帝王院高等学校
過ぎ去った記憶その脆弱性の臨床
飛行機のエンジン音が聞こえる。
そよそよと頬を撫でる生暖かい風、もぞりと身を捩れば、誰かの笑う気配を聞いた気がした。

「ん」

ぱちっと目を開き、寝起きの目を擦りながら起き上がろうとして沈黙する。体が、重い。

「おはようございます」

痺れた左腕に、目が覚める様な美貌が乗っている。天使の微笑みに、パノラマサイズの窓から差し込む柔らかな日差し。
一気に眠気が飛んでいく。

「あえ?!ちょ、おぅえ?!」
「朝からいつも通り残念なお顔ですねぇ、山田太陽君。そんな朝の挨拶は初めて受けましたよ」
「…朝からいつも通り麗しいお顔ですねー、叶二葉さん」
「ふ。聞き慣れた讃辞、傷み入ります」

まるで絵画を見ている様だ、などとまったりしている場合ではない。
飛び起きようとしたが、左腕が痺れている上に二葉が起きようとしないので、敢えなく断念。気付いているだろう二葉は愛想笑いに僅かだけ揶揄めいた色を宿し、太陽の腰に抱きついてきた。

「おや、私より細い?」
「ちょ」
「成長期でしょう?しっかり食事を採ってますか?」
「脇腹はやめて下さいって!うはっ、あはははは!…って、コラ!」

擽られ暫し笑い狂ってから眉を吊り上げ二葉の頭を叩く。全く痛そうでない男は相変わらずにこにこ、太陽の左腕を枕に布団の中へ潜り込もうとしていた。

「何さらしとんじゃい、コラ」
「まだ九時ですよ。休日は午後までお布団の中から出ないタイプなんです。さ、寝直しましょう」
「それが不眠不休が売りである進学科生徒の台詞か。…起きんかい怠け者!や、そもそも何でアンタ居るんですか」

別に、居候の身である太陽に言えた義理ではないが、三つも寝室があるのだ。わざわざ引っ付いて眠る意味が判らない。

「ふーちゃん」
「はい?」
「ふーちゃんとお呼びなさい。アンタとは失敬な。不細工な寝顔はともかく、お腹丸出しで眠ってらしたのでお布団を掛けてあげたのに」
「おい。いつから見てたんですか!」
「ギリギリ歯軋りなさってましたねぇ。欲求不満は体に悪いですよ?見せてご覧なさい、朝ですから元気一杯でしょう?…おや?」
「ぎゃー!脱がすな見んなぁ!セクハラぁあああ!!!」

所持金三千円以下の庶民にも、プライバシーが欲しいのだ。下着を一瞬だけ剥がれ、痺れていない右手で股間を庇いながら起き上がる。

「ななな、なん、何やってんですかアンター!」
「おや?何なら私のもお見せしますよ」
「きゃー!!!」
「全く、昨今は生娘でもそこまで奥ゆかしい反応はしませんよ」
「もうやだ、刺殺が無理なら毒殺したい…」
「別居中の夫婦じゃあるまいし、付き合い始めの恋人同士が離れ離れに寝る必要がありますか?スイートだと言うのに」

いや、言い分は尤もだ。
尤もだが、これだけは言わせて貰いたい。

「俺、帰ります。枕が変わると眠りが浅いってゆーか」
「無駄ですよ。玄関はご覧の通り、内鍵がない。出られたとしてもエレベーターは下からしか動かない仕組みです」
「うわー、何だかうちの学園並みのセキュリティーだなー」
「このホテルの運営者は、帝王院財閥のグループですよ。我が学園のセキュリティー開発者は、神帝陛下です」
「あー、あんま聞きたくなかったなー…」

本当に、そんな男があの『もっさりオタク』なのだろうか。確かに声は似ている気がしない事もないが、素顔を見たのは下院総会の一度きり。
然もその時、庶務はコスプレ姿で左席側に居た。

「あ、あの。ちょっと聞きたい事があるんですが」
「何か?」

今なら答えてくれそうな気がする。
性悪だが賢い二葉がこんなにも近くに居て、親衛隊も風紀委員も連れてなくて、いつものきっちり着こなしたブレザー姿ではなく、僅かに乱れた浴衣で。

「ホテルから出る方法でしょう?」

微かに笑った二葉に、違うと言いかけてやめた。

「ブレザー。借りたまんまだったなー、って」
「ブレザー?ああ、処分して下さって構いませんよ。スペアがあるので」

汚れたシャツの代わりに借りたブレザーは、カフェに置いてきた。引き換えに与えられたヴィジュアル系バンドじみたコスプレは、佑壱のマンションにある。
いま太陽が着ているのは、佑壱が中学時代に着ていたらしい服だ。

「あ。イチ先輩に返さなきゃ」
「嵯峨崎君、ですか?彼がそう呼ばせて怒らないのは、君とあの男くらいですねぇ」

呟いた二葉は相変わらず左腕の上。じんじん痺れた腕がずきずき痛み始める。

「やっぱ一回帰らなきゃ。着替え持って来てないし」
「既に手配してあります。昼頃には届くでしょう」
「いつまで監禁する気ですか」
「監禁?肢体を拘束した訳でもない。言うなれば、軟禁が正しい表現ですよ」
「はっ。俺の人権を無視した癖に良く言う」
「貴方、近頃随分ひねくれましたね」
「誰かさんに惚れたくらいですからねー」

鼻で笑えば、沈黙した二葉が眼鏡を押し上げた。何か言い返してくると思っていただけに、何となく居心地が悪い。
左腕の痺れも治らないのだから、益々最悪だ。

「とにかく、一回帰ったらまた戻って来ますから」
「月末の行事までには戻りますよ。ゴールデンウィークには早いバカンスだと思いなさい」
「おわ!」
「さ、寝直しましょう」

がばっと抱き付かれ痙き攣った。右手が二葉の尻に当たっているが、態とではないと信じて欲しい。
どっちが細いのかと言う程に細い腰と、引き締まった尻の感触。揉みしだいてやろうかと唾を飲み、これでは俊と同じだと頭を振った。

「はぁ。落ち着きがない人ですねぇ」
「や、だからこの服。イチ先輩から借りてるんです」
「…へぇ?窓を突き破る勇気があるなら止めませんが」

そんな勇気はない。
ないが、やはり突っ込まずにはいられなかった。

「判りました。諦める代わりにルームサービスで一番高いモーニング奢って下さい」
「お安い御用ですよ。お好きなものを好きなだけ頼んで下さい」
「そしてとっとと退きやがれ、ハニー」

何せ、痺れ切った左腕がぶるぶる震えているのだ。蹴り飛ばせば眉を寄せた二葉が、やれやれと言った風情で起き上がる。

「はぁ、我儘ですねぇダーリン。肉付きの悪い枕で肩が凝りました」
「つか、枕役が逆だろ」

ゲーマーの細腕には、小顔も十分重い。














「あー、眠たいぞぇ(つД`)」

呼びつけた舎弟が運転する車内で、大きな欠伸を発てた健吾がシートベルトを外す。

「ユーヤ、後の荷物は宜しく」
「ねーカナメちゃん、言うの忘れてたけど、業務用ゴミ袋の大きいの売り切れてたよー」
「あー、はよーっす。そこのコンビニならあるんじゃないっスか」

佑壱から預かったスペアキーでカフェの扉を開き、店内で爆睡しているメンバーを蹴り起こしながら片付けに取り掛かる。

「俺が買い出しに行きますから、ケンゴは簡易テーブルを片付けて、ハヤトは厨房をお願いします」
「うえー。水仕事で手が荒れたらどーすんのお?隼人君はモデルさんなんですよお」
「マネージャーの電話ぶっち切ってサボってんじゃねーか(´_ゝ`)」

雇われマスターは学生らしく、研修だか実習だかで今朝は早くから外出中だ。医者志望は大変だと言う事は、誰もが理解しているので文句はない。

「総長、戻ってねーか?」
「俺らずっと居ましたけど見てないっすよ、ユーヤさん」
「そうかよ」
「ああ、ユーヤは掃除機でも掛けてて下さい」

ドアから出ようとしていた要の台詞に、顎を掻いた男は無表情で呟く。


「…ヤダね」

テーブルを持ち上げた健吾が短い息を吐いた。
















「アンドロイド?」

分厚い絵本を持ってきた三つ子へ、ぱちぱち瞬いた。奪われた黒縁眼鏡を興味深げに眺めている子供の一人が、艶やかなカーペットの上で寝転がり笑う。

「そうだよ、僕らはX010の前期型なんだ。プロフェッサーシリウスの所には、後期型が居るんだよ」
「冬月先生はお医者さんでしょ?ドクターじゃないにょ?」
「違うよ、ドクターはオリオンだの」
「オリオンは居なくなったんだ。だから旦那様はいつもオリオンのビデオを見てる」
「キング様が、オリオンを探さなかったから」

次々に話しかけてくる子供達が、早く早くとせびってくる。分厚い絵本は童話の様だが、日本語ではなかった。

「はふん。ごめんなさい、僕には読めないにょ」
「ふだんし、ドイツ語読めないの?」
「旦那様はドイツ人なんだよ」
「だからリヒトはドイツで産まれたんだ」
「ユーヤンはハーフだったなり。初めて知ったにょ」

挿し絵だけをパラパラ眺める。
もう一人の『自分』は完全に眠っているらしく、どのページを眺めても翻訳する事は出来なかった。

「あ。これ、人魚姫」
「そうだよ」
「プリンセスマーメイドは、人間の王子に裏切られたんだ」
「愛していたけど、泡になっちゃった」
「…可哀想、ね」

呟けば、三つ子がぴたりと引っ付いてくる。撫で撫で頭を撫でられて、小さく笑った。

「好きな人の為なら何でも出来るって気持ちは、俺にも判るなァ」
「ふだんし、好きな人間が居るの?」
「人間じゃない癖に」
「それは、誰?」

秘密、と曖昧に笑えば、本当の子供の様に頬を膨らませる。ロボットだと言われてもまだ、信じられない。
ロボットなのに三つ子は個々の性格を持っている様で、眼鏡に興味がある子供、絵本に興味がある子供、話すのが好きな子供、バラバラだ。

「君らも『リヒト』が好きなんだろ?」
「そうだよ。でもリヒトは一生、コーヤに償うつもりなんだ」
「コーヤは音楽から愛されてた。シューベルトもベートーベンも霞むくらい、コーヤは天才だった」
「リヒトの為に造られた僕らは、コーヤの音を一度しか聞いた事がない」

三つ子の一人が立ち上がり、部屋の隅から一枚のディスクを持ってきた。
がばっとシャツを脱ぎ、腹の辺りに金属が埋まっているのを見せてくる。ああ、ハードディスクドライブに似ている。

「聞かせてあげる。コーヤが、ミューズに愛された証」

腹の中に躊躇いなくディスクを差し込んだ子供の目から、淡い光が漏れた。他の二人がカーテンを閉めたり、照明を消せば、白い壁に幼い子供が映し出される。


サックスを片手に小さな燕尾服を着た黒髪の、子供。


『こんにちは、高野健吾です。今日は沢山の人の前でちょっと緊張してますが、最後までお付き合い宜しくお願いします』

はきはき、子供らしい笑顔で聡明に挨拶を果たし、指揮棒を右手に掲げてオーケストラに向き直る。
左手だけでサックスを構え、右手でタクトを振るのと同時に演奏が始まった。


「す、ごい」

出鱈目だ。
クラシックをアレンジし、コミカルさを引き出した演奏は好みが分かれるだろう。然し、こんな斬新な演奏であるのに、音は限りなく完璧だった。

途中ピアノに走り、左手だけで鍵盤を叩きながらタクトも振り続けている。

楽しい、と言う感情を我慢しない表情に、ギャラリーも手を叩きながら笑っていた。どんなオーケストラとも違う、彼だけのオーケストラだ。


『今日!新しい友達が出来たんです。二人共仲が良くて、新参者の僕なんか相手にして貰えなかったんだけど』

泣く振りをする子供に、ギャラリーがどっと湧いた。悲しいと言いながらも笑っている子供は、タクトから手を離しバイオリンを構え、

『創作しか出来ないって思われたらシャクなんで、勝手に一曲弾かせて下さい!あ、ごめん父さん…じゃなかった、コンマス!後で説教受けますっ』

仕方ないとばかりに頭を抱えた男性が片手を上げ、ギャラリーが益々笑う。恐らくあれが健吾の父親なのだろう。説教の下りで親指を立てた彼は、然し愛おしげにステージの息子を見つめていた。
誇らしげに、慈悲深く。

『新たな友達に捧げる曲、僕が一番好きなフランツ=ヨーゼフ=ハイドンで、皇帝讃歌』

聞いた事がある。
これは、ドイツ国家だ。


「コーヤは、天才なんだ」
「なのに、あの爆発で内臓が半分吹き飛んだ」
「もう、昔の音は出ない」

人魚姫は泡になった。



「可哀想なコーヤ」

将来、果ては終焉。いつか命には終わりが訪れる。
そんな事は知っているけれど、消える事なく生き続けてしまったマーメイドは、どんなに辛いのだろう。

大切なものを奪われて、今。

←いやん(*)(#)ばかん→
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