帝王院高等学校
ワンコの首輪は定期的に取り替えましょう
夢とか、将来への期待、などと言うものを、一度として抱いた事がない。
目の前にある現実が全てで、全てが須く当然であるのだと。何の躊躇いもなく、そう思ってきたからだ。

「ど、う言う事だよ…」

しまった、とばかりに目を逸らした男を見上げたまま、瞬いた。
脳裏を過ぎるのは走馬灯の様に、自分で築き上げてきた仲間に囲まれた過去。

楽しかった事。
腹立たしかった事。
実に、様々な事を思い出している。


「高坂」

震える右手に力を込める。

「…高坂」

持ち上げたそれは自棄に重く、ぎしぎしと軋む筋肉を震えながら伸ばせば、今にも泣きそうな琥珀を見た。

「何か言えよ、馬鹿高坂ぁ」
「…」
「ぷ。不っ細工」

何っつー顔をしてやがる、と。
笑った筈の唇が震えて、喉が痙き攣る気配。

「不細工、じゃ。ないか。…綺麗なブロンドだなぁ、お前」

初めてこの男を見たのは春の青空の下、桜舞い散る並木道で。ネイビーグレーの制服を靡かせた一つ年上の、けれどずっと低い所にある琥珀の双眸。

まるで。
そう、まるで。

天使の様だった、などと宣えば、この男はどんな顔をするのだろう。


「………俺」

重い指先で触れた冷たい唇が、震えていた様な気がする。天使には体温がないのか、などと。馬鹿な事を考えた。

もし今、口にしていたら何と言われただろう。馬鹿かと嘲笑われるか、罵られるか、無視されるのか。
単に呆れられるかも知れない。顔を歪めて、可哀想なものを見る様な目をされるのだろうか。

そう考えて、笑えた。



「生まれて来なかったら良かったのかなぁ」

きっと。
今と同じ表情なのだ。


(寒い)
(全身冷え切って、凍りそうだ)


「どうせ誰からも、必要とされてないんだから」





この世に神など居ないから。
この世から不幸がなくならないのだと、誰かが言った。









「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか?」

某コンビニエンスストアを思わせる青い制服を纏う店員に、もっさり黒髪の長身は陰湿な黒縁眼鏡を押さえ、囁いた。

「………に……………と、…」
「あの?申し訳ありません、もう一度宜しいでしょうか」

余りにもぼそぼそ囁く客に、流石の接客スマイルも凍っている。然しどう見ても不審者でしかない黒縁眼鏡は、深い深い溜息を吐いた。
馬鹿にしているのだろうか。

「コーラジェラートを下地に、スパークリングコーラとコーラのトリプル…」
「畏まりました。お持ち帰りでしたら、」
「一人分を持ち帰ると思うか。わざわざ訊くな、時間の無駄だ…」

ムカついても、仕事だ。
引き気味の店員から渡されたアイスクリームを手に、彼は生徒証明であるカードを差し出す。

「それでは1200円お預かり致し、…?!」

煌びやかなプラチナカードを受け取った店員が、悲鳴を上げかけて耐えたのは奇跡に等しかっただろう。


「何だぁ、今の…」
「どうしたー?」

アンダーラインに続く屋外階段の脇、休日も部活動に勤しむ柔道着の生徒が、弁当を片付けながら首を傾げている。
水道で顔を洗っていた仲間が振り返り、タオルで頭を拭いながら声を掛けた。

「いや、何か今よぉ、アイス食いながらゴキブリ並みの素早さで人混みをすり抜けてった奴が、居たんだよ」
「何だそら」
「俺も判らん」

首を傾げる二人は、それを最後に興味を失った様だ。







「…」

舌先に冷たい甘さ。
齧り付いた冷菓の酸味と甘味に背を丸めれば、目の前を様々な人間が通り過ぎていく。

「よー。昨日のドラマ見た?」
「録画したぜ。貸そうか?」
「ブルーレイだろぉ?泊まりに行くから見せてくれよ」
「おはよー、いま起きたぁ」
「もー。テニス部の朝練見に行こうって約束してたでしょっ」
「やだー!加賀城先輩が試合してるってぇ!」
「早く早くぅ!いやーん、清廉の君が助っ人で入るって本当なのぉ?!」

賑やかだ。
余りにも、賑やかだった。

「王手!はっは、田原先生、打つ手なしですな」
「う、うぬぅ、やりますな元町先生…。待った!今の手、待った!」
「コラー!秋刀魚盗んだ泥棒猫めぇ、待たんかー!」

それはもう、雑音と形容するより他ならぬ騒がしさ。

「ねー、ぱんだらけのカツサンド買いに行かない?」
「じゃ、ついでに映画でも見に行っか?最近、あんまデートしてねぇもんな」
「あれ?灰皇院君だよね?」
「はぁ。いつになったら帰って来るんだろ、二人共…」

耳障りだと。
呟いて、何人が気付くのだろう。

「可哀想だねぇ、あの業者。もう小一時間くらいになるだろう?」
「仕方ありませんよ。お二人共、お帰りになっている様ですがID反応がないんですし」
「神帝陛下は殆ど外出なさらないんだ。せめて猊下でも通りかかってくれたら、何とかなるんだがねぇ」
「おはよう。それ、アンダーラインのジェラート?」
「いつも挨拶に来てくれるんですが、今日はまだお会いしてませんからね。キャノン側の先生方からも、まだ連絡ないです」
「久し振りに帰省したんで、疲れたんだろう。猊下も難儀だねぇ、庶民だからって嫌がらせがやまないそうだし…あんなに良い子なのに」
「僕もたまに食べるんだけど、夏には期間限定の夏蜜柑とマンゴーがあるそうだよ!僕、鹿児島の出身だからマンゴーが楽しみなんだ」
「神帝陛下の酔狂にも困ったもんだ。高等部からの外部入学が珍しいからって、幾ら何でも…」
「高橋さん、聞こえますよ!誰が聞いてるか判らないんですから…」


喧しい。


「あれ?あっちに居るの、溝江君達じゃない?」

ぽんっと肩を叩かれて、隣を見やれば他人が座っていた。
黒髪で眼鏡の、然し影が薄いタイプの平凡な人間だ。

「………誰だ」
「え?だから、溝江君と宰庄司君だよ。灰皇院君もクラス誌を一緒に作ってるでしょ?」
「そなた」
「へ?」
「誰だ」

ぽかんと口を開いた少年が、見る見る真っ赤に染まる。

「あ、あの、一年Sクラスの委員長です。え?あの?灰皇院君、だよね?」
「違う」
「えっ」
「私の名は、帝王院だ」

瞬いた少年が口を開く前に、近付いてくる足音に眼鏡を押さえる。耳障りな、他人の気配。

「ご機嫌よう、左席庶務に委員長。僕らは朝のパトロール中なのさ」
「天の君のお部屋は明かりが付いていなかったのさ。昨夜は付いていたのに」
「あ、あはは。昨夜も天の君の部屋に行ったんだ?確か、夕方に帰るって聞いたけど」
「天の君からメールが着てたのさ。…庶務を見付けたら、」
「直ちに捕獲しなければならないのさ」

素早い二人が神威の脇を固め、飛び上がるクラス委員長には構わず赤縁眼鏡を押し上げた。

「と言う理由により、君は今から囚われの身なのさ。大人しく付いてきたまえ」
「抵抗するなら風紀委員権限で懲罰房に入って貰う事になるのさ」
「ちょ!ちょっと二人共、大袈裟過ぎじゃ、」
「…私を懲罰房に入れる?」

ジェラートの包み紙を丸め、無造作に放った男が立ち上がる。しなやかな指先が黒髪を鷲掴み、引きちぎる様に乱雑な仕草で、

「人如きが、笑わせる」

容易く握り壊された眼鏡が、作り物である黒髪の上に落ちた。瞬きさえ忘れた三人の前に、現実味のない美貌。
それは人間らしさを感じさせない神々しさを帯びていた。


「跪け。…耳障りなノイズよ」

静かな囁きに抵抗出来る者は、居ない。
















熱い。

燃えるようだ。


「…は、」

全身、灼熱の煉獄に灼かれている様だと思った。
生きている証は、これが現実だと言う証は。食らいつく様な口付けが与えてくる痛みと、這い回る自分のものではない肌の感触だけ。

「く、そ」

熱い。
熱い。
熱い。
恐怖も怒りもない。あるのはただただ、空っぽな心だけ。


「何だ、これ…」

首元を這うそれを掻き抱いて、滲む笑みに身を任せた。カタカタ震える唇には、恐怖も寒気もない。
ただ、空っぽだったのだ。

「は、は。………馬鹿やってんなぁ、俺もお前も」

始終無言である男の髪を掴み、鎖骨に歯形を残された痛みに顔を歪める。仕返しとばかりに引っ張れば、乱れたブロンドから焦点の合っていないキャラメルブラウンが窺えた。


「…」

僅かに弾んだ吐息が、頬を撫でる。そうか、いつも飄々としているこの男でも、この状況では余裕がないのか、などと。考えて、思い出した。

「お前、大抵、ちんまい男ばっか相手してたよな。恥ずかしげもなく青姦してんの見た事あるわ」

痛くはないのかと考えた。
佑壱の握力は一般の高校生のそれではない。日向の握力も大差なかった覚えがあるが、髪を引っ張られるのは誰でも耐え難い痛みだ。

「何」

すり寄ってきた鼻先から顔を背ければ、すぐさま凄まじい握力で顎を掴まれる。
無理矢理逸らした顔を元に戻されて、ブチブチと言う音を聞きながら唇を塞がれた。抵抗する気はない。取引を持ち掛けたのは自分だ。

「んっ、ふ…」

痛かっただろう。
右手に絡み付くのはきっと、生粋のブロンドだ。茶に近い地毛を痛めつける様にブリーチしている隼人とは違い、光に愛された金色。

今まで付き合ってきた本物の淫乱とは違い、それほど慣れていないキスに疚しさは感じない。
餓えた獣が本能で餌を貪る様な印象を受けた。本格的に頭が可笑しくなってきたらしい。



嫌悪感。
たった三文字の感情を探して、何処にも見付からない事に笑いたい気分だ。
キスだけならともかく、これから起こり得るだろう近い未来を判っているのに、理性も本能も抵抗していない。

受け入れた訳でもない。


「頭、可笑しくなっちまった」

空気を求めて喘いだ唇に、また近付いてくる頭を捕まえる。弾んだ生暖かい吐息を漏らす他人の唇を見つめ、噛み付く様に食らいついた。

お前の真似だ、と。
これは仕返しなんだ、と。
意味もなく言い訳しているのは理性だろうか。


ならば舌を割り込ませる理由も、力が抜けた男を抱き寄せて体勢を入れ替えて尚、逃げない理由も。
本能が招き寄せた結果、だろうか。


「は…っ、はー…」

見下ろした日向の前髪が、佑壱より僅かに白い肌に散っている。生まれ付き肌黒い佑壱に比べれば誰もが白く見えるのだろうが、酷く疚しい気持ちになるのは何故だろう。

「どうせやんなら、上のが良い」
「…ざけんな」
「女に乗られんの嫌ぇなんだよ、トラウマって奴?だから、俺ぁ寝転がってセックスした事がねー」
「俺は」

肌に張り付いた髪が気持ち悪い。
熱さで頭が可笑しくなってしまったのかも知れないと考えて、伸びてきた手が頬に張り付いた髪を梳いてくれる感触に、目を閉じる。

「自分に惚れてねぇ奴を抱いた事もなけりゃ、好きでもねぇ奴に抱かせるつもりもねぇ」
「俺だって嫌いな奴としたかねーよ。別に、テメーだって嫌いじゃねーし」
「はん」
「おい、鼻で笑いやがったな…」
「…ラブとノットヘイトは別もんだ」

ああ。
この、嘲笑を浮かべた時に見せる傲慢な王の顔。これが嫌いだ。
人間味がない捕食者の表情、絶望を知らない、誰からも必要とされる表情。

「I love you、これで満足か王子様?こんなん遊びだろうが、何マジになってんの、ダセーな」

僅かに眇められた琥珀の瞳は、キャラメルの甘さなどなかった。
好きでもない相手を抱ける癖に、好きでもない相手に「好き」と言う癖に。

「…退け。お望み通り、無駄口叩く余裕もねぇくらい遊んでやる」

抱いている最中、乞われれば言う癖に。好きでもない相手に、「好き」だと。



「あーあ。総長にゃ言えねーな…」

熱い。
熱い。
熱い。
これをセックスと言うなら、今までしてきたものはまるで別物だったのだ。

「…どーせ、俺なんか要らないんだろうけど」

チェストの上、置き去りにされた赤い首輪を見つめる。

存在意義に等しいそれは犬の証。飼い主に必要とされる、飼い犬の証。
例え飼い主に見離されても、首輪を捨てる事はない。



「…熱ぃ」

乞えば、王子様は好きだと言うのだろうか。必要だと言うのだろうか。

体の中は、絶対零度の凍土に取り残されている。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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