物を与えよう』
「…肉親すら駒にするアンタには感心するぜ、マジェスティ」
『在るべき者を、本来在るべき場へ導くだけの瑣末事だ。異論あらば聞こう』

佑壱の口内へそっと砕いたカプセルの中身を移し、眼を閉じた。



「須く、仰せのままに。」

再度開いた琥珀の双眸は、凍えるほど無機質に煌めいている。












「知らないな」

上半身を鎖で縛られている男は、その状況とは裏腹に悠然とソファーへ腰掛け足を組み、対面へ朗らかに笑った。
繰り返される返答は質問を変えても同じで、何一つ真実が知らされる事はない。

「貴様は相変わらず可愛げがない性格だな。…反吐が出る」
「舜は外見も内面も可愛いからねィ。だからと言って俺にそれを求められても…キィ、おいで」

憔悴を極めた腫れぼったい目元を冷やしたタオルで覆っていた北緯を呼びつけ、両腕諸共上半身を動かせない男は柔らかく笑んだ。

「お茶を飲ませてくれないか?喉が乾いた」
「…っ」
「俺がします。動かないで下さい、ホーク」

強張った無表情で立ち上がった要がグラスを掴み、部屋の脇にあるサーバーから冷たい茶を注ぐ。困った様に首を傾げた俊は、信用がないな、と笑みを滲ませた声音で呟くだけだ。

「こうして逃げられない様に簀巻きにしておいて、そんなに警戒されると傷付く」
「馬鹿げた事を言うな。貴様のそれは、自分から言い出したんだろうが」
「俺じゃない。弱い癖に中々しぶとい子が、つまらない抵抗をしているんだ。困ったものだねィ」

にこにこ、いつもの無愛想さが嘘の様に愛想良く笑う男、左席委員会会長に部屋の空気が凍える。
自ら縛られる事を望んだ男は不可解な物言いで場を混乱させたいのか、呑気な雰囲気で要の差し出すグラスに刺さったストローを咥えた。

「まぁ良い。土曜の午後、こちら側の参加者が搬入されるまでは好きなだけ自らの偏執狂を曝しておけ」
「ふむ、西園寺の生徒会長は神経質インテリ系傲慢攻めか。副会長は左右どちらもイイ」
「…何なのアンタ、まるで話にならない」

黙っていた美少年が冷たい眼差しで俊を一瞥し、苛々と組んだ足の爪先を揺する。呆れ果てたとばりに立ち上がった西園寺会長は、スタスタと去っていった。
硬直したままの副会長は立ち上がる前に書記から腕を捕まれ、涙目だ。

「アキ…兄が見付かったら必ず僕に報告する事だけは、誓え」
「書記はツンデレ受け。いや、ツンデレ攻めでもイイ。残念ながら、我が崇高なる左席副会長の足元にも及ばない程度だが…」
「猊下!」
「はいはい、判りました錦織会計。両校の永続的友好を繋ぐ者として、公私混同は控えよう。怖い眼で睨まないでくれ」

ポフンとソファーに背中を預け、笑いながら眼を閉じた男は縛られた姿のまま呟く。



「Open your eyes.」


壁に凭れ掛かっていた裕也、その隣の健吾が伏せていた目を上げた。カロリーメイトをちびちび齧っていた隼人は一人掛けのソファーの上、目元を覆っていた漫画本を傾ける。

「はふん。ふぇ、何か頭がボーっとするにょ…ぷにょ!あらん?」

パチン!と目を開いた男がパチパチ瞬き、自分が縛られている様を暫し眺め、弾かれた様に立ち上がった。

「ぷはーんにょーん!きゃー!僕っ、さっきまでボスとお刺身食べてて…?!おやや?!そこの他校の制服!むむ、西園寺学園のデザイナーズブランド!纏うは美形っ、極悪ヤンキーではありませんやら!」

カサカサカサ、ゴキブ…いや、ラストサムライ並みの速さで西園寺側のソファーへ近寄った男に、見ていた全員の反応が遅れたらしい。

「ちょ待、ボス、」
「きゃいん!ハァハァハァハァ、こ、こちらの美人さんはどちら様ですなり?!そこはかとないツンデレ臭が腐男子の嗅覚を擽ってらっしゃいますねっ、ちわにちわ!遠野俊15歳です!」

痙き攣った隼人が上体を起こすが、いつの間にか、いやもう、いつの間にかとしか言えないほどいつの間にか、俊の目元は黒縁眼鏡で覆われていた。
身構えていた筈の要すら目視出来なかったのだから、手品か魔法としか言えない。

「じゅる。ハァハァじゅるり。くんくん、ハァハァ不良の癖に何とも爽やかなフローラルのカホリ…!」
「…オーマイガ、日本は怖い国ですママン」

怪しく光る黒縁に見つめられた西園寺副会長はフッと笑みを浮かべ気絶し、

「くんくん、こちらのツンデレチワワは凛としたカホリの中にも甘さが感じられるよーな感じられないよーな!」
「な、何なのアンタ!気持ち悪いッ、来ないでよ!」
「はふん。あふん。萌え、デレ無しブリザード萌ェエエエ!!!気付いたら目の前に美形パラダイス、そっちもこっちもカーニバル、こーこーはー天国かァアアアアアア」

ゴロンゴロン簀巻き状態で転がり回る男に、最早誰も身動き出来なかった。


何なんだ。
今この目の前でゴロンゴロン転がり回り、テーブルの脚やらソファーやらで派手に頭を打ち付けまくっているオタクは、何なんだ。


「そ、総長…(´`)」
「此処で一句。」

恐々声を掛けた健吾が痙き攣る前で、うつ伏せのままピタリと転がるのをやめたオタクが呟いた。

「目の前にィ、萌えぞあらば、腐る脳ォ。状況読めずも、萌えバリアフリー」

詠いきったオタクはブルブル震え始め、

「縛られて、見下される、見覚えのない部屋…これはつまり、不良によるオタク拉致監禁?!そうだったのかァアアアこりゃ萌えてる場合じゃねェエエエ!!!」

鎖を萌パワーで引きちぎったオタクが怪しく光りまくる黒縁眼鏡を押し上げ、


「どうぞ!360度どこからでもパチンペチン痛めつけて下さいませェイ!」


誰もが沈黙した。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
無料HPエムペ!