帝王院高等学校
澄み渡る空の下はハプニング続き
お世話でも巧いとは言えない歌を朗らかに歌う若者、冷やかし半分で見ている観客。
主人を連れていない犬の赤い首輪を眺めながら、ふわりとした空へ目を向けた。

「イイ天気だなァ」

右手には500円玉。
左手には1円玉。
何故こんなものを握り締めているのか判れば、途方に暮れながら空を見つめたりはしなかった筈だ。

「俺は何をやってるんだ」

此処は何処だ。
携帯も持っていない自分は、何故、まるで海にでも潜っていたかの様に濡れているのだろう。

「ずっと寝てたみたいに頭が重い。…可笑しいな、何か忘れてる様な気がする」

全身、生乾きだがびしょびしょだ。泳げない癖に。

「501円じゃタクシーにも乗れない」

ふと目にした道路標識、ああ、自宅からは大分離れているが、


「ちょっと思い出した。ぴなパパさんと待ち合わせしてたんだ」

歩いても、目的地にはすぐ辿り着く距離だ。














安部河桜は考えた。
自分は今、この世で最も可哀想なのではないか、と。

「何か遠足みてぇじゃん」
「…うっせー、遠足なんか行った事ねぇ」
「あ、俺もねぇわ。一昨年の修学旅行もサボったんだった」
「おやつもお弁当もない遠足など、一欠片も面白くありませんね」

対面座席の端、小さく身を縮めながらビクビク会話を聞いている彼の表情は、今にも消えてしまいそうな程に青かった。
唯一の救いは、一人が同じ委員会である事と、自分が空気の様な地味な存在である事くらいか。

「それにしても、良くあの距離で気付かれましたね」
「河原で盛ってりゃ、誰でも気付くだろ変態野郎。テメーは高坂と違って、もうちょい思慮深い奴だと思ってたのに」
「そらどう言う意味だ馬鹿犬。俺様がコイツより下だっつーのか、テメェ」
「おや高坂君、年中発情期の君が何を仰いますやら。ねぇ、嵯峨崎君」
「でもなぁ、高坂の評判悪くねーんだよなぁ。山田も高坂が御三家で一番まともっつってた」
「…良し!判ってんじゃねぇか山田副会長」
「あはははは。高坂君、後で面ぁ貸しやがれテメェ」

耳を弄る日向に笑顔で掴み掛かる二葉に飛び上がる桜とは違い、佑壱は自分の携帯を見つめている。

「畜生、何で俺の携帯はすぐフリーズするんだ。相変わらず写メ撮れねーしよ」
「写メなんか撮ってどうすんだよ」
「え?テメーと叶のツーショ売ったら、うちの会長が喜ぶからですかね」
「巫山戯けんじゃねぇ、殺すぞ」
「ねぇ高坂君、嵯峨崎君の首輪の下にキスマークが見えますよ」

二葉の台詞で目を見合わせた日向と佑壱が、あからさまにそっぽ向いた。桜でも判る態度だ。
だが然し、それについては誰も触れない。二葉が寄越したハイヤーに乗り込んでから、ただの一言も発していない桜はひたすら、身を縮めて空気として存在するのを極めている。


何故こんな事になったのか。
タクシーの中で突如「止めろ」と呟いた佑壱が、バイパスの欄干から飛び降りた時は運転手も桜も、甲高い悲鳴を上げたものだ。

唯一落ち着いていた日向が下を覗き込み、一瞬でうなだれた時は最悪の状況を心配したが、恐る恐る見れば女性を足蹴にする二葉が見える。
それも半裸に近い乱れた姿の女性、だ。見てはいけないものを見た、と狼狽える桜に、頭をボリボリ掻きながら日向は、気にするなと言った気がする。

「あら、二葉の姪だ」
「ぇ?!姪っ子って、」
「確か15か16だったな。二葉の上の兄貴の子供。…はぁ、ついこの間も顔見たばっかだっつーのに」

どうやら日向はあの少女が苦手らしい、と何と言って悩んでいれば、下から佑壱が叫ぶのと同時に、

「俺様の親戚でもある。…二葉が苛めてんなら、あら俺の婚約者の方だな」
「こっ」
「双子なんだよ。ああ、下手に言い触らしたら…判ってんな?」
「は、はぃぃ。誰にも言ぃませんっ」

青い顔で挙動不審にウロウロしていた運転手に、佑壱の上着を纏わせた少女を託し送り出してから、桜にまた悲劇が舞い込む。

「テメーの所為で車がなくなっちまったじゃねぇか、責任取れ」
「何処に向かうおつもりだったんですか?何と言いますか、想定外のメンバーですねぇ」
「おう、今からネズミーランドに行くんだ。何なら山田誘えよ色男」
「ああ、山田太陽君ならホテルのスイートでルームサービスを端から端まで注文している頃ですよ。恐らく、私が破産すれば良いと考えて高笑いしてらっしゃるのではありませんかねぇ」

二葉の台詞に凍り付いた桜は、何がどうしたらそんな状況になるのかひたすら考えた。
昨日、最後に会った時の太陽は、そのまま俊と行動を共にするものだとばかり思わせたからだ。


以降、仕事を残してきたと言う二葉が呼んだハイヤーで、送って貰う事になったのだが。
太陽が心配過ぎて今にも倒れそうな桜は、ネズミーランドよりもホテルのスイートに行きたい気持ちを抑え、何度も何度も太陽にメールしている。

だが、返事はない。

(どどど、どぉしよう!俊君からも返信来なぃ!)

桜の携帯には、太陽と俊、それに佑壱のメモリが登録されているが、その他のカルマの連絡先はない。
同じ小委員会である隼人とは「はっくん」「さっちん」の仲だが、やはり未だに完全には打ち解けていないし、クラスが違う健吾と裕也とは満足に話した事もなかった。

唯一、一緒に宿題するメンバーである要も、基本的には俊とばかり会話しているから、勿論、連絡先を知る筈がない。
全員のアドレスを知っている俊は勿論、太陽が凄すぎるのだ。何せ少し前まで、山田太陽と言う人間はいつも一人だった。理由は間違いなく、あの事件だ。

(ひ、太陽くぅん!大丈夫なのぉ?酷ぃ事されてなぃかなぁ!うぅ)
「おい」
(俊君ったら何やってるんだよぅ!いつも勝手に居なくなっちゃって、連絡取れなくなるんだからっ)
「おい。…安部河桜」
(でも、俊君も無事なのかなぁ?イチ先輩は何も言わなぃけど、灰皇院君と連絡取れなぃから機嫌悪かったもの…)
「ぷっ。シカトされてやんの!痛ってぇ!」
「テメェは黙ってろ、タコ犬」

鈍い音で我に返れば、いつの間にか二葉の姿はなく、日向に殴られたらしい佑壱が頭を抱えながら凄まじい目で日向を睨んでいるではないか。

「恋人をボカスカ殴りやがって!ひとでなし!」
「ぇ、ぁのぉ?」
「何が恋人だ、笑かすな。人の顔にぶっ掛けといて、フェラは嫌とか巫山戯けんじゃねぇ」
「えぇ?!」
「ちょ、師匠の前でンな隠語使うな!もっと可愛く、なめなめにしろ」
「煩ぇ、何がナメナメだカス。可愛いのは携帯だけにしとけ、17にもなって…。つか師匠って何だ」
「和菓子の師匠に決まってんだろ、そんな事も知らんのか高坂、遅れてんなハゲ」
「ハゲてねぇ」
「いや、お前の髪は山田の髪質に似てる。将来的にセンターハゲだな」

にんまり笑いながら頷いている佑壱が、はっと気付いて振り返った。

「師匠!今のは山田には言うなよ、シバかれっから」
「し、しば…」
「アイツは、昔の叶よりヤベェ匂いがするんだよなぁ、たまに」
「あ?…まぁ、確かに昔から可愛げねぇ餓鬼だったが」
「何か言ったか?」
「いや。それより、安部河。さっきの話の続きがあるんだが」
「ぇ?さっきって、婚約者さんのですかぁ?」

佑壱がキョトンと首を傾げ、真顔で日向の顔を見る。
ずいずい日向に近寄って、今や超至近距離から無言で見つめていた。キスでもしそうな勢いだ。

「…違ぇ、テメェを迎えに行った時の話だ」
「えっと、それって…どぅ言ぅ、」
「…好い加減にしやがれ、嵯峨崎」

無言でじぃっと日向を睨む佑壱に、白旗を挙げた日向が息を吐いた。
そのまま佑壱の後頭部へ手を回し、ぐっと引き寄せて噛みつくようなキス、一つ。

いきなり過ぎて反応出来ない桜は硬直し、あまりにも濃厚な美形同士のホモを鑑賞する羽目になった。

「ん」
「コイツなら言い触らしたりしねぇと思っただけだ。何疑ってっか知らんが、自分の師匠なんだろ?少しは信頼してやれ」
「意味不明な事ほざくな。…俺ぁ、別に」
「だったら何だっつーんだよ、テメェは」
「だ、だって、師匠も高坂が嫌いじゃないんだぞ!何だよ、俺が居ない所で深い話しやがって!」
「イチせんぱぃ、何か…やきもち、みたぃ?」

固まった佑壱が桜を見やり、急速に赤く染まっていった。信じられないものを見た様な日向は佑壱を見つめたまま、口元を手で覆う。

「お、お前、まさか…自分のものになったらいきなり溺愛するタイプじゃ、ねぇよな」
「な、なん、そ、それは…否定出来ねぇ、ぜ!」
「イチ先輩、告白した事なぃっぽぃですもんね…。ぇ?それじゃぁ、つまり、ぉ二人は…ぇえ?まさか…」
「ちっ、違うんだ師匠!山田が叶と付き合うっつーから仕方なく、」
「ぇえ?ぇえ?!」

真っ赤な佑壱は涙目で、桜を凝視しながら何やら宣っていた。だが然し、頑なに日向を見ない所を見るに、恥ずかしいらしい。
何やら考え込んだ日向が顔を上げ、やけに晴れやかな顔で一度頷く。

「まぁ良い。話を戻すが、さっきテメェの家の前でうちの人間を見た」
「は?うちって、」
「光華会直系じゃねぇが、あれは確か、脇阪の下に付いてる組の下っ端だ。俺様は全員の面を記憶してっから、間違いねぇ」
「何でヤクザが師匠の家に」
「何かの見間違ぃじゃ?ぅちにはそんな知り合い…ぁ」
「テメェの推測通りだろうな、安部河」

賢い琥珀色の眼差しを見つめ、家を出る前の事を思い出した。
幼馴染みの家の人間がやってきたと、姉が言っていた筈だ。けれど跡取りが寮生になってから、その家には誰も住んでいない。

「東條邸宅は半競売に掛けられてる」
「ど、どぉ言ぅ意味ですか?セイちゃんにはぉ父さんは居ませんけど、ぉ母さんが、」
「東條は元々、高坂と同じ家業なんだよ。本家は平成になったと同時にカタギになったらしいが、分家筋にはまだ残ってる」
「そんな…僕、初耳です」

幼い頃、清志郎から聞いた事がある。母方の祖父は考古学が好きな骨董商をしていて、母は海外で父に出会ったのだと。

「東條の祖父は前科持ちだ。学者にはなれる訳がねぇ」
「大方、企業舎弟みてぇな立場か。贋作だか盗品だか捌いて、組に金積んでた訳だな」
「良く判ってんな。アメリカも日本も大差ねぇっつー訳か」
「いや映画で見た。オカミの帝王で」
「…馬鹿犬が」

ヨシヨシと佑壱を撫でる日向を横目に、知らない事ばかりで口が重くなる。知っていたつもりでも、自分は幼馴染みの事を何も判っていなかったのだ。

「イーストの父親はあれだろ、確かアゼルバイジャンの」
「嵯峨崎。コイツの前だ、よせ」
「あ、…悪い」
「ぁの、良ぃです。全部、教えて下さぃ!僕、僕は、セイちゃんとまた、む…昔みたいに!」

いつも一緒で。
下らない事で笑って泣いて、時には喧嘩して、仲直りして、手を繋いだまま寝たり、同じものを食べたり見たり聞いたり、それが当たり前だった頃に、戻りたいのだ。

「昔、みたぃ、に…」

勝手に涙が出て来た。
寂しくても悲しくても清志郎が慰めてくれた昔には戻れず、四苦八苦の行動は、西指宿に橋渡しを頼む事。
それも叶わず、俊達と仲良くなった。

楽しいけれど。
俊も太陽も優しくて、友達になれて嬉しかった、けれど。


足りないのだ。
まだ、満たされていないのだ。


「ぉ、願ぃしますぅ。ひっく、僕に出来、出来る事ならぁ、何でもっ、ぐすっ、何でもしますからぁ!」
「し、師匠…」
「だとよ。…こっからはテメェのが詳しいんじゃねぇのか、エンジェル=グレアム。いや、ゼロ=アシュレイの弟」

日向が佑壱の顎をちょいちょい撫でると、またか、と呟いた佑壱が髪を掻き回す。

「昨日、山田に説明したばっかなんだがなー」
「何がだ?」
「グレアムの話と、叶の話」
「そら、えげつねぇ。じゃあ何か、10歳で何処ぞの内乱鎮圧したとか、6歳でドイツ空軍将校の家を牛耳ったとかか」
「いや、そこまではな。まぁ、ルークより可愛いもんだけど流石に」

立ち上がった佑壱が、天井の低さに眉を寄せながら運転手の頭掴んだ。

「元帥命令だ。テメーは何も聞こえない、聞かない。判ったな?」
「お言葉ですが、私は対陸管制部の人間です。ファースト」
「だからこそ尚更だ。余計な詮索しやがれ、対空情報部諸共ぶっ潰してやる」

低く、嘲笑いながら囁いた佑壱の表情は見えない。桜が聞いた事のない佑壱の声は冷たく、

「対外実働部のクレイジー共が何で俺に逆らわないか判るか、一位枢機卿だからだ。逆らえば消す。これは命令だ」
「…御意のままに、マスターファースト」

日向が愉快げに肩を震わせる気配。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!