帝王院高等学校
グルメ珍道中☆ご商談は計画的に!
「おいでやす高坂はん。えらい懐かしおすなぁ、いけずな事」

ころころ、鈴を転がす様に笑った女将に、緊張から極悪犯の目つきになっている我らが主人公は、いつもピンと伸ばしている背中を益々伸ばした。

「悪いな、中々顔出せなくてよ。鈴原はちょいちょい来てんだろ?」
「ええ、鈴の旦那には贔屓にして貰て、足向けて寝られまへん」

ヤクザよりヤクザらしいオタクの向かい側、キラリと光るロレックスに眼を落とした男前がニヒルに笑う。お品書きを俊の目の前に開きながら、女将に顎をしゃくった。

「新規連れて来たからよ、手打ちにしてくれ。盆前には皆で顔出すから」
「ほほほ。ほな、せいだい気張ってお持て成ししやす。冗談はここいらにして、こちら様はお初のお顔どすねぇ」
「ああ。息子の後輩で、俺の後輩でもある。俺も会ったのは今日が初めてなんだが」
「あらあら、あてはてっきり、こちらはんも同業の方やとばっかり…」
「馬鹿言え。まぁ、流石の俺も身構えちまう程の貫禄だが…」

女将と高坂から見つめられた男は、瞬きも忘れお品書きを凝視している。呼吸しているのかも怪しい程だ。
黒いシャツに黒いスラックスと言う、恐らく帝王院学園の制服だろう服装は朝食後に渡されたものだが、ブレザーが無いと職業不明である。

補導された事がない遠野俊は、父親と母親が目の前で補導され掛けたのを見た事がある、15歳だ。

「とりあえず飲み物くれや。俺はいつもので、コイツには…すんすん?」
「…」
「おい?」
「はヒィ!何ですかボス!」
「ボスて、ほほ、けったいな呼び方どすなぁ」

テンパった俊に目を見開いた高坂へ、ころころ笑った女将が笑いながら立ち上がる。

「日向坊ちゃまの後輩言うたら、未成年どすな。お茶でもお持ちしやすえ」
「おう、頼んだ」
「あっ、あにょ!」

凄まじい眼光で立ち上がろうとしたオタクが、座卓の内側で激しく膝を打ち付けた。両手で口を塞いだ女将の肩が小刻みに震え、痙き攣った高坂が僅かに腰を浮かせる。

「しゅ、シュン!大丈夫か?!」
「はィ、生きてます生きててすみませんでした息してすみませんでした」
「あ、いや、息はしてて良いから…な?」
「かたじけない、ボス」
「あ、ああ、いや」
「ほほほ、仲良しな事」
「あにょ、黒い泡の出る飲み物とかありますでしょうか?メタボが気にならない糖分控え目な」

目をかっ開いた高坂が尊敬の眼差しで俊を見つめ、緩く眉を寄せた女将が襖に手を掛けたまま困惑気味に首を傾げる。

「あきまへん、ビールは早うおすえ」
「いいえ、コーラゼロで」
「ぶふ!」

うっかり笑ってしまった女将が真っ赤な顔でコクコク頷き、足早に襖の向こうへ消えた。
最後は無言で居なくなったのだから、口を開けば爆笑していたに違いない。

「コーラかよ。ビールかと思った。マジビビるぜ」
「ボスは日本酒ですか?あれですか、お酒は温めの燗でイイ〜みたいな!」
「古いネタだな、そら。肴は炙った烏賊、と言いたい所だが、とりあえず刺身と穴子鍋で予約してある」
「きゃー!お刺身ちゃんなんて何年振りでございましょうやら!」

帝王院学園のセレブ食堂は基本的にフレンチイタリアンが多く、アンダーラインにある和食店は天ぷら専門店だ。
刺身定食があれば良いのにと、いつか要が言っていたが、生魚を食べない健吾も裕也も、唐揚げと明太子があれば良いと思っている節のある佑壱も、俊に刺身を与える事は今までなかった。

実家では極々たまに、割引になったスーパーのパック刺身が並ぶが、おかずにならない上に腹も満たないので頻度は少ない。

「お刺身ちゃんだけでご飯食べれます。そのくらい大好きです。唐揚げだったらご飯5杯はいけます。明太子だけでもいけます。ご飯大好きです」
「好きなもん頼んで良いから。遠慮せずバンバンやってくれや」
「ボス…!僕をお嫁に貰ってぇえええ」
「失礼します」

ドリンクを運んできた仲居が、テーブル越しに抱き合うヤクザ二匹にビクッと震え、無言で飲み物を置いて出て行った。
何やら勘違いされたらしいと気付いた高坂だが、元々バイの好色極道なので取り留めて気にしてはいない。

「乾杯と行こうじゃねぇか」
「はァい。あらん?ボス、それってば有名なカルアミルク?」
「馬鹿言え、コーヒー牛乳に決まってんだろ」

ピナパパのコーヒー牛乳好きは有名だ。一時期はあらゆるメーカーのコーヒー牛乳を飲みわたった、コーヒー牛乳珍道中なるブログがヒットしていた。
新製品のカフェオレが気になったら覗くと良いだろう。タピオカ入りのカップ製品が、近頃ランキングに入っていた。

「それじゃ、改めて初オフ会を祝して。乾杯!」
「かーんぱァい」

コーヒー牛乳をジョッキで飲み干す高坂に負けず、ごきゅごきゅコーラを煽る我らが主人公、炭酸に強い喉が自慢だ。

「ぷは!」
「ぷはーん。ゲフン」
「お待たせしました。鮑、伊勢海老の舟盛りからお持ちしました」

二杯目のコーラも凛々しく飲み干したオタクは、やってきた余りにも豪華過ぎる煌びやかな刺身に硬直し、仲居らを怯ませている。
その眼力に極道の匂いを嗅ぎ付けていた高坂が顎をさすりながら、養子に欲しいと呟いた。

「すんすん」
「茶碗蒸し!さざえ!カワハギ!烏賊!甘えびちゃんに、何と!あんきも!伊勢海老ちゃんを煌びやかに飾り付けるエキストラさえも大変美しゅうございます!じゅるり」
「ああ、まぁ、適当に食ってくれや。フグの唐揚げと鮟鱇の唐揚げも追加してっから」
「有り難き幸せェイ!いっただきまー!がつがつがつがつ、もきゅもきゅもきゅ、がつがつがつ、もきゅん!ゲフ」

凄い。
錚々たる勢いで刺身の半分と、熱々の茶碗蒸しが跡形もなく消えた。
男らしくコーラを次々に煽り、料理を運んできた仲居が慌ててペットボトルを持って来たが、鍋の用意でやって来た板前がコンロを準備する前に、今度はペットボトル7本を慌てて持って来る事になる。

「もしゃもしゃもしゃ」
「…ああ、食べながらで良いから聞いてくれ」
「がつがつがつがつがつがつ、こんなに美味しいものがこの世にあるとはァアアアもきゅもきゅもきゅごっきゅごっきゅごっきゅ」
「そ、そうか、そりゃ良かった」

涙目になるほど美味いのか。
鍋を準備しながら呆然と見ていた板前が、刺身の飾りでしかないツマまで消えている舟皿を抱え、嬉しげだ。

「すまん、料理が足りそうにねぇ。悪いがお品書きの片っ端から用意出来るか?」
「はい、お安いご用です!早いものからお出しします」

ぺろんぺろん皿まで舐める号泣中のオタクに、貰い泣きした板前が慌ただしく走って行った。
何ともなく胸一杯になった高坂が腹を撫でながら、昔もこんな事があった気がすると首を傾げる。

「変な話だが、卒業した後の進路は決まってんのか?」
「ふぇ?えっと、親は何にも言わないんですけど、僕の叔父さんは大学まで行った方が良いって言ってました」
「正論だな。日向は…まぁ、恐らくイギリスの大学に行くんだろうが、行って損はねぇ」
「イギリス?」
「母方の実家さ。堅い家でな、向こう方に男の直系が居ねぇっつーんで、跡取りに欲しがられてる」
「あ。えっと、えっと、びーぜんば〜ぐ」

頷いた高坂が、腕時計を外しジャケットを脱ぐ。胸元まで開けたシャツから、ほんの僅かだけ筋彫りが見えた。

「俺ぁ、反対だ。組を継がせる気も無いし、子供の意見は尊重してぇが今も反対だ」
「そんなに嫌なお家なんですか?」
「最低よ。嫁の実家にンな事言っちゃ何だが、前の家長…つまり嫁の父親は余所で子供作らせた。嫁も嫁の兄も、母親は余所の女だ」
「昼ドラちっく」
「嫁の兄が家長を継いだ矢先、日本人と駆け落ちしてよ。見つけた時には嫁子供残して、天国だ」
「お可哀想に」
「可哀想?継母の元に妹置き去りにした奴がか?」

低い声に怯みつつ、煮立ってきた鍋に野菜を放り込む。

「違うにょ。お子さんが可哀想なり。どんな悪人でも、親が居なくなって悲しくない子供は居ないにょ」
「…はぁ。そうだな、可愛げのねぇ男三人兄弟だが、苦労もあったろう。内一人は、ヴィーゼンバーグの眼を継いだ所為で日向より先に目ぇ付けられた」
「ピ…副会長の従兄弟さんですか?」
「おう。中々狡賢い長男が仕組んで、物心付くか付かんかの頃にはもう、ヴィーゼンバーグがおいそれと手出し出来ねぇ所に、弟を隠しやがった。…自殺行為に近ぇと思わんでもない」

野菜を取り皿に一度上げた高坂が、骨切りされた穴子を放り込み、軽く湯通しした程度で俊の手前にある取り皿へ投げ込んだ。
ふわふわの穴子の身が口の中でホロリと解れ、かぼすポン酢の爽やかな香りと踊っている。

「うまぃ」
「叶二葉」
「ほぇ?」
「あんま知られてねぇだろうが、俺の甥に当たる。上に二人兄貴が居るんだが、本当はもう一人、姉が居た。本人も知らんだろうがな」
「二葉先生にお姉様が?」
「先生?」
「あ。うっかり。白百合様と平凡少年が毎日頭の中でイチャイチャなさるもので…」

苦笑いした高坂がポキリと首の骨を鳴らし、会話しながらも光の早さで料理を片付けていく俊と、汗だくで料理を運んでくる従業員の攻防を眺めた。

「大学の費用一切合切、俺が面倒見る…っつったら、お前、うちに来るか?」
「もきゅん。はぇ?」
「俺ぁ、お前に極道の才能を見た。俺の右腕の脇阪が、昔スカウトし損ねたカリスマが居たっつってたが、俺ぁお前にそれを感じてる」
「そんな!カリスマだなんて!えへ、えへへ。…む?脇阪?脇阪???」

照れたオタクが頭を掻き、きょとりと首を傾げた。

「脇阪康生、さん?」
「は?何で脇阪の名前知ってんだ?」
「あにょ、前バイトしてたお店のオーナーさんが、あにょ」
「ちょっと待て、脇阪に任せてんのはキャバクラかソープくらい…あ!あれか!金借りてトンズラしたシャバ造から巻き上げた…何がお洒落な居酒屋だ!」

ホストじゃねぇか、と叫んだ高坂に、唐揚げを持って来た仲居がビクッと震え、涙目で出て行く。

「で、でもっ、水商売は無理だって言ったら、ちょっとお洒落な居酒屋だと思えばイイって!ワッキーが!」
「ワッキー?!」
「深く考えずやるだけやって見ろ、いっそうちの組に入れって言われて…!ピナタに見つかって、辞めなきゃ泣くって言われたから辞めちゃったんです!」
「ピ、ナタ」
「うっうっ、あの頃のピナちゃんは可愛かったですん!」

硬直した高坂は、年老いたとは言え聡明な頭で素早く考え、体から力を抜いた様だ。
呆然と笑い出し、今や腹を抱えるほど爆笑している。

「カルマ!お前があの、カルマか!判った、三年前くらいから日向が自棄に頻繁に帰って来るから可笑しいと思ってたんだ!」
「うぇ?」
「その象並みの食欲に、問答無用で人を惹き付ける威圧感…はは!ははは、最高傑作じゃねぇか!いや、想像以上だ!」
「あにょ」
「ABSOLUTELY創設者の息子が、カルマ!…野郎、道理で今頃動き出した筈だよ」

爆笑を控えた男が、外したロレックスを一瞥し、初めて唐揚げを頬張った。笑いすぎたらしく涙目だ。

「遠野俊。シュンは、俊敏の俊で間違いねぇな?」
「あ、はい」
「母親の名前から取った訳だ」
「えっ」
「遠野俊江、医者の娘、日本拳法やってただけ滅茶苦茶強い、元族潰し」
「え?え?あにょ、それって、うちの母ちゃん、ですか?」
「ああ。17年くれぇ前に高校生と駆け落ちした、俺の初恋の女。アイツに惚れてから、好きになる女は男勝りな奴ばっかだ」
「えええ?!あんなゴリラ…ごほっごほっ、母ちゃんが初恋?!眼鏡お貸ししましょうか今はありませんが!」
「高校生がマフィア相手にどれだけやれるか、興味が沸いてきた」

ぱちぱち。
瞬けば、取り皿に穴子を放り込んでくれた高坂は、鋭い、虎視眈々と言う言葉がぴったりな眼差しを向けてきた。

「養子の件は諦めた。お前は俺の手には余る」
「ふぇ」
「その代わりと言っちゃ何だが、手を貸してやる。光華会8000の人脈が、無利息無担保無制限だ」

虎。
まるでこれは、獲物を狙う黄金の虎だ。

「グレアムが唯一接見を許したアジア企業、東雲も加賀城も霞む表舞台ナンバーワンに従うのも悪かねぇ」
「…何が目当てですか?俺には、無利息無担保無制限に、無条件が含まれない事が気になる」
「それが本性か?…いや、そうしてると父親そっくりだな」

取り引きをしよう、と。彼は笑いながら呟いた。
体の何処かで穏やかな笑みを浮かべたもう一人の自分が、勝手に口を動かそうとしているのが判る。

「私に取り引きを持ち掛ける子供。君にどれ程の価値があるのか、とくと聞こうか」
「…何だ?」
「この子の不利にならば、ナイトを怒らせる。納得するに相応しい商談を望む」

こんな喋り方だったろうか。
もう一人の自分はもっと、説教じみた意地悪ばかり言う、傲慢な性格だった様な気がするのに。

「お前…誰、だ?」
「遠野俊、以外に見えるなら、レヴィと呼ぶが良い。それ以外の名は、子孫に譲っている」
「レヴィ?…何だそりゃ」
「商談を始めよう」

笑っていないのに笑っている、奇妙な感覚。実際には表情筋はまるで動いていない筈だ。


「覚えておきなさい。私が神たるか悪魔たるかは、…君の言葉一つに委ねられている」

高坂の虎の眼が、怯えを滲ませた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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