帝王院高等学校
やるせない認めたくない仕方ない
「俺だけ除け者にしてナニ話してた訳?」

ドアを開けるなり風呂上がりホッカホカの侵入者から睨まれ、間違いなく自分が手配したルームナンバーである事を確かめる。

「大人って隠し事スキだよね、ほっんと」
「…人の見合いに乱入した次は不法侵入か?加賀城社長サマ」
「はっは〜ん。お見合い相手のお姉さん、ケンゴさん好みの巨乳だったもんねー?」

ブランデーグラス片手に一口煽った獅楼に眉を顰めるが、中身はどうやら麦茶の様だ。ぷはーっと吐かれた息からアルコールの匂いではなく、香ばしい穀物の薫りが漂ってくる。

「餓鬼らしい童貞発言だな。女の価値は、穴と腰遣いで決まんだよ」
「…サイッテー」

緩めたネクタイをダブルサイズのベッドへ放り、堅苦しいジャケットを脱げば肩から力が抜けた。

「そのサイッテー野郎の部屋にわざわざ馬鹿面下げてやってきたのは、何処の阿呆だ?」
「最初からさぁ。何となく判ってたんだよね〜、おれ」

濡れた髪のまま構う気配のない獅楼へ備え付けのフェイスタオルを投げつければ、頭でキャッチした彼は珍しく無表情でソファに腰掛けた。

「慣れてんだよね、おれ」
「あぁ?」

昼前から今まで動き回っていた疲労が偏頭痛を呼び起こす。怠惰に握ったリモコンで起動したプラズマテレビに、脳天気なバラエティーが映し出された。
それ以外の番組表を見れば、時間帯だろうか、ロクなチャンネルがない。

「じーちゃん目当てだったなら、初めから言えばいいのに」

シャワーは明日にして寝るか、と。シャツのカフスに手を掛けたまま、呆然とソファを見やった。

「『ユーさんのお兄さん』の頼みなら、こんな事くらいいつでも引き受けたんだ。きっと、おれは」
「シロ、お前」

利用されてるだけなのに、と。
呟いた獅楼の目線が逸れる。

「慣れてるんだよね、おれ。カルマに入ってからは少なくなったけど、おれに近付いてくる人なんか、じーちゃんか父さん目当てに決まってたんだし」

やさぐれとは違う、事実を淡々と述べているだけの声音。カラコンに妨げられていない真っ黒な眼差しは、じっと窓の向こうを見つめていた。

「ちょっと待てよ、俺はそんなつもりは…」
「ユーさんにも総長にも、カルマの皆にも。迷惑が掛かんないなら、いいんだ」

子供だ、などと。


「おれは、慣れてるから。いいんだ」

今更、弟よりも年下だった事を思い知らされた。たった15・16歳の、6歳も年下だと。返す返すも今更。

「もう、こんくらいで泣いたりしないし」

馬鹿だったのは、自分の方だ。

「シロ…その」
「お見合い邪魔してすいませんでした。改めて母さ…うちの母がお詫びに行くって」
「悪かった」
「何が?悪いのはこっちでしょ。じーちゃんと先生が2人っきりで閉じこもってる間、母さんから物凄く怒られたし」

食事に誘うと言う大義名分、本音は獅楼が言う通り、加賀城とのコネクションを築く為だ。
最終的には獅楼を『巻き込みたくない』と言う偽善思考、本心は足手纏いの排除だった。それが真実で、恐らく獅楼はそれに早くから気付いていたのだろう。
自分ですら、今。
今の今まで気付かなかった疚しい心の奥底に。

愕然とした。
吐き気すら覚える。
日本から出た事もない癖に。未だに生みの母を実の母として慕っている癖に、これが『血』だろうか。

使えるものとそうではないものを選り分けて、不要と感じれば淘汰する。それは、


「は、はは。所詮、俺も同じ穴の狢かよ」

グレアムの遺伝子。
吐き気がする。
眩暈がする。
違う、お前は日本人だと誰か否定してくれないか。(死んだ母をも否定してしまう事になろうとも)(可愛い弟をも否定する事になろうとも)(誰か)

「ほっんと、バカだよね。ちょっとイライラしたくらいで、他の人にまで迷惑掛けちゃってさぁ」
「頼むシロ、俺の話を聞いてくれ」

伸ばした手に乾いた衝撃と音、怒りも絶望も淘汰した成れの果て、悲しみに塗り潰された漆黒に赤い自分が写り込んでいる。

「大っ嫌いだ!…ユーさんの兄ちゃんだからって、のこのこ付いて来た自分が嫌になるよ!」
「だから聞けって、シロっ」
「子供扱いすんなっ」

ああ、頼む、泣くな。
厄介な事になるんだ、それは。とてつもなく厄介な問題に発展するんだ、まず、間違いなく。



遺伝子。
執着心、独占欲、大切な者ほど苛めてしまう、憎むべき血。



「…黙って聞いてりゃ、小便臭ぇ餓鬼が」

呪わば我が性分を。
嫌いだのあっちいけだの言われたら燃え上がる、厄介過ぎる我が性格を。

「望み通り、大人の扱いっつーもんを教えてやるよ」

好きな子を苛めてしまうのは、子供の頃から全く変わっていない。




入学初日の庶民にえげつない役職を与えた、何処かの誰かの様に。













ゲストルームのプレートを背中に、優雅な佇まいで腕を組んだ男はこの世の悲劇とばかりに目元を片手で覆った。

「はぁ。全く、礼儀知らずにも程がありますよねぇ。夜分に手土産一つ持たずのこのこ…その上、面厚かましく宿を用意しろですか」

ふ、と儚げな微笑一つ、

「これだから外国人は」
「…局長」

海外育ちのハーフとは思えない台詞に痙き攣った風紀役員らは、然し健気にも口を閉ざした。

「陛下は」
「リブラセントラルへお戻りになられました」
「おやおや、珍しい。暫く三年帝君部屋は無人でしたのにねぇ」

歴代生徒会役員に与えられている部屋は寮の最上階にあるが、三年帝君部屋だけは地下にある。
生徒の大半が知らないまま卒業するだろうその部屋は、部屋自体が巨大なエレベーターの中に存在していた。帝君である生徒の身の安全を確保する為に、数年前から実施されたセキュリティーだ。

「困りましたねぇ。殆ど使っていなかったとは言え、携帯電話はいつの間にか解約なされている様ですし」

神威の部屋へ行くには、寮に存在するどのエレベーターを使っても辿り着く仕組みになっている。然しマスターリングの権限がなければ、パネルに帝君部屋が表示される事はない。

「ああ、マジェスティのお部屋にはあらゆる電波を遮断する防御壁を施していましたね」
「今は何階にいらっしゃるやら」
「クラウンリングをお持ちでいらっしゃるマジェスティでない限り、幾ら学園長であってもお部屋には…」
「ええ、例え陛下が孤独死なされていても・ね?私達に確かめる術はない」

縁起でもないと言わんばかりの委員に軽く笑い、手を振りながら踵を返した。

当然だが、神威が閉じこもっている帝君部屋に行く術は他にもある。万一、今し方の冗談が現実に起こった場合、打つ手がなくなるからだ。


「クロノスリング、か」

本物の。
コピーやレプリカではない、純粋なクロノスリング。
いや、正しく言うなら、クラウンリングの対である、クロノスリングなら。

「ペアリングなんて、何が愉快なんだか」

執行部三役以外、誰も知らない。
クラウンリングもクロノスリングも、会長が入れ替わる度に作り替えられている事を。見た目には大して変わりはないが、隠し細工が施されているのだ。

「理事長…前陛下にお会いするのは明日でも良いでしょう。私も休ませて貰いますかねぇ」

例えば、今の神威のリングにも俊のリングにも、同じスペルが刻まれている。
ブラックライトを当てない限り目には見えない文字で、



「部外者の相手でくたびれました」

『私を殺せ』と。













胃の中で轟々と何かが唸っていた。これを誰かが『嫉妬』だと言ったが、それはもう疑うべくない、嫉妬だ。


「…」

久し振りに足を踏み入れた部屋は、最後に出た時と何一つ変わっていない。依頼しない限りルームクリーニングも立ち入れない部屋は、オートコンディショナーの空調設備のお陰で埃臭さなどはない。

幼い頃に負ったトラウマで、極度の寒がりになってしまった二葉が『嫌がらせ』で押し付けてきた誕生日プレゼント。
『幹が男性器に似てる』などと満面の笑みで押し付けてきた観葉植物は、水もやっていないのに生き生きしている。贈り主の様にしぶとい植物だ。


以前は殆どこの部屋で寝ていた。
誰の気配も感じない、何の雑音も聞こえない、箱の中。土の中に潜り込んで息を潜めていると、いつか憎んだ悪魔の血に気付かされてしまう。

あらゆる所で昼寝をした。
昔、絵本を読んでくれた人の膝で眠った頃の記憶を呼び起こしながら、日溜まりの匂いがする所で何度も。何度も。


人の気配がすると目が覚める。
あらゆる音が耳に入って来ると、どれもが雑音として頭の中を支配してしまう。
すぐ近くに居る誰かの呼び声にすら気付かない程の、ストレスでしかなかった。

可愛らしい日向の冷静な表情が歪むのを見るのが気に入っていた。
だから、委員会業務を放棄して日向が直々に探しに来るのを待つ。
執行部で唯一真面目な日向は、いつもは事務的に振る舞う癖に怒った時は容赦ない。普段大らかな分、余計に執拗だ。首根っこを掴まれて執務室まで引きずられ、仕事が片付くまで竹刀片手に監視してくる。
その間の日向の表情と言えばまるで般若か夜叉か、何度見ても飽きない。それが見たいが為にあちらこちら昼寝場所を転々としたが、どんなに日向が痙き攣ってもストレスが消える事はなかった。


ゆっくり眠ったのはいつ以来だろう。人の鼓動が心地良く思えたのはいつ以来だろう。
肉と肉がぶつかり合う音、体液が奏でる耳障りな音、荒い息遣い、他人と交わる全てが煩わしくなったのは、いつ。


「刑法178条」


意識がない相手に。
後悔すると判っている相手に。


(肉と肉がぶつかり合う音)
(二の腕に縋り付く手)
(夢うつつに揺らめく漆黒の眼差し)
(いつもより早い心音)
(嗚咽染みた苦しげな声を始終聞いていた癖に)

(体液が奏でる酷く心地好い音)
(貪る様に探り当てた控え目な舌先を何度も舐れば、粘膜が触れ合う度にそれは増した)


心は後悔などしていない。
けれど体は背徳に怯えていた。
産まれて初めて自ら望んで触れた愛しい生き物に、吐き出したのは「愛している」の一言だけだ。

控え目に、健気に。抱きついてきた指先が、背中を僅かに引っ掻いたのを覚えている。
苦痛に震える肩、太股の筋が痙き攣る光景、交わっているのは身体のほんの一部分でしかないのに、全てを喰らい尽くした気になった。


「しゅん」

広いベッドの端に倒れ込み、クッションを抱えながら呟いたのは、未練がましさの塊。

本当は。
本心は。
先程見たあの闇色の男が。まだ、似ていると思ったから。佑壱の話に託けて近付いた。女々しい未練。人間らしい感情。


自分は嫉妬している。
彼が自分以外の誰かに笑いかけているかも知れない、今。
彼が自分以外の誰かに手を伸ばすかも知れない、明日。
自分以外の誰かを好意的に想うかも知れない、未来。
自分の知らない彼を知っている、他人。
全てに、嫉妬しているのだ。


身内にまで嫉妬している。
出会う前の遠野俊を知っている全ての人間に、そして今、俊の近くに居る全ての人間に。醜い妬みで胃が焦げてしまいそうだ。


「俊」

在るべき者は在るべき場所へ。
間違った理は真実に戻すべきだと、知っている。

一人多い一年帝君は選定考査を待たず消え、本来学生たるべきではない人間は本来の、在るべき場所へ。


『陛下。…いや、サー=グレアム』
『私の、最初で最後のお願いを聞いて下さいませんか』



ならば私は、何処に還るべきだ。
母の腸に還ろうにも母はもう居ない。父の腸に還ろうにも誰を父と呼べば良いのか判らない。
キング=グレアムを父と認めれば今まで生きてきた全ての意味を失い、帝王院秀皇を父と呼べば我が身に芽生えた人間らしい感情全て否定せねばならない。


『どうか私から』


愛しい人を抱いて眠る。
愛しい人の呼び声で目を覚ます。
愛しい人の笑う顔、体温、鼓動、息遣い、足音、匂い。



『感情を消して頂けませんか』


出来るものなら、幾らでも。

←いやん(*)(#)ばかん→
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