帝王院高等学校
乗ったり乗っ取られたり四六時中
「ねぇ、」

しなだれ掛かってくる他人の手。
肘へするりと忍び込んできたそれに吐き気がする自分は、やはり何処か可笑しいのだろう。

「どうしました」
「パスタが食べたいわ。チーズたっぷりの、ゴルゴンゾーラ」
「それなら、評判の良いイタリアンをご案内致しましょう」

覗き込んで来る唇から顔を逸らした。
物言わぬ運転手の背中。

「早く二人きりになりたいの」
「光栄ですね、プリンセス」

赤信号を確認し、無言で車を降りる。運転手の狼狽えた声を片手で払い、怪訝げな細い女の肩をエスコートした。

「ヴァーゴ?」
「少し、デートに付き合って下さいますか?」

バイパスが走る高架下。
遥か頭上に青い空と太陽。茂る雑草の多さになど今は、気づいてもいない。









「君!死にたいのかっ」
「気を確かに!」

数人掛かりで取り押さえられながら、ただ呆然と波紋一つない水路を眺めた。

「誰か落ちたぞ!」
「こっちの水路だ!」

口の中で砂利が砕ける。歯噛みすると言う初めての体験に対する驚きよりも、今はただ、誰彼構わず八つ当たりしたい気分だった。

「…逃げた、のか。今のは」
「は?」
「君、大丈夫かい?起き上がれるなら、」
「あれは私に気付いていた。行くなと、言ったのに」

急激に青ざめていく風紀委員らは恐らく、滲み出る威圧感に本能が恐怖を感じているのだろう。

「命じて、拒絶されたのは初めてだ」

立ち上がり、肩に乗せられた他人の手を振り払った。


痛い。(左側が)
悲しい。(瞼が震える)
何が悪かったんだ、と。(考えてもきっと、答えは一つ)



(やはり自分は、人間でしかなかった)



「ははははは」
「何だよそれ!」
「笑うなよ、馬鹿!」

楽しげに笑いながら、重たげな荷物を運んでいくジャージ姿の生徒を見やる。こちらの騒ぎには気付かず、何処までも幸せな表情で、月末行事の準備をしているのだろう。

同じ生き物なのに。
何故こうも違うのか。

「君…」
「だ、大丈夫かい?」

心配げに覗き込んで来る他人を一瞥もせず、新緑の中央に聳える赤い赤い、時計塔を見つめた。


「あの頃が、最初の幸せだった」

不意に通りかかった教師が目を見開き、青ざめた表情で駆け寄ってくる。
理事長の顔を知る全ての教職員は、名乗らずともこの顔を見れば判るのだろう。幸か、不幸か。

「…あの夜こそ、絶望だと思っていたのは思い違いだったらしい」
「しっしっしっ、神帝陛下!この様な所で何をしているのかね、身体に障るぞ!」

周囲の皆が凍り付いたまま、駆け寄ってきた教師の狼狽えた顔を見ている。

「さぁ、すぐに屋内へ」

促されるまま、校内へ向かった。
煙草を咥えていた男が、テラスの一角から悲壮な表情で駆け寄ってくるのが見える。

「神帝?!おいっ、君がこの学校の生徒会長なのか?!」
「おい、何だねお宅は」
「シロネコヤマトです!」

怪訝げに睨む教師に、同じく睨み返した男は業者の制服に刻まれたエンブレムを見せ付け、ゼェハァ荒い息遣いで睨んできた。

「生徒会長宛てにお荷物が届いてますッス。あ、あともう一件、遠野さん方にも」
「待たないか。こちらは確かに中央委員会長だが、遠野ではない」
「困るんですよこっちも!朝からずっと待たされっ放しで、このままだと敷地内全部観光しちまう有り様なんッス!」
「…遠野?」

寄越せとばかりに手を伸ばせば、光明を見たとばかりにメール便らしき包みを突きつけてくる。

「そう、遠野さん名義で、JunkpotDrive宛てです。受付じゃ受け取って貰えなくて、本当に困るんですよ。何とか出来ないもんですか?生徒会長でしょ?」
「これ、君!言葉遣いに気をつけたまえ!」
「はぁ、すいません。でも元はと言えば受付の人がッスね、」
「プライベートライン・ジェネラルオープン」

呟けば、何を言っているのだと言った表情で業者と教師が視線を送って来た。

『コード:マスタールークを確認、これより回線内全域のスピーカーを行使します。ご用件は?』

全てのスピーカーから機械音声が漏れ、全ての人間が無意識に音声の方向を見やる。

「マスタークロノスの所在確認を」
『サーチ、エラー。超一級プロテクトにより所在を確認出来ません』
「最後の反応は」
『アンダーライン、中央パーキングにて確認。以降はステルスモード継続中です』

酷く青い空だ、と。天を仰ぎ見ながら、肌を焼く紫外線の気配に笑った。

「ステルス」
『マスタールーク、以降のご用命を』
「キング=グレアムに繋げ。私を崩御するらしいが、一つ言っておきたい旨がある」
『エラー。回線情報上にコードが見当たりません』
「ナイン=ハーヴィストに繋げと言っている。拒絶は許さん」

青ざめた教師が震えながら後ずさるが、業者と言えば、物珍しげにキョロキョロ辺りを見回しているだけだ。

「何か聞こえないか?」
「聞こえる!えー、何かあったのかな?ルークって会長じゃんか」
「馬鹿、会長は王呀の君だろ。ルークは神帝陛下だぞ」
「相変わらずややこしいよね、うちの学園って」

月末行事の準備をしている生徒も、部活動に勤しむ生徒も、露店の後片付けをしていた生徒も、ブランチを楽しむ職員も、誰も彼もがただただ、スピーカーから漏れる会話を聞いている。

『機械相手に感情論を唱える事に、意義はあるか』
「漸くお出ましですか、父上。相変わらず人が悪い」
『爵位を譲った私にグレアムの名は相応しくない。元来それは、当代男爵のみが名乗りを許された家名だ』
「ノアである私を引き下ろそうとなさっている人間の言葉とは、到底納得出来ませんね。…まぁ良い。父上は私をこの国から追放したいと見える」
『理解が早い子だ』

ブレザーのポケットから取り出した小型タブレットを一瞥し、姿のない父親へ凍てつく笑みを滲ませ、

「然し少々ばかり、遅うございました。帝王院財閥配下の株は、既に私の掌中」
『…何だと』
「想定内でしょう?私が何故今まで、地を這う屈辱に耐え爵位に甘んじていたとお考えですか、キング=グレアム」

全ては貴様を殺す為だ、と。
言えたならまだ、幸せだったのかも知れない。

「老いぼれが幾ら画策せしめようが、無駄な尽力とご承知おき願いたい」
『ほう。須く賢い子だ』
「貴方の酔狂で産まれた私は、声しか知らぬ帝王院秀皇を父親と思い込む事で世に価値を得た。…それが思い違いと知りながら」
『何を言うかと思えば、そなたは私の』
「俺は貴様の子供じゃない。下らない虚言が通じると思うな、…神よ」

初期設定のメールアドレスは、届けてくれるだろうか。真っ直ぐ真っ直ぐ、恐らくこの人生最後の絶望と、唯一無二の幸福を同時に与えてきた生き物へ。

『私とお前は似ているそうだ。理解可能か、カイルーク?それこそ我が父、レヴィ=グレアムの血が流れている証と知れ』
「今の私に帝王院もグレアムも何等意味を為しません。ですから、再度無駄な事はなさらぬが宜しいと申し上げます」
『…ほう。些か見らん間に、ようも人間らしくなったものよ。良かろう、私が手を引く代償にそなたは何を捧げる魂胆だ?』
「お望み通り、本国へ戻ります」
『何?』
「お祖父様がお目覚めになられました。じき、学園へ戻られるでしょう。…さすれば父上も私も、この国には必要の無い存在」

初代ステルシリー会長であるレヴィ=グレアムの命で、如何なる時も日本への侵攻は許さないと言う社訓がある。

『…そうか。駿河も、やって来るか』
「どう言う、」
『いや。そなたが帰国すると言うのであれば、計画変更するより他あるまい』
「は?」
『どうする?このままでは何の意地悪も出来んぞ』
『いや、どうするっつってもだな…とりあえず、ファミレスより回転寿司にしないか』
『だがお子様ランチが食べたい』
『本気かジジイ、その顔じゃタダで玩具貰えそうだな』

何の話だ。

「何の話だ」

つい、口から出てしまった言葉だった。回線の向こう側がピタリと沈黙し、暫し静寂が降りる。

『ちょ、繋がったまんまじゃないかコラ!どう言う事ですかテメーコラ!』
『許せ、慣れていないんだ。普段はネルヴァが私への用を代理で受けている』
『何でテメーの回線に慣れてないんですか貴様さまは!セレブリティか!巫山戯けんなよジジイ、このっジジイっ!』
『余りジジイと言うな、む。痛いぞ、蹴るより殴れ』
『喧しいジジイが!おい運転手っ、この年寄りの奢りだ!回らない回転寿司に向かってくれ』

いや、だから何の会話だ。
全員がどん引きしているではないか、何の会話だこれは。

「へ、陛下…」
「誰がそこに居るんだ」

スピーカーの向こうが静かになった。ややあって息を呑む音、


『そなたが知る必要は、』
『お、俺は…遠野秀隆って言う、嫁に頭が上がらないエリートサラリーマンですよ!初めまして生徒会長君!

  息子がお世話になってるね!』

膝から力が抜けた瞬間、世界は闇に包まれた。


「神帝陛下?!」

抱えた小包の重さだけが、現実だと良い。











「何やと?!」

右手を赤く腫れ上がらせた男は、恭しく従者に手当てされながら左手で携帯を握っていた。

「紫の宮様、こんなになるまで烈火の君を殴られるなんて…流石、宮様です。我が身を顧みず教え子の教育に余念がない」
「我が東雲には到底及ばないとは言え、嵯峨崎の嫡男でありながら加賀城の嫡男に手を出すとは…何と羨ましい!僕も宮様にアレコレ出したいものです」
「くそー。三人共ちゃんと無事なんか確かめとけ!俺の教え子を何の断りもなく懲罰棟に叩き込むなんざ、殺しても足りひんわ!」

投げつけた携帯には構わず、怒りのまま立ち上がった男は酒だらけのテーブルを殴る。
そして痛みに悶え転げた。

「宮様、右手は烈火の君をお殴りになったばかりですよ」
「ああ、お可哀想な宮様。いつもは安い焼酎ばかり呑まれているから、シャンパンで酔われたんですね」
「喧しいっちゅーねん!俺は庶民!庶民の高校教師やぞ、舐めんじゃねぇ!ひっく」

東雲村崎が盛大に酔っ払い、怒りながら裸踊りを披露している頃。







「お、奥様ー?!」

一人の眼鏡リーマンが、悲鳴じみた声を上げながら駆け回っていた。

「何だィ、病院で騒ぐんじゃないですわょ」
「ああああ、うちの奥様を見ませんでしたか?!昨夜、緊急入院をお願いした村井ですっ」
「村井?ああ、昨日運ばれてきた太股が綺麗なお嬢さんかァ?」

巻き毛をクルリとひとまとめにしている女性が、Tシャツにジーンズと言った出で立ちに白衣を纏っている。

「確か、麻酔掛けたとか何とか言ってたねィ。居なくなったって、そんな遠くには行けない筈だけど」
「朝は確かに眠ってらしたんですよ!なのに先程部屋に行けば、蛻の殻なんですっ」
「放送掛けてみっかね。行き場に心当たりは?」
「恐らく、」
「遠野先生ー!!!」

慌ただしい呼び声に、会話を中断し振り返れば、冷静沈着と名高い外科部長と婦長が揃って真っ赤な顔で走って来るのが見える。

「ドイツもコイツも、騒ぐなボケ!此処が何処だか判ってんのか!」
「す、すみませんっ。ですが、すぐに来て下さいっ」
「大変なんです、病院、病院が!乗っ取られるかも知れない!ああっ、院長が居ない時に、こんなっ」
「はァ?」

何のこっちゃ、と首を傾げれば、小さな悲鳴を噛み殺した眼鏡サラリーマンが素早く背を向けた。
何だ、と彼が見ていた方向へ目を向ければ、目が眩む様な美貌の紳士が二人。

「貴女が、院長の身内ですか」
「な、んだ。アンタら」
「吾の名は祭美月。現在この病院の筆頭株主である帝王院神威から、権利を剥奪するべくやって来ました」

長い黒髪の美貌。
その後ろに、金髪蒼眼の、美貌。

「何でキングが…っ」

小さな囁きが聞こえた。
黒髪の女性めいた長身の男が、凍る笑みを滲ませる。

けれど今はそんな事よりも、


「お主、何処かで会った事ねェか?」

その神々しい、金髪が。
誰かに似ている。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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