帝王院高等学校
求めし王の片鱗は、闇に帰依る
空を駆ける鳥の群れが山の端を横切っていく。卯月の空は澄み渡り、遠く遠く霞んだ乳房雲が陽光を僅かばかり隠した。

雲間から差し込む天使の梯子。
まるでそれは舞台を照らすスポットライトの様で、





「タイヨー」


弾き飛ぶ少年の姿を、包み込んだ。






今日は自棄に空が凪いでいる


「ぁ、」

人が畏怖する銀月は
    (深い闇夜に抱かれ静かに息吹く
          (魔犬は暫しの眠りに身を委ね




主人の狂気から逃れるのだろうか






「ぁ、あああぁあああああああぁ」

空を照らす太陽が地面に落ちた。
落とした人間は弾かれた様にこちらを振り返り、頬に両手を当てたまま立ち上がろうとしない少年の姿を宿した眼球が、瞬時に白濁する。


「太陽っ!!!」
「待、」

誰かの腕が肩に触れた。
それを弾き飛ばし駆けた足が鮮やかな緑を蹴り退かして、目を見開くお日様色に右腕が伸びていく。


「な、」
「…っ、避けろケンゴ!!!」


太陽を堕落させた者へ夜の祝福を
月の女神の慈悲は届かない
刮目せよ、愚かな人間よ





「…月へ祈り己の過ちを悔いるがイイ」



悲鳴に似た声が鼓膜を震わせた。
(酷く耳障りだ)
視界一杯に見知った顔が映り込んだ様な気がする。
(だから、どうした)




「俺の前に、跪け。」


右手が灼け付いた様に熱い。
大切な友達が殴られた瞬間に酷く似た光景が眼前に広がり、アスファルトを滑る人間を追い掛けて再度振り上げた腕は、




「ゃ、めろっ、俊!」


酷く久し振りに聞いた気がする大好きな人の声で、停止した。


「俊、俊っ、けほっ、しゅーんっ!」
「タイヨー…」
「高野のパンチは見切った!言ってしまえば当たった様に見せ掛けて死んだ振りするつもりだったのさー!わっはっはっ、けふっ」

よろよろと力無く立ち上がりながら、赤く腫れ上がった左頬に構わず笑う人がふらふら近付いてくる。

「ふ、は…はは、俊ってば凶暴ー…」
「ふぇ」
「駄目だなー、俺が格好良く助け出しに行くつもりだったのにねー。…畜生、牛乳に相談してやる」
「タイヨー、タイヨータイヨータイヨータイヨータイヨー」
「デカイ図体でそんな小さい声出さないで下さいませー。あ、やべ、足にキタ…」

ぺたり、と2メートルと離れていないアスファルトに腰を落とした太陽の元へ、立ち上がり駆け寄ろうとして失敗する。
右腕が動かない事に気付き見上げれば、黒髪黒縁眼鏡の長身が静かに首を振った。

「カイちゃん?」
「一年Aクラス高野健吾は保健室へ運ばせる」
「ぇ?」
「…意識の無い者へ追随するか?」

囁く様な声音に導かれ、視線を下へ向ければ気を失った大切なワンコが見えた。受け身を取る事すら出来なかったオレンジ色の髪がアスファルトに伏せて、足を引き摺りながら駆け付けたフレッシュグリーンが俊を振り払う。

「テメェいつまでこいつの上に乗ってやがる…!」
「ぁ、あにょ…」
「ケンゴ!…くそ、こいつ連れてくぜ。まだヤるっつーなら、オレが相手だ」

弾かれた反動で転がり掛けた俊を抱き上げ太陽の元へ運んだ長身が、健吾を担ぎ上げる裕也を振り返った。

「藤倉裕也」
「…何だ、揃ってマニア面した眼鏡。テメェが相手になるってか、あ?」
「俺が確信するに至る要因を、お前は見逃した様だ」

眠たげな表情に静かな怒りを滲ませた裕也へ、薄い唇が笑みを浮かべた様だ。
背後の俊は勿論、太陽さえも気付いていない。命を吸い取る様な笑みに怯んだのはただ一人だけだ。


「去れ。…脆弱な生き物に用は無い」
「何だ、テメェ…」
「ただの人間だ」

長い指が宙にスペルを描く。
Jesus、キリストを記す文字が形を残す事はない。目を見開いた裕也が、然し担ぎ上げた健吾に気を取られたのか足を引き擦りながらエントランスに消えていくのを見送った。


「タイヨー、うぇ、タイヨータイヨータイヨー」
「はいはい、鼻水がこんにちはしてるよー。俺のポッケにはハンカチなんてないんだけどなー」
「ずずず、ずびっ。ふぇ、タイヨーが、ひっく、死んじゃうにょ!」
「完全に生きてるでしょ」
「ひっく、だ、だって、ふぇ、タイヨーのほっぺが、ひっく、ほっぺが…っ、ふぇぇぇん」

林檎の様に赤く熟した太陽の頬に手を伸ばし掛けた俊が、盛大に泣き出す。途方に暮れた太陽が意味もなくブレザーのポケットを漁りまくり、佑壱から貰ったイチゴキャンディをとりあえずオタクの口に突っ込むに留まる。

「そんなに泣いたら涙が尽きて目が溶けてしまうぜベイベ」
「カリカリ…」
「あっ、噛んだら無くなるぞー。って、ぅわっ!」

ぎゅむっと抱き付いてきたオタクの、鼻水やら涙やら何か良く判らない汁塗れな顔がすりすりすりすり頬擦りしてくる。
痛くない右側をもみくちゃにする俊の左頬が、泣いた反動にしては赤過ぎる事に気付いて眉間に皺を寄せた。

「好きです好きです好きです」
「早速告白頂きましたー。つか俊、そこの眼鏡二号くんは誰かなー?俊のほっぺがポストみたいな色になってるのは何でだろ〜?」
「ふぇ、えっと、あにょ、同じクラスのカイちゃんですっ!俺様攻め修行中なので、まだ会長とタイヨー争奪戦するのは無理そうにょ」
「カイ?そんな名前の奴Sクラスに居たっけ?…藤倉達の入れ違い組かなー?」
「カイちゃんカイちゃんカイちゃん」

俊がちょいちょい手招けば、突っ立っていた長身が優雅に屈み込む。太陽に張り付いていた鼻水オタクをぺりっと引き剥がし、がばっと後ろから抱きしめアスファルトに胡坐を掻いた。

「えっと、…どゆコト?」
「ふぇ。えっと、あにょ、カイちゃん?タイヨーの前だから照れてるにょ?」
「一年Sクラス山田太陽」
「えっと、初めまして…ですよねー?えっと、俊がお世話になりました?」
「大儀無い。然し、貴殿は難儀だった。…察するに、藤倉並びに高野の意志ではなかろう」

随分古風な喋り方をするな、などとボサボサの黒髪に5と言うロゴが入った黒縁眼鏡を掛けた男を見つめ、太陽は曖昧な笑みを滲ませる。

「ちょっと、性格に多大な難があるインテリ眼鏡に挑戦状を叩き付けられましてねー…」
「ふぇ?インテリ攻めにラブレター叩き付けられたにょ?!ちょっと僕が眼鏡を離した隙に?!タイヨーってば行動が早いですっ」
「うん、俊はとりあえず黙っててくれるかなー?」

笑顔と言う名の脅しに、涎を垂らしたオタクが怪しい息遣いで地面を殴り付ける。

「ハァハァ、強気受けキタァアアア!ハァハァ、もっと激しく…!もっと激しく罵ってくれると心臓がうっかり口からフライハイ…!」
「俺の携帯に良いものが入ってるから、それ見ながら体育座りしててねー?」

自分の携帯をぱちっと開いた太陽が、凄まじい笑顔で俊に携帯を押しつける。神威の膝の上で素直に膝を抱えたオタクは、胸をときめかせながら太陽の携帯を眺めた。

「で、話の続きですけどカイ君。えっと、俺の所為でお前さんまで藤倉達に目を付けられたかも知れない」
「構わん。それより、速やかに事態を収束させねばなるまい。…指示を下したのは、」
「それ以上言わなくていい。お前さんまで中央委員会を敵に回す必要はないからさー」

神威の瞳が僅かだけ見開かれた事に気付く者は居ない。安堵からか緊張が解れ痛みが増したらしい太陽が頬を押さえながら、酷く男らしい笑みを滲ませ吐き捨てるのを聞きながら、

「…ってーな、畜生。幾ら事なかれ主義の日和見主義な俺だって、庶民には庶民のプライドがあるんだっちゅーの」
「…」
「ヤリ込みゲーマーの執拗さを教えてくれますよ、中央委員会め」
「類は同種を呼ぶと聞くが、…真の様だ」

感心した様な囁きに首を傾げた太陽は、何とも無く俊に目を向け肩を竦めた。

「俊、あんまり静か過ぎて凄い罪悪感が涌いてきたんですがー」
「あにょ」
「はい来た、なぁに」
「このイケメンさん、どちら様ですかっ?!」

期待に満ちた眼鏡が吐いた台詞で神威が不穏な気配を放ち、オタクの手から携帯を奪い硬直する。

「それねー、帝王院の皇帝陛下だよー」
「王様っ?!帝王院には王様までご用意されてたにょ?!ハァハァ」
「そう、別名神帝陛下ー。目下俺がこの世で一番敵視してる高等部自治会…中央委員会の生徒会長さ」

ぶふっと鼻血を吹き出したオタクがアスファルトを転がり転がり花壇に突っ込んだ。
慌てて立ち上がった太陽が植木と化した俊をずぼっと引き抜き、呆れた様な笑いを噛み殺している様な表情で俊のズレた眼鏡を掛け直してやる。



「…」

静かに太陽の携帯を閉じた男は己のものではない眼鏡を押し上げ、レンズの下で宝石の様な瞳を細めるのだ。



正解が近付く度にまた遠くなる
  (確信する度にまた疑問が浮かぶ
ただ一度目にしたきりの皇帝が
    (最後に残した笑顔は灰色のまま



白亜の仮面、長い長い流れる様なプラチナブロンド、黒地に金糸で刺繍を施した長い衣裳は式典用に作られた神の衣。
帝王院と言う閉鎖空間で人はその男を『神帝』と呼び、夜の世界で人はその男を『銀神帝』と謳う。


月に二度現れる皇帝を
人は畏怖し崇拝し手を伸ばす
満月の夜は銀皇帝
新月の夜は暗黒皇帝
いつしか謳われ始めた夜の覇者は
朝の光に掻き消されたのだろうか




『朝を願い魂の安らぎを知るがイイ』
『月へ祈り己の過ちを悔いるがイイ』



満月の夜は保守的に。
新月の夜は残虐的に。
人間を跪かせる呪文を唱え、銀皇帝は46の狂犬を引き連れたまま凛と潔く、暗黒皇帝は密やかに気高くただ一人で夜を闊歩するのだと。
知らない人間は存在しない。



「カイちゃん!タイヨーがカフェ何ちゃらでお茶しましょって!」
「カフェテラスだからねー。何だかんだやってる内に、もうすぐ始業式始まるからさ。寮に戻るのも面倒じゃんかー」
「タイヨー、僕お財布忘れてきたにょ」
「カード持ってるだろ?カードで学園内の支払い済ませられるよ。帝君は基本的に奨学金対象だから、学園内の施設は実質無料だね」
「TA・DA?!嘘っ、タダ!じゃあタイヨーもカイちゃんも僕が奢るにょ!行こー行こーカフェカラス行こー、イケメンウェイターさんにハァハァしましょー」
「はいはい、ゴチになりますー。ハァハァはしないけど。…カイ君?」
「ああ、…付き合おう」
「カイちゃんがタイヨーに告白したァ!」
「俊…」

ちょこんと膝を抱える人間を眺めた。
別人ならば要らない
好奇心はあの自尊心高い生き物に
夢から醒めたのだろうか




「カイちゃん、行こー?」




あの日は、満月の夜だった
夜半まで続いた雨は積乱雲を残し
夜を灰色に染めたのだ



「カイちゃん!遅漏は不感症の元にょ」
「何で童貞がそんなコト知ってるのかなー…」
「漫画で読んだなりん」
「うん、その漫画没収な?」
「きゃー!!!!!」




そうか、今夜は





「………新月」



銀月は音も無く眠りに就き



         空も確信も、闇に還る。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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