帝王院高等学校
矛盾許容、ルネ・シャールが視る夢
「いやぁ、良くおいで下さいました!」

肌心地よい春先ながら、じっとりと脂汗を浮かべた男を前に、鉄壁の愛想笑いを乱さず心中で舌打ちする。
醜い。余りにも醜悪だ。

「謁見時間は15分です。超過する場合、違約金並びに延長占有料として分当1万ドル頂くのでそのつもりで」
「は、はいっ。心得ておりますとも、はっはっは」

無表情の秘書から放たれた言葉に下品な笑い声で答え、ペコペコと足早に応接室へ歩いていく。
後ろを従いながら小声で「牛脂」と呟けば、無表情の秘書は微かに唇の端を震わせた。

「…恐れながら閣下」
「判っていますよ、私の美しさでいっそ丸一日くらい延長させて日本経済を破綻させれば良いんでしょう?」
「いえ、そう言う事ではなく」
「はいはい。これだから特別機動部は頭が固いと馬鹿にされるんです。少しは対外実働部のフランクな風潮を真似なさいな」
「あの様な愚弄者共と並べないで下さい。…ただでさえファースト不在の今、ロクな人間が居ないのです!」

声を潜めながらも憤慨した様子の秘書に、ゆったり笑いながら、固めた左拳で腹に一撃を与えた。
息を詰め片膝を付いただけの秘書は流石だとしか言えないが、

「余計な話をしている暇があるなら、先にあの皮脂汚れを相手して来なさい。私は少し用がありますのでねぇ」
「了解、しました…マスターネイキッドっ」

音を発てた携帯を開けば、何故か佑壱のメールが届いていた。アドレスを教えた覚えはないので、間違いなく日向の携帯から盗んだのだろう。
噂をすれば何とやら、と忍び笑いを漏らしながら短いメールを拝読した。色とりどりのデコメの数々に眼鏡を押し上げ、日向と某遊園地に行ってくると言う内容の下らない文章を読み終わる。

「何をやってるんだか。随分やきが回りましたねぇ、高坂君も…」

いつもならとことん馬鹿にする場面だが、今はそんな気分にもならない。何せ自分こそ、今この世で最も地獄を味わっているのだから。

「おや」

待ち受け画面に戻せば、着信履歴を記す表示に気付いた。そう言えば車内で鳴っていたが、敢えて無視したのだと着信履歴を見やって目を見開く。

「…おや」

この携帯に登録してある番号は、一つだけだ。他は全て番号のまま登録してあり、メモリは一件しか入っていない。

使った事もない絵文字フォルダーから、つい最近まで一生使う事はないのだと思っていた絵文字が、一文字。


、なんて。
なんて脳天気な表示だろう。


「…俺は別に気になってなんかないんだ。掛かってきたんだから掛け直すのは社会人として当然のモラルだ、うん」

呟きながら携帯を耳に当て、足早に今やって来たばかりの玄関へ向かう。秘書から小言を言われるだろうが、今は油ぎっしゅな中年と顔を突き合わせている場合ではない。
一万ユーロの違約金を払ってでも構わないとさえ、この足は。思っているから、半ば全力疾走しているのだろう。


「ヴァーゴ」

空が見えてきた刹那、女の声が呼んだ。無意識で振り返り、黒いドレスを纏うまるで喪中の未亡人じみた人間を見つける。

「こんな所で会えるなんて、これは運命よ。ねぇ、プリンスヴァーゴ」

運がないにも程がある。
電子音が途切れた瞬間、携帯を叩ききった。

「あら?誰かとお話してらしたかしら、叔父様」
「…いいえ。大した用ではありませんよ」


最悪だ。












待て。
行くな。
置いていかないでくれ。


「俊」

そう、声帯が破裂する程に叫んだ。見知らぬ他人の視線にも雑音にも構わず全力で駆け寄りながら、必死に手を伸ばしたのに。



見間違えるものか。
呼び違えるものか。
この世で唯一、依存へ変化した最大唯一の『好奇心』。



「…命令する」

恥など持ち合わせていない。
そもそも他人には何の興味もない。
今はもう、『あれ』以外から全ての関心がなくなる事だけを恐れる程に。もう、復讐心も父親への思慕も掠れていくのを恐れる程に。



淘汰した筈だ。
人間ですらない動物的な欲で冒した許されざる罪の重さから、自ら逃げ出した癖に。



「私の元へ来い!」

叫んだ。
ひたすら純粋な独占欲が腹の底より際限なく湧き出るままに、耳障りでしかない雑音を喉から迸らせたのだ。

「俊、」

神でもましてや人間ですらないそれは、ただ本能のままに。



「置いて行くな」


知っていた癖に。
初めからこの手には、何も残らないのだ・と。











罪悪
背徳
矛盾


全てを淘汰した果てに残るのは








寂寥







「ご覧、なんて綺麗な空だろう」

ずぶ濡れの全身には構わず、ハンドルを握る男は窓越しに空を見た。

「最近の車はステアリングが軽い」
「未成年が運転しちゃいけないんだけどねィ、この国は」
「ほう。免許取得は18歳からじゃないのか?私の記憶では、日本の成人は二十歳だったがね」
「…屁理屈」
「私がイギリス生まれである事を忘れたのかな、ナイト=トーノ」
「やめてくれ。これじゃ端から見たら独り言だ、レヴィ=グレアム」

クスクスと笑う口元、呆れた様に歪む眉。一致しない表情は百面相の様にコロコロ変わる。

「だが然し、カミューにも困ったものだ。…まぁ、根源はドラゴンだが」
「ひっくり返るんじゃねェかァ?俺の身内を誘拐しただけでもただ事じゃないのに、内側にお前が居ると判ったら」
「お仕置きをする必要があるか?」
「無駄だろ」

濡れた髪を掻き上げ、漸く見えてきた信号機の指示通りブレーキを踏む。

「『あれ』が目覚めれば世界が終わる。そうなる事を恐れて、龍一郎は俺らを仕込んだに違いねェ」
「…随分、あの子を庇うね君は。いつになっても」
「姪の婿養子、ってだけじゃないのは当然だ。俺の可愛いナインを助けてくれたんだぞ」
「あの子は君に恋心を抱いていた。君は私以外には、手放しで甘やかしていたから」

声音は苛立たしげに、然し表情には悪びれない笑み。一致しない表情と台詞は交互に、一人分の声で会話を続けている。

「ふふん。愛の深さが過激に走るんだょ」
「やれやれ。我がグレアムはどうしてこうも、尻に敷かれる男ばかりなんだ。孫まで祟るとは…」

走り出したホイール、軽快に流れていく青い空に浮かぶ雲を見ている。

「欠点のない人間なんか居やしない。ナインが俺に似た『ナイト』に依存したのは、秀皇の備えた風格がお前に似てたからさ。自分以外を見下した、傲慢な所」
「酷い言い方だ」
「ルークが俊に依存した理由は、未だに理解不能だけどなァ」

呟いた唇は、そのまま引き結ばれた。
代わりに目元だけで笑んだ『神』は、青い空を飽きず眺めたまま、



「The sky is the limit.(なんて大きな空だろう)」








【許容】ネシャールが視る



好きなものはあるか、と尋ねた時、三人の子供はそれぞれ別の答えを投げ掛けてきた。

何故こんな事を言うのかと聞かれたら、はっきり、彼らが『異常』だからとしか言えない。
質問に対する返答が一般相当のものであれば思い出す事などない、たわいもない会話だった。

けれど彼らは、およそ一般的ではない反応を見せつけたのだ。


「エデン。君の好きなものは何だい?」

聞いた事もない異国の歌を口ずさんでいた子供へ問えば、子供と言うだけではない傲慢さを宿す眼差しを眇め、赤い髪の彼は吐き捨てた。

「Nothing.(ない)」

それは特別珍しい答えではない。年齢を鑑みれば遥かに異常な返答だったが、問題はその次だ。

「では嫌いなものなら、」
「勘違いするな、お前如きに答えてやる必要がないっつってんだ」

エンジェル=ファースト=グレアム3歳の台詞は、普通一般の人間が有する『良心』の欠片もないものだった。
通常、質問に対する答えは『応え』であるべきで他ならない。

「…君には、私が物理学教授である事を鑑みてくれる優しさが足りないね」
「ふん。エスペラント語くらい理解しろ、雑魚が」

尋ねられたから答える、その期待に応えない事が彼の『答え』だったのだ。



「ミッドナイトサン。君の好きなものは何だい?」

艶やかな黒髪を靡かせる、研ぎ澄まされた月の刃の様な少年に問い掛ければ、『暇潰し』と言う名目で素数をひたすらに書き連ねていた彼は、辞典よりも分厚く重ねたルーズリーフの山を見つめたまま口を開いた。

「変な呼び方しないでくれ。ただでさえ、俺には名前が多いんだ」
「ではネイキッド物理科学名誉教授、同輩の誼で尋ねたいんだがね」
「プロフェッサーブライトン=C=スミス、それに何と答えれば満足ですか?」
「おや?どう言う意味かね」
「嫌いなもの以外には、どれも特別な感情がない。延いてはアイソトープと変わらない」
「うーん」
「アンタが望む答えを、俺のアンサーにすると良い」

彼には自己主張と言う、動物であれば産まれた瞬間から備えている筈の欲がなかった。
ストイックなまでに『答えが存在しているもの』を求め、矛盾を決して許さない。病的なまでに、まるで、自分こそが矛盾であると言わんばかりに、彼は。

「では質問を変えよう。君の嫌いなもの、とは?」
「世界」
「それは可笑しい話だね。君らしくない、それでは先程の答えを根底から否定しているよ」
「逆説的ですか?」
「悪魔的だ。少なくとも、私の質問に対する回答の姿勢が怠惰過ぎる」

彼は微かに肩を竦め、天使と評される愛想笑いを貼り付けた。

「証明1、世界は己自身。故に誰しも皆、自分以外を理解していない。会話する事で、表情を読み取る事で、理解した振りをしているだけでねぇ」
「ブラボー、哲学的だが正論だ。つまり君は、自分が嫌いなのかね?」
「自分を嫌うなら生きてない」

悪魔を超えた魔王の逆説を、未だに理解する事は出来ない。

「ふむ。これこそ矛盾許容理論」
「強いて言うなら、俺は自分を見放してるんだろうねぇ」

彼は判り難い子供だった。





「カエサル、姿を見せてくれないか」

3日間昼夜問わず呼び続け、漸く姿を現した子供は最早、子供と呼ぶにはおよそ相応しくない佇まいを見せていた様に思う。それが当たり前の様に慣らされていた自分は、今になればどんなに異常だったのか。計り知れない。

「やぁ、愛しいカエサル。君に出会えた幸福を神に感謝しよう、アーメン」
「…下らんな」

顔を覆う仮面越しに。年々色合いを変えていく、赤金の眼差しを覗かせていた神の末裔。

「これは失礼。君は神が嫌いだったね」
「そなたの用向きは知れている。ファースト、セカンドに問うた言葉を私に尋ねたいのだろう」

彼は最早、万物を凌駕した聴力を有していたから、全て理解した上で呼び掛けを拒絶していたに違いない。3日間の騒音に嫌気が差した、と言う所だろう。

「だったら話が早い。是非とも応えてくれ、ああ勿論、ケルベロスの二枚舌は御免だよ」
「私が好むものは、成就までの道程。それ唯一だ」

何の感慨もなく囁いた彼は、僅かに眉を寄せた自分に気付いたのだろう。理解能力の無さに呆れるでもなく、ダークブルーのローブを頭から被ったまま、魔術師の様な風体で続けた。

「全てには須く果てが存在する。私は私の興味を惹く全ての事象に対する、飽和までの過程を好む」
「つまり、興味がある『何か』をやり遂げるまでの時間が好きなんだね」
「いや」
「違うのかい?」
「果てるまでに淘汰する事もあろう。要は、私の好奇心を如何に長く満たす事が出来るか。物事の価値はその一点だ」
「…それは、とても難しいね」
「世に我が未知が尽きぬ限り、生の依存価値は継続する。尤も、尽きる前に存続不可能だろうが」

この世は未知で溢れている。
次から次に新しい何かが生み出され、次から次に未知が広がっていく。


それはまるで宇宙の様に。



「君にもし、好きなものが見付かったら」

この広い空の様に、際限なく。

「真っ先に私へ教えておくれ、ルーク」

幼い子。
君には無限の可能性があるのだ、と。



「面白い事を言う。そなたは酔狂な男だ」
「仕方ないだろう、私は君のグランパなんだよ」

言っても、君には判らないかも知れないけれど。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!