帝王院高等学校
せめて、兄らしくオッサンらしく
「姉ちゃん!」

壁にガンガン頭を打ち付けている女性の背後で、今にも泣き出しそうな顔をしながらオロオロしている白衣姿の男が見える。

「血、血が出てるって!やめなよっ、何してんだよ!」
「煩ェ!血が恐くて医者やれっかボケ!」
「そう言う問題じゃないだろーっ」

ガンガン、ガンガン、絶えず男らしく壁に額をぶつけまくる、姉。最早あれは兄だ。女じゃない。

「あーっ、苛々すんなァ!なーんか思い出しそうなんだよッ、畜生め!!!」
「姉ちゃんっ」
「ココ!ココ!喉ン所まで来てんだよ!なーんで思い出せねェのか、ぶっ殺すぞ畜生ーっっっ」

オロオロオロオロするだけの弟はいよいよ携帯を取り出し、心療内科にコールしようとした。

「おやおや。えらい賑やかだと思えば…何をなさってるんですか?」

と、掛けられた声に二人振り向いた。
長身、黒髪の美丈夫が一人。薔薇の花束を抱えて佇んでいる。

「いや、その、これは…あはははは…」
「何か用かそこのイケメン!」
「ああ、この病院に叶冬臣が入院してる筈なんですが、病室は何処か伺いたくて」
「叶さん?いや、確かそんな患者さんは居なかったと思いますが」

全入院患者の名前を記憶しているらしい無駄に高性能な院長を軽やかに無視し、姉は顔を一気に歪めた。

「叶冬臣ィ?はん、お主あの着物ジジイに何の用だィ?悪い事は言わねー、帰ェんな」
「叶文仁。一応、『あの着物ジジイ』の弟でしてねぇ」
「うっそ。似てねーなッ」
「聞き慣れてますよ、お嬢さん」

白々しい会話だ。
キョロキョロと二人を交互に見ていた院長は、寂しくなったのかイジイジと白衣の裾を弄んでいた。

「こんばんは、遠野院長」
「むぐっ」

ぬっ、と。いきなり現れた男に口を塞がれ、声もなく飛び上がる。
バタバタと暴れまくるが、姉も異常に美形なロン毛も哀れな院長には気付いていない。

「院長と少々お話がしたいと、駿河会長がご希望でしてねぇ。宜しければお付き合い下さいませんか?」

耳元にこそこそ囁かれ、恐怖からブンブン首を横に振った。話などまるで聞いていない。ひたすら恐怖一色だ。

「おや?どうしても駄目ですか?」
「(駄目です!駄目です!自分には二人の息子と妻と飼いハムスターの茶々丸がーっっっ)」
「そうですか。ならば仕方ありませんねぇ、…少しばかり気を失って頂きましょう」

首の裏に衝撃を感じた瞬間、視界が暗転した。



(最初から同意を求めんじゃねぇえええええええええええぇえええええええええええ!!!)



声無き絶叫を聞いた者は居ない。











「何処へ行くつもりだ」

あの日。
最後に見た記憶と何ら変わりない美貌が囁いた。覚束無い尻這いで行ける距離など高が知れている。

「ぁ」

夢だ。
これは悪い夢だ。

「母上の御前だ。…再会の挨拶を果たすが良い、秀皇」
「や、めろ」

何を企んでいるのだろうか。
この悪魔は。
自分が何をしたのか、忘れた訳ではあるまい。忘れたなど宣えば、今すぐにでも殺してやる。

「本当に、秀皇なの?」

駄目だ。
もう、大切な人を傷つけるのも、大切なものを失うのも、嫌だ。

「違、う。俺は…秀皇じゃない。秀隆なんだ…」
「ああ…秀皇、秀皇っ。私の息子、本当に、貴方が秀皇なのね?」
「違う!…っ、来るな!」

親友が居た。
一人は悪魔の手によって痛めつけられ、酷い陵辱を受けた。
一人はその悪魔と共に、赤い赤い塔から飛び降りた。


全て、自分の所為。
全て、悪魔の所為。


もう、嫌なんだ。
もう、耐えられないんだ。


「義母上に顔を見せてやれ、秀皇」
「こ…殺してやる!もう逃げたりしないっ、今此処で!貴様の息の根を止めてやる…キング!」

あの日。
着衣を引き裂かれた親友の上に馬乗りになった、金髪の悪魔へ。投げつけた花瓶は悪魔の頬を掠め、聖母マリアを突き破った。


キラキラ。
舞い散るステンドグラスの破片、割れた窓の向こうに紅い月。酷く幻想的な光景を最後に、自分は死んだのだ。

両親を。親友を。学園を。友人を。
何も彼も投げ捨てて、自分は。

帝王院秀皇と言う動物は、この世から消えたのだ。


「どうしたの、秀皇…?」
「…義母上。彼は少しばかり照れている様です。どうぞ、お近くに」

帝王院秀皇。
弱く狡い、それこそが悪魔の名前。存在しなければ誰も傷つかなかった。手に入らない自由に手を伸ばし、皆を傷付けた極悪人、それこそが帝王院秀皇。
この世から消えてしまわなければならなかったのは、この、自分自身だ。

「は、はは…。馬鹿な…人違いだよ、キング=ノア。秀皇は死んだんだ。果敢にも悪魔を道連れに、スコーピオから飛び降りた。生きてはいない」
「そなたには、知るべき過去がある」
「知るべき過去?過去は全て捨ててきた。…寝言は奈落でほざけ、悪魔が…!」
「落ち着いてっ、駄目よ秀皇!お願いだから…っ」

今にも飛びかかりそうな息子の腰に必死でしがみつく女性が、狼狽えながらも真っ直ぐ息子を見上げていた。


「ナイトオブナイト。そなたの騎士は、気高く凛々しい最期だった」
「何…?」

殺意を真っ向から浴びながらも無表情な男は目許を微かに歪め、態とらしい笑みを唇に乗せる。やや痙き攣った、慣れない笑みだ。

「私には、赦されざる罪がある」
「良く判っているじゃないか!貴様が大空や秀隆に与えた屈辱を晴らす為だけに私は!今までどれだけっ、」
「我が妹、クリスティーナは。遺された父レヴィと、ナイトの遺伝子を配合し産み出された」
「…っ?何を、言っているんだ」
「我が父レヴィと我が母による遺伝子配合で、失敗した子供の数は八人。…九番目である私も、健常とは言えぬ生命だった」

何の話だ、と。
瞬きながら、腰にしがみつく母が肩を震わせている事に気付いて力を抜いた。

「母、さん」
「我が友は、私をヒトとして作り替えるつもりだったのだろう」

ああ。
たった一人の母を泣かせてしまうなんて、とんだ親不孝者だ。妻にバレたら、大目玉に違いない。
きっと、ガミガミ怒られて、それから仕方ないとばかりに笑いながら、言うだろう。


さァ、早くお母さんの所に行こうと。
今までの事を沢山謝って、仲直りしようと。


「私には、遺伝子継承能力がない」
「…は?」

そう考えたら何も彼もが馬鹿らしく思えた。泣きたいくらいに、彼女との生活は幸せだったから。

「早い話が、私に性交渉能力がないのだ」
「んな、馬鹿な」

ならば。
あの女は。サラ=フェイン、強かで狡賢かったあの、女は。

「だ、だったら!か、神威は…誰の子、なんだ?」
「サラが産み落とした対の子供、一卵性双生児。私は、その一人の遺伝子配列を知っている」

ああ。
嫌な予感がする。
酷い胸騒ぎがする。

「やめてくれ…知りたくない」
「カイルーク。あれは、私を殺す為だけに生かされている哀れな子だ。全ては私が招いた結果だと知りながら、カイルーク。あれが私の子であれば良いと、何度願ったか」

殊勝な事を言うな、と。
喉まで這い上がってきた台詞は、然し音にはならなかった。

「…神威は、俺の子じゃない。仲間が昔、調べたんだ」
「やはりそうか。今のカイルークは、繰り返されたシンフォニア計画によって、最早人から懸け離れた細胞に書き換えられている」
「シン…フォニア?」
「オリオン。…冬月龍一郎が治験した、人類淘汰計画。その最たる被害者が、カイルークだ」

人を吐き捨てる計画。
それが意味する事とは、何だ。顔色が悪い女性に気付いた男がその長身を屈め、紳士的に抱き上げる光景を見ていた。

酷く知っている人の名前に良く似た名詞を、だが自分は知らない。
想像は想像のまま、悪魔の台詞を待つばかりだ。答えはない。

「義母上。此処では身体に障るだろう、早々に寝所へ」
「帝都さん、でも秀皇が…」
「今は、ゆるりと休まれよ。時は幾らでも許される」
「そう、ね。そうよね…」

無表情だが柔らかな声音で囁いた男が、寝室に消えた。
ややあって戻ってきた長身がソファへ腰掛けるのを認め、警戒しながら向かい側のソファに腰掛ける。

暫くは無言だった。
カチカチ時を刻む音は開け放したバルコニーの向こうから、聞こえてくる。
蒼い羅針盤をモチーフにした、時計台の刻む音だ。


「…サラが双子を生んでいた事、良く知ってたな。彼女はそれを隠したがっていた」

古い家では、双子は凶報の証だと信じられていたそうだ。大抵、片方を捨てる風習がある。捨てられたのは、後から生まれた方だと聞いている。
つまり、神威の弟。

「私が差し向けた者からの報告の一つだ。片方がアルビノ、片方が健常」
「その言い回しは…」
「私が知る限り、遺伝子異常はグレアム特有のものだ」
「え?」

諦めた様に息を吐いた気配に顔を上げれば、組んだ足に肘を預け頬杖ついている男のダークサファイアが静かに見つめてきた。

「オリオンの仕業に違いない。何処で知ったのか、サラはこの国で見つけた…遠野龍一郎に身を委ねた」
「!」
「そなたの伴侶、遠野俊江は龍一郎の娘だったな」

そんな事まで判っていたのかと息を呑み、ならば今まで何故野放しにしていたのかと益々混乱する。

「龍一郎は我が父レヴィ=グレアムの覚えめでたい、聡明な子供だった。家督相続による争いで実の伯父に殺され掛け、家に火を付けて逃げた」

瞬いて、そう言えば同僚、小林専務がそんな事を言っていたと思い当たる。

「閏年。2月29日に生まれた双子は、そのまま庇護される筈だった。が、何の縁があったのか、レヴィ=グレアムにより渡米する事になる」
「双子、だったのか…」
「龍一郎は親友だった。ああ、勿論、彼の片割れも。私の大切な友だ」
「年が離れてるじゃないか。確か、冬臣子爵家が破綻したのは戦後間もない頃の筈だ」
「ふ。駿河が何故、私宛てに20年も目通りを申し込んだか、判るか。『帝王院』だからだ」

20年。
30年以上前に出会ったのだ。それから20年も遡れば、

「随分気になっている様だな。別に隠している訳ではない。来年、90になる」
「────なっ」

また。
目元だけで悪魔が笑った。

「一度、カイルークが姿を消した事がある。おおよそ見当は付くが、そなたに会いに行ったのだろう」
「馬鹿な、この16年一度も…」
「11年前か。私はそなたに会っている」
「はっ?!」
「弓道、だったか。幼い天の君は幼い頃のそなたに良く似ていた。聡明さに於いては、些か彼の方が上やも知れんな」

いつ、何処で会ったのか頭の中で考えた。秀皇の時と秀隆の時では一致しない記憶が多々あり、それが自己催眠術のネックである事も把握している。
つまり、秀隆の時に会っているのだ。

「その日。炎天下の紫外線に長時間晒されたカイルークが、病院へ運ばれた」
「…」
「けれどその二日後、満月の夜。病院を抜け出したカイルークは、元老院の内乱に巻き込まれ…右角膜に重度のダメージを受けた」
「じゃあ今、神威の右目は」
「見えている。極端に弱視ではあるが、部下の角膜を移植する事により難を逃れた」
「そう、か。…良かった」

可哀想な事をした。
子供には何の罪もないと言うのに、殺意を向けて、置き去りにした。
独りぼっちでどんなに心細かっただろう。二年も、一緒に居たのに。

「心配しているのか」
「当然だろう」
「そなたの子ではないのに?」

新しいお母さんに会いたいと、大空といつも話していたそうだ。それを知ったのも、つい先日。
哀れな。例え血が繋がっていなくとも、愛すべき息子だったのに。何と、哀れな。

「神威は、誰の子なんだ」
「些か、不審な点がある」
「それはどう言う意味の?」
「その前に、私が犯した罪から話そう。30年前、そなたと出会った後の話だ」

静かに語り始めた男に、口を閉ざした。悪魔とまるで同じ顔をしているのに、今のこの男は。


『あーあ。』

あの日、心から憧れ慕った男と。



『キングが兄さんだったら良かったのに』

まるで。
一分の狂いもなく、同じだったから。

←いやん(*)(#)ばかん→
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