帝王院高等学校
胡散臭さの大名行列開催中ざます
「うう…痛いんだわさ。負けてなるものかい、主婦舐めんじゃないよ」

ずぶ濡れでよろよろ歩く人は拳を握り締め、漸く見えてきた自宅の前に見慣れない車が停車するのを見た。

「…誰だろ?町内会長にしちゃ、派手な車だわね」

旦那の取引先だろうかと首を傾げつつも、降りてきた長身に息を呑む。
背中で一つに纏められた長い黒髪、女神めいた美貌、柔らかく笑む眼差し、薄い唇はベビーチェリーの桃色だ。但し、見上げる程の長身に職業不明なダークブルーのスーツを纏っている。

「き、れいな男…」

あそこまで来ると人間離れしてると、傘も差さず呆然と立ち竦めば、運転手が差し出す傘の下で、こちらに気付いた男は笑みを深めた。

「失礼、天涯猊下のお宅をご存じないでしょうか?」
「…へ?わ、私っ?」
「おや、他に誰か居ますか?」

なだらかな坂の上には山田家の建物があるが、企業の社長ともなると様々なトラブルが想定されるとの事で、入居時から表札には妻の旧姓が掲げられている。近所の殆どが「山田」を知らないだろう。
とは言え、両隣や付近の住宅は殆どがセカンドハウス物件だ。駅もバス停も遠いベッドタウン。勿論、通行人も少ない。

「まぁ、こんな雨の日に外出したがる人は少ないでしょうがね」
「そうですねぇ。それで、ご存じないですか?」

然し、今の言い方は明らかに馬鹿にした物言いだ。
秀麗な微笑が一気に胡散臭さを加速させ、山田家の紅一点は冷め切った。そもそも傘も差さず歩いている怪我人に、この男は傘を差し出す気配すらない。

顔だけの男に舞い上がるほど、お子様ではないのだ。浮気癖がある美形の旦那を持つと、考えが変わるものである。

「や、私も5年くらい住んでるけど、テンガイさんって人は知りませんね」
「そうですか、困ったな。手掛かりがなくなってしまった」

然程困った様子ではない。セカンドハウスと言えども幾らかには表札もあるし、管理人めいた人間も時折出入りしている。用があるなら自分で確かめろとばかりに鼻を鳴らし、出そうになったクシャミを耐えた。
病院に運ばれてタクシー代をケチった挙げ句、風邪を引くのは余りにも馬鹿馬鹿し過ぎるではないか。

「蟹…蟹が私を待ってるんだわ。もうすぐよ、後5歩ぉ!」

混雑していた地下鉄と此処までの徒歩で心身ともに憔悴している彼女は、たらば蟹が心の支えだった。

「灰皇院に再度連絡するしかないか。とんだ狸親父だ、叶相手にガセネタ喰わすとは…」
「月の宮様、お体が冷えられます。どうぞ車にお戻り下さい」

黒塗りのベンツを横切った時、男達はそんな話をしていた。心臓が僅かに跳ねたのが判る。
何故、その名前を知っているのだ。それは余り思い出したくない名前だ。

「ヤマダエレクトロニクスめ。世間知らずの入り婿かと思えば、とんでもない」
「フランスを拠点にリゾートホテルを運営している家でしたか。三男ともなれば、政略結婚くらいしか使い道がありませんから」
「奴は妾の子だろう?実質、会社の養子に入った様なものだ。無知なお嬢様が継いでりゃ、とっくに無くなってる」

心臓が、煩い。
太股がジンジンと鈍く痛む。重い足を持ち上げ、倒れ込む様に門を押し開けた。
ベンツのドアが閉まる音が二回、リビングのドアがスライドする音、近付いてくる足音がパシャパシャと、

「母さん、何でずぶ濡れなの?!」
「た、タクシー代をケチったんだわ」
「僕の財布があっただろう?とんでもない人だねー、怪我人なのに…」
「くしゅん!」

がばっ、と抱え上げられて目を見開いた。やはり男だ、軽々リビングに運ばれて、濡れたままソファに下ろされる。

「タオル持ってくるから脱いで、ああ、シャワー浴びた方が良いかな」
「お医者さんから今日明日は風呂入るなって言われたんだわ。膝まで包帯巻かれてるし、面倒臭い」
「あのねー…」

何をしていたのかと思えば、縁側にゴミ袋が2つあった。A型の男は、神経質なほど綺麗好きなので困る。無意識に身近の何かを磨く癖がある亭主から服を脱がされながら、濡れた髪にタオルを被せた。

「バーベキューセットなんか出したの?」
「アキちゃんが帰って来てたんだ、さっき。その時にちょっとね」
「ふーん?あの子、私には連絡一つ寄越さないんだから」
「苛め過ぎるからだろ?」
「可愛い子を谷に突き落として何が悪いの。アンタにだけは言われたかないわ」

水分を吸って重くなったタオルで亭主の顔をバシッと叩き、下着姿で立ち上がる。

「恥じらいはないのかな」
「はん、腐るほど女の下着なんか見てんでしょーが、クソ男。良い匂いがすると思ったら、やっぱり私の蟹!」

冷蔵庫を力任せに閉めて、ギロッと亭主を睨んだ。ビクッと震えた彼は、今にも死にそうな表情だ。

「り、離婚はしない…よ!」
「ふー。私も一回くらい浮気しようかしら…」
「相手は何処の誰かな!絶っ対に、許さないよ!良いかい?浮気は遊びで本気じゃないんだから、ヨン様みたいなイケメンと再婚だなんて有り得ないんだよ?!」

自分の事は棚上げな亭主を横目に、

「カノー様」
「は?」
「さっき、うちの前に居たんだわ。ビビるくらい良い男だった」
「へぇ、珍しいね。何かの有名人かな?」

微笑んだ亭主が、リモコンでテレビのチャンネルを変えた。いつもはテレビなど見ない癖に、判り易い男だ。

「そうだ、築地で渡蟹を頼んでおくから明日取りに行ってくるよ。蟹は渡蟹の方が美味しいって言うじゃない」
「白々しく話変えてんじゃないわ、タコ」

湿ったブラジャーを投げ付ければ、背中を向けて座っていた亭主の頭に着地した。それを掴んだ亭主が素早く振り返ったが、バスタオルを巻いているので勝ち誇った表情を浮かべてやる。

「スケベ」
「…陽子ちゃん」
「灰皇院。知ってたみたいよ、彼」

呆れた様な眼差しだった亭主が、一気に無表情になった。

「貴方のお父様の名前よね。ヤマダエレクトロニクス、懐かしい名前を聞いたもんだわ」
「今じゃYMGテクノロジーって言うみたいだけどねー」
「…引っ越す?」

言いたくないなら聞く必要はない。浮気者で仕事馬鹿で几帳面で、素晴らしい旦那とは言えないだろうが、それでも死ぬまで添い遂げようと覚悟した相手だ。

「…逃げ回って無駄に時間を浪費するのは、もう沢山だよ」
「そう」
「テレビ、面白くないね」

呟いた旦那の手がリモコンへ伸びる。静寂に包まれた世界は、雨の音だけが全てで、

「昔話をしようか。何にも面白くない長い話だけど」

今なら、何も彼も全部。許せるだろう、耐えられるだろう。


「…良いわよ。但し、やっぱ寒いからお風呂の中で聞くわ」

誰を敵に回しても、後悔はしない。










「東雲センセ?」

降り込む雨で随分濡れている渡り廊下、柱の影から現れた一人の生徒を見やり、呼ばれた本人は首を傾げた。

「ん?あーっと、北寮の生徒やったかいな?」
「違いますヨ。自分は東棟下層所属でス」

片言訛りの強い喋り方は、恐らく国際科からコース替えを申し出た生徒だと思われる。四階建ての一番大きな東棟は、一階が普通科、二階が工業科、三階が体育科で、四階が国際科の寮室になっている。但し、国際科の生徒は大半が個室完備のアンダーラインから出ない為、空室ばかりだ。

「普通科、やんな?体育科はないやろ?」
「ハイ、なので直接センセの授業受けた事はないですネ」

40〜60人で変動する普通科は、進学科予備軍の生徒を筆頭に成績順でクラス分けされる規則だ。基本的に専修学科の生徒も、願い出れば普通科への編入が許される。
但し、専修学科から別専修に変わる為には、個別の面接と試験が必要となるので申し出る生徒は少ない。

「そーか。Sクラス以外把握しとらんもんで」
「宝塚敬吾でス」
「残留生が何の用やの?」

留学生の殆どは卒業を待たず祖国に帰るなり、大半が居なくなる。一年以上残る生徒を総じて残留生と呼んでいた。
基本的に最低限の一般教養以外はマナー講習ばかりの国際科、進学科担当教諭である東雲は分野外だと言える。

「残留生じゃなくて、昇級生ですヨ。オーストリア分校から入ったので、元から普通科でス」
「そ。先生に何か用か?進路相談なら教務主任の先生に、」
「違いまス。センセが顧問の部に、以前から興味がありましてネ」

見た目は平凡な生徒。大きさがあっていない眼鏡に、サイズがあっていないシャツはスラックスのウエストから裾が出ている。
ずんだれた格好やなぁ、と心の中で眉を潜めながら、自分で言うのも何だが知名度がない『庶民愛好会』だ、台詞の意図を探った。本心だとは思えない。

「…何となく胡散臭い奴っちゃ」
「何か仰りましタ?」
「いんや、こっちの話や」

とりあえずにっこり笑ってやる。
庶民愛好会の実態が左席委員会の執務室である事は、一応隠している筈だ。中央委員会に心酔している生徒達からどんな嫌がらせをされるか判ったものではないし、元々部員数一人で辛うじて存続してきたマイナー部だ。
中等部二年の山田太陽が入会して以来、今年までそれは変わらなかった。

傷害未遂事件の直後だったから尚更、中等部進学科担当の教師から相談を受けていた事もあり、贔屓していた節はある。

『シノ先生』と親しげに呼んでくれるまで一年懸かった。マイナーだからこそ、いつも部室には二人っきりだ。テレビゲーム三昧で、安いスナック菓子の新製品が出る度に食べ比べ、他の会話は殆どない。

「暇ぁな、しょっぼい部活やで?顧問の身で言うんも何やけど」
「ハイ、ボクにぴったりだと思いますヨ」

毒気がない笑みを浮かべて首を傾げた生徒に、頭から拒否する事も出来ず曖昧に笑い返した。


「心此処に在らず、か」

それまで隣で大人しくしていた男が溜息を吐く気配、眼鏡を押し上げたその男は、奇妙な生徒に近付くなり指を鳴らした。

「え?」
「君にとても良く似ている子を知っている。君にとても似ていない子を知っている」

まるで呪文を唱える様な声音だ。
ブカブカのブレザーの肩がだらりと垂れ落ち、目の前の生徒の目が何処か遠くを見る様に焦点が合わなくなる。

「君の名前を知っている。君は名前を知っている?」
「遠野、俊、左席会長猊下…」
「君は何故それを求めるんだ。君は何故此処に存在するんだ」
「カルマ、同一人物…でも、違う…」

ぶつぶつと独り言の様に呟き始めた生徒に瞬いた。ああ、これが催眠術かと惚けながらも感心する。
カリスマ中央委員会長の演説は、聞く者を悉く魅了し、信者を増やしたと言う。彼の魔法めいた、悪く言えば詐欺めいた命令が効かなかったのは、表舞台に名が知られていない初代左席会長だけだ。

「カルマ?ああ、俊の…」
「健吾が…幸せなのは許せない…」
「健吾って、高野かいな?」
「黙れ、暗示が解ける」

ゆらり、と。
揺れた体躯、薄暗い光を宿した眼差しが真っ直ぐ、

「あの時、何で生き返ったんだヨ!」

見た目からは想像出来ない素早さで手を伸ばした生徒に、東雲ですら反応が遅れる。
緩やかに眼鏡を押し上げた男が、面倒臭いとばかりに右手を持ち上げもう一度指を鳴らそうとしたが、


「何をしている」

割り込んできた長身が指を鳴らそうとした男の肩を掴み、庇いながら狂った生徒の腹に一撃を与えた為、何事にもならない。

「東條!」
「大丈夫でしたか東雲先生。一体これはどういう事ですか?」
「いや、何と言うか、」
「左席に入りたいと言うから断った。それだけだ」

パシッと東條の手を振り払った男は、庇われた瞬間外れ落ちた眼鏡を拾いながら前髪を掻き上げた。

「それより、俺を見下してもイイのは山田君だけなんだ」

見開かれた東條清志郎の双眸に、舌打ちしたのは東雲だ。

「用があるなら屈んでから言いなさい、君は本当に高校生かね?マフィアみたいな威圧感じゃないか」
「マジェ、…遠野!のびちゃん!この間ゼロ点だった英語の復習するっつったやろ、急がんかい!」
「零点?帝君の俺が?」
「早う行くで!さっさと歩きなはれ!」

やばいとしか言えない。
首を傾げる男の腕を掴む。なのに引いても引いても、それ以上進まない足並み。


「待って、下さい。シーザー」

掴んだ腕の持ち主の右手首を、東條の手がガシッと掴んでいた。
エセホストの額に冷や汗、一つ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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