帝王院高等学校
即席カップ(ヌード)ルの厄日な初日
カーペットに転がるワインボトルを横目に、今にも眠りへ落ちそうな金色の頭を撫でる。

「ほらー、手が止まってるよー」
「ぐ、…ま、だ………いける、っつーの!」
「本当にー?あーあ、今回も僕の勝ちだねー」
「負け、ねー…」

ロックグラスを握り締めたまま、うつらうつら傾いていた頭がピクリと震え、焦点の定まらない双眸がゆるゆる見つめてきた。

「駄目だよー?お馬さんは真っ直ぐには進めないんだから」
「お、まえ。アキ、じゃ…ねぇだろぉ」
「えー?アキちゃんですよー、360度どこからどう見ても、平凡一番☆左席委員会副会長サマの山田太陽ですよー。あ、コラコラ、そっちは僕の駒なんですけどー」
「何、で…日本酒一升空けてそんな平然…なんだ、って…くそっ、世界が回ってらー…」

くてっとテーブルに額を押しつけた男が、トレードマークのカラコン越しにあやふやな眼差しを向けてきた。何ともいかがわしい、色合いだ。

「くっそ、やりてー。アキぃ、一発やらせろぉ」
「あはは。眠たそうだねー、王呀の君」
「答えに、なって…ねぇ…」
「そんな状態でお役に立つもんなのかなー?」
「………お前…やっぱ、アキじゃねーなぁ。俺のアキは下ネタは冷たい目で流すんだ…!イースト、水持って来い!」
「清廉の君も苦労してるんだねー、はい。チェックメイト。」

弱過ぎるよ、と笑った至極凡庸な顔がテーブルの上のチェスボードへ駒を落とす。

「はい、十連敗。麻雀もチェスも花札もバトルフレイムもぜーんぶ、僕の勝ちだよー?」
「お前この野郎、やらせろー」
「お前、なんて馴れ馴れしい呼び方はやめなさい。西指宿麻飛」
「…ぅ」
「未成年の癖にお酒なんか飲むから、罰が当たったんだよー?」

熱に浮かされた様な眼差しが、誰が飲ませたんだと言っているが、太陽とまるで同じ顔をした生き物には何の効果もなかった。

「いいかい?僕はね、自分の見た目が太陽から程遠い事を理解しているけれど、【空蝉】にしては立派な名前だって自負してるんだ」

抜け殻。
囁きながら炭酸ボトルのキャップを捻った少年は、ドレッサーに移る自分を見つめ息を吐く。

「ね、『便利屋』さん」

紫のメッシュが散る金髪を撫でながら、緩やかに首を傾げ、

「東には魔法使いと道化師が居るんだよ。どんな状況でも、二人は主従関係なんだ。魔法使いの酔狂で、ピエロは嫌でも踊るしかない」
「…ね、み…ぃ」
「西には、主を失った龍が居るんだって。知ってますか?西指宿自治会長」

何も言わなくなった金髪から、かくりと力が抜けた。ああ、許容量を越えたらしいと撫でていた手を離し、淡い溜め息を散らす。
デジタル時計からは時を刻む音など聞こえない。

「遅いなー…。電話したのに、何やってんだろ。浮気かなー、やだなー、とびっきり美人なんだもんなー、首輪つけて監禁するしかないかなー」

使えない自分の携帯を見やり、ストラップを指で弄ぶ。

「…あはは、冗談。ごめんね、君にとっては死ぬほど嫌だろうね」

随分使い古したストラップは幾らか痛んでいるが、不思議な色合いの石は昔と変わらない煌めきのままだ。

「でももうちょっとだけ、貸してくんない?ちょっとした浦島太郎気分なんだ」

独り言。
誰に言った台詞なのかは、確かめようがない。

『いやだ。返せ』
「この世は残酷だね、五つ過ぎれば凡人なんだって」
『俺の体、返してよ』
「…でも、僕はまだ四歳の子供。もうちょっとだけ、我慢してよ」
『いやだ』
「意地悪だね、山田太陽」
『今すぐ返せ』
「僕より劣る凡人の癖に」
『それは、俺の体なんだ』

ドレッサーには至極平凡な顔で恨みがましく見つめてくる、自分。

「元は僕のものだったんだ。鮮やかな世界を代償に、舞台に上がった」
『…世界は灰色だ』
「でも君は、ポーンの慈悲を受けたじゃないか。ナイトの魔法を歪めて、七色の世界を取り戻した。とても、幸せな生活」
『すぐに色褪せていく。現に俺から、「赤」が奪われた』
「僕が目を塞いだからだよ。あの人の血を見た時に、ポーンの影響が薄れてしまった」


愛しい人が流す、赤。
始まりの赤。
二度目の赤。

世界が軋む程に、気が狂うかと思ったから。


『今の俺にあれは必要ないんだ』
「僕にはどうしても必要なんだ」
『俺には要らない。今の生活があれば何一つ不自由なんか、』
「約束したんだ」

掴んだ十字架の駒を、ドレッサー目掛け投げつける。
傷一つ付かなかった鏡面から目を離せば、身動いだ金色の頭がカーペットに転がった。

「あ。そんな所で寝たら、幾ら王呀の君でも風邪引かないかな?」
「………や、と…」
「あはは。困っちゃうよねー。兄弟揃って、意地が悪いんだから」

握り締めたペリエをひっくり返せば、形を潜めていたガスが揮発する。



『嫌な予感がするんだ』
「…そんな事、とっくに知ってるよ」

パチパチ音を発てるそれは白黒の盤面を浸し、モノクロの世界を饒舌に加速させていった。








「厄日か」

寄りかかってくる細い腕を柔らかく避けながら、顔を逸らし舌打ちを一つ。
視界から遠ざける為に素早く仕舞い込んだ携帯は内ポケットの中で、マナーモードでもないのに大人しい。だからこそ気が焦るのだが、悟られる訳にはいかなかった。

「ねぇ、プリンスヴァーゴ」
「おやおや、困ったお姫様ですねぇ」

態とらしく胸元をはだけさせた少女が、黒レースのベール越しに誘うような眼差しを向けてくる。
虫唾が走る気分と言うのは、正に今の状況を示すに違いない。

「手を離しなさい。お前如きが気安く触らないで貰えますか、リン」

真新しい手袋を填めたばかりの手で少女を払い、にこりと愛想笑いを滲ませた。
格別の計らいだ。身内でなければ、この世に存在する事も許さない。

「相変わらず、高飛車なのね。誇り高きヴァーゴ、されど龍に生まれた罪深き異端…」

嘲笑じみた少女の笑みは、然しすぐに恐怖で歪む。
ああ、大人げないと鼻で笑う自分の声が頭の中で。

「…そないに、つまらん用向きでわざわざお越しにならはったんどすか、あんさん」

痙き攣る程に凍った声音だと情けなくなるが、今はそんな余裕などない。

「っ、勿論、違うわよっ。プリンスルークが王家に文書を寄越したって、どう言う事か聞きに来たの!」
「おや、叶の身でありながらその諜報力の乏しさとは。寛容するにも限度がありますよ」

その程度も調べられないのかと鼻で笑えば、拳を握り締めた少女が歯軋りする気配。

「馬鹿にしないで!何様のつもりよ、裏切り者っ」
「ふふ、裏切り者ねぇ。それは宮様の命で家を出た、私の事ですか?」
「…話にならないわ。誇り高き天才もその内側は弱いのね、目を逸らすのは認める勇気がないから」

気丈に腰に手を当て、一枚のタロットを唇に押し当てながら忍び笑いを零す。そんな姪の態度に、漸く落ち着いてきた。

「残念ですが、君との対談はビジネスにも一時の息抜きにすらならない様です。陛下に目通りしたくば、自身でそれに相応しい立場を築きなさい」
「知ってるのよ」

話は終わりだと背を向けた瞬間、投げつけられた何かを反射的に避ける。
不躾な、と眉を潜めながら足元を見やれば、全身を得体の知れない何かが這い回った。


「村井太陽、何故か学園では山田姓を名乗ってる日本人」

先程まで少女の唇に触れていた、鉄製のタロット。その裏に貼り付けられた写真には、鮮明にある人物の顔が写っていた。

「乙女を犠牲に生を許された罪深き乙女座、プリンスヴァーゴ。11年前、貴方が来日した時に起きた過激派のクーデターを覚えているわね?」
「…」
「クラスファースト、エンジェル=グレアムの暗殺を目論んだ革新派閥の数名が、その年に社会から抹消されてるわね」
「…前言を撤回しましょう。成程、シスタークリスの身辺を彷徨いていた理由は、これですか」

大した諜報力だ、と囁けば、勝ち誇った笑い声を発てた少女が腰に手を当てたまま覗き込んできた。

「奇跡的にファーストは助かった。巻き込まれた一般人は二人、当時7歳になったばかりのベルハーツと、名前すら残っていない幼児だそうね」
「その若さでそこまで調べるには、随分身を削ったでしょう?…誇り高き叶の一員が、娼婦の真似事とは感心しませんね」
「使えるものは厭わず使うわ。若く美しいものに、この世は味方するの。…人の事、言えた義理?」

確かにその通りだ。
こんな子供相手に言い負かされるとは、と目を細めるが、そうだ。この女は、彼と同じ年齢だった。

「高々15歳の日本人。調べても素性は極々一般階級の、ぱっとしない子供だったわ」
「君と同じ年ですよ、彼は。それに一般人ではありません。我が帝王院学園に君臨せし、左席委員会の副会長」
「話を逸らさないで!」
「では真面目なお話をしましょうね」

睨み付けて来る相手の背後へ回り込み、躊躇わずその肩を掴み払い倒す。
油断した無抵抗の子供を革靴で踏みつけ、乱れた前髪を掻き上げた。

「俺の逆鱗に触れた人間が辿る末路を、知る訳ねぇか」
「いっ、やぁ!離してよ!」
「可愛い姪を殺せば、俺の罪はまた深みを増すだろうな。…くっくっ、どうせ一人殺してるんだ。今更それが二人になろうが、大差ない」

目に見えて震え始めた後先考えない子供を蹴り転がし、きっちり絞めていたネクタイに手を掛けていく。
するりと抜き取ったそれで恐怖に痙き攣る子供の両手を拘束し、満面の笑みで屈み込めば。

「お前も道連れにしてやろうか?脆弱な女の身に生まれた事を死ぬまで後悔する目に遭わせれば、少しは大人しくなるだろう?」
「な、にっ、何を考えて、」
「此処に。」

漆黒のワンピースを胸元から引き裂いて、露わになった腹部を指先で撫でる。

「『インセント』、背徳に相応しい禁忌を宿させてやる」

すぐにその意味に気付いたらしい少女は、最早声も出ない程に青ざめた。

「なぁ、尻軽には相応しいお仕置きだろう?姪の躾になるなら、正義感が強い叔父さんは身を以て教育してあげる」
「っ、じょ、冗談…っ、冗談でしょ?!」
「さぁ、どうでしょうねぇ。所詮、私は裏切り者ですから?姪を孕ませる程度、都道府県の位置を答えるより容易い」
「なーにやってんだ、コラァ!」

何の気配もなく背中に衝撃を受け、吹き飛んだ。
受け身を取りすぐさま起き上がれば、真っ赤なポニーテールを靡かせ仁王立ちする男が凄まじい表情で睨んでいる。

「えっと…嵯峨崎、君?何故、君がこんな所に」
「あん?テメーが女に悪戯してんのが見えたから、あそこから飛んできたんだっつーの」

ひょいっと少女を抱え上げながら、空を指差す佑壱につられて上を見上げた。
バイパスが伸びる高架、今はその下に居る。だから見えるのは、遥か頭上を走るバイパスと、青い空だけだ。

「おや?あそこに居るのは…」
「おい、アンタ大丈夫か?とりあえず俺の服でも着とけ」
「お〜ぃ、イチせ〜んぱ〜ぁい!だ〜ぃじょ〜ぶでぇすかぁ〜?!」

頭上の車道から覗く人物の片割れが、何やら叫んでいる。ああ、頭を抱えている方の長身には嫌でも見覚えがあった。
この距離でも目立つ、あのブロンド。

「だーいじょーぶ、なのだー!」
「…嵯峨崎君、いつから君はバカボンの父上に?」
「おーい、高坂ぁあん!タクシーこっちに回させやがれぇえ!叶がぁ、強姦未遂ー!!!」

佑壱の服を纏った少女が呆然と、然し何処か赤く染まった顔で頭上に叫ぶ赤毛を見つめている。


ああ。
嫌な予感しかしない。やはり今日は厄日、だ。


「えぇー?!白百合様がぁ、暴行されちゃったんですか〜ぁ?!大変だぁ。俊君にぃ、報告しますぅ!」
「師匠ーっ、山田に叶の浮気報告送っとけー!」

姪が凄まじい表情で振り返り、目を見開いたまま凝視してくる。否定するのは至極簡単だったが、


「ん?そう言やアイツ、浮気に寛容なんだっけ?隼人が言ってた様な…」
「嵯峨崎君」

首を傾げる佑壱のポニーテールを鷲掴み、笑顔で引き寄せた。



「その話、もう少し詳しくお聞かせ願えますか」

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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