帝王院高等学校
夜間だよ!クリニック&エスニック
「アンタ、特別室の客だろ?」

薄暗い廊下の突き当たり、此処には誰も来ない筈だった。

「また、記憶をリセットしてしまったのか。君は」

今朝、会話をしたばかりの女性が居る。小柄だが、意志の強い眼差しはそのままに。
長かった巻き毛が短くなっている事に気付いたのは、非常灯の緑色が照らした時だ。

「勿体無い。可愛らしい髪だったのに」
「何の話をしてんだ?」
「その記憶すら無いのか。我が息子は、余程君を愛していたらしい」

白衣。
懐中電灯を片手に首を傾げる人へ微かに笑う。
可哀想な、可哀想な男だ。息子は、この世の誰よりも愛した人から忘れ去られてしまった。

「こんな時間までうろちょろすんなよ、便宜上患者なんだからヨォ、オッサン」

きっと、これからもずっと、何度も何度も忘れていくのだろう。

「秀皇と君がいつ出会い、いつ愛し合ったのか。私は何一つ把握していない」
「あ?」
「酷い父親だ。帝都を知れば知る程に、私はあの子を恨む事が出来なくなっていく。我が財閥は、彼の手腕で確かに規模を増していった」
「おい、意味不明な事ばっか、」
「…儚げな、冬の月。雪の中で見る朧月」
「あーもうっ、さっさと部屋に戻れよっ」

話が通じないとばかりに踵を返した人へは見向きもせず、ただ。



「空。天を駆ける一族の頭首は、必ず対で産み落ちる」

長い人生の中で、たった一人、親友が居た。年上だったが、年の差など無関係だった筈だ。
自分と彼は、とても似ていたから。

「君は弟を残してきた事を、とても悔やんでいた。君は己の罪をとても悔やんでいた」

完璧で在る事を求め過ぎた罰、だろうか。そんなに過ぎた望みなのかと叫んだ所で、答えはない。

「冬月龍一郎。君が殺した叔父の子孫は、私達の孫の親友だと言う」

寂しい空だ。
月も星も、闇が隠している。



「…皇なら何故、私の傍に居ないんだ。君は」












「えーっと…」

アンダーライン、B2階。
営業時間外にも関わらず彼らがそこで何をしているかと言えば、エスニック料理店のブースの一角を陣取り、かれこれ二時間近くこの調子だ。

つまり、

「あ、あははのは〜。と、東條。育ち盛りやろ、何か他のもん食べへんか?」
「いえ、営業時間外に無理を言った身ですので…」

健気な子供だった。そして、謙虚に尽きる。
目前に並べられた料理へ、無礼にならない程度口を付けた生徒は、それからじっと待っている。

マイペースな眼鏡オタク姿の男を、だ。何せ彼は気が向かなければ会話さえしてくれない、身勝手我が儘野郎なのだ。

「ほ、ほな、部屋に戻りぃな。宿題とか、ほ、ほら、明日の授業の準備とかあるやろ?」
「いえ、本日付けで副自治に就任しました」
「あちゃー、授業免除かいな…」

余り感情豊かとは言えない東條に、痙き攣った東雲はそそくさ目を逸らした。
こうなったら、自棄だ。

「と、遠野。一口も食べとらんやないか、好きな食べもんがあるなら他に、」
「俺はシエの料理以外食べる気はない。毒殺するつもりか」
「ど」

確かに、帝王院財閥嫡子ならこのくらいの警戒心は必要だ。但し、今現在の彼はもっさい地味眼鏡である。
普段きゃっきゃ騒ぎながら校内を徘徊している息子とは、まるで違うテンションだ。ローテンションにも程がある。隠す気はないのか、ただのマイペースなのか。

「ガ、ガラムマサラとかええやんなぁ?知ってるか、ガラムマサラ」

本場からやって来た日本語が判らない料理人を除き、従業員をさっさと帰らせたのは失敗だったのかも知れない。沈黙が辛過ぎる。
誰に聞かれるか判らないので、電波が届かない地下を選んだ訳だが。肩身が狭すぎだ。

「じゃ、じゃあ先生、ナシゴレンもっかい頼もっかなー」

頼んだからには食べようと、大量の料理をちびちび腹に収めている東雲以外、そっぽ向いている眼鏡と、その眼鏡を見つめている図書委員長。
エスニック雰囲気の幻想的な店内には、ミスマッチな光景だ。

「天の君」

漸く口を開いたのは、東條だった。ゆるりとそちらを見やり、眼鏡を押し上げた男と言えば。

「俺のあだ名は幾つあるんだろう。さっきはシーザーだか何だか、変な横文字だった覚えがある」
「気付かなかった、自分の失態です。…申し訳ありません、総長」

頭を下げた東條に、水を飲んでいた東雲が吹き出し掛けた。生徒が学園外で何をしているのか、おおよその教師は把握しているが、それについて指導する者は居ない。
処分の一切は風紀、中央委員会の範疇である。

だから、本来は中央委員会長の親衛隊だったABSOLUTELYが、零人の代から道を違えている事も知っている。警察問題にならない限り、学園は見て見ぬ振りを貫いている訳だ。

「総長、って…まっさか、東條」
「ああ、表向きに自分はABSOLUTELYの人員となって居ますが…、俺はカルマの人間です」

生徒の噂で、自治会の誰かがカルマの試験に落ちた、と言う話を聞いた事がある。

「な、なん、え?いや、はぁ?!」
「恐らく、マスター…白百合閣下はお気付きでしょう」

下らないデマだと、太陽と対戦ゲームをしながら笑ったのは、いつだったか。

「確証を得るまで泳がせていると言った所でしょうか」
「どないなってんねん」
「紅蓮の君から声を掛けられた事がありました。中等部に昇級した頃でしたか」
「…ふむ、嵯峨崎財閥の子息か。男ばかり二人居た覚えがあるな。勿論、帝君なんだろう?」
「え…貴方は、ご存じでしょう?」
「なっんも!気にしなや?!のびちゃんは39度の熱が出て朦朧としとんのや!」
「東雲先生…?」
「構うな少年、コイツは昔から関西弁に憧れる阿呆な餓鬼だったんだ」
「え、」
「ええから!さっきの話の続きっ、コンテニュープリーズ!」

曰く、荒れていた佑壱に喧嘩をふっかけられ、武術を習っていた東條は訳も判らず防戦を繰り広げたらしい。
反撃する隙がなかったので辛うじての判断だったそうだが、それが佑壱のお気に召した様だ。

『強ぇ奴は認めてやる。俺に付いて来い』

なんて偉そうな。
そこまで聞いた東雲が眉を寄せれば、

「大変申し上げ難いのですが、自分の父親が褒められた職業でない事は…」
「あー…まぁ、な。一応、進学クラスの総括担当やし」

ロシア系マフィアのファミリーを抱える、表向きは宝石商。東條の実父は有名なゴッドファーザーだ。世界的に要注意人物として扱われている。

「お母さんは日本人やろ?」
「母方の祖父は考古学者で、早くに亡くなった祖母の家を継いで骨董商を営んでいました。祖父が学生だった母を連れてアゼルバイジャンへ遺跡巡りに行った際、知り合ったと」
「何や、ロシアンやないんか。アゼルバイジャンっつったら、ちっさな共和国やろ」
「祖父が勿論結婚を反対した為に、俺には父親の記憶がありません。妊娠していた事も産まれる間際まで祖父は知らなかった様です」
「気合い入ってんなぁ、お前ンとこの母ちゃん…。学生っつったら、若かったやろ」
「…自分が産まれた時は、母は14歳でした」
「うほぉ」

目を見開いた東雲に、東條が珍しく頬を染めた。ならばまだ、30そこそこだ。東雲と大して変わらない。

「祖父ちゃんも結婚反対するわ、そら」
「娘を持つ父は漏れなく反対するものだ。ああ、俺は息子の結婚だろうが全力で反対する。あらゆる手を使って」
「お気の毒にのびちゃん…」
「嫁にはやらん」
「阿呆はどっちやっ、息子やろ!」

叫んでから我に返り、へらっと誤魔化しながら東條に手を向ける。続きをどうぞ、と言うジェスチャーだ。

「学園へ入学する前に祖父が亡くなるまで、自分はただの日本人だと思っていました。父が海外に居る事は母から聞いていましたが、何分子供でしたので」
「然し、それが何で今の状況に繋がるん?…こう言うのもアレやけど、お前ン実家、一昨年辺りからゴタゴタしとるやろ?」
「自分が父親と初めて会ったのは、中等部昇級後です。それまでも母には父の部下から連絡は行っていた様で、自分を帝王院に入学させたのは父の命令だったと」

東雲の隣から、嘲笑の気配。
世界最大にして最強の企業体、裏社会の頂点に君臨するバロン・グレアム。
その前皇帝が密かに来日した事は、裏社会では有名な話だ。

「理事長狙いかい。…命知らずやな」
「いえ。俺がマジェスティと交流を持つ事を望んでいた様です。いずれ、自分にファミリー継がせるつもりだったんでしょう」
「そうか、十年前っつったら…そう言う事か…」
「カイザールークを目の当たりにする前に、紅蓮の君が血縁に当たる事を知らされました。ですが自分は父を軽蔑していましたし、勿論、アゼルバイジャンに行くつもりもなかった」

然し、父親の愛人の元に子供が居た事で事情が変わった。東條が中等部二年に進級した頃に、父親が別ファミリーとの抗争で被弾した。
ボスが生死の境を彷徨う間、ファミリー間で相続問題が勃発した。長子である清志郎が邪魔になった愛人側から、母子共に命を狙われ始めたそうだ。

世間知らずだった若い母親も狙われ、病床の父や父の部下と連絡も取れなくなった。
とにかく逃げるしかないと、一時は夜逃げも考えたと言う。

「グレアム。ステルスキングダムの名を知らない者は、ファミリーには居ません。この名を聞いたら自殺しろと言う程に、大陸の覇者は有名です」
「だろうな。…グレアムは悪魔の巣窟だ」

ひそりと笑った赤い唇に、伏せていた目を上げた東條が瞬いた。

「最初にコンタクトを取って来たのは、来日したばかりのネイキッドでした」
「ネイキッド?誰やそれ」
「取引条件は、服従。ドイツ空軍を掌握した若き将校とは聞いていましたが、中学生とは…」
「まっさか、叶かいな…」
「成程。遂に『空』にまで手を出したか、愚かなモグラは」

意味が判らない東雲を余所に、軽い咳払いをした男が眼鏡を外す。

「祭ファミリーに応援を依頼した父の愛人側は、本気で自分ら親子を抹殺するつもりでした。けれど、祭美月はそれを破棄した」
「ユエと友達やったんか?アイツ、会長と仲が悪いっつーだけでSクラス蹴った変わりもんやさかいな」
「いいえ、長子後継の祭ファミリーからすれば、俺の方が義弟よりも後継者順位が高かっただけでしょう」
「祭は企業としてもデカいかんなぁ、優先順位っちゅーやっちゃな?掟が全てやもんなぁ、マフィアはんは」

近年、先進国として世界的に認められつつある中国最大の通貨流通業、祭の社長は名目上、祭美月となっている。実際、トップは彼の父親だ。

「事実、愛人側が大河ファミリーに大金を払って再依頼した時は、祭から殺され掛けました」
「大河か…。成程、なら大河白燕に口が聞けるのか、アゼルバイジャンは」

目を見開いた東條に、東雲は諦めた。普通の高校生は、アジア最強の男の名前など知らない。

「グルジア・アルメニアは聞いた事があるが、アゼルバイジャンは初耳だな」
「元は小組織だった様ですが、今は構成員最多のアゼルファミリアと呼ばれています」
「俺が知る限り、ロシアン最強はグルジアのワーカーだったが」
「何故それを?父の愛人は、ワーカーの元ボスの娘です」
「ああ、漸く判った。私のフィアンセの一人だ」

立ち上がり掛けた東條が硬直し、溜息を吐いた東雲が手を挙げる。お手上げだ、どうにもならない。

「ふむ、フェインに比べれば小さな家だ」
「はぁ。…改めて紹介するわ。この人は、左席会長やない」
「な、どう言う意味…」
「帝王院秀皇、グレアムの現正統当主と言えば理解出来るか?」
「なっ」
「ちょ、マジェスティ?!アンタ何を、」
「30年前、私は銘を与えた」

三人の背後から静かな声音が落ちる。振り返った東雲が素早く残る二人を背に庇ったが、

「カイルークに継承権がない事は…事実だ」
「…やぁ、義兄上」
「そなたと…少し、話がしたい」
「はは。…此処で俺を殺して、日本征服でもするつもりか?なぁ、義兄上」
「話を聞いてくれ、ナイト」

ダークサファイアの眼差しを眇めた男の前では、誰もが身震いするばかりだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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