帝王院高等学校
狼は安堵の中で悪戯を思い付く
通り掛かる生徒達がこそこそと何かを囁きあいながら、不自然にこちらを見つめてくるのに舌打ちし、鈍い痛みを放つ左足を庇い立ち止まり、息を吸い込んだ。
「見てんじゃねぇ、潰すぞ!」
「きゃっ」
「ひぃっ」
すぐに無人と化した廊下を一瞥し、気を抜けば今にも座り込みそうになる情けない足を叱咤する。
肩に担いだ決して小さくはない幼馴染みの荒れた吐息が漏れると、眉間の皺は益々加速した。
「ケンゴ、もうちょい待てや」
「ぅ」
「くそっ。…何だ、あいつ」
隼人と大差ない長身など滅多に見た事がない。密やかに滲む微笑は嘲笑に酷似していながら、然しまるで同情している様にも思えた。
あの意味深な行動が指し示すものは、何。考えれば考えただけ謎が深まる。けれど、それ以上に、
「ぅ、…ユーヤぁ」
「起きたかよ」
「悪ぃ、完璧脳震盪しちまったみたい(οдО;) ぐらぐらしてる〜」
「今、保健所連れて行ってやる」
「野良犬にそれは禁句っしょ(∀)」
ふらりと肩から降りた健吾がリノリウムの床にペタリと崩れ、ぼーっと床を見つめながらクスクスと肩を揺らし始めた。
「ケンゴ?」
「スゲェなぁ、…殴られる瞬間まで全く目が付いていかなかったよ相棒。何だ、あの眼鏡もやし。スゲェスゲェ、ユウさんに殴られるより痛ェ(´Д`*)」
赤を通り越して紫に変色した左頬が痛々しい。ネクタイをしていないブラックシャツの胸元から、指揮棒を咥えた狼のタトゥーが覗いている。
「もやし野郎はオレが潰してやる。…お前が負けるんだから、彼女持ちだったんだろ」
「うひゃひゃひゃ!…本気で言ってんの、ユーヤ?だったらお前はただの馬鹿緑だじぇ(´ψψ`)」
おめでとー馬鹿みどりー、などと至極陽気な声音が響き渡った。つきんつきん小さな痛みを繰り返す左足に拳を握り、息を吐く。
「やられたらやり返す、カルマの鉄則だろーがよ。オレらが揃って負けたなんて総長が聞いたら、」
「今日は新月だから、帝王院なんか一夜壊滅っしょ(TεT;)」
「判ってんなら、」
「規則破ってダッサイ事ヤリカマしたの、俺じゃん」
全てを悟った様な酷く楽しげな笑みを浮かべ廊下の向こうを眺める瞳が、弧を描く。
「…山田の話か。それなら判ってた事だろ」
「白百合に騙されても、俺はあの人に会いたかったんだユーヤ」
「所詮居ても居なくても誰も気付きゃしねぇ平凡一人、オレが此処から追い出してやる」
「無理だねー、きっと(∀)」
無意識に首を傾げていたらしい。
床の上から見上げてきた健吾が、指で作ったピストルを突き付けてきた。
「藤倉ユーヤっ、眉間に三途の川違反で君を逮捕します!今すぐ保健室を襲撃し美人女医に欲情しつつ健吾様の湿布と氷を貰って来なさい(/∀/)」
きゃ、などと少女の様な声を出すのに嘆息する。自分だけいつまでも激怒しているのが馬鹿みたいだ。一応は大切な幼馴染みを心配していたと言うのに、喜劇ではないかこれでは。
深い溜め息と共に肩から力が抜ける。途端に足の痛みが急加速した。自分より小さいただのオタクに一発蹴られただけでこの様では、要や隼人が知った時の爆笑が目に浮かぶ。
「ウゼェ」
「湿布は無臭系じゃぞ。スースーする奴はイヤイヤよー(´Σ`*)」
「立てねぇなら素直に言え。担いでやるからよ、むさいおっさんしか居ねぇ保健所で寝てろ」
「ついでに足の手当てしとけ、ヒロ」
無意識か意識的かは判らないが、右胸に拳を当てた健吾が珍しく真剣な眼差しで静かに見上げてきた。
「アタシ、今は一人になりたい気分なのヒロニャリ君。あんまりシツコイと嫌いになっちゃうぞ☆(●´mn`)」
「何だそのキモさ、誰がヒロニャリだ誰が」
「小野小町の物真似(´Д`*) アタシの事はケンコちゃんって呼んでくれて良いわよ」
「ウゼェ、小野妹子がおっさんっつー事実よりウゼェ」
「飛鳥時代に思いを馳せながら行ってらっしゃい、日本史マニア」
ひょこひょこ足を引き摺りながら無駄に長い廊下を歩いていく後ろ姿に手を振り、先程裕也が追い払った筈の生徒達が数人、背後から見つめてくる視線に笑みを消す。
アイドルだと誉められる容姿はただの雄へ変化し、胸元から静かな息吹を溢れさせる狼の如く獰猛に背後を振り返るのだ。
「Verlassen Sie es, Sie sind behindernd.(目障りだから消えろや)」
緩やかに立ち上がった男に怯み、今度こそ世界は沈黙する。
「Auf wiedersehen.(ばいばい)」
走り去る生徒達に手を振り、その手を左頬に当てた。
「…」
誰が見ても明らかだ。
幾ら交換条件を提示されたからと言って、罪のない自分より弱そうな男を先に殴ったのは自分。
手加減をしたからと言って、あそこまでひらひら避けられれば少しだけ本気になってしまう。
(それでも、手加減したのだ。)
叶二葉が何処から見ているか判らないから、どうも聡そうな太陽ならば気付くだろうと軽く、見た目は大袈裟に吹き飛ぶだろう力で、手加減をしたのだ。
(そんな惨めな言い訳染みた言葉は)
(誰に向けたものだろう。)
「でも、やっぱ痛かったよなぁ、タイヨウ君。かなり手加減したけど、本気になりすぎちまったや。…反省orz」
まだ、頭がくらくらする。
至近距離で網膜に映った唇が無機質に呟いた台詞が離れない。ぞくぞくする、今更に。
凄まじい威圧感だった。幾ら眼鏡に覆い隠されていようと、間違える筈がない。
毎日空に祈ったから。
朝なんて要らないから早く夜に帰してくれと願ったから。
だって、大好きな人は夜にしかやってきてくれない。昼間に会いたくても向こうから誘ってくれる事は無かった。
「ハンバーグの匂いがしたなぁ」
だって、右胸が疼く。
大切なご主人様への忠誠を示したタトゥーがずきずき痛む。
「…絶対、ご主人様じゃろ。」
悔しい。
(いつも見付けるのは犬が先)
(いつも迎えに行くのは犬の役目)
悔しい。
『総長っ、待ち合わせはお昼だったじゃろ!(@_@) 今何時だと思ってんのっ(TεT;)』
初めて二人で出掛けようと約束した日。
『道に迷ったんだ』
珍しくサングラスをしていなかった人は、今にも人を刺し殺しそうな風体で星空を従え現れた。
『迷ったぁ?!どうしたら町のド真ん中にある駅前で迷うのさ!(~Д~)』
『映画なんて久し振りだから浮かれて、間違えてホームで待ってたんだ』
不良達が遠巻きに眺めていて、けばけばしいギャル達が最強の雄を見つめ頬を赤らめて、
『ついでに駅弁求めて電車乗ったとか言わないでよ(*´Д`)=З』
『新幹線に…』
『乗ったの?!Σ(=Д=)』
『神戸で明石焼き食べてから、迷子に気付いたんだ』
今にも地球を握り潰しそうな風体で切ない息を吐く人を庇いながら、凄まじい優越感に浸ったのだ。
『わ、判った。これからは待ち合わせじゃなくて迎えに行くから、総長は1人で出歩かないで(´∀`;A)』
『判った』
八時間も待たされた事などどうでも良かった。(この人は自分の飼い主)
夢中であらゆる所を捜し回り充電が切れるまでメールしまくった数時間前などどうでも良かった。(羨ましいだろう人間共)
探し疲れて戻ってきた夜の駅前に、そこだけぽっかり空いた不自然な空間にその人は居たから。(ああ、背筋を駆け上る優越感)
悔しいから、仕返ししてやろう。
毎日毎日会いたくて会いたくて気が狂いそうだったのに、あんな再会は酷過ぎる。
(彼はあの時、気付いていなかった)
「しゅん、しゅん…ねぇ。そう言えば、白百合を蹴った新しい帝君が遠野俊、だったなぁ(´Д`)」
笑いが零れてしまう。
「ST、シュン=トオノ。あーあ、Aクラスになんか落ちるんじゃなかったや(~Д~)」
去年の夏、台風一過の涼しい日に。一日早く用意したバースデーケーキに立てた蝋燭は20本。
カルマのハッピーバースデー大合唱に有難うと呟いた人は、五本だけ残して蝋燭を吹き消した。あの時は何も思わなかった。残りは皆で消してくれと言った人に、そうかお祝いのお裾分けかなどと無邪気に舞い上がった自分が馬鹿みたいだ。
佑壱が不自然な笑みを浮かべて一本吹き消した。
要がそれに続き、裕也、そして自分が吹き消せば、ご主人様の膝枕で優雅に寛ぐ隼人の分は要と自分が同時に吹き消して隼人がぶちギレたのだ。
「15歳、なら。謎は全て解けた!…だよなぁ( ̄^ ̄)」
もし、人違いならそれはそれで構わない。もし大正解だったら最高に幸せなだけだ。
意地悪をしてやろう。殴られた腹癒せと言う名目で、裏切られた仕返しと言う名目で、ご主人様と同じイニシャルを持つ外部生に。
「白百合が何か言ったら、外部生間違いしたとか言っとこう(´Д`*d)」
右胸がずきずき疼く。
「エープリルフールのドッキリだったなら、許してあげても良いけどな(∀) 今回だけはちょっと意地悪してやる(* ´mn`)」
向こうから名乗るまで。
(向こうから迎えに来るまで)
向こうから謝って来るまで。
(居なくなってごめんなさいって)
(謝るまで、許してあげない)
「月へ祈り己の過ちを悔いるが良いよ、…総長」
残念だったね、今日は新月なんだご主人様。人間は月の無い漆黒の空に怯んで気が狂い、人間は新月の貴方を恐れる。
「飼い犬舐めんなよ、遠野俊……………ご主人様め。」
(だけど皆、知っている)
(新月の夜の彼はとても優しくて)
(満月の夜の彼は酷く口数が減る)
祈りとは他人任せな行為だ。
願うとは自己満足な行為だ。
新月の夜空には確かに月が存在していて、ただ肉眼では確かめられないだけだ。
満月の夜空には明るい月が浮かんで、然しそれは太陽には成れない。
「………まだ、くらくらする…」
左頬が熱い。
冷たいリノリウムに倒れ込み、右手を左頬へ、左手を右胸へ当てた。
別人だったら腹癒せ。
本人だったら仕返し。
暫くは退屈しなくて済みそうだ。これから開幕する高校生活が、キラキラ輝いたものになる様な気がする。
「交響曲第3番、アレクサンドル=スクリャービン」
広げた両腕は幼い頃嫌いで嫌いで堪らなかった父親に似ていて、形の無い鍵盤を弾く指は嫌いで嫌いで堪らなかった母親譲りなのかも知れない。
大切な人は極少数で、大好きな人はただ一人だけ。
(贅沢を知った犬は)
(理想が高過ぎる)
(このままずっと独身だったら)
(責任を取って貰いましょう)
(想いを乗せた旋律を捧げて)
(観客は、一人。)
今はまだ誰も聞く事の無い演奏は、これからの未来へ捧げる祝福の鐘。
会いたいのも聴かせたいのも意地悪をしたいほど大好きなのも、ただ一人。
(Zu Ihnen ein Segen.)
(貴方の未来に祝福を)
「…ハ短調、神聖なる詩。」
神様みたいに笑う、あの人だけ。
←いやん(*)(#)ばかん→
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