帝王院高等学校
おはようございますは大切な挨拶だよー
「んー…」

もぞり。
寝返りを打った瞬間、巻き付ける様に潜り込んでいた布団から顔を出した。

「も、朝?」

いい匂いだ。
重い瞼を開けば、襖の向こうに女性らの背中が見えた。

「うー…、おはよ、ございます」
「あら、おはようございます。朝食のご用意が出来ましたよ」
「はい。起きます、有難うございます…眩し、うわ!」

眩しさに目を擦りながらもぞりと起き上がれば、隣から伸びてきた腕に再度布団へ引っ張り込まれる。

「相変わらず、仲が宜しいですね」

クスクス、仲居の笑い声に顔が赤くなった。

「ちょっ!何すんだよ、危ないだろっ」
「…煩ぇ、まだ寝る」
「こんの低血圧が…!俺を巻き込むな、ご飯用意してくれてるって。食べたい!って、こら、浴衣が乱れるっ」

もぞもぞ浴衣の袷から侵入してくる手を叩き出し、真っ赤なまま素早く起き上がれば、ジロリと不機嫌な眼差しで睨んできた美貌が諦めた様に上体を起こす。

「おはようございます、山田さん」

僅かに弾んだ仲居らが、その美貌へ朝の挨拶をする顔は、乙女だ。

「おはようございます。…おや、今朝は貝汁ですか?」
「焼き蛤の澄まし汁です。すぐに召し上がられますか?」
「ええ、お腹を空かせた弟が不機嫌なのでねぇ」

誰が弟だ!
内心で叫びながら無言で乱れた浴衣を着付け直し、作業中の仲居らから一歩離れた場所から座卓を見つめた。

「わー、今日も豪勢だなー。いつも美味しいです、有難うございます」
「厨房に伝えますね。喜んでますよ」

にこにこと笑いながら退室していく仲居らを見送り、漸く安堵し座布団に腰を下ろす。
ふわ、と欠伸を発てながら起き上がった長身が、跳ねた後ろ髪をそのままに近付いてきた。

「まだ8時前ですか…」
「ホント、今までどうやって生活してたんですかアンタは」
「どう、とは?」
「放っとけば明日まで寝潰しそうって意味で」

竹箸を掴み、頂きますと手を合わせて散らし寿司へ箸を伸ばした。
洗顔も歯磨きもしていないが、こんな煌びやかな座卓を横目に顔を洗う気にはならない。朝食は必ず摂取する、山田太陽の生活習慣はこんな状況に於いても揺るがなかった。

「そうですか?睡眠時間自体は、些程長くない方なんですがねぇ」
「寝起きの人相の悪さピカイチだっつーの。気付いてないんですか?寝起きは言葉遣いも荒っぽくなる」

首を傾げながら太陽の背中の後ろまで近付いた叶二葉と言えば、寝起きフェロモンを惜しみなく垂れ流しながら、全く乱れていない浴衣の上に羽織を纏う。

「初めて言われましたねぇ」

どことなく乱雑な仕草だが、やはり無意識らしい。

「散らし寿司が甘めで美味しい、かも。茶碗蒸しが嬉しいなー」

太陽の真左、肩が触れる位置の畳の上に座った男は、片膝を立てたまま急須へ手を伸ばした。

裸眼で愛想笑いもなく、淡々と湯呑みに注いだ湯を急須へ移し、蓋をしている。
朝は無口になる事にも気付いていないのだろう。話し掛ければ返事はするが、自らは血圧が上がるまでは喋らない。


「うーん、鮃と鰈の違いが良く判んない」

玉露の良い香りが漂ってきた。

「目の位置が違うだけ。どちらもカレイ科に属しています」
「なのに鮃の方が高級なイメージだよねー」

渡された湯呑みをフーフーしてから啜り、膨れた腹を撫でた。元来少食な太陽は、此処で一旦休憩を挟む。
片膝立てたまま粗野に湯呑みを啜る傍らを見やれば、乱れた前髪から蒼い眼差しが見えた。太陽の視線に気付いた二葉が緩く眼を細め、湯呑みを置いて口を大きく開ける。

…またか。


「はい、どーぞ」

一度手放した箸を握り直し、散らし寿司を一口、二葉の口元に向けた。パクンと頬張った二葉がもぐもぐと口を動かし、また、湯呑みへ口付ける。

低血圧な上に、どうやら低体温らしい二葉は、温かい飲み物を良く口にする。
曰く、甘いものが脳を活性化するらしく、イギリス生活が長かったから紅茶の方が慣れ親しんでいるそうだ。

「鮃のお刺身も美味しかったよー。はい」

箸で挟んだ白身を向けてやれば、また、パクンと頬張った男が頬を蠢かす。
餌付けしている気分だと毎回恥ずかしくなるが、初日よりは随分マシだろう。放っておけばパン以外の食事をしないこの男は、太陽が冗談半分で差し出した食べかけの煮物を口にした。全ての元凶は、自分の悪戯だ。

「着替えも要らない、外に出る必要もない。上げ膳据え膳、…こんな生活続けたら、戻れなさそうだなー」

呟いて湯呑みを啜れば、空いた湯呑みにさり気なく茶を注ぎ直してくれた二葉へ、今度は漬け物を与えた。
肉料理が一切出ない生活も三日目になるが、油っぽい食べ物が苦手な太陽には苦にならない。

「あ。こっちの茶碗蒸し、銀杏が2個入ってる」

何が食べたいと聞けば食パンと答える様な二葉に、女将の困り顔を思い出した。







日曜日。
連れて行きたい所があると言う二葉にホテルから連れ出されて、タクシーで向かったのは、笑い話にもならない黒こげの元山田邸だった。

「わぉ、全焼」

余りの驚きから、それ以外何も言えない太陽に、終日報道されているらしいニュースを見せてきた二葉は、罪悪感いっぱいの表情だったと思う。
何でアンタが謝るんだ、アンタは関係ないだろ。実のところ、父親が死んだと言われてもまだ実感がない太陽は、何にも報道されていない母親が気掛かりだった。

社長と言う立場から、自宅を公開していなかった山田邸の表札は村井だった筈なのに、報道ではワラショクグループ代表の家として発表されている。
会社に連絡すれば何か判るのかも知れないが、長男の癖に父親の仕事には一切触れて来なかったので、役員の顔も殆ど知らない。専務と言う男と、総務課長くらいしか知らない訳だ。

然も、あの妙にエロティックな美形総務課長は、俊の父親だと聞いたばかり。
済し崩し的に今回の事件が俊の耳に入れば、あの変態だが優しい友人は、極悪面の癖にチキンハートを痛めるだろう。出来れば、知られたくない。

様々な事を考えたが、二葉に軟禁されている立場だった事を思い出して、早々に諦めた。現実逃避とも言う。

「で、次は何処に監禁されるんでしょーか、俺」

あの駄目親父がそんな簡単に死んで堪るか。そう思い込む事で開き直れば、漸く僅かに笑った二葉が雑誌を広げ宣った。

「君の好きな所に行きましょう。何処が良いですか?」

適当に人気ナンバーワンと書かれた高級旅館を指差せば、数時間後には、その旅館の玄関を潜っていた、と言う顛末である。



宿泊者名簿には山田太郎、山田二郎。
冗談みたいな偽名を、二葉は真顔で書き込んだ。因みに二葉が二郎で太陽が太郎の兄弟設定だ。

何で兄が二郎なんだ、と突っ込みながら笑ってしまった太陽は、以降、人前では二葉を二郎兄さんと呼んでいる。お笑い好きには堪らない。


月曜日は二葉家庭教師によるカリキュラムが組まれ、半日勉強漬け。

火曜日は旅館名物の露天・屋内風呂巡りで日が暮れた。何せ、足湯やら岩盤浴やら砂風呂やら、数えたらキリがない数十種類の温泉があるのだ。
二葉の美貌で女性客が倒れたり、オカマ一行が太陽の腰の細さに発狂したり、石油王と言うセレブなアラビア人が二葉に求婚したり、孫とはぐれたお婆さんが太陽に泣きついたり…部屋から半日出ただけで、酷く体力を使い果たした山田太陽は、以降、部屋から出ていない。


「はー。あ、日曜日がオープンセレモニーじゃなかったっけ」

自らは食べないが与えれば際限なく食べる二葉に残りの朝食を食べさせ、食器を片付けにやって来た仲居を横目に洗顔と歯磨きを済ませた。

「新歓祭ですか」
「うん。ま、進学科は打ち合わせも準備もなかったから、あんま実感湧かないんですけどねー」

昨夜遅くまで二葉のタブレットでオンラインゲームをしていた太陽は、そのまま寝落ちしたらしく風呂に入った記憶がない。
部屋にも小さいながら露天風呂と、洗面所の隣にシャワールームがある。
朝風呂も良いかな、でもまだ食べたばかりだからな、などと考えながら、座卓の下に鎮座していたタブレットへ手を伸ばす。

「西園寺側の生徒会役員が来訪している様ですねぇ」

小型のノートパソコンを開いた二葉が、化け物じみたブラインドタッチで何やら操作していた。
ピロリン、昨日やっていたゲームのログイン画面を開きながら、目を二葉へ向ける。

「へー。西園寺の生徒が来るのは土曜日の夜でしょ?」
「ええ、決起集会…までは行かずとも、講堂で学年ことに顔合わせがあります。あちらは人数が少ないのですが、こちらが多過ぎるのでねぇ」
「やだなー。嫌でも弟に会わなきゃなんないのかー…」
「ヤスアキ君ですか」
「あれ?俺、話しましたっけ?」

俊達には話した覚えがあるが、あの時に二葉も居たのだろうかと首を傾げながら、タブレットへ目を戻す。
今日の家庭教師は昼からだ。苦手な外国語さえ攻略すれば、10番台に昇格するかも知れない。例え21番のままでも、降格は免れる筈だ。

「西園寺側は生徒会一同だけが先に到着したそうですねぇ。会長の遠野和歌、副会長のリューイン=アラベスク=アシュレイ…おや、彼は確か、烈火の君の従兄弟ではありませんか?」
「え?嵯峨崎先生の従兄弟って事は、イチ先輩の?」
「いえ、お二人は腹違いなんですよ。烈火の君…嵯峨崎零人の母親は、アシュレイ家の末娘でした。亡くなりましたが」
「へー…。じゃ、従兄弟は従兄弟でも、イチ先輩とは血が繋がってないのか」
「そうなりますね。…おや?」

レベルアップの表示と同時に二葉が沈黙し、何かあったのかと首を後ろへ回した。
縁側の座椅子に腰掛けていた男は、太股を惜しまず晒しながら足を組んだ状態で、パソコンを覗き込んでいる。また、株価でも見ているのだろうか。それとも仕事だろうか。

「西園寺学園生徒会の名簿に、面白い名前がありますよ」
「ふーん」
「書記、山田夕陽」
「…あ?え?うええ?!」

操作ミスで武器合成をしくじったが、それどころではない。愉快げな二葉が顔を上げ、太陽のタブレットがピロロンと音を発てる。

「今そちらにハッキングしたデータを送りました。見てごらんなさい」
「ハッキングって…」
「中央委員会のセキュリティー担当は私ですよ。ふふ、中央委員会役員である私が見ても咎められる事はない」
「そらそうだろーけども…倫理的な所で躊躇おうよ、ちょっとは…」

左席委員会の自分が見ても良いものかと悩みながら、中央委員会の不正を正す立場だから正当な事だ、とタブレットを凝視する。
ああ、仰る通り、西園寺側の役員に自分と一文字違いの生徒が名を連ねていた。

「絶対、学園には戻りたくない」
「そんなに仲が悪いんですか?」
「悪いってもんじゃない!アイツは事あるごとに人を馬鹿にしてネチネチネチネチ嫌みを言う様な、兄を兄と思わない奴なんだ!」

昔から、父親は次男ばかり出張やらパーティーやらに連れて行き、市立小学校に通っていた平凡な長男には、一切難しい話を聞かせなかった。
昔は面倒臭くてなくて良いと思っていたが、今はアレは贔屓だったと思う。確かに双子の弟は、小学校から西園寺学園に通う「出来の良い次男」だ。母親の関心までも次男にばかり向かい、猛勉強した挙げ句、帝王院へ編入させられた太陽は放任に近い。

「どちらにせよ、日曜には学園に戻ります。開幕の挨拶がありますからねぇ」
「中央委員会だけだろ?」
「天の君は以前から式典に参加したがっていると聞きましたが」
「あー…。目立つの大好きなんですよねー、うちの会長。オタクの癖に」

オンラインゲーム最新作の広告を見つけ、煌びやかなバナー広告をクリックし、そのURLを今度は二葉のノートパソコンへ無線で飛ばした。
すぐに気付いたらしい二葉が手早くキータッチする気配、

「ボーイミーツボーイ?」
「男同士のイチャイチャが三度の飯より好きなんですよ、一年帝君は」

目を見開いた二葉が凝視してくるので、やはり風呂へ入る事にしよう。
送っておいて何だが、そのゲームは流石の太陽でも敷居が高い。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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