帝王院高等学校
見えない行路その脆弱性の立証
『流石、中世北欧で魔女と呼ばれた女王の子孫だ』

足が折れた馬は死ぬ。
鼻の利かない犬は生きる術がない。

『採取した0.32mgの皮膚で、0.04mgの抗酸化製剤の製薬に成功した』

ならば牙が折れた獅子は、果たして生きていけるのだろうか。

『助かるの?』
『冗談。たったそれっぽっちで何時間保つと思ってんだ。効果永続性は3グラムで一週間』
『え?』
『単純計算で、採取した皮膚の八倍が必要だ。それでも効果は一週間。身動きしない状態で、だ』

答えはイエス。
ライオンの雄は狩りをしない。プライドの雌を働かせ、決闘の時だけ牙を剥く。

『動けばその分、多く酸素を取り込む。ただでさえアレの細胞分裂速度は人間の十倍だ』
『じゃあ、もっといっぱい使えば良いだろ!』
『アレと違って老化が遅いお前から、全身の皮膚を剥いでも高々知れてる。そもそも治癒が間に合わない』
『俺はっ、死んだって良い…!』
『阿呆か、死なせたら元も子もない。俺はお前の保護を頼まれてるんだ。枢機卿から殺される』

この世は不条理な世界だ、と。
大人は嫌と言うほど知っている癖に、何故新しい命を産みだそうとするのだろうか。

『そ、んな』
『方法はある。可能性は70%、それも皮膚よりずっと効率が悪い』
『何だよ』
『血だ。但し、通常人間が口腔摂取すると中毒を起こす。血液から製薬する事に成功すれば、見た目にもグロテスクな状況は避けられる』

生かす為に死ねと言われたら、喜んで死ぬ人間は存在するのだろう。負けが判っている戦場にすら、人は臨む生き物だ。

『但し。予測では、血液10gから精製可能な量は0.1mg。成功確率も七割で、完全じゃない』
『…』
『細胞分裂が遅い長寿の坊や。聞かなかった事にして天寿を全うするか、毎週最低でも300gの献血にご協力頂き、…我が身を削るか』

懐かしい光景を見ている。
右腕にギブスを填め、眼帯で片目を覆った誰かが仄暗い笑みを滲ませ、試す様に囁く声。


『ふふ。勇敢だねぇ、偽善心溢れてらっしゃる。精々、悔いなきよう』

後悔。
後悔。
後悔。
牙を失った獅子は、群から追われ狩りもままならず死を待つだけではないのか。

『貴方にはいずれ、アレのDNAから精製した増血剤を服用して頂きます。研究段階なのでお渡し出来ないのが残念ですが』

苦しい。
苦しい。
苦しい。
生かす為に死ぬ行為を続ける為だけに、他人を傷つけてしまう事など。



『気に病む事はありませんよ。貴方をモルモット扱いする訳にはいきませんからねぇ、プリンス=ベルハーツ』


「重、い」

苦しい。
嫌な夢を見た倦怠感、それだけではない寝苦しさに痙き攣りながら瞼を開けた。
ずっしりとした重量感。腹の上に何かが乗っている。

「…あ?」
「ぐー。ふがっ!ゴラァ!」
「っ」

盛大に寝返りを打った長身が、健やかに眠る美貌を蹴った。
蹴られた高い鼻を押さえながら起き上がった男と言えば、腹の上の他人の足を一瞥し、凛々しくも眉間に皺を寄せる。

「コイツ…蹴りやがっ、た」
「ぐー」
「殴りてぇ」
「ぐー」

むにゃむにゃ、唇を蠢かしながらボリボリ腹を掻いている佑壱は、ボクサーパンツ一枚の半裸だ。
静かに怒りを宿した日向が佑壱の鼻を摘めば、ふごっ!と言う不細工な声を放った佑壱は、然し賢くも口呼吸に切り替えた。

「ちっ」

睡眠不足と貧血のダブルパンチで寝落ちしたらしい日向を、この部屋まで運んだのは佑壱に違いない。悪夢も合わせれば、苛立ちは益々増した。
辺りを見回したが、一番初めに招かれた部屋ではなく、無駄に大きなベッドマットを床に敷いただけの寝床だ。カレーを貪った、外から見て中央の部屋だろう。

「大体、いま何時なんだよ…」

ボリボリ襟足を掻き、枕元に転がっていた携帯を掴む。日向の携帯の隣、煌びやかなデコ電は見ない振りだ。
ジャラジャラ煩わしいストラップの数など、数えたくもない。

「9時か。…結構、寝たな」

日向が当初着ていた服も、枕元に畳まれている。着替えるかと、起き上がろうとした瞬間、首元にラリアットが飛んできた。

「がっ」

また佑壱の寝返りが見事に決まり、一瞬呼吸を忘れた日向が布団に沈む。
本気で芽生えた殺意から、喉仏を圧迫してくる腕を鷲掴んだ。

「…嵯峨崎ぃ」
「ぐー」
「糞タコ犬が」
「ぷ」

日向の肩口で、ぷるぷると佑壱が震えた。

「あ?」
「く、ぷふ!くっくっく」

日向は知らないが、寝起きの佑壱の不機嫌さは凄まじいものがある。低血圧からなるものだが、寝起き一番に笑う様な事はない。

つまり、

「テメェ、駄犬の癖に狸寝入りとは好い度胸じゃねぇか、ああ?!」
「くくく。はは!悪ぃ悪ぃ、蹴っても怒んねーからよ、何処までイケっか試した」

半ば本気で殴り掛かるが、いつから起きていたのか、明らかに寝起きではない身体能力で躱した佑壱は、そのままひょいっと立ち上がる。

「逃げんな、カスが!」
「いやーん、恐ぁい。寝顔までイケメンな高坂サン」
「いっそ首の骨ブッ砕きてぇ」

怖がる振りをした佑壱は、枕元のヘアバンドを拾い上げて手早く髪を結い上げた。いつ見ても見事な手際の良さだ。
日向の部屋に置いていたものだが、何の遠慮もなく勝手に使われたので放置している。猫のワンポイントが付いているそれは、お揃いのリストバンドも持っているが、二葉以外に知る者は居ないだろう。

佑壱には何が何でも、『愛猫ブログ』を運営する程の猫好きである事は隠さねばならない。
そもそも数年前、俊と話すキッカケも、繁華街に捨て猫を見つけたからだった。


「さーてと、餓鬼共はとっくに飯食って出掛けやがった。テメーはどうすんだ?」
「…煩ぇ。帰る」
「馬鹿野郎」

着替えを掴み立ち上がれば、小馬鹿にした様な赤い眼差しが睨んできた。
癪に障るのは、それが偽物だと知っているからだ。

「朝飯はちゃんと食え。だから貧血如きで倒れんだよ」
「はっ。…笑わせんな、テメェ如きが人の心配か」

酷い言葉ばかり探している。
嘲笑いながら手酷く傷付け、泣かせる事が出来れば。少しはこの無様な苛立ちが収まるのではないか。

そんな馬鹿げた事を考えている限り、救いはない。


「テメェのそれは、他人の保護者面する事で優越感に浸ってるだけだろ」
「あん?朝っぱらから喧嘩売んのかよ、商売人だねぇ」

肩を竦めながらトースターでパンを焼く佑壱は、まるで相手にする意志がない。

「生憎、カルマさん宅の肝っ玉ママとして、家事の最中は冷静沈着&家内安全を心掛けてますから。ごめんあそばせー」
「テメェらの猿知恵が、いつまでも通用すると思うな。猿山の大将」
「はいはい、痛くも痒くもありませんよ。良し、ニラレバとほうれん草のお浸しで貧血予防だな」

泣かせたい。
鼻歌など歌いながら玄関に向かった背中を追い掛けて、ドアノブを押す前にその肩を掴んだ。

「うおっ?」

力任せにドアへ押し付けた躯、驚いた表情に構う余裕もなく喉に噛みついてやる。

単純なこの男は、一度懐に入れた人間には限りなく無抵抗だ。昔から。
だから二葉にも神威にも我関せずを貫き、自称舎弟の親衛隊の面倒も見てやる。二葉の親衛隊とも日向の親衛隊とも違うと思われがちなだけで、その殆どが恋愛感情込みの下心を頂いている筈だ。


「むっ、むぐっ、ふむむむ!」

キスならまだしも、流石に下半身を弄られるのには抵抗した。

無防備な太股の内側を撫で、痙き攣った股の筋を指で摘んでから手を背後に回す。
下着を引き下ろし引き締まった尻を直に揉めば、頭突きをしようとしたらしい佑壱が後頭部をドアで強かに打ち付けた。

「いっ」
「馬鹿が」

涙目に構わずそのまま後頭部もドアに押し付け唇に噛み付き、尻の狭間を割り開く。ぐぐぐっと籠もった尻の筋肉に舌打ちしたい気分だが、流石に片手では鋼の様な臀部をどうする事も出来ない。

ボクサーで覆われただけの股間に己の下半身を押し付ければ、ビクッと震えた佑壱がイヤイヤと首を振る。
押し付ける様な口付けをしたままの状況では大した抵抗にもならなかったが、足を振り上げようとする気配に今度こそ舌打ち一つ、

「無駄だっつーの」
「ごっ、おっわ!あだっ」

ヘアバンドで結われた髪を鷲掴み、叩き落とす様に床へ倒れ込む。
強かに頭を打ち付けたらしい佑壱が両手で頭を抱えている内に、力が抜けた両足を抱え上げた。

「はっ。…男も女も、此処まで手が懸かるのはテメェが初めてだ」
「テ、メー…!いい加減にしろよ、コラァ!今ならまだ許してやるぞ?!ごめんなさいって言え!」
「冗談抜かせ。この状態で良くそんな戯言ほざけんな、お前」

剥ぎ取ったボクサーを掲げれば、クワッと目を見開いた佑壱が硬直した。
ぽいっと遠くへ放り投げ、わざとらしく舌舐めずりすれば、カーテンを引く様にサーッと青冷める顔が見える。

「…男に身体差し出すくらい訳ねぇんだろ?だったら、差し出して貰おうじゃねぇか」
「ご、ご冗談を…」
「この俺様のスケになるんなら、当然それ相応の奉仕もあるんだろう?」

佑壱の精神を忠実に体現した下半身も、竦み上がっているらしく重力に負けていた。

「俺様を誰だと思ってんだ、坊や」

一般の恋人ならば、互いを高めあう行為であるべきだろう。愛を確かめる最大唯一の育みは、こんなに虚しいものではない筈だ。

「光華会三代目高坂組筆頭だ。…生半可な取り引き持ち掛けたんじゃねぇよなぁ」
「お、おい!…んな悪代官みてーな事言うなよ!わ、判った。抜いてやるから退けっ!重いっ」
「扱いて終わり、…なんてヌルい事ほざいたら命取るからな」

ピキッと硬直した佑壱が、だらだら冷や汗を流すのが判る。ふっと目を逸らし、ふるふる唇を震わせていた。
眦に僅かばかり涙が浮かんでいる。だが、まだ足りない。


しゃくりあげるくらい。
声が枯れるまで、身体中の水分が涸れるまで泣かさなければ、恐らくこの嗜虐欲は満たされないだろう。

許して下さいと地に平伏す『赤』が見たい。
些程変わらない目線、僅かに低い位置から不敵に睨みつけてくるフェイクレッドを、足元に這いつくばらせたい。


「酸欠になるくらい喘がしてやるよ」

全身の血液が沸騰するほど。
全身の細胞が分離するほど。
肺が酸素中毒を起こすほど。
そこまで追い込めば、3粒の錠剤などでは間に合わないに違いない。

「な、に。考えてんだ、高坂。落ち着け、俺だぞ?お、お前、俺なんかに突っ込むなんて、…人生投げんなよ!」
「…」
「い、言っちゃあ何だが、俺はグレアムの元帥で!ルークの、」
「は」


目の前で。


「はは!馬鹿が、帝王院が俺を殺す筈がねぇ」
「…あ?」

老いていくのだろうか。この野生の狼の様な男は。狼と同じ寿命を、目の前で。全うするのだろうか。

「教えてやろうか『天使様』。俺様を殺したがってる奴はなぁ、…『悪魔』派の連中だよ」

目を見開いた佑壱が見つめてくる。
泣けば良いのに。喚けば良いのに。許しを乞えば良いのに。死にたくないと、助けてくれと、跪いて乞えば良いのに。

「さしずめユダだな。俺様だけがイエスの寿命を操れる」
「どう言う事だよ…!」
「さぁ?足りねぇ頭で考えろ。セックスの最中に談笑する趣味はねぇ」

そうすれば、後悔する事が出来る。
今の、この真っ暗闇から抜け出す事が出来る。違う明日を想像する事が出来る。一般の高校生らしく、自由に子供らしく。生きていける。


「ほら、テメェが望んだ取り引きに相応しい行動を示して貰おうか」

狂った羅針盤。
進むべき方向を示す事なく、ぐるぐると回り続けている。

「っ、…巫山戯けんな!退けっつってんだろっ、高坂ぁ!」

鋭く尖った牙が折れる刻を待つだけ。
生かす為だけに死ぬ行為の終焉。

「黙れ」

生かす為に死ぬ。
死にたくないから殺す。
どちらも、果てしなく不条理ではないか。


「テメェを殺してしまいたいよ、嵯峨崎」

跪け。
惨めに這い蹲って泣き喚け。

そうすれば後悔と言う名の刃で牙を砕き、最も幸福な終焉を選ぶ事が出来る。

「ただ逃げてるだけで、何も知ろうとしねぇんだな」
「んだと?クソが、ぶっ殺すぞテメー!」

目の前で人が死ぬのは御免だ。(つまり死にたくない)
生かせる命があるなら救うべきだ。(誰か俺を助けてくれ)
偽善だと言われても構わない。(本心は我が身が可愛いだけ)

あの日、二葉は仄暗い笑みを浮かべ、片目だけ眇めて言った。

『貴方は王たるべき人間だ』と。



「お前を生かす為に、藤倉裕也がモルモットになった事を知ってるか?」


何も彼もが所詮、自己保身の嘘でしかない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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