帝王院高等学校
ちょっと時間を早送りしてみましょう
数時間振りの再会と言う涙ものの感動シーンにも関わらず、待ち構えていた相手は無表情で顎を反らした。

「セコムしてますか。」

傲慢に見下されるならまだ対応も変わってくるのだが、何とも言い難い無表情さは鉄壁だ。
台詞と表情のミスマッチ加減に、違う意味で泣けてくる。

「アルソック派なもんで。…人の寝顔を断りなく見ないで貰いたいね、礼儀知らず」
「愛らしくも下らん事を。緑ヶ丘は我が支配下、居城とも言える」
「それはそれはチープなお城だこと。勝手に寝転んでスイマセンでした?」
「そなたの無防備な寝顔は、」

待ちくたびれたとばかりにわざとらしく息を吐き、漸く口を開くには、

「随分、愛らしかったぞ」
「…アホらし」

馬鹿にするならそれらしい表情を、例えお愛想だとしても作って欲しいものだ。苛立ちは募るばかり、悟られたら笑い者だろう。
いや、笑われた方がマシかも知れない。
この男相手の場合、は。

「おや?着替えられたんですか、陛下。随分、お疲れの様ですね」
「招待状が贈られて来た」

問い掛けに返事はなく、黒封筒を取り出した男がそれをカサリと開けば、黒いグリーティングカードに赤文字。

「おや」

レッドスクリプトか、と。
瞬いて起き上がる。数時間の間に止んだ雨、幾らか晴れた空に星が散りばめられていた。
こんな所で寝転んでいたから、背中が痛い。

「寄越してきたのはファーストだ。新たな皇帝の戴冠を祝えと」
「おや。では、カイザーが退くと?」
「その様だな」

他人事めいた物言いに瞬く。
珍しく憂い顔の男の出で立ちを今更まじまじ眺め、首を傾げた。

「何かありましたか」
「問う場面で肯定を用いるのは相応しくない」
「ふふ。ハテナの有無が重要ですか?今の私はプライベート中なのでね、気遣うなんて煩わしい事はお断りします」

向かい側の長椅子に腰掛けた男の髪は湿っぽく、纏う白いトレンチコートの袷から素肌が覗いている。つまり下は裸かと瞬けば、俯き加減の蜂蜜がゆるく見上げて来た。

「私に何を言わせたい?人神皇帝に対する興味の有無が気になるか?」
「ふふ、初めから粗末なお遊びでしたねぇ。我々は決して本気では無かった。居なくなった男を、退屈凌ぎに追い掛けていただけ。…特に貴方は」
「隠れんぼ、鬼ごっこ。この場合、どちらが正解だろうな」

くつくつ、顔を伏せた男の肩が震えた。珍しい光景だ。

「実に面映ゆく、嘲劇的な状況だと言おう」

片腕は背凭れ、もう片腕は力なく垂れ下がり、湿った前髪が目元を覆っている。


「拷問、だった」
「は?」

囁きの意味を探れば、顔を上げた男は屋根の向こうの空をぼんやり見つめたまま、笑みを浮かべた。

「死が楽に思えるほどの快楽は、精神的に苦痛だ」

背筋が凍る程、それは恐怖を与えてくる。

「過ぎる幸福が呼び覚ました畏怖、私にはもう。生死は恐怖に値しない」
「陛下?」
「全てが生ぬるいものに思える。あれ以上の恐怖など、何処にも存在し得ないだろう」

いやな記憶を追い出し、冷や汗が滲む。

家族に見捨てられた昔、地獄のアジアから渡った異国の地。自由を歌う女神の足の下、地下深く。
出会ったのは、プラチナのキリストだった。
何も彼も恨んでいた。
何も無かった。
日本で呼ばれていた名前、中国では誰も呼ばない個体の識別番号。そのどちらも、意味などなかった。
己の名前を忘れかけていた。忘れたかった、が、正解だ。
捨てられた自分は、家族など居ないと思い込む事で生きられた。恨めば心がけ軽くなり、地獄でも幸せに思えるから。

「ヘタレ攻めも、射精に至れば英雄だ」
「は?何の脈絡もなく下ネタですか?」
「Save it scrub(黙れヘタレ)」

そんな時に、神の子は言った。
叶二葉も洋蘭も自分の名前ではないと言った子供に、無表情で、



「Naked(ネイキッド)」

今のように。
早い話が“バースデースーツ”、裸同然の自分は、やっと自分の名を手に入れた様な気がしたのだ。

「最早、この国にもこの世にも未練はない。今のそなたは、そんな顔をしている」
「…」
「だが、そう思い込む程に隠しきれない未練が浮かび上がって来るものだ。哀れな程に」

静かな声音だった。
悟りを開いたかの様な穏やかな声音だった。

「哀れで悪うございましたね」
「哀れなのは私だ。望んで手を伸ばした事を悔いている。同時に、充足感をも」
「いつもながら、回りくどい。何が言いたいのかもう少し判り易く、」
「そなたにも、つまらぬ我が儘に付き合わせたな。礼を言う」
「何、似合わない事を仰ってます、か」

静かに息を吐いた男は、夜空に浮かぶ余りにも小さな光の粒を見つめ、

「俊にまた、怒られる。言葉遊びが過ぎると」
「は?」
「日本滞在中の我が子らへ継ぐ。業務は既に為した。…長い休暇は終わりにしよう」

衛星だと呟いて、瞼を閉じた。
唇を震わせる二葉の気配に気付いているのか否か、まるで寝ているかの様だ。

「本国に帰るおつもりですか?」

呟けば、背筋を駆け抜けたのは未練だった。自分から日本に未練はないと言った癖に、思い浮かぶのは山田太陽の顔ばかり。

「遅かれ早かれ戻らねばなるまい」
「は、はは、何を今更。どの道、卒業すれば嫌でも向こうへ、」
「もうこの国に滞在する理由はないんだ」
「っ、あるでしょう!キングを破滅へ追い込むと貴方はっ、」
「私には、弟と呼べる人間は二人しかいないと。言った事がある」

いつか。
同じ事を誰かに言った気がする、と。何かを言いかけた二葉を遮りながら、瞬いた。

「一人は、同じ日に産み落ちた同胞、牡羊座の半身」
「半身?」
「李上香、だったか。アレは名付けられていないそうだ」
「何故、李の名が?ま、さか。そんな、馬鹿な事が…」
「ルークは2つ揃ってこそ初めて、キャスリングを許される」
「あはは、ご冗談ばかり。…私を騙して何の特がありますか、マジェスティルーク」

狼狽している二葉が凄まじい顔つきで立ち上がり、拳を握っている。

「…気の長い私にも、限度はあるんですよ」

二葉が唯一、引き分けのまま勝負を付けていない相手。叶二葉を拘束する祭家の飼い犬、黒装束の、死神と呼ばれた生き物。

「確かに、そなたは気長だ。11年も待ったのだからな、ベルハーツ以上だ」
「李は!13年前にはもう、ジエファミリーのデスサイズと呼ばれていた!有り得る訳が、」
「スケアクロウ。ブラックシープ」
「っ」
「死神の鎌、か。冥府の羊に相応しい名だ」


知っているかい?
神威、君には兄弟が居たんだよ。
残念だけど死産だったらしい。君のお母さん、…サラは神威にしか興味がないみたいだけどね、


秀皇が言ってた。


お兄ちゃんがカイなら、弟はメイだって。



「家族とは委ね合い、身を寄せて生きるものではないのか。例えるなら羊の様に」
「李は、この事を…」
「望むなら我が全てを譲ってやりたい。いや、押し付けてやりたい、か」

愛想笑いを忘れた二葉を見つめ、小さく笑う。頬が痙攣した。面白くもないのに笑うのは、愛想笑い以上に疲れる。

「金も地位も権利も義務も運命も責任も生きるも死ぬも、全て」
「貴方、は」
「向けられる憎悪も殺意も羨望も信頼も何一つ残さず、奪ってくれないだろうか。アレは」
「…」
「アレのDNAは、スコーピオ最上階で採取した毛髪と一致した」

冷たい風が世界を撫でた。

「私の体は最早、正常とは言えない遺伝子配列だ。李上香のDNAに一致するなら、サラの腹に宿った子供はどちらも、…帝王院秀皇の子供だと」

雨上がりの湿った世界を冷やしていく。散りきった葉桜までも撫でて、凍えさせる様に。

「キングから、私は生まれない。キングがO型である限り、A型のサラから私は。奇跡が起きない限り…」
「もう一人、弟がいると言いましたね。…それは、嵯峨崎君の事ですよねぇ、兄弟みたいなと言う比喩で…」
「判っているのだろう、ネイキッド。皇の末裔が、山田太陽である事を」

目を見開いた二葉から目を逸らし、月のない空を見上げる。

「スメラギ?」
「西の叶、東の皇」

東の空の星は衛星だ。太陽の僅かな光を反射させているに過ぎない、鉄の塊。

「帝王院の分家に当たる、忍一族だ。常に帝王院の手足となり、表舞台へ姿を見せず偽名を名乗る事で“空虚”を装う」
「話だけは、兄から聞いた事が…」
「灰皇院は明治維新後に付けられた名だ。公家が祖である帝王院を模したものだろう」
「YMDテクノは灰皇院、ですよ」

風が強くなった。
空が唸っている。轟々と、囂々と。

「空を連想させる名は灰皇院の証だ。山田大空、山田太陽。…戸籍上は、村井太陽」

この世界は空っぽだ。
真実が晒される度に現実味がなくなり、まるで舞台の上の様に思えてくる。

「今の灰皇院は、血が薄まったからか帝王院との交流もない。事実は不明だが」
「陛下」
「忍びならば、極めて忠実に主人へ従うだろう。灰皇院大空の主は、間違いなく帝王院秀皇」
「…私は、貴方を見くびっていた様です」
「ならば灰皇院太陽の主は、誰だと思う?」

極めて平凡な生き物の。
傍に必ず、同じ人間が存在している事を。


「…ただの想像であれば良い。つい先程浮かんだ考えに、貴方はもう辿り着いてらしたんですね」

学園内で、知らない人間は居ない。

「鷹翼学園の株は、全て帝王院に繋がっていました」
「嵯峨崎、東雲、加賀城…お祖父様は仕組んでらした様だ。意識不明を装うのは、凄まじいストレスだっただろう」
「学園長はやはり仮病でしたか。代理はこの事をご存じないのでしょうねぇ、お可哀想に…」


ああ。
目の前が真っ暗だ。


「神に慈悲など必要ないと言う事か」
「人には神の慈悲が必要だとしても、ねぇ…」

恐らく、神威も二葉も笑っているに違いない。
何て恐ろしい島国だろうかと、笑っている筈だ。

「『神威』の名を捨てられない限り、私は論理違反の罪を負い続ける。名を捨て、グレアムの神として在ろうとするなら、今度こそ耐えられない」
「耐えられない、ねぇ」
「拷問だった。人生で初めて、愛しい相手を組み敷く幸せは」

僅かばかり瞠目した二葉が数瞬して擽る様に笑い、いつの間にか外れていた青銅面に気付いたらしい。

「なら私は幸せな部類ですねぇ。張り裂けんばかりの肉欲も、時が経てば神聖化されてしまう。口付け一つにも、震えが止まらない」
「些か余裕があるな。身を這う恐怖に、震える事も吐き出す事も出来なかった」
「ふふ、スケベ陛下。睨下に同情しますよ」

例えばの話をするとキリがない。妄想が幸せだと、現実の侘びしさに押し潰されそうだ。
でも、

「もし俺が極々一般的な家庭に生まれていたら、俊を誑かし丸め込み孕ませたものを」
「おや陛下、一般的に男の子は孕みませんよ。もし私が取るに足らない一般人だったなら、薔薇の花束を抱えてプロポーズします」
「惜しむらくは、ヒロアーキ副会長に薔薇が相応ではない所か」
「…ブス専が馬鹿にすんな」

バイクの音が近付いてくる。
何だと二葉が振り返れば、もう時間かと囁いたのは神威。

「9時にはまだ30分もあると言うのに」
「カルマ、ですか?こちらは二人しか居ないのに…」
「いや、集っている頃だ。ノーサへ連絡を入れたのが、一時間以上前だからな」
「おやまぁ、川南君は生きた心地がしなかったでしょうねぇ。直々に声を掛けられるなんて」
「俊は、恐らく皇帝ではない」

今更。
神威の纏う違和感に気付いた。



「人神皇帝は別人だろう」

流れる長いプラチナは、本来短い筈だ。なのに偽物と言うには違和感が薄い。ワンレンのウィッグなら、サイドがアシメになる筈がないだろう。

「エクステになさったんですか?特注ウィッグでしたのに、勿体無い」
「BK灰皇院。初めから存在していない生き物を、元に戻すだけだ」
「そう、ですか」

顔を上げた二葉が長い溜息を吐き、


「けれど、偽りを装っていた時の貴方は…とても幸せそうでしたよ。」

近付いてくる足音やエンジンの音をBGMに、暗い空を見つめている。

←いやん(*)(#)ばかん→
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