帝王院高等学校
眠れる城の美女と新米ママ
「さがさき、れいと…って」
呆然と呟かれた台詞は、一瞬で無へ還る。
「ほう、初対面か?」
「チョコレート?!セクシーホクロ俺様会長様はチョコレートの王様だったにょ!」
どうしようもなく興奮したオタクは自分がエレベーターの中だと言う状況も忘れ、エレベーターの中心で萌を叫んだ。
世界の中心からは地味な性格が災いしてとてもじゃないが叫べないので、今のところ被害者は帝王院神威18歳の鼓膜だけだろう。
「きゃーっきゃーっ、あの唇ホクロはチョコの食べカスかしらァ!きゃーっきゃーっ、新刊には是非チョコたんを登場させたいですっ!」
「俊」
「ハァハァ、何だか違うジャンルに目覚めそう!ワイルド×ビューティーっ、不良ちっくなチョコたんが無関心儚げ美形受けなカイちゃんに片想いっ!
『カイ、いい加減俺の気持ちに気付け』
『落花生の君…?』
『俺の心にお前の甘い瞳が根付いてんだよ。…どう責任取ってくれんだ、え?』
『…そんな、身勝手な事を』
『足りねぇんだよ、指咥えて見てるだけじゃ…到底』
『俺を、どうしたいのですか?』
『そんな事も判らないのか、お前は』」
今まさにオタクの妄想が最高潮に到達した。チロルチョコの包みを握り締めたまま、上気した頬で上を見上げ、
「『俺だけのものにして、…可愛がりたいだけだよ、カイ』」
零人の声真似で神威の手を握り締めたオタクが天を仰いだ姿で悲鳴を上げ、天に拳を突き立てて燃え尽きた。
「キャーキャーキャーキャー!!!良くやったカイちゃんっ!二人の初体験的なアレコレは僕がシナリオ考えてい〜い?!ハァハァ」
しゅばっと神威の手を取り眼鏡を輝かせれば、困った様な蜂蜜色が細まる。
「定番と言えば生徒会室で!ハァハァ、でもオタク立ち入り禁止だからちょっと困りますっ!」
「俊、構え」
「ふぇ?」
あらゆるシチュエーションを想像していると、耳元で酷く頼りない声音が落ちる。
「どーしたにょ?」
「映せ」
「ふぇ?」
首を傾げればチロルの小さな包みを奪われ、両手ごと大きな手に包まれた。甘い甘い蜂蜜色の宝石が見つめてくる。
「俺を、その網膜に」
映せ、と。
囁かれた真剣な眼差しに映った眼鏡っ子が鼻血を垂らしている。多分間違いなく間抜けなアレは自分だ。
「カイちゃん、輸血が必要にょ」
「逆上せたか、溜まった分が吐き出されたか」
「カイちゃんのお目めに僕が映ってますにょ。カイちゃんのお目めは何万画素かしら?」
「…おいで」
「はふん」
強い力に引かれてまた、胸の中。それも今度はまるで自分から抱きついた様に見える。
「目頭寄りの鼻骨を押さえれば良い」
長い指がふにふにと鼻の付け根を揉み解し始めた。何ともなく口を開くのが躊躇われる態勢に、パシパシ瞬きだけが増える。
ドライアイ知らずの、オタクの風上にも置けない視力2.0の目が、目元だけで微笑む甘い蜂蜜色を視た。
こそっと盗み見るつもりが、しっかりばっちり視線をあわせてどうするのだ。
うっかり惚れてしまったらどうするつもりだこの野郎、オタクは美形好きで童貞は恋に餓えているのだ畜生。
可愛い奥さんに憧れる男心は複雑だ。自分がBL主人公になるつもりはない。
何せ萌えないし。
「………カイちゃん」
「どうした」
「血、付いちゃうにょ」
「ほう、俺の衣服で拭わないのか?」
「えっとえっと、ブレザー白っぽいから駄目です。えっとえっと、何か、あにょ、こう言うのは恋人同士がする態勢だと思います」
「そうか」
「だから離れて下さ、………あらん?」
印象的な蜂蜜色の双眸に気を取られて、今まで全く気付かなかったが。
この人は誰でしょう。
「は、初めまして?」
「俊?」
「ぇ、え?カイちゃんはどうしたんですかっ?白髪サラサラのカイちゃんは何処に駆け落ちしたんですかっ?!お相手はどちら様?!」
白髪と言うには随分キラキラした銀髪の有り得ないほど美形な男が居ない。
抱き締められていた腕をぱちんと叩き落とし、エレベーターの隅へ飛び逃げながら俊は辺りを見回した。
「俊」
「やっ、やー!あっちいけ〜!怪しい奴めっ、カイちゃんを誘拐したにょ!身代金が欲しいんですかっ!お幾らですか?!」
持ち合わせがないから振込みにして下さいっ、と混乱がピークに達したオタクは半ば怒り狂っている。
近付いてくる見知らぬ男に怯みながら、ズレ落ちる黒縁を押さえ押さえ眼鏡の下から睨み付けていた。
「好奇心」
「わっ、喋った!」
「…人間を構成する上で、筆頭となる感情の名詞だ」
黒い。そう、日本人は皆、黒い。
髪も瞳も皆、黒い。
「人は皆、無意識下で等しく依存し生きている。…判るか、人間はそれ即ち未知なる事象へ好奇心を注ぎ、それを満たしたものへ依存するんだ」
「ふぇ、当然にょ!毎日何かにハァハァするから楽しいんですっ!好きになったから毎日でも飽きないなり!」
髪の毛を染めただけで『異端児』で、陰険な苛めをする人間でも黒髪黒目なら『優等生』で、不良に囲まれ暴行されている担任を助けても、『銀髪サングラス』の不良ならば、異端なのだ。
「例外があるとしたなら、どうする。…今の台詞が理解出来ない人間が存在するならば、だ」
「そんな人見たコトないにょ!」
風紀風紀と煩い教師でも、皆から鬼と呼ばれている教師でも好奇心から煌びやかな夜の繁華街に繰り出し、未成年の女の子に声を掛けた。
それがまさか不良グループリーダーの彼女だとも知らず、子供相手に殴られて蹴られてそれでも謝り続けるのだ。あのまま誰も助けなかったら、意識を失う間際まで惨めに土下座して、子供相手に土下座して、教師としての立場すらもしかしたなら失っていたかも知れないのに。
『何をしているんだ、…満月の夜に』
『テメェら、カルマのテリトリーで勝手な事やってんじゃねぇぞ』
『やだなー、満月の夜って雑魚まで元気になっちゃうんだもん。隼人くんー、きょーはなんか女王様な気分だしー』
『ちょ、待って総長っ(@_@) やばいやばい、カナメが向こうで暴れてるよ!(>Д<) 警察来るかもっしょ!』
『5対5で丁度良いんじゃねーか?まぁ、新月の夜の総長なら国一つ潰せるだろーが、生憎満月だからな』
だから、中年相手に強かった5人組が、カルマ5人を眼にしただけで逃げた時。いつもならば鬼と呼ばれている教師は、泣きながら有難うを繰り返したのだろう。
佑壱が鬱陶しげに見下した。
隼人が馬鹿にした様に嘲笑った。
健吾は教師に眼も向けず要の元へ走り、
裕也は形ばかり『お気の毒様』と呟いて、
あの時、恐怖から逃れた安堵で立ち上がる事も出来なかった男を背負ってなんかやらなければ。
あの時、恐怖から逃れた安堵で立ち上がる事も出来なかった男を背負ったのが『教え子』でさえ、なければ。
例え話ばかりが未来に残る。
過去は取り戻せない。
「見た事がなければ事実を受け容れない。…そう、人間の習性だ」
「意地悪ばかりする人嫌いっ!お前嫌いっ、カイちゃんを返せ!早くしないと本気で怒るにょ!」
「人は己の経験からのみ培った価値観に、即ち依存していると言えよう。未知なる事象へ好奇心を向ける傍ら、未知なる事象を排他する傾向がある」
すぐ目前に迫った長い足が、すぐ目前に迫った黒髪の男が、
「神帝には、それは当て嵌まらない」
告げた台詞が酷く無機質なものだと、気付かないほどには混乱しているのだろう。
「恐らく今現在、打ち出した方程式が正解に近いと弁えながら、然し何処かで未だ疑問の枠を越えないと考えている」
「意味不明っ、難しいお話はお勉強だけでいっぱいいっぱいですっ!」
「嵯峨崎零人に、面識が無い様だな」
屈んだ黒髪から、この数時間で見慣れた蜂蜜色の双眸が覗いている。それだけで混乱も怒りもネガティブな過去の記憶も消え失せた。
「カイちゃんっ、カイちゃんカイちゃんカイちゃんっ!コスプレする時は前もって要連絡にょ!ぐすっ」
「そうか、身体的特徴を偽っただけで別人に擦り替わる…」
「さっきチョコたんがぽい捨てしたのって、それ?」
「ああ、彼なりの配慮だろう。俺が日の元を嫌悪している事を彼は熟知している」
「やっぱりカイちゃん、お外嫌いなり?」
「多種族交配合の産物だからな、俺は」
「カイちゃん、だっこ」
一階に辿り着いたままのエレベーターパネルをぽちっと押し、ぎゅむっと抱き付けば直ぐ様抱き上げられる。何だか酷く悲しくなる声音に眉を寄せ、黒髪を撫でた。
何だろう、全身で抱き締めてやりたくて堪らない。母性本能だろうか。
「あにょ、さっき嫌いって言ったのキャンセルにょ。カイちゃんが誘拐されたかと思っただけなり。でももし本当に誘拐されちゃっても大丈夫ですっ!アルバイトして身代金払うからねィ!」
「そうか」
「お父さんを守るのはお母さんの役目にょ!僕を守るのはイチの役目だから、カイちゃんを守るのは僕の役目なんですっ!お料理もお昼寝も日曜コミケも頑張りますっ!」
広い広いエントランスホールを進む長い足、ゆらゆら浮遊する様な感覚が擽ったい。
「ねね、カイちゃん。お外嫌いならお部屋に帰る?僕一人でダッシュするから、平気にょ」
「嫌い、と言うには些か言葉が足りない。幼少期の皮膚疾患が最たる要因だろう」
「ふぇ?」
「先天性色素欠乏、白皮症とも呼ぶか」
「アルビノ、カイちゃんが?」
徐々に光の渦が近付いてくる。人工的な光とはまるで違う、宇宙のランプが。
「昔は、光彩まで真紅だった。今は然程紫外線の影響はない」
「本当?夜になるまでお部屋でねんねしてたほ〜がイイんじゃないかしら、カイちゃんってばたまに可愛いし…夜這いされちゃうかもっ!ハァハァ」
「紫外線は室内、夜間ですら、存在している。逃れられるものではない」
「でももし痛い痛いなっちゃったら…、痛い痛いは初体験明けのお尻だけで充分にょ」
「お前は、好んでいるのだろう?この国を照らす光を」
神威の瞳が真っ直ぐ外を眺め、眩しげに細められる。ネクタイをくいくい引っ張り、ポケットから取り出したそれを神威へ押し付けた。
「違うにょ。太陽じゃなくて、タイヨーが好きですっ」
「ほう」
「だから、カイちゃんにも会わせてあげるなり。タイヨー、カッコいいのに可愛いにょ。ハァハァするにょ」
光、光の波。
青空はただただ遥か彼方に広がるばかりで、高い高い太陽の灼熱が判る。
「…さァ、祝福の光が喚んでいる」
大地を這う人間には届かない、夜を泳ぐ熱帯魚には与えられない、光が。
「地に輝く白日へ、征こう」
大好きな友達が、見えた。
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