帝王院高等学校
本棚がぐちゃぐちゃだと気になります!
抱き上げた体は眠ったまま、擦り寄る様に身を委ねてきた。
雨も風も勢いを失い、今や静かに世界を濡らしている。

「あれ?あの、此処の息子さんは…」
「外出中だ。言伝があるなら伝えておくが」
「い、や。良いです。お邪魔しました」

大きな荷物を3つ運び出す業者を見送り、入れ違いにやってきた見知らぬ男を追い払った。

「不審な男だ。名も名乗らず帰るとは…」

どちらが不審者だ、と。囁くのは脳の奥。


「…寒い。」

向かったのは短い廊下の果て。濡れた服を脱ぎ捨てながら真っ直ぐ、真っ直ぐ。
まとわりつく他人の匂い、雨の匂い、何も彼も消える気配はない。



「…そうか。認めようとしないなら、それで構わん」

寧ろ好都合だと、携帯片手にタオルで濡れた髪を拭う。暖まった体は僅かばかり重く、気怠い。

「それより、今し方ネルヴァから送られてきた文章には目を通したか?」

慣れない他人の家のバスルームは、やはり他人の匂いがしていた。廊下も何処もかしこも、疎外感を与える他人の匂いで満ちている。
落ち着かない雰囲気、受話器から聞こえてくる声を聞きながら、真っ直ぐ向かったのは階段。

『…目は通しましたがねぇ。釈然としない』
「電信とは言え、末尾にノヴァの名を記した正式書面だ。高がメールと捨て置けば我々の立場が危うい」
『だからと言って、「理事長の友人」などと馬鹿馬鹿しい話を鵜呑みにするおつもりですか?』
「そうだ」

呆れた様な溜息が聞こえる。
ひたひたと、歩く度に濡れるフローリング、上り詰めた短い階段、手を掛けた金色のドアノブには十字架のマーク。
何処かで見た、などと。他人事の様に。

「不服か」
『ああ、仰る意味は判ります。ただ納得出来ないだけで』
「ステルシリープラントは未だ、キングの名による影響が大きい。私が所有する4京ドルの総資産も、キング=ノヴァの掌中に握られている」
『…桁外れで想像すら出来ませんが、確かに年間収益は6000億ドル前後』

開いた先、こんもり山を描いたベッドマットがある。漫画と学術書が乱雑に入り乱れた本棚の隣には、旧式のデスクトップパソコンが置かれた学習机。
その隣にそれほど大きくはないタンス、その上にはデジタルカメラのパッケージと説明書。

『儲かってますからねぇ、我が社は』

帝王院学園の文字が刻まれた封筒は、外部入学生に配布される書類だろう。
本校Sクラスへの外部入学は、歴代遡ってもこの部屋の主が初めてだ。太陽は初等部からの外部入学なので、俊とは少々状況が違う。

『けれどその内の3割は、陛下ご自身で稼がれたお小遣いでしょう?』
「つまらぬ事を。それでは半数にも満たん。その程度、父上が本気になれば今にも破綻する小銭だ」

小学生の頃から使っているのか、随分年季が入った机の椅子に腰掛け、短い息を吐いた。

『小銭ですか。私個人の資産の軽く数百倍ですがねぇ、価値観が違い過ぎる』
「もう一つ、恐らく高坂を狙ったのは叶の人間に違いあるまい」
『おや、お気付きでらっしゃいましたか?先日は姪が大変なご迷惑をお掛けしました』

これが一般家庭の子供部屋なのか、と。狭い六畳、二階にたった一つしかない部屋の割りには余りにも狭過ぎる。

「賢いが少々考えが幼い。双子と言う割りには似ていない姉妹だ」
『姉の方が大人しい性格でしてね。妹の方は、イギリス暮らしで大分捻くれた様です。公爵代理からは可愛がられているそうですが』
「そうか」
『あのババア、陛下に取り入ろうと必死ですからねぇ。片方を陛下に、片方を高坂君に嫁がせて安泰を狙っているに違いない』
「見合い話は毎日湧き出ている。逐一確認する暇はない」
『嵯峨崎君への見合い話は、マダムクリスティーナが全て跳ね除けてらっしゃいますよ』
「ファーストが命を狙われるのは今に始まった事ではない」

手を伸ばし、押し入れの襖を開ければ山積みの段ボール。透明な衣装ケースには週刊漫画が詰められている。

「そなたも然り。そなたの信者がアレを目の敵にしている状況下だ、何処で手を組むか判らん」
『高坂君を目立たせて、私の目が離れた隙に嵯峨崎君を…ですか』

二葉の声音が愉快げに揺れた。
この部屋の設計図を頭に描いて、浮かんだ疑問を打ち払う。今はそんな事を考えている場合ではない。

「または、その両方を。既にノアとなった私を殺すのは荷が重かろう」
『勿論、その点も警戒しております。然し嵯峨崎君はともかく、並みの人間は高坂君を誘拐する事すら出来ませんよ』

クスクス、笑う声が鼓膜を震わせる。

『誰も知らないのですからねぇ。…彼が、適合者だと』

酷く羨ましげな声音に瞬いた。
机へ放った湿ったタオル、半乾きの髪は頬に張り付いたまま。

『私は私のシンフォニア諸共、不完全な欠陥品です。高坂君は違う。成長ホルモンの分泌は遅く、なのに自然治癒力は私の倍…』

静かな声音だ。
ゆるりと立ち上がれば、軋んだ木の椅子。

『何の後遺症も見当たらないのは今の所、高坂君だけ。陛下は瞳の色が変わってしまわれましたからねぇ。ああ、後は不眠症ですか』

畳の上に直接置かれたベッドマットはマットだけで、肝心のベッドがない。

「そなたよりは軽い。が、痛覚鈍麻はそなただけに限らん」
『私のシンフォニアは可哀想に、解離性同一性障害に苦しんでいますよ。彼自身は、己の他の人格に気付いていない』
「どうだろうな」
『何か?』
「錦織要は、思う以上に賢い男だ。飼い犬に手を噛まれる事態がないとは言えない」

そう言えば、寮のフローリングとベッドに浮かれていた俊を思い出し、こう言う事かと瞬いた。

『それより、第一秘書が邪魔なら息子を人質にしましょうか?何の為に私が今まで手を回してきたのか、彼らに教えて差し上げますよ』

シーツ、使い古した枕、日乾しされた匂いがする布団の下に、黒。

『全て、陛下が望むままに。何のしがらみもない自由を手に入れる為に、ねぇ?』

眠る頬を撫でて、覗き込む。
眠り姫を起こす王子はきっと、この角度から姫の寝顔を見ていたに違いない。

「…件の話には手を出すな」
『おや。想定内ですが、情けない』
「理事会が私に何の報告も寄越さなかったのなら、少なくとも生徒を傷付ける事態ではない。私は企業の会長ではなく生徒会長だ」

学園内では、と。言外に言い含めれば、笑う気配。

『仕方ありませんねぇ。所詮、学園での私はただの風紀委員でしかない。第一優先は生徒の身ですよ』
「そなたを恐れる生徒は多いぞ。そう悲嘆したものでもない」
『おや、それは誉めているつもりですか?』
「山田太陽を公開強姦すると言うなら、島や星の一つでも買ってやろう」
『先程の件は了解しました。それでは私は退勤させて頂きますので、今日はもう呼び出さないで下さいね』

一方的に切られた通話、規則的な電子音を最後に手を離す。苛め過ぎたらしい。


「セカンドの一途さは愛らしいが、やはり理解に苦しむ。…何故あんな子供を、お前もセカンドも贔屓するのか」

幾らか弱まった雨、雷の音ももう聞こえない。窓の外ではサァサァと、撫でる様に世界を濡らしている。


「…アレには、最も醜い死に様をくれてやるつもりだったが」

近付いて、口付けた。

「諦めるより他ない」

物語では目覚める筈の姫、現実では未だ眠ったままだ。火照った額、張り付いた前髪の隙間から、伏せた長い睫毛が見える。



「俊」

ふるり。

微かに震えた睫毛、すぐに規則正しい寝息。
起きそうにないのは睡眠不足が原因かと瞬いて、布団の中から右手を取り出した。


「…跡形もないのか」

酷い水膨れだった筈だ。
今はもう、僅かな赤みもない。まるで、初めから怪我などしていなかったかの様だ。

「誰がお前に手を加えた?これは俺の回復力に等しい。…人為的な細胞増殖だ」

囁きながら剥いだ布団。
喉仏に柔らかく噛み付いて、吸い付いた。

「…これもすぐに消えるのだろう。以前お前に付けられた痕も、一晩で消えた」

赤く散った印。
満足げに息を吐けば、擽ったげに身を捩った裸体。


「無防備だな」

丸く丸く、小さく丸まった背中、剥き出し尻を撫でて呟いた。健やかな寝息、染み一つない背中を引っ掻いて、もぞりと動いた体を抑えつける。

「ぅ、みゅ…」
「俊」
「ふぇ」

俯せに抑えつけたからか、息苦しかったのだろう。枕から顔を持ち上げ、横向きになった人はそのまままた、寝息を発てた。

「他人が」
「すーすー」
「お前に触ると考えただけで、胃が痛い」
「むにゅ」
「胃が痛いんだ、俊」

抑えつけた肩から肘を伝い、右手の指先に口付ける。
眠る人の太股の上、馬乗りになったまま空いた手で腹よりずっと上を押さえた。

「どうすれば良い。お前は医者の子なのだろう?」
「すーすー」

胃よりまだ上。
鎖骨より下、肋骨の奥、食べ過ぎた時の様な胸焼けがする。
健やかな寝息は何も答えない。一度眠ってしまえば、目覚まし時計が合唱しようが部屋を劇的にビフォーアフターしようが起きない男だ。

「俊」

きっと、犯されても気付かない。


「…死ぬかも知れない」

ごろりと転がして、仰向けになった寝顔を覗き込む。囁いても起きる気配はない。

「むにゅむにゅ。すーすー」

やや赤く染まった頬、やはり熱がある様だと瞬いて、唇を吊り上げる。

「どうだ。笑っているだろう?お前が言うから、笑顔を作る事にした。誉めろ、俊」

胃が痛い。
けれどそれは胃ではないと知っている。

「褒美を寄越せ」

柔らかな腹をなぞり、窪みに口付けた。そのままもっとずっと下、太股の付け根に唇を寄せれば、微かに震えた体躯。

「ん、ゃ」
「殺すつもりだったんだ。お前を知るまでは、確かに」
「ふ…」
「王を貫く駒、俺はルークの役目を果たせれば良かった」

誰も邪魔しない。
閉じた瞼が開かない限り、瞼が開いても、止める事は出来ないだろう。


「…カイルーク」

躊躇う必要はない。
欲しいものは手に入れれば良い。
囁くのは、誰。


「フェイン、ノア=グレアム。お前が嫌う男の名だ。知っているか?」

慎ましく汚れを知らない、体の中心。

「…俺には悪魔の血が流れている。認めるより他に何の術があるんだ」

何の遠慮もなく近付けた唇、やはり起きる気配のない瞼を見つめながら、


「唯一の肉親を殺すのは忍びないだろう?」

囁いた。
吊り上げたままの唇が震える。

「キングを殺せば、今度こそ俺は天涯孤独だ。妻に相応しい女を孕ませるまで、一人」

欲しいものは手に入れれば良い。欲しいものは我慢する必要がない。

「…俺には悪魔の血が流れている。日本の血は四分の一、サラから引き継いだものだ」

脳の奥で囁くそれは、悪魔の声に似ている。

(後悔するだろうか)
(いつかこの傷痕の様に)
(跡形もなく消えてしまいたいと)
(自ら望むだろうか)



「認めるしか、ない」


(触れた他人の体の中心)
(男を抱いた経験はない)
(これが愛情なのか子供染みた独占的なのかも判らないまま)

(二葉が羨ましい)

(彼は自分の感情の名前を理解している)


「…認めたくないからだろう」


(大切に)(大切に)(古びた木の棒をしまっている事を知っている)(当たりと書かれたそれは)(十年以上前から)(大切に)(大切に)



口付けを繰り返し。
独占欲を満たす為だけの赤い印を幾つも。


「…キングからルークが生まれない事を知ったのは、いつだったか」

こんな状況を漫画で読んだな、などと他人事の様に考えながら、無理矢理割り開いた唇の中に入り込んだ。
やわやわと揉み続けた他人の肉塊が僅かな反応を見せ、擽ったげに身を捩ろうとする体躯を抑えつけたまま。

「黒髪はお前に良く似合う。…不完全な俺とは違い、美しい色だ」

ぽたり、と。


「俺は」

なだらかな腹に落ちた水滴、濡れたままのプラチナから滴るそれは、幾つも。



「お前を弟とは認めない」

現実は物語ではないのだから。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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