帝王院高等学校
今週はブルー魔ンデーから始まります
最初に触れたのは、喉。
規則正しく上下する喉頭結節に触れれば、薄い皮膚の下にある軟骨の感触。
アダムの林檎だ、と。
平熱より僅かに高い体温、口付けた痕はまるで林檎の様に赤く軌跡を残していく。
後悔した。
始めから、絶えず最後まで。
なのに止めようとしない自分と言う生き物は、ただの動物だったに違いない。
そう、人間ですらなかったのだ。
『カイちゃん』
擦り寄ってきた体温と心音が、容易く許可したから。愛していると言うだけで、抵抗も拒絶もしなかったから。
嫌だと言えば止めたのに。
顔も見たくないと言われれば、すぐにでも消えてなくなるのに。
好奇心から始まった小さな興味の末路は、望み続けてきた依存そのものへ変化した。
喜ばしい事だ。何を悔いる事がある。もう、悔いなど何もないだろう?
『カイちゃん』
尽きぬ欲は別の望みを次々に生み出していく。叶えた直後にはもう次の欲で支配される、人間とは何と醜く強欲な生き物だ。
「…しゅ、ん」
今すぐ誰か、殺してくれ。
繰り返し、あの幸せな悪夢を見る。
『お前なんか産まなければ良かった!』
『彼が私を愛してくれないのは、お前の所為!』
『どうしてお前はブロンドじゃないの!どうしてお前はサファイアじゃないの!』
(この感情と尽きない欲を淘汰する事の出来ない)
(哀れな動物を)
『ルークだなんて…!』
『来るな…!』
どうせ誰からも、
『何て酷い仕打ちなの、秀皇…!』
『悪魔が…!』
愛されない生き物を。
(今すぐ殺してくれ)
「お」
澄み渡る空、
「おぉ…」
賑わうゲートには色とりどりの風船がたゆたう、此処は夢の国。
「プラチナソーサー、来たぁあああああああ痛っ」
「煩ぇ、黙ってろ」
親子連れやカップル、若い男女の団体で賑わうエンターテイメントの最高峰プラチナソーサー前。両拳を握り締めた男を、後ろから蹴りつけた長身が舌打ちする。
赤毛美形、金髪美形、そのどちらも日本離れした長身に長い足。女性だけに留まらず男性らすら魅了する魅力も、此処では威力半減らしい。
「…うじゃうじゃ居やがる。うぜぇ。ちっ」
「ぅわぁ、やっぱり週末は賑やかだなぁ。はぐれそぅ」
「ネズミーランドが良かったんだけど、まぁ良い。スんません、大人パス三枚」
スキップ混じりに券売所へ走って行った佑壱に、ぽてぽて付いていく桜はキョロキョロと日向を窺った。
「早めのゴールデンウイーク旅行のラッシュだもんなぁ。渋滞してなかったら、本当に千葉まで行ってたかもぉ…」
何せ俺様二人に挟まれた立場なのだ。気を抜けばはぐれてしまいそうな気がする、良く言えばマイペース、悪く言えば我儘。桜の心境は、母親のそれに違いない。
長蛇の列で賑わうゲートに顔色を失っている日向の足取りは鈍く、反して佑壱はふわふわ軽い足取りで今にも飛んでいきそうだ。
「ストラップも貰って来た。首に掛けとけば無くさねーだろ」
「ぁ、プララ君の形してますねぇ。かわぃ」
プラチナソーサー。
平成中期に建設された日本最高峰のテーマパークは、地上だけではなく地下にも施設が広がっている。
「…何で俺様がこんなもん下げなきゃいけねぇんだ」
「師匠がブルーで高坂がイエローな。俺はピンク。赤が良かったぜ」
「ピンクのプララ君、かわぃ〜」
海沿いにある事から、水族館も併設されてあり、パス一枚で全ての施設が利用可能だ。遊園地としては若干料金も割高だが、ボンボン育ちの三人はそれに気付いていない。
渋る日向をずりずり引きずりながら入場を果たした佑壱は、巨大な水路を凄まじい勢いで駆け抜けていくウォータースライダーに目を輝かせた。
「お、おぉ…!前に一回来た時は、満足に遊ぶ暇がなかったんだよな」
「あ?いつ来たんだよ」
「去年の総長の誕生日」
「俊君の誕生日ってぇ、いつですかぁ?」
「「8月18日」」
声を合わせた二人に、きょとりと首を傾げた桜が瞬くのも無理はない。何故、日向までが知っているのか、桜は知らないからだ。
「高坂の誕生日と同じ日なんだよ」
「へぇ、初めて知りましたぁ。ぁ、じゃぁ獅子座かなぁ」
「カルマ全員で来たんだけど、総長の手作りお握りで俺と隼人以外が食中毒になっちまって…」
遠い目で語る佑壱に、痙き攣った日向が眉を寄せた。
「マジかよ。…テメーはともかく、藤倉が倒れて神崎は無事っつーのは」
「確かに変な話だぜ。今になれば」
「ぇ?」
判らない話に瞬いた桜を余所に、早速アトラクションに走って行った佑壱が、些程並んでいない列の最後尾で手を振ってくる。
「何で初っ端がコーヒーカップなんだよ…」
「イチ先輩ってぇ、レトロな趣味なんですねぇ」
長身過ぎる佑壱と日向を見やり、頬を染めながら二人ずつ乗って下さいと案内したスタッフのお陰で、
「うわ、凄いスピードで回りまくってるカップがあるぞ!」
「何で男二人で乗ってんだ?!」
「きゃーっ、あの二人格好いいぃいいい!!!」
「オラァ!風と共に拡散しろ俺の細胞ォオオオ!!!まだまだぁ!」
「ちょ、待、テメ、ちょ」
「イチせんぱぁい!あんまり回したら高坂先輩が死んじゃぃますよぉ!」
乗り物酔いし易いと言う理由で回転系は苦手な桜が、インスタントカメラを片手に青ざめていたらしい。
「イヤッホー!」
「…マジ、かよ」
「イヤッホー!ひゃーっはっはっはっ」
「ま、た!何回転する気だゴルァ!」
「頑張って下さぁい、もう少しで終わりますよぉ!」
六回転が売りのジェットコースター、
「すみません、この汽車コースターは小学生対象なんですが…」
「嫌だ嫌だ嫌だ、俺は車掌になるんだ!」
「デケェ図体で駄々こねんな!恥ずかしい!」
「はぃはぃ、行きますよぉ、イチせんぱぁい」
子供で賑わうアトラクションの前で号泣する赤毛、
「何が日本一怖いお化け屋敷だ。人の顔見て悲鳴出しやがって…」
「はん。極悪面してっからだろ、テメェが」
「ぅぷっ。こっ、怖かったぁ…」
お化けスタッフが泣き出したと言うお化け屋敷から出て来たヤンキーは、ピンクのプララ君ヘアバンドを付けていたとか何とか。
「きっ、君達!デビューが待ってるんだ、必ず成功するんだよ?!考え直してくれないか!」
「いつまで付いてくんだ、あのオッサン。面倒臭ぇ、高坂ぁ、芸能人になってやれよ」
「巫山戯けんな、何で俺様が」
「ふわぁ、アイベックスって凄ぃ有名なヒット曲ばっか売り出してるレコード会社ですよぉ!」
アイドルのステージ脇を通り過ぎただけで、観客全ての視線をかっ攫って行った美形二人に、売り出し中のアイドルが泣いたとか惚れたとか何とか。
「プララ君パレードやってるってよ!ああもうっ、ミラーコロッセオにも行きたいのに!クソッ、体が足りねぇ」
「疲れた…帰りたい…」
「せんぱぁい、お茶とフランクフルト買ってきましたからぁ、休憩しましょぉ?」
「俺もっかいコーヒーカップ乗って来るわ」
「ぇえ?!一人で乗るんですかぁっ、イチ先輩?!」
「疲れた…帰りたい…」
貧血気味の光王子をズルズル引き擦っていく赤毛が、プララ君着ぐるみに群がる子供達に紛れて握手を強請っていたと言う光景は、半分気絶していた日向も知らないだろう。
まぁ概ね、楽しんでいる様だ。
「マスター、新しいホテルを手配しました」
男が部屋の中へ足を踏み入れた時、スイートルームには目的の姿はなかった。
メイキング中のスタッフが困り果てた表情で男を見やり、恐らくベッドシーツらしき包みを指差す。もぞもぞと動いているそれは、明らかに人の存在を知らしていた。
「何だ、これは」
「処分するよう承ったのですが…我々の手に余るもので」
男が包みを足で転がすと、解けた包みの中から素っ裸で縛られた金髪の少年が顔を覗かせる。目隠しをされている様だが、男にはそれが誰だかすぐに判った様だ。
「…またマスターの怒りを買ったのか」
「フロントからチェックアウトの連絡を受けてるんですが、このままでは…」
「良い、処分は私が行おう。で、部屋の主は何処に?」
「先程お出掛けになられたのは拝見しましたが、行き先までは…」
また勝手な事を、と。
眉間に手を当てた男は然し、それ以降、『マスター』の姿を見る事はなかった。
叶二葉が消えた翌日。
カルマメンバーである生徒全てが痛々しい姿で登校し、学園が震撼する騒ぎになる。
「ぁ、錦織君。俊君は?」
「…山田君を探しに行くと言って聞かなかったので、ユウさんとユーヤが止めています」
痛々しい青あざに湿布を貼った要が、同じく黙り込んでいる湿布だらけの健吾と隼人を見やる。
「授業のノート、渡しに行っても…」
「今は止めた方が良いでしょう。総長はともかく、他も気が立っていますから」
初めて、俊の激怒を桜が目にした月曜日。
朝から姿が見えなかった太陽に心配する俊は、佑壱らが話す内容を聞くに連れて、元々の無愛想な顔を怒りで染めた。
たった一人で、佑壱以下四人を立ち上がれない所まで痛めつけ、連絡が付かない太陽を三日経った木曜日まで案じているのだ。
「カナメさん!ユーさんが死んじゃうよぉ!」
傷だらけの獅楼が泣きながら駆けてくるのを見るにつけ、無言で走って行った要と健吾に、ゆるゆる立ち上がった隼人が腰を抑える。
「いたた。筋肉痛パネーんだよねえ」
「ど、どぅしよぅ…!何で喧嘩しなきゃ駄目なのぉ?嫌だよぅ、はっくん、行ったら駄目だょ、また怪我しちゃうよぅ!」
「ゆってらんないでしょ。今はまだ何とか、俺らで止められるんだからさあ。…ボスが本気になったら、どおしようもないしー」
零人と東雲の権限で懲罰棟の最下層に俊を閉じ込めているが、世間には知らされていない。左席役員である俊と太陽が授業に出ずとも、免除権限があるので誰も可笑しいと思わないのだ。
「へ、変だよぅ。今の学園は、何か変だよぅ!ぅえっ、ひっく」
何も彼もが、可笑しい。それは恐らく、一年進学科の生徒なら誰もが気付いている。俊が居ないだけで通夜の様な静けさに包まれた教室は、誰もが不安げだ。
何故か無期限謹慎処分を受けている溝江と宰庄司に、仲が良かった武蔵野が心配しているのを桜は知っている。
元々大人しかった級長の野上は、徐々にやつれていった。今日の授業中とうとう倒れ、保健室送りだ。
「あーあ…、やっぱ、庶務が居ないと止めらんないよねえ」
隼人の台詞に、涙を拭いながら顔を上げた桜は、痛々しい歪んだ笑みを浮かべる隼人の顔を眺めた。
庶務。
その名は、今の左席では禁句だ。ただでさえ気が立っている俊には、口が裂けても言えない名前。
俊以外の誰もが、ボサボサ黒髪の長身が神帝だと知っている。
「はっくん」
「冗談。…最近現れないから、やっとボスから興味が冷めたって喜んでるんだよお?今更ほじくり返されても困るー」
桜は知っている。
俊と神威は本当に、まるで恋人の様に仲が良かったのだ。言いたい事を言い合える仲なのだ、と。普段は、マイペースな様に見えて周囲に気を遣っている優しい俊が、神威にだけは気を許していた様に見えたから。
だから太陽が自らを犠牲にしてまで悪巧みを考えるほど怒ったのも、きっと、同じ様に思っていたからだ。神威が裏切った様に思ったからだ。
「シロ、手当てするぞ。泣いてないで、こっちに来い」
隼人が去るのと引き替えに、苛立たしげな零人が教材を小脇にやってきた。大学の授業が終わったのだろう。
火曜日で教育実習が終わり、昨日から最上学部に戻った零人はこうして、毎日獅楼の元にやって来る。
曰わく、責任を果たす為だそうだが、日を増すに連れて獅楼に対する眼差しが優しくなっていくのが判った。
「先生、白百合様の居場所は…」
「安部河、俺ぁもう先生じゃない。…叶も帝王院も、どっちも手掛かり無しだ」
肩を落とした桜に、零人が顔を上げる。近付いてくる人影に気付いたからだ。
「何だ、安部河も居たのか」
「よぉ光姫。俺様に何か用か?」
「死にたくなけりゃ黙ってろカスが」
日向の後ろに、目を見開いている長身が見えた。自治会副会長の証明であるバッジを付けた、白髪の長身。
「…桜」
「セイ、ちゃん」
彼の胸元で中央委員会の証である十字架が、煌めいた。
←いやん(*)(#)ばかん→
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