帝王院高等学校
清く正しい交際を心掛けましょう
「あー」

漸く眠りに入ったと言うのに、着信音が聞こえてくる。俯せに寝ていた体を持ち上げるのも億劫で、開けっ放しのバルコニーの向こう、星が瞬く夜空を横目に手を伸ばした。

「誰だ…」

先に手に触れたのは眼鏡。
はだけた寝間着の浴衣には構わずもそもそ起き上がり、大股を開けばふくらはぎにザラリと砂の感触。

「…はい」

登録しているメモリーなど皆無なので、番号を確かめずに応対した。

『ああ、俺だ』
「何処の俺だ、消すぞ」
『嵯峨崎佑壱だ、消すな』

瞬いた。
この男から携帯に連絡があるとは思いもよらず、崩れ落ちる様に今度は仰向けで寝直す。

「…夢か」
『現実だ寝るな起きろ低血圧』
「貴様が言うな低血圧」

チョロチョロと絶えず聞こえてくるのは、部屋を横切る緑茶の水路だ。この部屋を見た人間は、その大半が痙き攣る。確かに一面砂漠の部屋など、日本には存在しないだろうが。

「…誰に聞いた」
『高坂の携帯から抜き取った。文句があんならロックしてねぇアイツに言え』
「ふん、あの馬鹿そこに居るのか。やらしいなぁ、ファースト。どっちが掘ったんだ?お兄さんに教えてごらん」
『セクハラで訴えんぞ。…ちょっと待て、代わる』
「あ?」

何の用があるのか、代わると言って暫し無言になった間に苛立ちが募った。ただでさえ一度寝るまでに時間が掛かる不眠症で、漸く寝付けたと言うのに。

「…日向じゃねぇなら、誰だよ」

だったら誰に代わるんだ、と。
眉間に皺を寄せた瞬間、受話器から微かな吐息が聞こえた。
それと同時に、キャッチホンの電子音。こんな夜更けに随分モテる携帯だ。普段は鳴らない癖に。

「おい?誰だテメェ、用がねぇなら切るぞ」
『…』
「貴様、シカトか」

ハンズフリーにして、携帯を掲げる。誰かの吐息。ディスプレイにはまた、見知らぬ番号。

「夜中の無言電話。ストーカー確定だ、消えろ」

何も喋らない受話器の向こうに舌打ち一つ、通話終了ボタンに手を掛けた。


『あの』


親指、だ。
悪いのは全て親指だ。
漸く喋ったと思った瞬間、通話終了ボタンを押していた。

だから、


『夜分にすまんな、二葉』

聞き覚えがある声が、聞き覚えのある女性の声に切り替わってしまったのは、全部この、親指が悪いのだ。
呆然と親指を見ても意味はない。

『私だ、判るか』
「え、ええ。こんばんは、アリアドネ叔母さん」

跳ね起きて、ドクドク煩い心臓を抑えても今更だ。

『起きていて良かった。今、話す時間はあるか』
「ええ、まぁ…」

後悔。
ああ、酷い後悔。いっそ佑壱を八つ当たりで殺してやりたい。何故、こんなハプニング。
太陽からの電話、なんて。死ぬまでないと思っていたのに。ああ、何故こんなハプニング。

『先程からテレビを賑わせているニュースなんだが、調べて貰いたい事があってな』
「ニュースですか?すみません、休むのが早かったもので観ていないんですよ」

あれは、太陽の声だ。
たった一言だったが、間違いない。今すぐに着信履歴を掘り起こし、掛け直さなければならないのに。今度は優しい声で、恥ずかしがり屋が自ら話し始めるまで何時間でも待つのに。

『寝ていたのか、悪いな夜分に』

もう一時前ではないかと時計を睨みながら、イライラ貧乏揺すりする。ジャリジャリ砂がふくらはぎの下で音を発てた。

『ひまの様子が可笑しいんだ。あのニュースを見てから』
「そうですか」
『脇阪が動いている。ただ事ではない』
「そうですか」

興味がない。
とっとと切ってくれと願いながら、普段全く付けない壁掛けの60インチ液晶のリモコンを握る。枕元には大半の必需品を備えていた。ひとえに、動きたくないから。

『蛇の道は蛇だ。お前に判らない事はないだろう?ネイキッド』

ぽち、ぽち。
チャンネルを変えても変えても、何故か同じニュースばかりだ。都内の別荘地で大火事、死者一名、軽傷数名。

随分、大規模な火災らしい。
数十台の消防・救急車が出動しているらしく、未だに鎮圧していない様だ。狭い土地に無人の別荘が幾つも並んでいる為、負傷者こそ少ないが消火作業が遅れた。
ここから、そう遠くない。

いや、これは。
今日、見覚えがある。


『山田大空と言う男、心当たりはあるか?』

滑り落ちた携帯が、敷き詰めた布団の下の砂に落ちた。後悔は繰り返してはならない。
そんな事、判っていた筈だろう?

「…セントラルライン・オープン、コード:セカンドからコード:ルークへ」
『エラー。接続出来ません』
『二葉?』

無意識に叩き切った携帯、ふらふら起き上がりながら覚束無い手付きで探したリダイヤルに掛けた。

『もしもしー?』
「神崎君ですね?嵯峨崎君はいらっしゃいますか」
『副長はあ、さっきー、お医者さんがー、来たからあ』

遅い。
遅すぎる。
会話が余りにも遅すぎるが、苛立った方が負けだ。

『オージ先輩のとこにー、行ってるよお』

明らかにわざとらしい。
ニマニマ笑う光景が見える。

『邪魔するなって言われてるからあ、ごめんねえ』
「では山田君に代わって下さい」
『えー?何でえ?』
「先程、間違えて切ってしまいましたので」
『どーしよっかなー?今さあ、隼人君の耳掃除してくれてるんだよねえ』


な ん だ と ?


『神崎ー?誰と話してるのー?あっちから綿棒持って来たけど』
『気にしないでえ、ただのジャーマネだからあ。隼人君オフなのに、しつこいんだよねえ』
『ふーん?じゃ、先に高野からしよっか?』
『だめー!隼人君の耳掃除が先でしょっ』

誰がジャーマネだ。何が耳掃除だ。
みしっと軋んだ携帯に構わず、乱れまくった浴衣でバルコニーから飛び降りた。

たった五階だ。
こんなもの、生え並ぶ桜の木があれば何とでもなる。


「ねぇ、神崎君。お祖父さんはお元気ですか?」
『あ?』

低くなった受話口に笑い、真っ直ぐアンダーラインへ向かった。
葉っぱと枝だらけの見窄らしい外見には構わず、警備員の驚いた様な顔を横目に駐車場の奥を目指す。

「山田君に代わってくれたら、とっても良い事を教えてあげますよ」
『はっはーん。隼人君相手に取引っスか、陰険眼鏡ー』
「良いお取り引きになる事を祈ります」

赤いフォルムは日向のインスパイア。その隣のモスグリーン、BMWなんて年寄り臭いと鼻で笑ったのは日向だ。

もう一台、セダンが並んでいる。
つい先日、国内免許を取得したばかりの神威に贈ったセルシオ。ホワイトシルバーのフォルムは、立体駐車場の蛍光灯に照らされ煌めいていた。

『興味ないねえ。他当たってよ、悪いけどさー』
「貴方のお祖父さんは生きています」
『は』
「貴方の記憶とは違う、別の姿で」

久し振りに握ったステアリング。
踏みしめたアクセスがキュルキュル唸り、吠える様に駆け出した。

「我がグレアムに不可能はない。そのくらい、庶民の貴方にも判りますね?」
『…てめえ』
「信じる信じないは、勝手ですがねぇ」

日本で運転するのは初めてだ。

『信憑性』
「こちらもなりふり構っていられないんです」

ああ、これならまだ、飛行機の操縦の方が楽だろう。右ハンドルの国産車は、慣れていない。

『え?何で俺がマネージャーさんに代わらなきゃなんないの?ちょ、神崎ってば!』
『うっさい、とっとと出やがれチビ』

賑やかな声が近付いてくる。
ボコッと言う音の次に隼人の悲鳴が聞こえたが、そんな事はどうでも良い。

『も、もしもし?』
「………」
『もしもーし?あれ、切れちゃったかなー?』

泣けてきた。
もしかしたらもう、この先一生、この声を聞く事はないかも知れない、と。
本気で覚悟していたから。

「…アキ」
『おえ?えっと?』
「今すぐ迎えに行くから、待ってて」
『え?え?つか、誰?え?』
「落ち着いて聞いてくれ。…お父様が亡くなったかも知れない」

誰、と。
か細い声が尋ねた瞬間、恐らく気付いたらしい。短い息を吐けば、沈黙が返ってくる。

「俺じゃない。…信じて欲しい。お父様には、手を出していない」
『あ、の』
「向こうに帰る覚悟決めて、今更こんな下らない事する筈がない。けれどもしグレアムの仕業だったら、俺は何の為に今まで…」

赤信号だ。
止まらなければならない。例え交通量皆無でも、それが法律なら。

「…何の為に、今まで」
『えっとー、何か良く判んないんですけど、その前に。…話があるんですよ、ねー』

神よ。
後悔は腹の底から生まれた。
神よ。
ならばこの強い苦しみは、何処に還るのだろう。


「それが命令ではないなら、聞いてあげましょう。貴方のお願いなら幾らでも」
『おえ?!』
「ふふ。色気がありませんねぇ」

もう少しで。この国とも離れ離れだ。どうせ自分は、神の命じるまま海の向こうへ帰り、望まない結婚を強いられる神威のサポートをし続ける。

神威の子供は可愛いだろう。
控え目で従順な女が寄り添い、幸せと言えずとも仲睦まじい家庭になる筈だ。
愛して欲しいとさえ望まなければ、誰もが幸せになれる。


『何と言いますか…俺と付き合って貰えないでしょうか!』

青く灯るシグナルが、滲んだ。
愛して欲しいとさえ、望まなければ。
誰もが、幸せになれる。

『す、好きなんです』

だから、理由など聞いてはいけないのだ。演技の才能がない、なんて。


『貴方が好きなんです』

言わなければ、幸せな夢だけが残される。












「タイヨウ君?(´・ω・`)」

無言で携帯を閉じた太陽がふらっと倒れ、近くにいた要が軽やかにそれを躱す。酷ぇと呟いた裕也の足元で親指を立てた太陽が痙き攣り、よろよろ起き上がった。

「第一段階、突破」
「うぉー!やりやがったァ!Σ( ̄□ ̄;) 本気で白百合様を落とすとわ(つД`)」
「で、この後どーすんのお?」

来訪者を迎えに行った佑壱が居なくなってから、纏め役が居なくなったリビングで顔を突き合わせながら沈黙する。

「カイ庶務が神帝だって言うなら、周りから固めてかなきゃなんないのは判ってんだけど…具体的には、まだ」
「はあ」
「…ったく、無謀にも程がありますよ。貴方は洋蘭がどんな男か全く判っていない」
「カトレア?」
「叶二葉の中国名だぜ。カナメは、祭青蘭」

ふーんと適当に頷いた太陽の背後で、酷く賑やかな声が聞こえてきた。日向の眠っている部屋へ行った、佑壱の声だ。

「あのクソジジイ!」
「イチ先輩?ジジイって?」
「高坂の野郎を押し倒してやろうと思って実行したら、ジジイに追い出された。シリウスの分際で…」

憤りながらズカズカ入ってきた佑壱がドカッとソファに座り、忌々しげに鼻息を吐き出す。幻聴を聞いた様な表情の隼人も要も無言だ。

「つーか、光王子を襲うつもりだったんですか?ほ、本気で?」
「当然だろうが。そっちこそ首尾はどうだ」
「当然なんだ、あはは…。えっと、一応オッケー貰いました。掛け直す前に掛かってきて、『飽きるまで付き合ってあげますよ』って」
「マジかよ、侮れんな山田」
「然も、あの、何か…迎えに来るって。二葉先輩」

佑壱までも沈黙する。
と、いつからそこに居たのか、ジーンズの上にシャツを羽織っただけの日向が立っていた。右腕に注射の止血ガーゼが見える。

「誰が迎えに来るっつった、今」
「あの、二葉先輩です。場所は判ってるから、すぐ着くって」
「いつの話だ、それ」
「電話切ったのは、20分ちょい前くらいですけど」

佑壱と日向が顔を見合わせ、無言でアイコンタクト。何がどうなってこうなった、と言う日向に対して、

「山田と鬼畜が交際する事になった」
「何を企んでやがるテメェらは!…俺様は逃げるぞ」
「待て、その前に話がある」

ピンポーン。

インターフォンに皆が動きを止める。
幾ら何でも早過ぎる。帝王院学園から此処まで、どんなに頑張っても小一時間は必要だ。


「済まんが、誰か居られんか?」

注射器片手にやって来た来訪者に、全員が悲鳴を上げても仕方がない話である。

←いやん(*)(#)ばかん→
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