帝王院高等学校
また一人変態さんが産まれた春模様
にやけた顔が映る水面を片手で濁し、頭に乗せていたタオルを湯に落とす。マナー違反だが、それを指摘する者は居ない。

「はー…極楽、極楽」

この時間の大浴場は人気がなく、貸し切り状態だ。幾つもある風呂の中で最も地味な檜大浴場だから、仕方ない話かも知れない。

まぁ、逆に助かるのだが。


「つーか、それ狙って選んだし」

ポツリと呟けば、天井に溜まった水滴が幾つか落ちてくる。額に当たった冷たい感触に肩を跳ね、ライオンを模した給湯口にふよふよと近付いた。

「ふ」

ああ。
笑いが止まらない。

「ふは。ふはははは」

朝から、あんなに綺麗な生き物を見てしまった。無防備に何の警戒もなく餌を与えられるまで待つ姿は、何度見ても堪らない。

「…っ、可愛い…!あー、もー畜生!抱き締めたい!可愛い!どうしよ、変態になっちゃったよー!あははははっ」

何が『どうしよう』だ。
嬉しくて楽しくて堪らない癖に、態とらしい。

「…何なの俺、夜中ボーっと寝顔見てる内に寝落ちするなんて超贅沢。何なの、どの角度から見ても美形とか舐めてんの?流石ネイちゃん、可愛過ぎて困る」

世界が変わるのは簡単だ。
いきなり頭の中を駆け巡った膨大な量の記憶と感情に、本当は日曜日一日中、頭がうまく回らなかった。

まるで他人事。
封印されていたもう一人の自分から得た記憶も感情も、山田太陽と言う自分とは違う、別人の様に思えた。

けれど。食べかけの里芋を何の抵抗もなく頬張ったあの綺麗な唇に、全てがどうでも良くなって。

『フレンチトースト以外も食べれるんじゃん、アンタ。そう言えばこの間、焼きそば食ってたよね』

まさか。
まさかまさかまさか。
幼い頃の自分が、あの頃の今よりずっと子供だった自分が本能のまま言った、つまらない独占欲から出た台詞で。

“ネイちゃんはパンだけ食べてたらいいの。ケーキがないならパンを食べるもんだよ”

あの、馬鹿みたいな一言で。

『…さぁ、気が向けば食べますよ。好き嫌いは特にありません』
『ふーん?じゃ、明日の朝ご飯はレストランのバイキングにしましょうよ。バイキングなんか久し振りだし』

あの、馬鹿みたいな一言で。
この綺麗な男はフレンチトースト以外口にしなくなったのだ、と。確信していたから。

バイキングで対面に座り、好きなものを皿に盛ってきた太陽の向かいで、およそ男性には人気がないロールパンをもさもさ食べていた二葉に、笑ってしまった。
太陽が向ける箸からなら食べる癖に、自らは決してパン以外を食べない。

孫を見つけてあげたお礼で、優しいお婆さんから貰ったお饅頭も、二葉は食べなかった。

『他人から食べ物を貰うのは苦手なんです』

愛想笑いを貼り付け丁重に断る二葉に、お婆さんは見惚れて怒らなかったが、普通なら怒るだろう。人の感謝の証を拒絶するなんて、普通はこれ以上ない無礼だ。

なのに。

「俺の手ずからなら、食べるんだよ」

自慢したい気分だ。
ほんのこの間までよくもあんな可愛い生き物を嫌えたものだ。
ああ、ほんのこの間までよくもあんな綺麗な生き物を真っ直ぐ睨めたものだ。

「もういい、俺は変態でいい。白百合親衛隊の気持ちが痛いほど判るよねー、うん。独り占めしたい」

このままでは誰も居ないのを良い事に高笑いしてしまいそうだったが、人の気配が近付いてきたので、平然を装いながら湯船から出る。

「おい、芍薬の間の二人連れ、見たか?」
「ああ、さっき仲居が朝飯の片付けしてる時、ドア空いてたから少しだけな」

芍薬の間とは、太陽の宿泊している部屋だ。
旅館で言うスイートクラスらしく、近隣の部屋には海外からの宿泊客やら政治家やらが滞在しているらしいが、火曜以外は全く外に出なかった太陽は仲居以外を今の今まで見ていない。

「先輩達、マジでやるって。部屋の近くに張り込んでるらしい」
「幾ら美人でも男だろ?気持ち悪ぃ」

話の雲行きが可笑しいではないか。
幾つか並んでいる棚の、入り口から遠い奥で着替えている太陽には気付いていないらしい声は、棚の向こう側で聞かれているとは思わないらしく、話を弾ませていく。

「三人掛かりで押さえつけりゃ、デカいとは言えあんだけ細い奴ならマワせんだろ」
「かー、そう言やあの先輩、バイだっけ?たまに二丁目に行ってんだろ?」

ああ。

「らしいな。ラグビーやってっと、そんな話ザラだろ?それもあんだけの上玉だぜ、判らんでもねぇ」

(今すぐ黙れこの野郎…!)

着替えを入れていた籠を壁に投げつければ、棚の向こうが沈黙した。
何も聞いてなかったと言わんばかりに平然と彼らの前を通り過ぎ、暖簾を潜って外に出る。

「すいません」
「どうなさいました?」
「五分くらい経ったら、芍薬の間にお湯持ってきて貰えますか?」
「はい、畏まりました」

フロントにニコニコと声を掛け、小走りで部屋に向かう。風呂に行ってくると言付けたものの、二葉が出掛けないとは限らない。

焦りながら部屋に続く曲がり角を曲がれば、筋肉達磨な背中がこそこそと芍薬の間を窺っているのが判った。


「何やってんですか、アンタら」

ビクッと振り返った三人は、太陽を見るなり都合悪げな表情に余裕を滲ませる。小柄な太陽一人だから、大丈夫だと思ったのだろう。
三人の内一人がジロジロと太陽を見やり、判り易い下品な笑みを滲ませた。特に帯で絞めた腰の辺りを凝視するなり、舌舐め擦りせんばかりだ。

「君、芍薬の間の子じゃない?」
「そうですけど、お兄さん達、ボクに何か用ですか?」

気弱な少年、を刷り込ませる為に、俊曰くチワワな少年を真似てみる。気持ち悪い事この上ないが、この際プライドは二の次だ。

「君、お兄さんと泊まってるだろ?お兄さんはどうしたの?」
「兄さんは…ううん、何でもないんです。ごめんなさい、初対面の人にこんなコト…」

思わせぶりな態度で上目遣いすれば、他の二人もゴクリと息を飲むのが判った。
湯上がり効果か、モテそうにない彼らの悲劇か、平凡な太陽の容姿も彼らには「儚げな少年」に見えるのだろう。

「や!何か悩みがあるならオレで良ければ聞くからっ」
「ほら、ジュース奢ってやろうか!」
「ああ、何でも話しなっ!」

近付いてきた鼻息荒い三人に微笑みかけ、腰に巻き付けた帯をさり気なく緩め開いた襟から乳首を晒してみた。
ああ、ゴリラが三人。こんな平凡乳首で鼻息が荒い前屈みな三人に、うるうる潤んだ眼差しを向けた太陽と言えば、

「助けてー!ボクっ、乱暴されてますー!」

ポットを片手にした仲居が視界に入った瞬間、廊下に面した殆どの部屋のドアが開く。
目を見開いて慌てだした三人と言えば、突如意味不明な事を叫んだ太陽に言葉もない。

「た、助けて下さい!あ、あの人達が…っ、無理矢理ボクに!」
「可哀想に、こっちへおいで」

三人を睨んでいる宿泊客のおじさんに駆け寄り、ぐすんぐすん泣き真似している太陽に、ゴリラ三人は唖然としながらも身の潔白を訴えた。
だが然し、仲居も宿泊客も、三人を刺々しい眼差しで見つめている。


「悪いが警察を呼んだ。君達は大学のラグビー部員だそうだが、逃げたら学校に通報するよ」

毅然と警察手帳片手に三人を睨むおじさん刑事に、宿泊客の拍手が沸いた。



斯くして、叶二葉の貞操は守られたのである。いや、ゴリラ三匹の命が守られたのかも知れない。

帝王院学園の生徒であれば、どんな極悪不良でも白百合には手を出さないものだ。





「あー、疲れた…」

警察の事情聴取を終え、皆から可哀想にと一頻り慰められて、漸く部屋に戻る。
心配掛けたくないから兄さんには言わないで下さいと潤んだ眼差しで言えば、同情したお巡りさん達は実害がなかった事から秘密にする事を約束してくれたのだ。

男が男に襲われて恥だと思わない男は居ない。まぁ、普通一般は。

帝王院学園では日常茶飯事なので、特に何とも思っちゃいない山田太陽と言えば、元来悪戯好きな男である。
それも昔の記憶が戻った今、今までちょい出しだったドエス魂に火がついた挙げ句ガソリンを注いだ様なものだ。

「誰のモンに手ぇ出すつもりだったんだ、あのゴリラ共。今度また何かしてきたら俊に言って、ボコボコにして貰おう…」

左席委員会を牛耳る副会長は、今や腹黒どころの話じゃない。わざわざカルマを使わずとも、二葉一人でゴリラ三匹程度軽やかに倒し、おまけに調教する事も可能だろう。
だが然し、そんな事は今の山田太陽には関係なかった。

「恋とは恐ろしいねー。平和主義だった俺を犯罪者にしちゃうんだから」

どの面下げてほざくのか。
平凡ドエスが鼻歌混じりに部屋の襖を開ければ、縁側の座椅子の上で微動だにしない美貌を見た。
膝の上にパソコンを乗せたまま、僅かに首を傾げている。

「あれ、寝てる…?」

近付けば、やはり目を閉じていた。眉間に皺を寄せて、難しい表情だ。


春風舞い込む窓辺。
露天風呂を背景に、差し込む日差しに照らされた天使。


「天使、だって。ふは」

いよいよ壊れてきたらしい思考回路に笑いながら、そっと屈み込む。

綺麗。
完璧過ぎる。
ゴリラが襲いたくなるのも頷ける話だ。平凡な高校生を血迷わせるのだから、天使ですら堕落するだろう。

「…ネイちゃん」

そっと囁いても目覚める気配はない。
昨夜、ゲームの最中に寝落ちした後、夜が明ける前に一度だけ目が覚めた。喉が渇いた、と。起き上がろうとして、背中に顔を埋めている体温に気付いたのだ。


暗い中、目を凝らして眺めた寝顔。耐えきれず盗んだキスは確か三回。
起きないから頬にも触って、ニマニマした覚えがある。流石にまだ、起きている間にする勇気はない。

嫌われてはいない、と。思うけれど。好きだと言われた事もなければ、好かれている自覚もない。自意識過剰にも程がある。


「綺麗だなー…」

昔は翡翠だった黒眼も、昔と変わらず甘い蒼眼も、全部。高い鼻も白肌に映える紅の唇も、長い指も着痩せする体躯も、低い体温も、触れ合った所にだけ籠もる体温も、全部。

独り占めしたい。
今すぐ自分のものになれば良いのに。

触りたい所がまだまだ沢山あって、眠っているのを良い事に、今からまたキスを盗もうとしている犯罪者。
起きたらどうしようと言う焦りなど、ほんの一瞬だ。


「ん」

ちゅ。
足りずに立て続けてもう数回。

軽い軽い口付けではまだ起きそうになかったから、至近距離から眺めてみた。

格好いい。
完璧過ぎる綺麗な顔。なのに可愛いとはどう言うバリエーションなんだ、山田アカデミー賞があったら賞総なめ決定ではないか。


「やっばい。…勃っちゃいました、とんでもないなー」

こんな明るい内から何を考えてるんだ自分は、と。呆れ半分でもう一度二葉を見やれば、信じられないものを見る様な黒と蒼が凝視してくる。

「な」

何で、いつ、何処から話を聞いていたの、いや、いつから起きたの。
疑問はまるで声にならない。バクバク騒がしい心臓が口から飛び出してしまいそうだと言うのに、薄い浴衣一枚で覆われた下半身にも血液が集まっている。


ああ、雄とは哀れな生き物。
こうなってしまえば治まるまで耐え忍ぶか、自らの手で慰めるしかない。

「あ、あはは」

もう笑っとけ、とヤケクソな気分で渇いた笑いを浮かべ、瞬き一つしない二葉の視線から逃げる様に立ち上がる。
死にたい。消えてしまいたい。恥ずかし過ぎる。こんな白昼堂々下半身を起立させているなんて、ゴリラ以下だ。隕石に頭突きされて粉々になってしまえ。

「ひょえ!」

なのに腰帯を掴まれ、デコからぺしょりと倒れ落ちてしまう。ついでに畳で下半身を打ち付けたが、背中の上に重みを感じてしまうとそれ所じゃない。

「ななな何、してっ」
「…さっき、何っつった?」

真顔の二葉が陽光を背後に見つめてくる。

「言え。…Shit!何でもするから言えよ!早く!」

じれた声と逆光でも判る焦りを帯びた眼差し。ガクガクと肩を揺さぶられながら考えたのは、

「キスしたい」

噛みつく様に塞がれた唇、無意識に閉じた瞼は眩しいからだけではない。
そんなに強く抱き締められたら気付かれてしまうのに。ああ、手遅れらしい。

「何、これ」
「ちょっとしたアクシデントがありまして…」
「何があったらンな事になるんだ。…いや良い、何でも良い、黙れ」

とんでもない所を握られて健気に黙り込む自分が馬鹿なのか、他人の下半身を素晴らしい笑顔で覗き込む天使が馬鹿なのか。

「二郎お兄さんが優しーく抜いてあげますからねぇ、太郎君」

その凄まじいエロさの微笑みを前に、そんな事を考える余裕など欠片もなかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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