帝王院高等学校
親愛の証はファーストネームですにょ
「うにゃ」

嫌な夢を見た、と思った瞬間に目が覚めた。
果てしなく下らない夢の内容は覚えていない。大した内容ではないが嫌な夢である事は覚えている、そんな程度だ。目が覚めた瞬間までは覚えているのに、もう思い出せない。

「うー…喉が乾いたなー」

腕を伸ばし、今にも落ちそうなほど端に寄っていたベッドからゆっくり降りる。キョロキョロ見渡しても、人影はない。

「ん?」

一度目覚めた時に左腕を占領していた二葉も姿がなく、リビングと言うよりはだだっ広いホールと言わんばかりの部屋にも、人影はないらしかった。

「どっか出掛けたんかねー」

備え付けの冷蔵庫にはジュースとお茶が入っている。サービスだろうそれを一つ手に取れば、ソファーに囲まれたテーブルの上、メモの存在に気付いた。

「んー」

手に取れば、慌てていた事が判る走り書きで、預かった携帯の使い方やルームサービスは自由に使えと言う旨が記されている。
さほど腹は減っていないが、人を閉じ込めておいて自分はお出掛けだなんて、と痙き攣った。こうなったら、する事は一つだ。

「あんにゃろー…約束通り、いっちゃん高いもん喰ってやる!」

フロントに直通する電話を掴み、すぐに応対した従業員へ一言。

「ルームサービス全部持って来て下さい」
『は、い?申し訳ありませんお客様、もう一度宜しいでしょうか?』
「ルームサービスのメニュー、全部」
『かっ、畏まりました!あの、ドリンク類も全てで宜しいでしょうか?』
「はい、いいです。魔王が自己破産するくらい派手に持って来て下さい、では宜しくです」

有無言わさず受話器を置いてから、ソファに飛び乗りメニューを開いた。成程、ワインやらシャンパンやらだけで、小さな字がズラズラ並んでいる。

「うーん、スピリッツって何だろ?」

規律に煩い風紀委員長が、後輩に飲酒を許したとなればちょっとした事件だ。ウィスキーだのブランデーだの、見た事も聞いた事もない銘柄を横目に、昨夜渡された携帯に手を伸ばす。

「ホントにメモリが2つしかない」

電話帳の登録件数は二件。
一件は『愛しのふーちゃん』、もう一件は『コンビニ』で登録されている。

走り書きのメモによると、前者が文字通り二葉の携帯に通じるらしく、後者の番号に通話すれば望みのものを持って来てくれるそうだ。

「…う。やっぱ通じない」

記憶している自宅の番号に掛けてみたが、登録しているナンバー以外には通話出来ない事が判っただけだ。
暇潰しであちこち弄ってみたものの、日本製ではないらしい携帯の表示は全て中国語で、必修科目として中等部時代に日常会話を学んだ程度の太陽には、お手上げだった。

ただでさえ英語も苦手なのだ。
外来語全般が苦手、と言った方が正しい。理数や国語は良いのだが。


「あーあ。暇過ぎる…」

今頃、佑壱達はどうしているだろうか。要と裕也が心配して探しに来てくれる…なんて事はないだろう。過度の期待は身を滅ぼす。

俊はどうしているだろうか。
いつもいきなり居なくなるので慣れて来たが、インドアイメージのオタクらしからぬ行動力があるので、もしかしたら何かしらの事件に巻き込まれているかも知れない。


「あー、銀行に行ったら銀行強盗に巻き込まれそうなタイプだよねー、俊ちゃん」

勝手に想像して失礼ながら笑い、幾つか俊の不幸物語を想像してみる。最終的には眼鏡を曇らせ、膝を抱えている姿に辿り着いた。
可哀想だ。

「…カイ庶務が、帝王院神威。最初からチクチク違和感があったのは、これだったのかねー」

そう言えば、出会ってすぐに神威が言わなかっただろうか。



“カイルーク”


全て勝手な思い込みだ。佑壱が従兄弟だからと言って確証はない。
日向や二葉に聞けば判る事だが、二葉はともかく、日向に尋ねる勇気はない。余り会話をした事がないからだろう。
ヘラヘラしている二葉とは違い、咽せる程の大人オーラが漂っている。


「やめやめ。考えても仕方ない、よし!…ゲーム持って来て貰おう」

携帯の二番目にコールした瞬間、玄関先のインターフォンが鳴った。ルームサービスだろうかと立ち上がり、携帯の呼び出し音が途切れた刹那、誰かが笑う声を聞いたのだ。

「お待たせ致しました。まずはオードブルとシャンパンをお持ち致しました」

コンシェルジュがワゴンを押しながら入ってくる。

「失礼致します。ドリンク、スナック各種お願いします」

次から次にワゴンが運び込まれるのを横目に、玄関先に佇んでいる長身を見つめた。

「いーけないんだ。未成年がシャンパンなんか」
『いーけないんだ。未成年がシャンパンなんか』

彼の手には携帯電話。
にやにやと疚しい笑みを浮かべたまま、携帯を耳に当ててこちらを見つめてくる。

「マスターに言い付けっぞ」
『マスターに言い付けっぞ』

彼は大きな紙袋を幾つか携え、出て行く従業員らを見送ってドアを閉めた。

「それ、外からしか開かないんですけど」
「知ってんよ。ま、俺も例外じゃないんだけど…お前と二人っきりなら悪くねぇかなー、ってね?」
「…何しに来たんですか?お引き取り下さい、息を」
「怖ぇなぁ、マスター…白百合様に命令されたからわざわざ来てやったんだぜ?ほらよ」

投げ渡された紙袋を受け取り、中を見やれば着替えと思われる服が幾つか入っていた。
と同時に視界が僅かに暗くなり、見上げた瞬間、後悔が襲ってくる。

「うわ!」
「逃げんなよ、挨拶だろ?」
「何処にキスを挨拶代わりにする日本人高校生が居るんですか!」
「おっと」

振り回した紙袋が空振りし、奥の寝室に逃げ込もうとして失敗したらしい。ひょいっと持ち上げられ、パーティー気分の賑やかなテーブルを横に、トリプルのソファに放り投げられた。

「やめっ」
「はい、おしまいー。かわいこちゃん、捕まえたー☆」

笑いながら握っていた携帯を閉じた男が、のしのしソファへ上がる。

「っ、アンタねー!悪ふざけもいい加減にしろよ!」
「悪ふざけぇ?冗談、俺はいつでも誠心誠意本気だぜ?」
「なお悪いわ!」

覆い被さってくる男のにやついた顔を睨み付け、握り締めた携帯を素早く操作した。失敗していたら終わりだ。

「そっくりそのままお返しすっぜ、この極悪人」
「…は?」
「なぁに企んでんだよ。とんでもねぇな、天下の白百合サマを誑かすなんて」

腹を這う他人の手に鳥肌が立つ。
余りにも気持ち悪いので、いっそ噛みついてやりたい気分だ。然し負け戦が見えている。

「何の話か判りませんね。退いて下さりやがれっ」
「なぁ、もうマスターとヤった?」
「はぁ?」
「あの人も顔に似合わずスゲーだろ?毎回、連れてる女が違ぇもんな」
「アンタが言うな」

ああ、嫌な予感しかしない。

「ホント、兄弟まるで似てませんね…!」
「うえー?そっくりだろぉ、男前なトコとかエッチ上手そうなトコとかよー」
「最っ低」
「さあ、アキちゃん。イイコトしましょうか」

キラキラ眩しい金髪に散る、紫。
散々暴れ回れば、足がテーブルの上のワインを蹴った様だ。派手に吹き飛んだボトルがテーブルの角に当たり、甲高い音を発てる。


「あ」

飛び散る破片がキラキラと煌めいて、降りかかった水滴は禍々しい程の赤だ。鉄錆の味がするそれを舐めれば、アルコールの香りがする。
覚えた眩暈、眇めた視界に陽光が差し込んだ。

「あは。血ぃみてぇだな」

艶やかなメッシュを睨むしか出来ない自分の弱さが憎たらしい。


なんて、



「…ああ、またか」
「無駄な抵抗はやめなさいよ、アキちゃん♪」
「離して貰えるかい、無礼者め」

めそめそヒロイン振りたいが、性格的に合わない様だ。

「ぐぉ?!」
「押し倒されるのは好みじゃないんだよねー」

急所を蹴り上げ、うずくまった所で頭突きした。起き上がり手近のグラスを掴んで、別のワインボトルを手に取る。

「ア、キ」
「あはは。僕が許したのは後にも先にも一人きりなんだよ?」

注いだ液体が、発酵した果物の香りを漂わせていた。


「気安く呼ばないで欲しいね」

通話中の表示が覆う携帯ディスプレイを一瞥し、電源を落とす。



さぁ、可愛いあの子は助けにくるだろうか?





あの雷鳴轟く嵐の日の様に。













ひたすら暑い。
真夏の砂漠に放り出されたかの様だ。


「ぅ、あ」


汗が際限なく滴る気配。
荒くなるばかりの呼吸。
喘鳴し続けた舌が酷く乾いている。

喉が灼けて裂けそうだ。


「ちょ、待っ!もっとゆっくり…そこじゃなくて、あー、もう!」
「少し黙っとけ馬鹿犬、萎えるだろう」
「そこは、いやん」
「殺すぞ」
「バッキャロー!痛ぇんだよテメー!ちったぁ力抜けっ」

腹の間で重なる欲望は二人分、必死に睨んだ相手は余裕綽々の表情で呟いてくれたのだ。

「畜生ッ、握り潰す魂胆かぁ!いっそ尻に突き刺しやがれ悪党めぇえええ!…んあっ」

痛みの次には優しさを帯びた手付きが快感を与えてきた。唇から零れた甲高い声に痙き攣り、慌てて口を塞ぐ。

「何の準備もなく本番なんざ出来っかよ。ちっ、色気もムードもねぇ…」
「テメーと俺でどうやってムード醸し出すっつーんだ!マヨネーズとケチャップじゃねーか!…ん?何か違ぇな…」
「テメェ相手に勃たせなならん俺様の苦労を労え、泣けてくるわ」
「だったらちったぁ優しくしやがれぇい!テメーっ、マジでいつか犯す!テメーの尻ズコバコのデロデロにっ、」
「佑壱」

ひたすら暑い。
ひたすら驚いた。
なのに全神経が、灼熱の塊に押し流されていく。

「おま………俺の名前覚えてやがったのか…」
「あ?」

一度として、日向が佑壱の名を呼んだ事があっただろうか。馬鹿犬やら野良犬やらは何度も言われた覚えがあるが、名前を呼ばれた記憶は一切ない。

「…不意打ちたぁ汚ぇ奴だぜ、高坂の癖に」
「何ブツブツほざいてやがる。テメェも手ぇ動かせ」

無理矢理掴まれた右手を、腹の間の熱塊に添えられた。一瞬飛び上がりそうなまでに驚いたが、恥ずかしいので秘密だ。
いつでも堂々としていないと、負けを認めてしまった気がするからだ。

「は、はっはー。やっぱヨーロピアンだな!固さは俺のが一枚も二枚も上手だぜ、はっはー」
「グレアムも元を正せばフランスだろうが」
「ま、まぁ、…アレだ。名前呼ぶ程度で盛り上がるなんざ、手軽な男だよテメーもよ」
「そろそろマジで黙れ、妥協してやってんだから」

面倒臭いとばかりの舌打ちを聞いて、笑みを失った。仕方ないから名前を呼んでやったのだ、と言う意思が伝わってくる。
佑壱、たった二文字四音のその名を呼ぶ者は限りなく少ない。親でさえファーストと呼び、舎弟らは『ユウさん』か『副長』だ。

「…へいへい、そーゆー事っスか」
「黙ってりゃ、悪いようにはしねぇよ」
「何だそら。口でご奉仕してくれるっつーのかぁ?天下の光王子様よぉ」
「はっ。お望みならな」

見開いた眼球が乾いていく気配、ちょろいとばかりに笑った口元の主は、不埒な手の動きを加速させていった。


「痛っ」

熱い。
熱い。
熱い。
快感と後悔と、意味の判らない焦燥感でドロドロに溶けてしまいそうだ。

「痛いっつー割りには、ガチガチじゃねぇか」
「煩ぇ!黙ってろハゲ!」

節張った指先は乾いていて、無理矢理添えさせられた右手には何の力も籠もっていない筈なのに、しっとり汗ばんでいる。

「この好き者が…!」

余裕がないのは明らかだ。慣れた日向の左手は乾いたまま、摩擦の痛みと熱を繰り返し、繰り返し。
負けてられるか、と。噛みついた喉仏に、歯形と赤い印が刻まれた。くつくつ低く笑った唇の下、喉仏が震えている。

「好き者、ねぇ」
「うぁっ。出る出る、ちょっ、タンマ!」
「早」
「っ!…腐れ淫乱が」
「佑壱」

重なった二人分の熱が爆ぜる間際、食らいついたのはどちらが先だったか。
灼熱に飲み込まれ紅蓮の華を咲かせた唇から、鉄錆の匂いが漂っている。



「…随分、手軽な犬だな。」

後悔は欲の証として、白濁と化した。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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