帝王院高等学校
王様も引退したら天下るのかしら
不思議だったのは、怪我をしてもすぐに治る身体。
初めは自分だけが特別なのだと誇らしかったそれが、決して善ではない事を思い知った。

「兄様…」

切っても切っても、たった数日で伸びる爪。抜いても抜いても、たった数日で生え替わる髪。
けれどそれが副作用だなんて、知らなかった頃は。幸せだったのだろう。

「俺が、助けて上げるからね」

なのにその時だけは何故か、怪我は中々治らなかった。

全身焼け爛れた『神様』は、水晶体まで損失を受けて失明寸前だと言う。だから、躊躇わず差し出そうとした。
この両目が彼の目になるなら、それ以上の幸福などないと。本気で信じていたからだ。

抉り出そうとした右目から吹き出した深紅が足元を濡らす。悲鳴は看護士のもの、慌ただしい足音が近付いてくる。

近付いてくる。


「ファースト!何をしておいでですか」

血相を変えて近付いてきた黒服の一人が、叫んだ言葉を覚えている。

「ああ、由緒正しきノアたる貴方がっ、自らの眼球を抉り出そうなどと!」
「だ、って。兄様の、目が…!」
「この機に穢らわしきブラックシープを消そうと!我らは貴方の為に尽くしていると言うのに!」
「な、に…」

クライムクライスト。
神の子を汚した父の血が流れているこの赤い髪を、憎んでいる者が居るのは知っている。

「このままでは祭の狗から殺されてしまわれる身!貴方の為に我らが命を賭している事を、今一度ご理解頂きたい!」

穢らわしきブラッド、ノアに在ってはならない汚れた紅。紅。紅。

「穢らわしき枢機卿、たった一年早く生まれただけの憎きルーク…!奴さえ葬ってしまえば、キングダムは貴方様のものです」
「兄様を、…何だって?」
「ああ、それよりも朗報がございます!ファーストの身から検出されたDNA、あれがあればシンフォニアの副作用を弱められる事が判りました」

痛い。
抉り出そうとした右目も、ギシギシ軋む全身も、心も、全て。

「穢らわしきルークの為に我が身を犠牲にされたファースト。その恩も忘れ、アジアの餓鬼を飼い慣らした愚かしきブラックシープには、天罰を与えてやりましょう。くくく…」
「兄様が、俺を殺す訳…ない」
「ああ、お可哀想なファースト。貴方様の命を狙った者共は、特別機動部の者共ですぞ」

悲鳴を上げ続ける。
心を襲った傷痕は、いつまでもいつまでも癒える事なく、ずっと、ずっと。

「表向きはキングの直属部隊ですが、…ルークならば従える事が可能」
「そ、んな筈…」
「ならばお尋ねするが良かろう。ブラックシープ…あの穢らわしきルークに、直接」


今も尚、



「貴方様はシスタークリスの子息であらせられますが、アレはキングの子ではない。これは、紛れもない事実ですよ」




左胸に、ぱっくりと。









「離しやがれ、っ、んの淫乱ド変態がぁ!」

暴れ回る男の拳を頬に数発受けながら、放り投げる様に突き放した。

「誰が変態だコラ。人様の面ぁボカスカ殴りやがって、犬畜生」
「気安く触っからだ!伏して詫びろ」

尻餅付いたまま睨み付けてくる双眸に溜息一つ、最奥のデスクに腰掛けてジーンズのポケットを漁る。

「テメェよぉ」
「もう8時回ってんじゃねぇか、こん畜生っ!大変だ、ビーフシチューが間に合わないか、」
「…阿呆。」

咥え煙草のまま、崩れ落ちた佑壱を片腕で支えた。眉間に皺を刻んだ佑壱の顔色は真っ白で、触れた体躯に体温は感じない。

「言わんこっちゃねぇ。馬鹿かテメェは」
「ぅ、っせ…」
「常備薬はどうした。グレアムから送られてるだろ」
「な、んで…それ」

目を見開いた佑壱の唇がカタカタ震えている。貧血と低糖で限界を越えているのだろうが、こうなれば自力で水を飲むのも不可能だろう。

「ぅ、あ…ぁ」
「一日二日じゃねぇな。何日飲んでねぇんだよ、テメェ」

小刻みに全身を震わせている佑壱を、咥え煙草のまま一気に抱え上げた。所謂お姫様抱っこだが、それを佑壱本人が気にする余裕はあるまい。

「一錠3000ドルもするっつーのに、何の意地張ってんだか。馬鹿犬め」

このまま放っておけば、凄まじいスピードで細胞分裂を繰り返した挙げ句、若木が枯れる様に一瞬で成長限界を超えた佑壱は、しわしわの老人と化して寿命を迎えるだろう。
倫理に反した遺伝子改造の副作用、それはまるで天罰の如く。


「テメェの命を救ってくれるドラッグの原料を知ったら、死んだ方がマシだとかほざきやがんだろうな」

紫煙を吐き出して、左手で掴んだ煙草の火を躊躇わずに右掌に押し当てた。


じゅっ、と肉が焦げる音。

浮かび上がった火傷の中央、湧き上がる血液を冷ややかに眺めて自嘲した。


「普通、血なんか飲んだら死ぬだろ」

ヒューヒュー微かな呼吸を繰り返す膝の上の唇にそれを押し当てるが、最早意識がないらしい佑壱の唇は開こうとしない。
持ち上げた右手、あーん、と開いた自分の口の中へ注ぎ込んでくる血の生臭さに顔を顰めて、


「…笑かしやがるぜ、クソが。」

触れた唇の冷たさに瞼を閉じた。
ことりと嚥下した喉の音を聞いた癖に、差し込んだ舌をそのまま遊ばせる自分は、やはりただの変態なのだろう。

「ぅん…!」
「よぉ。いつまで寝てんだ、テメェは」

報われない。









「はぁ?」

スヌーピーロゴが入ったヘルメットを抱え、駆け込んできたスキンヘッドの少年が発した台詞で錦織要の眉が寄った。

「ですから、商店街の公園なんすけど、地盤沈下したと何とかで入れなくなってんですよ」
「先程タクシーで通った時はそんな風には見えませんでしたがね」
「そんなトコ見てたのお?雨降ってたから、隼人君は見てないー」
「ああ、そう言やニュースやってたな、さっき」

カウンター脇の小さなワンセグテレビを見ていた咥え煙草の榊が、入り口から入ってきた俊達にドリンクを注ぎながら口を開く。

「この辺、見た目は変わったもんの地下は昭和から全く変わってねぇんだと。去年のゲリラ豪雨て浸水被害凄かったからよ、年度変わって下水道工事やってたんだわ」
「では最近の話ですか?」
「ああ。公園自体封鎖する訳にはいかねぇみてぇで、川沿いから掘ってんのちょいちょい見るけどよ」
「まっさか、さっきの雨で許容量オーバーしたとかゆわないよねえ」
「そのまさかだよ。あの公園、前の地震で随分地面イカレてたんだなぁ。ほれ、またニュースやってんぞ」

地盤沈下、吹き出した下水で凄まじい状況になっている公園が映し出された液晶に、沈黙した要が笑い転げる隼人を蹴り飛ばす。

「あらら、このアーケードって」
「500メートル先の本屋さんが映ってるにょ」
「ごっ、ご主人様!」

ボススヌーピーである茶髪が頬を染めて駆け寄ってくるが、俊の席に腰掛けて緑茶を啜っている太陽の隣、

「お座り!」
「うわっ」

軽やかな宙返りでフォンナートを蹴り飛ばした俊により、抱き付く事は出来なかったらしい。

「気安く触っるものじゃありませんにょ!イイですか、今のタイヨーはタイヨーであってタイヨーだけの身体じゃないんですのょ!」
「えぇ?!」
「うっわ、凄まじく誤解を生んだ気配がするよねー」

凄まじい眼光の俊に太陽以外が震えている中、山田太陽の出で立ちは中々に、アレだった。


金ピカピカの銀髪に、煌びやかな金色のエクステが腰ほどまで伸びている。
臍出し衣装は最早コスチュームとしか言えない小悪魔ルックで、背中に白い翼が生えているのはこの際どうでも良いとして、頬に真っ赤な太陽のペイントが施されていた。

袖がないコートも衣装も真っ白、背中に翼、なのに下に着ている臍出しチュニックの胸元に『主人公』と金文字刺繍入り。


「ハァハァ、タイヨーちゃん!何て愛らしいのかしらっ、タイヨーちゃん!流石オタクの股間をきゅんきゅんさせてくれます!」
「それ以上何かいったらセクハラで訴えるよ」
「ハァハァハァハァ」
「…ムカつくから三発殴っていい?」

太陽の腰に抱き付いて五発殴られている俊を余所に、成人した榊以外は隼人すら固まっている。


「ヨ、ヨーヘー…めんこい…めんこいのが居る!」
「おおお落ち着け太一、お前アレは駄目だって!死ぬから!今度こそ死ぬから!」
「ええ!男らし死んだらぁ!ああっ、めんこぉてならんがぁ!時の君ーっ」
「太一ぃいいい」

太陽に突進するクマさん、目を覆う弟の悲鳴、殴られて死亡している俊を踏みつけたまま、ゆらりと振り返った太陽の目が据わっている。


「…スライムがグリンガムの鞭に挑んでんじゃない!」

シュパーン!
軽やかに舞った鞭が、巨体をぐるぐる巻きにした。
皆の目から『!』のマークが飛び出している中、踏みつけられて床に頬を押し潰されている俊が目を輝かせる。

「あっはーん。ハァン!ハァハァ、やっぱりタイヨーには鞭が似合うにょ!ハァハァハァハァ、夜なべして作った甲斐がありました!うっうっ」
「これはゲームこれはロープレ…現実じゃない俺はフレイムザード4のクラヴィス…」

ブツブツ呟いている太陽は、完璧に現実逃避しているらしい。虚ろな眼差しで肩を揺らしながら、ゲシゲシ俊とクマを交互に踏みつけていた。
皆がドン引きしているが、踏まれている二人は満更でもなさそうだ。

「ハァハァ、ゲフ。ハァハァ、グフッ。も、もっとォ!」
「おみゃーさん、何つー的確な急所狙いやのっ!あかんよ、そんなとこ踏んだら興奮するがね」

変態が二匹に増えた。

「ああっ、狡い!ご主人様ぁっ、俺も構って下さいよー」

いや、三匹だ。

「「…」」
「カナメさん、ハヤトさん。とにかく時間ですから、集合場所が使えない今、集まる限りの人員に連絡しましょう」
「北緯、お前よくこの状況で冷静になれっな(◎∀◎)」
「…まぁ、ちょっと衝撃的な事が他にもあったので」
「ふーん?(´_ゝ`)」

ブツブツ呟いている太陽に皆がビクビクしながらも、奥から出てきた佑壱に心持ち賑わいが戻る。

「悪い、大体集まってるみてぇだな」
「あれえ?ユウさん、何か顔色悪くない?」
「副長、獅楼から連絡ありました!何か家の都合で名古屋に行ってるから欠席するそうっス」
「おう、判った」

パティシエ姿から着替えている佑壱に、隼人が首を傾げながら呟いたが聞こえなかったらしい。
報告に来た舎弟に片手を上げた佑壱は、真っ直ぐ俊の元へ向かった。

「出ますか、総長」
「その呼び名も、今夜が最後だなァ」
「冗談でしょ?大体、今回のはアイツらの目を眩ませる為の、」
「本気で判らない振りをしてるのか?俺は、そもそも鬼ごっこを継続するつもりなんかない」
「…」
「皇帝陛下は俺に何か用があったんだろう?だから探そうとしただけだ。だから、こっちから出向いてやった。何度も」

跳ね起きた俊が林檎クッションに腰掛けて、深い息を吐く。

「初めから、たったそれだけの事だったんだ。向こうだって馬鹿じゃない。殴られた事への仕返しなら、もっと早くそうした筈だ」
「…アンタだってそうだろ」
「知りたい事が幾つかあったから、放っておいただけ。幾つかの疑問は晴れたけれど、どうやら根が深い問題も幾つかあった様だな」
「問題?」
「それはさておき。とりあえず俺は、カルマ総長の肩書きを今夜手放す」

佑壱以外の全員が目を見開き、コーラを啜った男の唇に微かな笑みが滲んだ。

「本来は書き置きを残した時に、俺はカルマから手を引いていた筈なんだ。遅過ぎるくらいで」
「ちょ、ちょいと、聞いてないよ、しゅーん?」
「根暗で嫌われ者だった中学生が、赤い髪の不良と出会って変わった。…そんなストーリーは、今夜で終わりにしよう」
「俊?!ちょいと、自己完結甚だしい話し方はやめてくんない?!」
「お前達の新しい総長は、もう判るだろう?」
「わっ」

太陽の肩を抱いた俊に、呆然とする者、狼狽える者、涙ぐむ者、様々表情を歪めている中、

「これが最後だ。俺は総長じゃない。遠野俊、帝王院学園の高校一年生」


晴れやかに笑った男は、最後に囁いた。



「…初めから。王様なんかじゃ、ないんだ」

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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