帝王院高等学校
たまにはボロボロになれば良いじゃない
「桜ー!お茶まだ〜ぁ?」
「さっちゃん、お姉ちゃんは味噌汁よりお吸い物が飲みたいな〜」
「まぁまぁ…アンタ達、何ですかみっともない」

姉らが居間から投げつけてくる声に苦笑しながら振り返れば、芋蔓の筋取りをしていた母が呆れた表情で暖簾を手繰り寄せる。

「さっちゃんのご飯、母さんだって食べたいでしょ?」
「それとこれとは話が違います!少しは女らしくなさい」
「たまにしか帰って来ないんだから良いじゃーん」

暫し母の説教語りを聞きながら、悪びれない姉達の掛け合いに笑った。

「おっ、さっちゃん。今回もやってるねー」
「こんにちはぁ。何か足りなぃものがぁりました〜?」
「ん、大将が和三盆10kg必要だって。蔵の中だと思ったんだけど」

和菓子屋の店舗である表通りに面した離れからやってきた、若いが勤続十年にはなろう職人に頷いて包丁から手を離す。
昔から料理好きだった桜が頻繁に台所を任されるので、普段は母のテリトリーである炊事場には、母と息子の二人だけだ。

「それなら蔵の中じゃなぃかなー。ぉ母さん、さっき宅配便来てましたぁ?」
「そこのダンボールじゃないかしらねぇ。デイサービスの野点会で練り羊羹の注文が入ってるからって聞いていたから、敢えて仕舞わなかったの」

女の細腕には重いだろうダンボールが放置されていて、わざわざ倉庫である蔵に足を運んだ職人の手前、恥ずかしげに口にした母へ笑う。
寡黙だが昔気質の父親は、物を出したままにするのを嫌う。良妻賢母の母は己の失態を恥じているのだろうが、職人はそれには全く触れず、軽々とダンボールを抱えた。

「よっと。じゃ、お邪魔しました。さっちゃん、今日の賄いも期待してるぜ」
「はぁい、12時には出来上がりますからぁ」
「あらぁ、やっぱり殿方ねぇ。ひょいっと持っちゃうんですから」

かつお出汁を布で濾しながら、感心している母に首を傾げた。一応、自分も男なのだからあの程度で驚いたりはしないが、女性の目から見るとあれでも格好いいものなのだろう。

「桜ー!うーん、良い匂いぃ」
「さっちゃん、お客さんよー」

姉が暖簾を弾き飛ばす勢いで顔を覗かせ、眉を顰めた母が下準備を終えた芋蔓を手に娘を睨む。
漉した出汁を鍋に移しながら振り返り、誰だろうと首を傾げた。

「僕にぉ客なんて…あ、もしかして俊君達かなぁ?」
「東條さんトコの人だって」
「セイちゃんじゃなかったよ」

エプロンを外しながら、僅かに眉を寄せる。有り得ない話だ。清志郎はここ数年全く口を訊いてくれないし、東條の屋敷は無人である。
彼の母親は何処かの病院に入院しているらしく、父親は初めから居ない。

「…母さん、ちょっと任せて良ぃ?」
「良いわよ。此処には何の役にも立たない娘が居るんだから、行っておいでなさい」

玄関に向かいながら、居間から携帯の音が聞こえて足を止める。僅かに玄関先が伺えたが、見るからに怪しい人間が立っていた。
向こうはまだこちらに気付いていない様だ。

「ぁ」

気を引き締めながら携帯を見やれば、見知った人間のナンバー。慌てて応対すれば、朗らかな声が聞こえてくる。

「もしもしぃ?イチ先輩〜、こんにちはぁ」
『おう、師匠。いま暇かコラ』

いきなり喧嘩腰だと震えたが、これが彼のスタンダードだ。慣れたからの気安さでクスクス笑えば、家まで迎えに来ると彼は言った。

「ぅえ?僕の家まで、ですかぁ?」
『ネズミーランドに行くんだけどよ、俺ら二人じゃ悪目立ちするっつーんだよ、コイツが』
「コイツ?」
『高坂日向』

心臓が止まり、咳き込む。客を待たせているから長話も出来ないと焦りながらも、何故、あの光王子と佑壱がカップルリゾートに向かっているのかと痙き攣った。

「な、何でっ、光王子様がぁ?!」
『それは…あんま気にすんな。もうじき着くから、さっさと出て来い』

背後から、確かに日向らしき人の声が聞こえる。何が何だか判らないながら玄関に向かえば、今し方まで確かに居た筈の来客の姿が見えなくなっていた。

引き換えに、重いエンジン音を堂々と響かせる大きなバイクに跨る男が見える。


「よう、師匠。乗りな」
「ぇ?ぇ?!」
「テメェ嵯峨崎、そいつどうやって乗せるつもりだ馬鹿が」
「お前だけタクシー捕まえりゃ良いじゃねぇか」
「うぜ。…帰りたい」
「へーへー、そうですか。…此処の高坂日向君はーっ、いたいけな佑壱君にーっ」
「判った!判ったから恥ずかしい事をするんじゃねぇ!」

運転手だったのは、学園の王子である高坂日向その人で。フルフェイスを苛立たしげに脱ぎ捨て、佑壱を押し退けている。

「ぁ、ぁの…」
「ちっ。道交法無視させる訳にゃいかんか…おい」
「はっ、はぃ」
「馬鹿は放っといて、お前もタクシーだ。良いな?」
「ひっ。は、はぃっ。よよよ宜しくお願いしますっ」

凄まじい表情の日向は素晴らしく格好良いが、素晴らしく怖い。携帯でタクシーを呼びつけているらしい日向を恐々眺めていたら、己の長髪を三つ編みにしていた佑壱が皆無に等しい眉を寄せている。

「なーんで、そっちだけ楽しそうなんだ?納得いかねー、俺だって師匠と和三盆ネタで盛り上がりてぇのに…」
「イチ先輩ぃ、ほんとに僕ぅ、行かなきゃ駄目ですかぁ?ぐすっ」
「あ?そうだ、そっちには総長から連絡あったか?」
「ちょ!イチ先輩っ」

日向の前で、カルマの話はマズいだろうと飛び上がる。一般人の桜とカルマ総長に面識などない筈なのだから、普通は。

「チビ、気にするな。知ってる」
「ふわっ。しっ、知ってるってぇ、光王子様…」
「んな事よりテメェに聞きたいんだが、安部河桜」

漸くやってきたタクシー、桜を先に促した日向が真剣な表情で顔を近付けてきた。


「何で、光華会傘下の人間が彷徨いてやがったんだ?」
「俺もタクシーが良いー!!!」

言葉の意味を理解する前に、日向の背中にタックルをかました佑壱が、桜の隣に乗り込む。
ガツンと車体に衝突した日向がふるふる震えているが、バタンとドアを閉めた佑壱は、狼狽える運転手にネズミーランドと告げてご満悦だ。

「イチ先輩っ?!ひっひっひっ光王子様がぁ、物凄く睨んでますよぉう?!」
「高坂ー、バイクは代行に頼んであるから助手席に乗りやがれ」
「テメェ…表出ろゴルァ!今日と言う今日は泣かしてやるわ!」
「ああん?受けて立つぜコラァ!」

タクシーから飛び降りた二人の騒ぎで、ミーハーな姉達が出て来たらしい。美形二人の大喧嘩に頬を染めながら声援を送っている。

「テメーっ、ネズミーランドのネズ耳カチューシャ買って欲しかったら謝れハゲが!」
「巫山戯けんな馬鹿犬がっ、トム連れてってランド中のネズミ抹殺してやるわ!」
「弱いもの苛めしか能がないカス淫乱猫野郎!テメーなんか擬人化ミ●キーにズコバコ犯されろ!バーカ!バーカ!」
「12121×1は」
「えっと…」
「12121だ阿呆犬!幼稚園から出直しやがれ、学園の恥が!」

低レベル過ぎる。
余りの事態にどうして良いのか判らないらしい運転手に、眉を下げながら謝るしかない。


どうしたものか。
どうしたものなのか。


「ぁの」
「はん、モテないからってホモに走りやがって!性欲魔神!」
「次から次に女変えて、卒業前に父親になるつもりなら死ぬまで撒き散らしてろ、スピードスターが!」
「テメー、言って良い事と悪い事があんだろコラァ!今夜首洗って待ってろ!腰が抜けるまで喘がしてやるわぁあああ」
「はっ、精々ほざいてやがれ。どっちの腰が抜けるか、究極まで試してやるよ!」

何と言う会話だ。
遂には、閉店まで店から出る事がない職人らに紛れ、大将である父までもが姿を現した。

いよいよ追い込まれた心優しい長男は、実家の軒先で痴話喧嘩宜しく罵り合う美形二人へ、満面の笑みを浮かべたのだ。


「今の会話全部動画に取ったのでぇ、…ゆうつべに流されたくなかったら今すぐ乗りなさぃ」

斯くして平凡な後輩に冷たい目で睨まれた二人は、いつの間にか集めていたギャラリーの視線を背に、そそくさ逃げたと言う。















橋の欄干に立つ少年は、通り過ぎる通行人の驚きや悲鳴を背後に大空を眺めていた。

「ふむ。健やかな空だ」

白いシャツに白いスラックス。
橋の下の水路に浮かぶゴンドラ、遥か彼方に緑の山々。赤い赤い塔が見える。

「何処かと思えば、学園の敷地内か。灯台下暗しとはこの事…」
「ききき君!危ないから降りなさいって!」

出店の焼きそばを片手にした、有名な運搬業界の制服を纏う男が叫んでいた。
振り返り微笑めば、彼だけではなく、部活動や行事の準備に勤しんでいたらしい生徒、教職員が揃って沈黙する。

「賑やかだ。あの子は、こんなに賑やかな所で暮らしているのか」
「退きたまえ!風紀委員会だ、そこの者、直ちにそこから降りなさい!」
「そんな事をして、死ぬつもりか!」
「だったら、夜行性のあの子にはフラストレーションが溜まるだろう。…可哀想に」

クスクス肩を揺らした少年は、ギャラリーの遥か向こうに、銀髪の美しい生き物を見た。


「ああ」

蜂蜜色の眼差しを見開いた彼が、真っ直ぐ駆け寄ってくる。

「私の細胞が、まだ生きている」

悲壮な表情で、声もなく動いた薄い唇が名を呼んだ。


そうか。
そんなに、この体が大切なのか。
それなら、決して手放してはならない。それなら、決して諦めてはならない。

全力で手に入れるのだ。
恋い焦がれてやまなかった空も権力も、無くした家族も、何も彼も。
欲しいもの諦めてはならない。無意味に恨んではならない。悔やんではならない。


全てを須く受け入れた上で、求めるままに行動するのだ。


「しゅん」


ああ。
もう一人の「私」が、声無き慟哭を響かせている。

可哀想に。
そんなにあれは、私に似ているのだろうか。


「しゅん!」

けれど私は、家族を失った時でさえ、ああも必死になった事はない。そう、君に出逢うまでは、この世界に意味など無かった。
失ったものを手に入れる。一族を皆殺しにした貴族らへの復讐。

全てが事務的でしかなく、それは己の意志ではなかった。


「君にもあれが見えるのかい、ナイト。そうか、…あれはそんなに私に似ているのかね」

銀の髪。
白い肌。
ああ、光の下を走り回れる体が酷く憎い。
私はアルビノである事実をひた隠しにし憎んだまま、夜の名を持つ愛しい生き物を空から奪った。

「ふ。必死に駆けてくるよ。無様なものだ、あれが私の遺伝子だなんて…」
『…お前だって、喧嘩した後はなりふり構わず迎えに来たじゃないか』
「そうだったか。昔の話だよ」
『皮膚が焼けただれるのにも構わず、わざわざ日本まで来たじゃないか』
「醜く肌を焼かれ、無様に走り回った挙げ句、車に轢かれ掛けた君を庇って死んだ。何と愚かだと思っただろう?ナイト」


左胸。
息づく鼓動が聞こえる。


「あの日見た空は、こうも穏やかだったろうか」


人々のざわめき。
大地のざわめき。
生き物のざわめき。


「オリオンの仕業か。己が子孫に私達の記憶を封じるとは、可哀想な事をする…」
『征こう。…約束があるんだろ?わざわざ俺を黙らせたくらいなんだ、遅刻したら許さないからな』

人混みを掻き分け、掻き分け、獣めいた声で血を吐く様に叫ぶ声を最後に。



「いやだ、私から離れる事は許さない…俊!」

ふわりと笑んだ少年は、欄干から飛び降りた。

「やはり、あれは私には似ていない」

立て続けに飛び降りようとしている生き物は、見ていた他人から慌てて制止されながらも必死に叫んでいる。
声が枯れるのも構わず、己がグレアムである事にも構わず。



可哀想に。

神とは古今東西、無慈悲な存在ではあるが、それが神の名を持つ自分の所為だと思えば申し訳ない気持ちが溢れてくる。



願うのは、子供達の幸福。





「可愛いナインにそっくりじゃないか、神威は」
『それをジジ馬鹿って言うんだ、レヴィ。』

この光景を、君の愛しい子供は見ていない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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