帝王院高等学校
わんわんオーケストラでもいかが?
両腕に収まるくらいの小さく狭い空間が、世界の広さだった。
手が届く距離に大切なものを寄せ集めて、ままごとの様な幸せに浸っている。それが今までの、自分。


「あ、ぇ?」

急速に覚醒すると、外を通り過ぎた車のヘッドライトが暗闇の天井を照らしていた。
カチカチ時を刻む音が酷く近くから聞こえてくる。目覚まし時計を見やれば、もう一度通り過ぎたヘッドライトに照らされた文字盤は、七時前を示していた。

「もう朝…?」

そんな筈がない。
俯せのまま起き上がろうと手を突っ張れば、ピキリと太股が痙き攣る。何事だと瞬いて、筋肉痛だろうかと息を吐いた。

「…アグレッシブなオタクらしからぬ、インドア属性にょ」

呟きながら電気の紐に手を伸ばす。ぱっ、と明るくなった部屋に眩しさを覚えれば、バルコニードアに映ったのは自分。

裸、の。


「…」

メタボまっしぐらな腹を、ぷにっと摘んでいる場合ではなさそうだ。


『俊』

一瞬で思い出した。
ぼわっ、と赤くなった頬をパタパタ押さえキョロキョロ窺うが、神威の姿など何処にも存在しない。

「…ゆめ?」

いや、違う。
あんな所にあんなものを突っ込む様な夢は有り得ない。何せ、知識がないからだ。

夢なら生々しいあの温度も力強さも吐息も、体の奥深くを穿った質量も、全て。
ただの幻だと。そんな馬鹿な事、あってたまるか。


「カイちゃーん」

久し振りの我が家を跳ねながら、神威の姿を探した。しょっちゅう鳴る筈の携帯が見当たらないので、まずはリビングだ。

「カイちゃん?カイカイ?」

明かりを付けるまで真っ暗だった居間は無人、姿見に映る自分は肌色。
エロ漫画の様に、エッチの後の記念日らしきキスマークは見当たらないが、今になれば、毎朝毎朝増える虫刺されこそがキスマークだったのかも知れない。

「…」

我ながら、鈍いのだろうかと眉を寄せた。いつも隼人や要が首筋を凝視していたのは、それが原因だったに違いない。
けれど、蚊が刺した程度の内出血など、1日2日で消えてしまうから。気にしなかった、と言えば笑われる。

毎日毎朝、消える前に増えていた赤い赤い、それが。今は一つも見当たらないのだから。


「はふん。カイちゃん、居ないみたいなり」

無人の我が家はひっそり静まり返っていた。八時になれば父親が帰って来る時間だが、母親も居ない。
どうしたものかと息を吐く。

中学時代に佑壱と出会い、携帯が欲しいが為に貯金箱を叩き壊した。
週刊漫画を買うくらいが楽しみだった12歳は、携帯の維持費が如何にバカ高いを知らず。月々の使用料を払うべくバイトを始めたのは、折りよく不登校を始めた頃だ。

最初は2区の小さな花屋。
目つきの悪さと緊張からなる無愛想さでも雇ってくれていた店長も、店先のプランターを蹴り飛ばしたチンピラを殴り飛ばした直後、クビだと叫んだ。

血まみれの拳、鼻から血を流すチンピラが捨て台詞を残し走り去っていく、叫び散らす普段は穏やかな店長、遠巻きの通行人、くつくつ笑いながら近付いてきたのは、真っ白なスーツと紫のシャツで身を包んだ男だった。


『一介の花屋にしとくのは、惜しい人材だ』

緩いオールバック、サングラス、黒いストール、明らかにカタギではないだろう雰囲気の彼は、ホストクラブのオーナーをしていると言った。

時給二万、週末は手当ても付ける。気が向いた時に出勤すれば良い。
愉快げに宣った彼の威圧感に負けて、誘われるまま体験入店した。中学生である事は、聞かれもしなかったし勿論、言う暇もなかった。
何せどう見てもインテリヤクザだったからだ。


煌びやかなクラブは、抑えた照明が妖しげな世界を作る。想像していたより小さなお店は、いつも綺麗な女性がやって来た。
余裕がある、大人の女性ばかりが。


初めてのお客さんは、目が不自由な初老の女性だった。緊張しているのを感じ取った彼女は、可笑しそうに笑いながら色んな話を聞かせてくれた。
少女時代の初恋、結婚の馴れ初め、議員だったらしい旦那を亡くし、子供も居ないので寂しい、と。

息子が居たらこんな感じかしら。ゆったり笑う人につられて微笑むと、他のお客からも一斉に指名が入り出した。

出勤四日目にはナンバーワン、冗談だろうと思ったが、分厚過ぎる給料封筒を貰った時には凄まじい表情を晒したらしい。
自分こそナンバーワンになれるほど美形であるオーナーが、お前にはヤクザの素質があると鼻息荒く叫んだくらいだ。


「あ、携帯みっけ」

ワッキーと呼んでいたオーナーは元気だろうかと考えながら、何故かバスルーム手前に転がっていた携帯を拾う。
ついでにバスルームを覗き込むが、やはり誰も居ない。

但し、ゆずの香り。

「あらん?母ちゃん、いっつもヨーグルトの入浴剤入れてたわよね」

アソートの入浴剤は四種類入っているが、いつも余るゆずの香り。家に大量に余っていたものを寮に持って行ったので、俊は毎晩ゆずの入浴剤を使っていた。
なのに、ゴミ箱の中に黄色いパッケージが収まっている。破かれたそれは、豪快な母らしくない丁寧な破り方だ。

「パーティー開きするなんて…カイちゃんくらいじゃないかしら」

コンソメポテチと同じ。
俊はビリビリ適当に破る。育ちが良いのか、ただの几帳面なのか、とにかく神威は何をするにも美しくこなすのだ。
手縫いのコスがミシン縫いにしか見えない程に、恐ろしい器用さ。佑壱ですらあそこまで裁縫は上手くない。いや、若干苦手な部類に入るだろう。佑壱がミシンに触ると爆発する。

「シャワー浴びて。カイちゃんにメールしよっと」

素っ裸の自分を何となく眺め、頬を染めながらバスルームに入る。
2日3日くらいなら水を換えない母なら、きっちり栓を抜いたりしない。変に几帳面な父親が2日に一回掃除して水を抜くのだ。

なのに、浴槽に水は溜まっていない。でも、ゆずの香りがする。ジャバの香りじゃない。


「何も、変わらないんだな…」

鏡を凝視しても、いつも通りの自分しか映っていない。

「アレがアレしたら大人になるんだと思ってたなりん。おやん?」

鼻の下にうっすら産毛が生えているのを見つめ、うぶ髭と呟きながら父親のシェイバーに手を伸ばす。
が、使い方を知らない。潔く諦めて、ひよこスポンジにボディーソープを滴らせた。


早く。
早く。
早く。
太陽に会いに行こう。きっと、今頃カフェで楽しくやっているに違いない。凄まじい着信履歴とメールの数に些か怯むが、彼には一番に伝えたいのだ。


「あ、そうだ。千明兄ちゃんに紹介しとかないと。親友のタイヨーですって!きゃ!」

リンスインシャンプー、母親の剃刀を失敬してムダ毛処理まで行いながら、防水携帯万歳と新規メール画面を開く。

「やっぱり、…電話しよっかな」

シャワーを止め、泡だらけのまま呼び出したアドレスにコールした。


狭いバスルームに独り。
両腕が届く距離に大切なものを掻き集めて、にこにこ笑う甘酸っぱい未来を思い浮かべている。



『お掛けになった電話番号は、』


この時までは、確かに。






『現在使われておりません』










「雨止んだんじゃなかったっけ?何で濡れてんの?」

近付いてきた太陽を見つめながら、自分は笑った筈だ。
電話もメールも気付かなくてごめん、勝手にうろちょろしてごめんなさい。言いたい事は幾つもあった筈なのに、そのどれもが言葉にならない。


「シュン」

ああ。
懐かしい声音だ、と。そちらに顔を向けて、漸く把握した。

「何だ。今頃バレたのか」

此処に居る筈がない、金髪。
佑壱の隣で目を見開いている男は、とても良く知っている。

「知らない振りをしていたなら、意地悪だ。俺は初日に自己紹介したのに。近付くのも嫌だったろう?」
「…何か、あったのか?」
「何か?…は、何があっても君には関係ない」

外したサングラス、濡れたままの髪を掻き上げて、らしくない嘲笑を浮かべる。背後の太陽以外が痙き攣り、中には腰を抜かす人間まで見えた。

「中央委員会の閣下は。こちら側の人間を憎み侮蔑し批判する。相互関係の条件は、牽制だけだ」
「ちょっと待てよ、いきなり何でンな攻撃的なんだアンタは」
「…面倒臭い」
「は?」

体が怠い。
頭が重い。
もしかしたら風邪を引いたのかも知れない。それとも、大人になる対価だろうか。


「理解力のねェ奴に説明するのが面倒臭いっつったんだ」

物語の世界なら、目覚めた時には隣にきっと、居た筈なのに。


「ふむ」

左拳が、佑壱の右手に掴まった。
数センチ高い位置にあるルビーの双眸を見つめ、

「お手?」
「コイツを連れてきたのは俺です。お叱りなら、俺が受けるのが筋ではないでしょうか」
「俺がお母さんを叱る?馬鹿だな、DVは離婚理由の上位だろう」

掴まれた左拳が微かに震えている事に気づいて、笑った。ああ、佑壱でも怖じ気づく事があるのか、などと。

「どうして邪魔するの。やっぱりお前も中央委員会の味方なのか?会長に頼まれたか。弱みを握られた?ああ、それとも初恋の弱みか?」
「総長、落ち着いて下さい」
「はは、会話が噛み合ってねェなァ」

吹き飛んだ佑壱が、料理が並ぶテーブルに衝突する。

「肉親の情なんざほざいたら、流石に俺も怒るぞイチ。血より強い絆なんかないって言ったも同然」
「ふ、副長…」
「大丈夫ですかユウさんっ」
「ほら。皆、お前を心配してるのに…ああ、この場合俺が悪者か」

犯罪者を見るような視線に晒されながら、状況を把握していない日向に近付いた。

「シュ、ン」
「昔はシュンシュンって呼んでたな。俺の名前を呼んでたのは、お前だけだったよ」
「何で…嵯峨崎を殴った?」
「イチがお前を庇う様になるなんて…日頃の躾の賜物じゃないか?なァ、光王子閣下。うちのワンコもそれなりに可愛いだろう?チワワに負けないくらいには」
「ア、ンタ、本物のシュンか?」
「どうした?何でそんな目で見るんだ、昔は自分から話し掛けて来た癖に…」

近付く、一歩下がる。
きっと笑っていた筈だ。自分は。笑った顔が好きだと昔、子猫が言ったから。にこにこ、バイトで磨いた愛想笑いを、今。久し振りに。

「アンタは、ンな奴じゃなかっただろ」
「じゃあ、どんな奴だろうね?君は俺が欲しいって言ってたじゃないか、測定の時に」
「マジ、巫山戯けんな…ちっ」

舌打ちした日向が佑壱にぶつかり、下を見た瞬間に右手を固めた。



「いい加減にしろ」

けれど。
吹き飛んだのは佑壱ではなく、自分。

「な、に」
「あーあ、勿体ない。カレー飛び出てないといいんだけど」

尻餅を付いたまま何事だと見上げれば、転がる圧力鍋と目を吊り上げた親友の姿がある。

「タイ、ヨー」
「理由もなく暴力奮う様な最低野郎を、親友に持った覚えはないぜコノヤロー」

屈み込んできた太陽が、真顔で畳み掛けてくる。怒鳴るでも馬鹿にするでもない、静かな声音が。

「前後不覚になるくらい抱え込む前に、愚痴なり相談なりするのが親友じゃないのかい?それとも、俺はお前さんにとってその程度の存在ってコト?」

全身に染みて、爪先から震えていく。

「本気で泣きそうだっつーの」

ああ。
駄目だ、泣かせたくない。潤んだ茶の眼差しから、その雫が零れる前に、どうか、どうにか。

「ご、めんな、しゃい」
「謝る相手が、ち、違うっだろ!ぐすっ」
「イ、イチ先輩、ごめんなしゃい。ふぇ、副会長様、ふぇん、ごめ、うぇぇぇん」

びぇーん、と太陽に張り付けば、ポンポン背中を叩く手。その優しさにまた、泣けてきた。

「うぇん!け、携帯使われてなくて!ふ、ひっく!メールも返って来たにょ!デーモンさんからっ」
「バカー!俺なんか変な外国人に追われるしっ、周り全員不良だし!うっうっ、銀の髪にされるし…っ」

狼狽えている一同も、ただ事でない事は判るらしく見守るしか出来ない様だ。
むくりと起き上がった佑壱が、生暖かい眼差しで二人を見つめ宣うには、

「思春期爛漫か」
「は?何か言ったか、嵯峨崎」
「子供は腹が減ったらグズるもんだ」

わんわん泣くのは、犬ばかりとは限らない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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