帝王院高等学校
忠犬は己の意志で飼い主を裏切る。

『エラー、現在このフロアはロックされています』


エレベーターにセキュリティガードが掛けられている事に気付いた男は、忌々しげに眼を細め凄まじい勢いで拳をパネルへ叩きつけた。

「ちょ、ユウさんっ」
「セキュリティライン・オールフリー、コード『ファースト』を今すぐ執務室へ届けろ」
『エラー、SECONDのロック命令により解除は認められません』
「巫山戯けんじゃねぇぞ、ブッ壊されてぇのか機械野郎!」

大気を震わせる様な叫びに耳を塞いだ彼は、己の主人にしてエレベーターパネルを殴り壊した男の肩を叩く。


「落ち着いて下さい、隼人に作らせた偽造リングがあるでしょう?」
「はん、こんくらいでイカレやがって!だから家電はSONYかパナソニックにしろっつーんだ馬鹿が!」
「…全く、ユウさんはバイクと携帯以外のメカニックに弱過ぎます」
「煩ぇ!人間、冷蔵庫と洗濯機と掃除機が使えりゃ何とでもなるんだボケ!」
「家庭的だと言う事だけは判りましたから、退いて下さい」

渋々離れた佑壱が壊したパネルを覗き込み、バチバチ火花を散らす赤外線センサーに短い息を一つ。


「良くもまぁ、鉄を抉れましたね。相変わらずボクサー並みの腕力…、リングは無事ですか?」
「けっ、隼人の偽造コードは無駄が多過ぎて嫌なんだよ」
「然しセカンドと言う事は、白百合の悪戯です。ユウさんは白百合の次、権限が弱い。光王子ならばね、ああ見えても彼は学園二位ですから」
「何で俺よりあの淫乱野郎の方が偉いんだ、ハゲ。ハゲて死ねパツキン野郎が」
「どちらかと言うと、毛質が細いユウさんの方が危ないと思いますが…、」

言い掛けて要の表情が険悪なものへ変化する。チビ副会長が俊にしたアレコレを思い出したらしい。

「…あの野郎、青酸カリでも飲ませてやろうか」
「奴は俺が潰す。とっとと殴り込むぞ、早くしやがれ」
「何を偉そうに、壊したのはユウさんでしょうが…っと、漏電しているので、隼人のリングを外して下さい」

見た目は完全にただのシルバーリングであるスカルリングを求めた要に、然し自称『怖いのは総長だけ』と言う男は、





「びくびくしてんじゃねぇよ」


バチバチ火花を散らすスキャンパネルへ、躊躇わず拳を叩きつけた。

「な…」

要が僅かばかり眼を見開き、パチパチ逆立つ赤い尻尾に唇を痙き攣らせる。ああ、佑壱の体が輝いていないか。

「見事に帯電してますよ、ユウさん」
「セキュリティライン・オープン、コード『馬鹿猫』より今日も魚が美味い
『お魚咥えた馬鹿猫、追っ掛けてー』
「裸足で駆けてく、…陽気なカルマさん
「ぶっ」

屈辱感が滲む佑壱の、合言葉ならぬ合替え歌に要は口元を押さえた。笑ったら命は無いだろう。
帯電している事より、隼人が仕掛けたこの下らない合言葉を口にする方が佑壱にとって余程耐えられない様だ。


『了解、セキュリティ解除します』

漸く開いたエレベーターへ、パチパチ輝く赤髪がのしのし歩いていく。眉間に刻まれた深い深い皺が彼の怒り具合を嫌と言うほど教えてくるではないか。

「シねシねシね、ジャップ。ジャップは皆シねばイイ。そーちょー以外シねばイイ、特に隼人シね」
「そんなに嫌なら、俺が代わりに言いましたのに」
「ンな事はもっと早く言え!」

眼にも止まらぬ拳骨が頬を掠めた。間一髪で避けた自分に拍手喝采を送りたい気分だが、改めて自分が従う男の威圧感に感心してしまう。


「…野郎、帝王院のシンボルだか何だか知らねぇが、いい加減我慢の限界だぁ…」

薄ら寒い笑みを滲ませて剣呑な眼差しを正面に注ぐ佑壱の横顔に息を呑み、久々に此処までブチギレた様を見たなと感嘆する。
いや、昔の彼に戻っただけだ。たった14歳で数多の不良達を従わせたカルマの創造者に、戻っただけだ。


「…指一本、傷一つ付けてみやがれ」

自分が憧れた赤い一匹狼。
アメリカから帰国してすぐに帝王院へ入学したプライドの高い子供は、日本人全てを見下していた。
少なくとも己の身内さえ受け入れていない男は、未だにカルマでさえも受け入れていないのかも知れない。心の深い所までは、まだ。

だからこそ、それを従わせる銀皇帝が如何に凄い存在であるのか判る。
今はそう言えるが、少なくとも昔の自分は違った。馬鹿だったとしか言えない。今はこんなにも敬愛してやまない人なのに、


「全てに懸けて許さねぇ…」

近くに慣れ過ぎてカルマの皆が佑壱の恐ろしさを忘れ掛けていた様に、噂を知りながら密かに崇拝しながら、然しその姿を目にした途端に襲いくる本能的畏怖から攻撃しざるえなくなる皇帝が、如何に人間の心を惑わす生き物であるのか、




「俺が噛み殺してやる…!」



従わせる事に慣れた佑壱が此処まで逆上する存在が持つ意味を、敗北を知らぬ神は思い知らねばならない。神帝、誰からも崇められる姿無き覇者に何が出来るのかなどとつまらない考えは捨てろ、その眼光だけで弱者を従わせるケルベロスに付き従えば良いのだ。

「隼人が水面下の捜索に痺れを切らした様ですが、どうしますか?今すぐ呼び出し、」
「総長の腹に従う。総長が正体を明かさないなら、俺ごときに口を挟む権利はねぇ」

ほら、何も悩む必要はない。
自分はこの人に従い、この人はあの人にだけ従う。

「帝王院神威を引き摺り下ろして、神の玉座は真の皇帝に献上するぞ」

陶酔めいた台詞に唇を吊り上げた。天下の帝王院を統べる皇帝を思い浮かべ、その気高い威圧感を目にする為なら何でも出来る気がしてきた。

「はい。総長にこそ、クラウンリングもティアーズキャノンも相応しい」
「ああ、無駄だと思ってきたガラクタも、あの人には似合う」

天に伸びる巨大な城を俊へ捧げたなら、きっと喜ぶに違いない。
目元を和らげ、全身で微笑んでくれるのだろうか。


夜に咲く太陽の様に、暖かく。



「…そもそも、総長が姿を消したのは彼の所為です」

静かに静かに最上階を目指す箱船の中、静かに静かに憎悪を燃えたぎらせる佑壱だけが別格なのだと、少なくとも自分だけは知っている。

「だからブッ潰すんだろ」

まるで催眠術に掛かったかの様に、新月の夜は眠たくて動くのも辛くて堪らないのに。



「征くぞ、要」

だから、大切な人が居なくなってから何も彼もが狂ったのだ。
いつもいつも騒がしい健吾はぼーっと空ばかり眺めて、いつもいつも彼女の惚気話ばかり語り聞かせ、結婚式では総長に仲人を任せるのだと公言して憚らない裕也は近頃全く彼女の話をしなくなった。
仕事も学校も中途半端だった隼人は別人の様にハードスケジュールを望んで、一日三食が原則のカルマ規定に逆らう自分は最後にいつ食事したのかさえ覚えていない。

1週間前、健吾は肩がぶつかっただけの酔っ払いを再起不能にした。気が長い陽気な彼にしては珍しく、誰が止めても止まらなくて、裕也が傷だらけになりながら力尽くで羽交い締めにしたのだ。

2週間前、裕也はデートの約束をすっぽかしてカルマに乗り込んできたグループを壊滅させた。至極満足げに『ストレス解消』と呟いた表情の少ない眠たげな顔が、カルマの下っ端達を竦み上がらせた事に気付いているのだろうか。

隼人は毎日毎日、大嫌いな尻軽達を相手に遊び惚けているらしい。この二年右手が愛人、総長が恋人だと馬鹿な台詞ばかり口にしていた癖に。遊びで産まれた子供が如何に惨めか知りながら、やめる気配は皆無だ。




「新月、ですね。今日は」

エレベーターが開く。
正面には重々しい扉、僅かばかり開いたままのそれを蹴り開けた男の背中を見ていた。



だから、この一ヵ月で何が一番狂ったと言えばやはり隼人が一番狂ったのだ。
けれどカルマの誰もが躊躇い無くこう言うだろう。この三年で最も狂ったものは何かと聞かれれば、





「Come here at once, foolish!(出てきやがれクソ野郎!)
  Let you pray for the moon if you wanna alive!!!(死にたくねぇなら月に祈るんだな!!!)」


全てに無関心だった生き物に、大切な唯一が出来た事、だろうか。
この男の一族は自尊心が強く、唯一従うのは己が主人だけなのだ。



(気高いは、容易く尾を振らない)
(賢い犬は、を賭して飼い主を護る)







「Fuck you, majesty!(ブッ殺してやるわ、元ご主人様よォ!)」






(月にった犬は、飼い主の喉を噛む)


←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!